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インセンシティブ・センシブル  作者: サウザンド★みかん
(新)第Ⅰ部 大衆教育社会の欠陥教師―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
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(新)第2話 決意、挑戦、玉砕~第二節~

 初授業(?)は無事、終わった。お喋りしている生徒や、他のことを考えている生徒も多かったが、学校というのはそういうものだろう。かといって、うるさい生徒をそのままにしておいていいはずはない。だが、よほど腕の良い教師でない限り、理想的な授業風景など作れないように思える。

 ふと、ある記憶が甦る。それによれば、数年前に女子生徒の腕を掴んだ教師がセクハラ人間であるとのクレームを受け、懲戒処分を受けたということらしい。その背景については分かりかねるが、現代の学校においては、もうすでに昭和の価値観は取り払われているということだろう。

 こいつの記憶については、私の今後の立ち回りにおいて重要な位置を占める。というか、私はこいつなのだから……いや、この考え方はもう止めよう。

 私は、乾である。乾賢太朗。もう、この男という他人めいた表現は止めにする。もうすでに私は彼なのだから。

 次の授業は二-二。まずは職員室まで帰り、私の机に戻った。そこは窓際の席で、窓の外にはゴーヤの鉢植えが置いてある。なんでも環境対策の一環で、この植物があると地球の気温がほんの少し低下するらしい。

 

「乾先生」


 九里村だった。


「授業どうでしたか、何か笑い声が聞こえたんですけど」

「ええ、まあ災難でしたよ。笑われちゃいましてね」

「私、二-二で教えてましたから。よく響いてきました。私も早く、乾先生みたいに親しまれるキャラクターになりたいです」


 この女、馬鹿にしているのか? 好かれるとは言っていない点がポイントだ。俗に言う、女性語というやつである。


「ええっと、ですね」


 頭の回転は相変わらず鈍い。そのうえ言葉も出てこないときている。ふと、九里村の方を見ていた私の後ろ。人影が回りこんできた。田奴である。


「乾先生」

「はい、何ですか?」


 田奴の反応は予想済みだ。


「乾先生は五年目でしょ。いい加減になんとかならないんですか。生徒に嘗められっぱなしじゃあ困りますよ」


 認めざるを得ない。反論しようにも、今の私では教師としての腕前が足りなすぎる。


「すいません! 体調管理はしっかりします」


「乾先生、謝罪ができるようになったのはいい変化だと思いますよ? 僕が鴨中学校に転任になって、いま始めてその言葉をききました」


 日本というのは、対面が重視される国柄だ。特に謝罪などはそうである。悪いことをしていてもいなくても、謝るというカードを切るのはそれなりに有効な手段になり得る。

 どこぞの大企業が不祥事を起こしたとして、謝罪なしで賠償のみを十分にしたのでは非難轟々(ひなんごうごう)だろう。しかし逆ならば、それよりはずっとマシな状態になる。

 悪い言い方をすれば、始めに十分すぎるほどの謝罪をして、いざ被害者への補償の話しになったら、「いえ、それはちょっと……」と逃げることが可能となる。

 これは、元々の私の価値観だろう。まだその記憶はほとんど甦っていないものの、そういう職業に就いていたのかもしれない。


「はい。いい教師になれるよう今日から努めて参ります」


 周囲から嘲笑の声が聞こえる。これまでの私は、余程のダメ教師だったのだろう。だが、それも今日までだ。とにかく、授業くらいはまともに出来るようになる。そして元の身体に戻るための第一歩を踏み出すのだ。今はまだ、その歩数は小数点に過ぎない。


「口だけにならないようにして下さいよ! ただでさえ迷惑なんですから」


 そこまで言うか。まあ田奴の言い方の是非については、家に帰ってから十分に記憶を思い返して判断しよう。

 それから、あっという間にすべての授業が終わった。終鈴は鳴ったばかり。私は三コマを担当し、残りの時間は指導案の書き方について参考書を勉強していた。間違っても五年目が読むような本ではないため、周囲からの視線が痛かった。

 五限目には、二-二でも授業をした。前の方には、技術教室でノートを持っていた加目田さんがいた。これでもかというぐらい真面目に勉強していて、本当に恐縮する思いだった。教師が真面目な子に内申点を多く振り分ける事情が分かったような気がする。

