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インセンシティブ・センシブル  作者: サウザンド★みかん
第Ⅲ部 影響していく力―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
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第26話 明日に繋がる~第三節~

 私は、次の――苹樹の試合が今始まらんとしている――を見るべく、視線を試合場に向ける。入場時の調歌よりも、さらに綺麗な立礼とともに苹樹は開始線を踏み出す。

 相手は、もちろん井上。確か、52キロ級でエントリーしていたと思う。氷野は、48キロ級で調歌より一階級重かった(約5キログラムの違いでも、十分な有利要素となる)。今回は、同じ階級だ。それに背の方も、苹樹が頭0.5つ分は大きい。さて、どういう結果になるか。


「始め!」


 両者、ゆっくりと距離を近づけ――組み合う。どちらも右組みだ。苹樹は、横襟(首の側面)を握る。対する井上は、前襟を握る。

 2ヶ月前の昇級試合の時は、組み手で圧倒されるばかりだった。今ならば、まともな柔道ができるかもしれない。 

両者、そのまま技がない。試合用タイマーは、電子上の鏤刻(るこく)を進めていく。


「待て!」


 主審の、両腕をくるくると回す動作。両者に教育的指導が与えられる。これは相手のポイントになるわけではない。次が指導(これもノーポイント)で、また次は注意。これで、ようやく有効ポイントになる。

 講道館ルールでは、反則によるポイントは期待できない。よって、多少の鍔迫り合いならば問題ない。むしろ苹樹には、それぐらいの余裕は欲しいところだ。


「始め!」


 引き手から取りにいく苹樹。井上は、それを――さらに右手の引き手として握り返した。引き手の取り方が、通常の右組みとは反対だ。いけない、これは!


「苹樹ちゃん、注意!」


 そう聞こえたとき、すでに井上の左組みが完成していた。いや、それだけではない。技に入っていた。釣り手を取りながら、体(たい)を右周りに――そのフォームは、袖釣り込み腰。

 苹樹は、背負い投げを受けたときのかわし方と同様に、斜め右へと逃げ道を踏査する。だが、ダメだ。思い切り入っている。直撃であった。

 苹樹の身体がゆっくりと浮遊を始める。井上に担がれ、垂直の向き。ゆっくりとした速度で、苹樹は、ふわりと宙をひと回り。完全に背中から畳に落ちた(※1)。


「技ありーー!」

「すぐ! うつ伏せっ!」


 声掛けが早い。さすが律子だ。井上は、すかさず苹樹の帯を取って寝転がそうとするも、どうやら寝技の逃亡に成功したようである。

 再び、開始線へ。苹樹の目は、未だ闘志を宿している。それは平常心の瞳であった。彼女は冷静だ。まだ、まだ望みを捨てるには早い。


「なんで! 一本じゃないんですか!!」


 嫌な予感など、しなくても分かる。視線を斜めに。丘野のコーチ席。蒲原が、物言いを付けていた。さらに嫌な予感がして私は、審判を見遣る。主審は――動じていない。むかっとしたような仕草がないでもなかった。

 副審――の1人は、慌しい視線でもって、蒲原の方を向いている。もう1人の副審は、何事もなかったかのように試合場を眺めていた。いや、少しだけあちらを気にしている。

 運が悪いと判定が覆ってしまうのではないか? という不安を抱きつつ、物言いの余韻が過ぎ去るのを待つしかない。やがて主審が取ったのは、さっと両選手を見詰める動作だった。


「始め!」


 良かった。判定は覆らない。中核市といっても田舎だからな。後々の人間関係まで考えた(不合理な)行動を取りがちな社会である。

 視線を試合に戻す。今なら、はっきり分かる。始めの組み手、あれは井上が手加減していただけであった。様子見していたのだ。だって、現にいま苹樹は組み手において優位を握られ、辛うじて、双手(もろて)を井上の胴衣に繋げるだけでやっとなのだから。

 足払い、小内刈り。執拗な小技の群れ。井上は、苹樹が崩れるのを待つも、苹樹の運動神経を前にしては徒労であった。

 ここで、初めて苹樹が技を掛ける。大外刈り。初心者から上級者まで、多くの使い手がいるオーソドックスな足技。苹樹の引き手は十分に井上を引き付けている。苹樹の右足が、井上の右ひざ裏に大きく外側から食い込んだ、と思った。が、はずされる。

 組んだ時点で、釣り手の位置が下過ぎた。彼女の釣り手の位置は、ちょうど横襟のはずなのに。今は前襟ですらない下側を掴んでいる。それはちょうど、井上の胸筋の位置である。これでは力など掛かるはずもない。

 さっきの調歌の試合にしてもそうだが、組み手争いで負けてしまうと、その後の展開すべてで負けてしまうと言っても過言ではない。むず痒さをひしひしと感じているのは、私だけでなく律子もそうだし、当の本人は、それを最も意識しているに違いない。

 何もしなくては反則を取られる。全くの無駄に反則を取られるべきでないことを、苹樹は分かっている。不十分な体勢からでも大外刈りを続けていく。

 おもむろに、井上が引き手を離す。左組みの釣り手の位置へと持ち換えた。律子!


