シーン16 通勤電車 はい、飴ちゃん
通勤電車の中
男は気づく
別の使い方を
「ふわっはー!」
家に帰りつくなり奇声を発し、両手を高く頭上に上げる坊屋。
「うおおおおああああ!」
掲げた腕をぶんぶんと振り下ろし、何度か足踏みをしてから、再び手をあげる。
「はーっ!」
そんなことを何回か繰り返してから、ようやく坊屋は足踏みをダッシュに変えてこたつへと滑り込んだ。
目の前にある黒い扇子に手を伸ばし、その骨を慈しむように撫でる。
「最高じゃないか君。不幸せなんて嘘っぱちだよ」
ぐふふふふ。
こらえきれず笑いが漏れる。
「なんであのおっさんこんな愉快な使い方に気づかなかったんだろうなあ」
坊屋は撫でていた扇子を注意して持ち上げると、ゆっくりと開き、ひと扇ぎだけしてまた元に戻した。
重い扇子を置いた衝撃でこたつの隅に置かれていたみかんが床へ転がり落ちる。
部屋の隅まで転がっていったみかんを坊屋が拾い上げると、その下から五百円玉が姿を見せた。
反対の手で硬貨をつまみ上げた坊屋は再び笑いを漏らすのだった。
こうして坊屋は幸せをいつでもかみしめられるようになった。
自動販売機のジュースが当たりもう一本。
いつも行列のラーメン店でもすぐに入れる。
傘を忘れても移動時はたまたま降らない時間帯。
服を買いに行けば気に入ったものはセール中。
扇子が与える実に実にささやかな幸福は、小さな飴玉のようで、坊屋はそれを大事に味わっていた。
しかし、日々際限なく手に入る飴玉に、坊屋が飽きるのも早かった。
こんな些事でなく、もっと違う何かが欲しい。
そんなことを考えながら、電車の席、一人分空いたスペースに坊屋は腰を下ろすと、半ば癖になったひと扇ぎをするため黒い扇子を開いた。
その時だった。
電車が大きくがたんとゆれた。
まさに扇がんとしていた坊屋は扇子の重さを制御しきれず、ぶんっと隣の高校生に大きな風を送ってしまった。
学生服の膝の上で開かれていた教科書のページがペラペラと踊る。
投げられる迷惑そうな視線を、頭を下げてやり過ごし、坊屋はそそくさと扇子を仕舞い込んだ。
どこでも開くもんじゃないな、もっと大切に扱わないと。
坊屋は鞄からスマホを取り出して、日課の株価チェックを始めるのだった。
次の日。
いつも通りの電車の中。
その日もちゃっかりと席に収まっていた坊屋の耳に、青年の話し声が飛び込んできた。
「いやー、昨日の小テスト、キテたわ」
なんとなく聞こえた方を向くと、話しているのは吊革を掴み立っている高校生二人。
そして、今しゃべっている一人は間違いない、昨日隣にいたあの青年だった。
隣に立つ友人がにやにやしながら返事をする。
「死んだ?」
「逆。ヤマばっちり」
「えー、そんなん教えろや」
すぐに口をとがらせる友人に、言い出した青年のほうがにやにやした顔を見せる。
「無理だろ。教科書が風でめくれて、たまたま開いたページを何となく重点的にやっただけだし」
「まじで。ラッキーじゃね」
「やー、キテたわ」
気づかれないように坊屋が盗み見ていた高校生は、満面の笑みを浮かべていた。
(これって……もしかして!)
状況を理解した坊屋は少なからず驚いた。
そして、あふれてくる興奮を抑えきれなかった。
この扇子さえあれば、自分だけでなく誰でも幸せになれる。
自分が、他人を幸せにできる。
そんなことを考えた坊屋の脳裏に、紗和子と宇神の顔が浮かんだ。
坊屋が最後に見た二人の表情は、どちらも笑顔とは程遠いものだった。
みんなが幸せになれば、二人にも……
坊屋は、扇子が入った鞄をぐっと抱きしめた。




