シーン19-2 用水路 坊屋と宇神
動けない男
流されていく少年
そのとき
なんだ? いったい何が起こってるんだ?
世の中はみんな幸せになったんじゃないのか?
なんであの子が流されてるんだ?
なんで??
どんどんと誰かに背中を叩かれている感覚。
それが自分の鼓動であることに気づくと、坊屋はようやく息を吐きだすことができた。
はあっ……はあ、はあ……
「たっ……すけ、なきゃ」
力の入らない腿をバシンと叩き、何とか足を動かす。
最初こそふらふらと歩くようなスピードだったが、徐々に体も機敏に動くようになっていった。
足を踏みしめる度、頭にかかっていたもやが晴れていくような感覚。
しかし、水の流れは急で、坊屋と少年との間はどんどん広がっていく。
「誰か! 誰か!」
走りながら声を振り絞り助けを求めるが、周囲は全く動く様子もなく、遠巻きに眺めているだけ。
能面のように動かない笑顔で、汗だくの坊屋を見下ろしている。
「誰か! だっ!」
ドシャッ! ゴロゴロ……
足を滑らせ、盛大に転がる。
何とか止まってすぐに立ち上がろうとするが、息が上がってしまっているうえ、転んだ時にどこかひねったのか、足首も痛くとても立ち上がれない。
「くそっ! くそっ!! なんだよ!」
坊屋は這いつくばったまま、流れる涙も鼻水もぬぐおうとはせず、握りしめた拳で地面をひたすら叩く。
「誰も! 幸せなんかじゃねーじゃねえかっ! 違う……違う! 違う!」
何度も強く打ちつけられた小指側の甲は擦り傷だらけになってしまった。
「くそっ! 誰か……誰か! 何でもいいから助けてくれよ!!」
「誰でもいいのか?」
不意にかけられた声に坊屋の振り下ろす手が止まる。
地面に見えるのは真っ黒い革靴に真っ黒いスラックス。
「!!」
驚いて見上げると、そこには宇神の姿があった。
宇神は屈み込み、坊屋の目の前まで顔を持ってくる。
「元・貧乏神でも、いいのか?」
「宇神……」
「こいつは、返してもらうぞ」
そう言って立ち上がった宇神の手には、見覚えのある黒い扇子が握られている。
「さあて、ちょっと本気でいくか!」
黒いネクタイを緩め、宇神は扇子を高々と掲げる。
その瞬間、シン……と、あらゆるものが静かに、動きを止めた。
宇神の足元にまだ座り込んでいる坊屋も動けない。
「そおおおいっ!!」
宇神の気合の雄叫びとともに、まっすぐ地面に振り下ろされる扇子。
パキィィィン!!
扇子が打ち付けられた瞬間、何か固いものが割れたような音が響き渡った。
そして、ぐらぐらと揺れる地面から幾筋もの強烈な光が吹き出し、周囲を白く染め上げる。
坊屋は驚きのあまりぽかんと口を開けてその光景をただ眺めていた。
光の中央に立つ宇神が、徐々に人の姿を失っていく。
それは真っ黒い霧の塊のような、ぼんやりとした何か。
ちょうど目の位置にだけ、小さな赤色が見える。
勿論口などないのだが、坊屋の耳にはその霧が発する宇神の声が届いた。
「いいいいいってええええええ」
黒い霧がぶわっと伸びた。
伸びた方に向けて突風が吹く。
一瞬の溜め。
そして。
「こおおおおおおおい!!」
爆発に巻き込まれたような衝撃が坊屋を襲う。
光と風が渦巻き、黒い霧が矢のように飛び去り、そこで坊屋は、意識を失った。