 こうして私は、いま終わりのHRを行うため、二-一の教室に向かっている。

 ガラリ。扉を開ける。うるさい、とにかくうるさかった。他の教室にも入ったが、これほどうるさくはなかった。このクラスだけ異様なのだ。

 

「それでは、HRを始めます」


 誰も聞いていない。私語をしてる奴の方が多いなんて想定外だ。この時点で、もうすでにまずい。

 思いや考えが煮詰まったときは、全体を見るべきだ。そう思って私は、冷静になろうとし、クラス中を見渡す。机は全部で六列。四十人編成のクラス。窓際から一列手前の席には音恋さんが座っていた。私の方を向いている。他にもちらほら、黙っている生徒を見て取れる。見た目のタイプはバラバラだった。特におとなしそうな容姿の連中というわけでもない。

 私は息を吸い込んだ。


「それではっ!! HRを始めます!!」


 大声を出したせいかせそうになる。半分は静かになった。しかしながら、またすぐに喧騒の波が押し寄せ始めている。一時的に静かにさせてもダメだ。こいつらの認識をそのまま変えねばならない。喋っててもいい、という期待感を低下させる。

 黙らせるための策は用意していない。が、ここは行くしかない。ふと、音恋さんの方を見遣る。切ない表情で私を見詰めている。

 なぜだ? なにもそんな顔をしなくても……私の心に、何かが引っかかっている。まだ思い出していない、大切なことがあるんじゃないか。


「うるしゃあイヌが! 静かにせえや!!」


 どっと、笑いが起きる。その反応を扇動したのは、ある女子だった。思い出したぞ。佐野園さのえん、という本名の女子生徒。やっと分かった、そういうことか。その記憶を思い出し、気分が悪くなる。

 髪型はショートで、さらさら感の漂う健康的な髪質である。肌は真っ白、とにかく真っ白。ほっぺの黒子はそんなに大きくなかったが、なにしろ肌があまりに白いので、目立ってしまっている。

 その表情は、まさに獣の形相だった。自分たち生徒の聖域を守護するための、獣。それが女子のリーダーである彼女の役割である。かなり手強そうだ。荷が重いとは正にこのこと。とにかく今は……本当に、どうすべきなんだ?

 そのときだった、言葉が浮かんできたのは。これまで思い返してきた記憶は、乾賢太朗のもの。今の私が回想できる記憶である。それとは明らかに異質の、明確な記憶。そこは居間だろうか、全体の色調はベージュである。ふと、その壁紙にわら半紙が貼ってあるのを確かめる。そこには言葉が書いてあった。


 算多きは勝ち、算少なきは勝たず。しかるを況んや算なきに於いておや。

                      

 思い出した! これは兵法書「孫子」の一節。要するに、確信レベルの勝算がない限りはまともに戦ってはならないという戒めである。

 元の自分についての明確な記憶を手に入れたのは、これが始めてだ。それにしても危なかった。今の私では、このクラスを治めるなど到底不可能。下手に戦っても、打ちのめされて恥をかくことになる。誰でもいい、教師が嘗められるということ。それはすなわち、全ての教師がそのように見られる力が強まったということを意味している。

 結論から言おう。

 それから私は、何も出来なかった。答えを求めた所で私に分かる筈は無い。到底敵う筈もない。 ゲームオーバーというよりは神話でも読んでいるようだった。


「……」


 瞬きの出来ない眩しさで、夕暮れを眺めていた。私は未だに現実を受け止められずにいた。 教師という職業を嘗めていたのは私の方だった。以前の私がどんな人間だったかは知らないけれども、それでもいま、この事態を打破することは出来ないだろう。

 HRで伝える予定の内容を、ゆっくりと読み上げる。殆どの生徒は聞いていないし、聞こうとしても聞こえないだろう。

 帰り際、途中で教室を何度も振り返った。その度に苦しくなった。なんだか吐き気がする。

 もう、ここに来ることは無いだろう。出来るなら、そう思いたかった。

毎週、金曜日から更新です。それでは、ゆっくりお読みください(。。)...

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