第31話 不愉快な痛み~第四節~
虚心坦懐。場当たり的だが、ここは私(元)の座右の銘に従おう。何も考えず、ゆっくりと2階から1階部分を眺める。全て見えるわけじゃないが……。
ダメだ、いない。ならばと1階に下りて探し始めようとするのだが、どう考えても時間が足りない。ああもう、どうすりゃいいんだよ!
『もういい……飲み会は中止か? どうすればいいんだ。飲み会を確実に開くための条件は、あいつに許してもらうこと。許してもらうためには……』
脳裏に稲妻が走る。何で、こんなことに気が付かなかった? よし、許してもらうためには、あいつに好きなものをプレゼントしてやればいい。あいつも女だからな。気合の入ったプレゼントを渡されたなら、心臓に響くに違いない!
そう思ってゲームセンターに一直線。そこは、はぴ☆らきモール入り口付近にある。予想的中。あいつの好きそうなRebirth-Puddingのぬいぐるみが、わんさと詰まったクレーンゲームを発見する。ふわふわとした触感で定評のあるRebirth-Pudding達が、ゆるい体躯とは正反対に、「俺を助けてくれ」と叫んでいる姿が脳裏に浮かんだ。もうちょっとマシな想像ができたら良かったのに。
次の瞬間、予想は不的中となった。クレーンゲームのプレイが出来なかったからだ。なぜなら――プレイしている人間が新井千璃だったからである。すぐ側には優子もいる。
「……」
どうしようか、という考えが意識をもたげた。いや、もはやどうするでもないだろう。Rebirth-Pudding、取ってやるって決意したろう。あいつがRebirth-Puddingを好きかなんてしらないが、とにかく真心のこもったプレゼントは人を動かす力がある。そう思い込むしか今の情況を打破する術はなかった。
思い切って声を掛ける。返答はなかったけれども、その代わりに、勢いよくボタンを押す千璃の姿を目撃することができた。真剣な面持で、ゆるふわな人形たちを見詰めている。うっすらと涙を浮かべている印象もあった。
クレーンの軌跡が眼に入る。垂直な動きとともに、横方向に動いていくクレーン。いいコースだろうか? うん、いいコースだ。違いない。さて、後の問題は……。
千璃は、そのまま動かない。
高校生には、3プレイ500円が高いだろうとか、そういう話じゃない。千璃が感じているのは、そういう目に見える話ではないのだ。もっと苦しげな何かと戦っている。
千璃は、微動だにしない。クレーンの時間切れは迫っている。確か数分もないはず。優子は、「信じている」と主張するような、そういう面差しで見守っている。千璃の、眸が、眸が――益々、高まるような強さを秘め、そして――
「やあ~めたっ!!」
そう言って彼女は、優子に自分のキャッチャーの操作権を譲ろうとしている。手招きするように呼び寄せる千璃。
「大体、こんなん手に入れてもしょうがないですし。なんか得られるわけでもなし。やめた、やめた!」
そのとき、彼女の眼がこちらを向く。私の存在に気が付く。
「乾、さっきは、悪かったです。さあ、そろそろ行きま――ちょ、ちょっと!」
驚くのも無理はない。千璃の斜め後ろに立って、うなじの後ろから両手を差し込んだのだから。そのまま彼女の右腕に、私のそれを添えるのだった。真後ろでいいかとも思ったが、その豊満な胸に接触しそうになり、これを回避するため立ち位置を斜めにずらす。
「な、何してるんですか乾! セクハラは止めてください!」
「お前なあ、いいんだよ」
「え?」
「ここは畳の上じゃない。柔道と違って、失敗してもいい」
そう告げて、私は停止しているキャッチャーを動かすべく、千璃の右手に上に乗る掌に力を込める。10センチ程度の身長差。すぐ真下にある、はらりはらりと今にも揺れそうな髪の毛から、甘い、甘い香りが漂ってきた。他の匂いはなく、ただ甘いだけの。
ボタンを押す。びく、としてうごめくような、もじもじとした挙動を示す女。
縦方向へと移動していくクレーン。真ん前からでは距離を把握できない。いけるか、いけないかと思念して最適な位置に迷ったが、それは実際には2秒にも満たない時間であった。
優子の目配せを察したのは、この時だった。いつの間にかクレーンゲーム筺体の横に優子がいる。視線の先には、あのぬいぐるみが。こちらを見ている彼女の指先は防護面に付きそうな位置で静止している。その指先が、少しだけ揺れたかと思うと――コン、という軽妙な音を響かせ、私にそれを教えてくれた。私の掌がスイッチから離れた時でもある。小刻みに揺れながら開いたアーム。真っ直ぐ、真下へと降りていく。
掴んだ。今、掴んだのだ、確かに。ぬいぐるみを。
アームは胴と首の境目に引っ掛かり、その体を持ち上げた。ゆっくりとした無機質な動き。危なげながらも、ぬいぐるみは宙を舞う。ゆらり、ゆらり。まだ落ちてくれるなよ。
取り出し口まで、あと20センチといったところ。ここで、カタカタと挟まれた物体が振動する。掴んだ物体が下方向へと、ずっているのだ。それはやがて、少しずつ――といっても、認識した時間は数秒にも満たないのだろうが――大きくなっていった。
そして、Rebirth-Puddingは、ずるりとした触感でクレーンから――ずり落ちなかった。取り出し口に右手を突っ込んで取り上げる。プリン型の、不思議な形状をした物体。
「ああ、やったあ!」
珍しい、優子の明るい表情。彼女のためにクレーンゲームをやっていたようなものだ、というわけでもないが、さっき律子へのプレゼントを建前にして刺繍物を買ってやろうと思ったのは事実だ。
とにかくゲット出来て良かった。空間把握というジャンルは、乾賢太朗の苦手とするところ。だが私(元)の記憶については、宣言型記憶も、手続型記憶もすべて脳内に運ばれているようだった。よって、こういうゲームや射的などはもちろん、スポーツや自動車の運転でも練習なしに何とかなる。
「ほらよ。別にお前のためじゃないからな」
そう言って、千璃に戦利品を差し出す(千璃が戦利に掛かっている。念のため)。彼女は、こちらを見上げるようにして両手を伸ばした。そこから少しだけ、俯くようにしてぬいぐるみを手に取る女。私の両手指の付け根に、取りにきた指先が当たる。冷たい。
目をすぼめるようにして千璃の顔に視線を遣った。いつもとはうって変わって、自信なさげな眸に、パクパクと動く口元。
私は、何も言わず待っていた。千璃が顔を上げると、私の眉根は真っ直ぐ射抜かれた。
「あ、あ、あああ、ありがと……」
笑みはなかった。切ない表情。
毎週、金曜日から更新です。注釈文は最終節にあります。それでは、ゆっくりお読みください(。。)...




