第27話 叫んだ鳥とほうれんそう~第一節~
よく始められた仕事は、なかば終わったものである。
8/1日(月)
初夏の日差しは眩しかった。冬ならば、まだ日は昇っていないだろう。アイスクリームでも召し上がりたいほどの熱気だが、それは一仕事終えた後にしておこう。
私という人間は、体育館前の手すりに腰掛けていた。すぐ左の手すりには、2m×2m程度の大きさの金網が立っている。その前には軽トラックが1台。荷台には業務用ロープが一巻き。あとは、ごみ袋。火箸。これらはすべて、我が校がハッピーマウンテン市鴨支所で毎年借りている一揃いだった。
朝の空気を帯びた日光は、すでに辺りの地面を支配していた。フェンスに面して、等間隔に植えてある銀杏の木々は、この夏という季節の焦熱を浴びてはしゃぎ回る子どもたちを連想させるような、そんな様子で風に揺れるのであった。
しみじみとした蒸し暑い不快感の中、空を見上げる。真夏の太陽は、薄暗いシルバーグレイの走雲を疾駆する最中であった。空色は涼しげだったが、夏真っ盛りの大気に中てられた私の心に億劫さの靄が掛かる。
部室確保についての交渉は成功裏に終わった。先日の岡山県中学校柔道選手権大会ハッピーマウンテン市予選において、初出場にして3位入賞という快挙を成し遂げた私たち。校庭の表彰台に上がる苹樹の姿は、担任として誇らしかった。
その実績を引っさげ、校長、教頭の下へ交渉に行った結果として部室を得られる結果となった。その報告に参ずるとともに、女子中学生に囲まれながらチヤホヤされる私の気分といったら、まさに勝てば官軍の味わいだった。
ところで、どうしてこんな事態になっているかといえば、僅か3人のチームに部室を用意するというのは部室がない部活のモチベーションを損ねる、という生々しい意見を教頭に突きつけられたことによる。ならばと、条件付きで部室を獲得するというカードを切ったのである。
毎年、鴨中学校の校庭で催される複数のイベント。そのあとの片付けは、どういうわけか私たち教師の担当になっている。本来は、若手教師(私は若手ではない。念のため)の登竜門的な仕事なのだが、これを柔道部で責任もってこなすようにと教頭は言う。
「おーいっ」
右方より駆けて来る影。平均的な中学生に比べれば一回り小さい。上は真っ白、下は青紫色のハーフパンツという、中学生の体操服としては変わった色調である。
その後ろには、反対に大き目な体格の女子が、這々(ほうほう)の体で付いて来ていた。
「調歌、元気だな。あと1時間、頑張れるのか」
「お、もう6時? 2時間で、出来るのお?」
「ああ、出来るよ。抜くべきところを抜いて、本気を出せば1時間40分くらいで……って、おい!」
「部井さん! 危ないっ!」
部井は、私の許可など取るはずもなく、軽トラックに乗り込んでいる。
「これで作業したら部室もらえるんやろ!?」
「そうだ」
この条件を呑んだことを伝えたときの、柔道部員の表情の変化は今も脳裏に焼きついている。律子でさえ表情を歪ませたのだ。それほどにキツイ作業である。まあ、5人もいればすぐに終わるだろう。
「でも、こんな酷い有様。いぬ、毎年みてるんじゃろ」
「うん、そうだな。でも、調歌だって部室ほしいだろう」
「いや、まあそうなんじゃけど」
鴨中学校の校庭は酷い有様だった。校庭の隅から隅まで人の足跡で満ち満ちている。フェンスの真下にはゴミが散見される。たこ焼きのパックなどだ。ほかにも、ビニール袋、割り箸、空き缶、果ては甲虫の死骸までが無残に転がっている。
昨日は、夏祭りの花火大会の日であった。田園地帯でありながらも人口だけは多い。だから経済効果があるのかなんて知る由もないが、とにかく、こんな田舎には似つかわしくないほどに大規模な花火大会が毎年、催されている。
まともな花火を上げるなんて、少なくとも100万は下らないだろうに。なんという贅沢。その金はどこから出てるんだ? まあアレだ、市からの補助金に決まってるんだが。
とにかく。私たちに課せられたのは校庭の掃除と、他の部活が活動できるように踏み跡を更すること。それの達成と引き換えに部室が手に入る。今日は、とう……
「あああーーー!!」
「ああ、部井さん!」
排気音。調歌が軽トラックのエンジンを入れてしまった。気にしない。私は、黙考を続ける。予想通り、すぐにエンジンは停止した。
「ええ、つまらん! いぬ、これ動かしたい!」
「ふざ……」
ふざけんじゃねーよ、と言いたかったが、それとなく興味が湧いた。こんな朝っぱらから学校に居る者など用務員を除けば私たち以外にいない。
「調歌、運転してみるか」
「やる、やるっ!!」
こんな盆暗気質は、恐らく私(元)のものだ。タキプレウスは、次第に乾賢太朗と溶け合ったかのような人間に変化していくと言っていたが、一体、いつになるのだろうか。
ああ、そういえば。段々と冷静さ、いや安穏さが増しているというか。4月に比べれば、そういう気がしなくもなかった。
「いいかあ、クラッチを踏んだままにする」
「こ、こう? 足、遠い」
「ああ、座席を調整しような……よし、それでアクセルを踏んだまま。これでエンジンを掛けても止まらない」
再び、排気音が響く。彩季が、心配そうにこちらを見ているのを察知した。止められるなら止めたい、と言わんばかりである。モラルの高い子だし、こちらとしては申し訳ない気分になってくる。
「い、いいか。アクセルをちょっと踏んだまま……そう、エンジン音はうるさいが気にしない。クラッチを半分だけ上げる。それで走り出すぞ。後は……うおおっ!」
勢いよく、軽トラックが走り出す。全力でアクセルを踏んでいるらしい。
「ど、どうするん、いぬ!?」
「いいから、ぶつけないことだけ考えて走れ!」
軽トラックは、まるで爺さん婆さんが運転しているかのような、けたたましい轟音とともに校庭を疾走する。ギアが一速だったのは救いだった。危うく旧給食準備室にぶつかるところであった。
「アクセルを離せ! 勝手に止まるから! ああ、それと……」
クラッチ操作を説明しているはずもなく。急停止すると危ない。だが適切な語彙など、そう簡単に出てくるものではない。
ヴイイイイイインッ!! という、凄まじい排気音を立てながら……軽トラックは、グルグルとその場を回り始める。やがて、停止。エンジンは掛かったままだ。
「お、おい、クラッチ踏んでるのか?」
「え! う、うんまあ何となく。なんとなく止まるときは、こうするのかなあって。ああ、そういえば逆に操作したらいいに決まってるよね」
「……」
才能の発掘も、私(元)の為せる業だったのか? そのあたりは記憶が蘇っていないので保留ということにしておくが、まあ、とにかく。
「調歌、軽トラ操作できて良かったな!」
「うん、すげえ、いい気分だ――」
「良くない!!」
ビクッと心臓を突く音。ひやり、振り返る。
「ひょ、苹樹……律子は? 6時集合だったよな?」
「まだ来てません。それより、バカなことしたらダメじゃないですか! 確率は低くても、事故が起きたら大惨事なんですよ!」
まずい。普段の苹樹は、「乾先生」と呼んで慕ってくれるのだが、怒らすと怖いんだよな……。ここは真摯にいこう。
「心配かけたな……苹樹。でも、直感だったんだ。調歌の才能のひとつを導き出してやりたかった。本当なんだ。」
「……」
苦しい言い訳だったか? 自分でも、その思いが正しいか判別できないでいる。多分、そうだと思うのだが。そう言って私は、ぐいっと視線を下ろし苹樹を見詰める。すでに彼女の視線は、私の胸元あたりだった。
猫のように大きな眼をぱちくりさせて、苹樹はさっと俯いた。自分でも、本当にそれがしたかったのか分からない。「したいからする」という盆暗気質は、今後も、私自身を苦しめるのだろう。
「まあ、賢先生がその気なら……こっちも怒鳴ったりして、」
「あ、謝る必要、ないと思います」
今度は彩季だった。彼女も化け物じみた気迫を発揮することがある。
「じ、柔道部の部室、欲しいんじゃないんですか? い、今の、始末書とかになったら、部室の話はナシになってましたよ」
「……」
彼女が柔道部に入る以前、そんな面を見せたことは一度としてなかった。人は、なれない体験を内面化することで成長する。彼女にとってのそれは、柔道という格闘技であった。
その言葉を聞き、ようやく事の怖ろしさを理解する。私という人間は、なんて向こう見ずなんだろう。とんでもなく優秀な人物なら、むしろ盆暗な方が大成するのは歴史が証明しているが、兎角、私乾賢太朗にそのような才覚など期待できるはずもなく。
「みんな、すまなかった。この失敗は、清掃活動の成功で償う。さあ、掃除を始めよう! 今日は登校日だから、そうだな……8時までには。あと1時間50分くらいで終われるよう頑張ろう!」
「い、いぬ先生! わたしも、すいませんでした。恩人なのに」
「何言ってんだ! 私は、教師失格レベルのボンクラ人間だからな! これからも、ガンガン言ってくれ!」
かくして、苹樹と彩季はごみ拾い、私と調歌は軽トラに乗って踏み跡をきれいに消す作業に入った。
毎週、金曜日から日曜日まで更新です。それでは、ゆっくりお読みください(。。)...