「技、くるよ!」


 ナイス。視るべきところをちゃんと視ている。

 袖釣りが飛んでくるよりも腰を引く動作の方が早かった。苹樹の体(たい)は、僅かに浮き上がっただけ。袖釣りに耐えたのだ。

 そのまま井上は、左組みをキープしている。右組みには戻らない。ああ、もしかしたら! 閃きが舞い降り、頭をフル回転させ、推論を完成へと――導く!

 私が頭を上げたのと、袖釣りの次弾がまともに命中したのは同時であった。その体(たい)が浮遊を始める。と、そのとき背中の上で苹樹が取った動きに目を運ばざるを得なかった。

 空中で海老剃り姿勢を取ったかと思うと、そこで肢体をくねらせ、自由になっている釣り手を離す。次いで、自由になっている右腕を井上の肩に乗せ、空中1回転半ひねり。


「うおおおおーーっ!!」


 割れんばかりの歓声。2階の観客席からだ。見るに、今日の参加児童の保護者と思われる面々であった。素人目にしても派手なパフォーマンスであった。

 くるりと、苹樹の右爪先が青畳に付く。着地。猫のようにしなやかな挙動は、井上からは見えなかったろう。一体、何が起こったのだと言わんばかりの表情で、井上は開始せ――


「なああにを、しょおるんな!!」


 蒲原。恥を掻かされ、イラついている。さっきの苹樹の動き、飲み会なんかでネタにされるのだろうなあ。ちなみに苹樹は、ジャンプ台なしで空中一回転半ひねりを決めることが出来る。

 審判団が集合を始めた。もしや、蒲原の言動に警告がいくのかもしれない。これまでは良かったが、ルール改正によって、ああいう言動は正式な形で禁じられている。警告がいってもおかしくはない。

 さて、次に苹樹が取るべき行動とは。私も、律子も、考えあぐねている。


「苹樹ちゃん、怖がることないからね!」


 その通り。推測だが、井上は左組みでないと袖釣りが出来ない。というのも、右の組み手だと背負い投げと反対方向に体(たい)を廻旋(かいせん)させる必要があるからで、右組みには辛い。少なくとも、一朝一夕で身に付くものではない。

 そもそも、袖釣り込み腰が中学生の使う技ではないから、恐らく練習量が追いついていないのだろう、というのが私の結論であった。

 おっと、ここで協議終了。結果は……。


「始め!」


 なんだよ、お咎めなしか。

井上はムキになっているのだろうか、初めから左組みだった。一回、また一回と袖釣り込み腰に入っていく。苹樹は、楽々とまではいかないものの、確実に往(い)なしていった。

 激しい動きだった。井上には、付け入る隙が少ないと思われた。実際、組んでから受けた技数は未だゼロである。このままでは指導を取られる。さらに、次は注意である。

 冷や冷やした気分で俯(うつむ)いた途端、ドン、と畳を蹴る音。何事かと思えば、苹樹の大内刈りが命中した音だった。


「どういうことだ?」


 思わず、呟く。


「苹樹ちゃん、技に耐えながら……」


 すぐ傍の律子が、洩らそうとする感想。


「自分の組み手を『自分の組み手を』完成させていた『完成させていた!』!」


 全く、同じ言葉だった。「ハッ」、となったが気にする余裕もない。その掴んでいる双手は、紛れもない井上の横襟。引き手についても誤差数センチでものにしている。それは完全に苹樹の組み手であった。


「苹樹、その……」


 やばいっ! 思わず助言を言い掛けて、副審がこちらを睨む。律子のことは言えないな。私だって、まだ新ルールに慣れていないのだから。

 さっきの大内刈りから苹樹の猛攻が始まっている。大内から、体落とし。体落としから、大内刈り。ぐんぐんと技数の連鎖が伸びていく。見弱りのしない、確かな柔道。

 掛ける技は2種類でも、連続技というのは中学生が直感で思うより効果が大きいものだ。

 

「井上ぇ、さばれさばれ!!」


 相手を振り回せ、と蒲原は言っている。だが、膂力(りょりょく)であるとかの運動要素においては、苹樹の方に分があるようだった。

 おまけとばかり、身体全体を存分に使っての揺さぶり攻撃。「さばれ」なんて言葉を教えたことはないが、その意味を瞬時に理解したのだろう。それは、通知表でオール10を獲得し続ける才能が遺憾なく発揮されるひとときであった。

 ぐるぐると振り回され、ついに根負けした井上は膝を付く。同時に苹樹は、それに乗っかる格好となる。規定上において、立ち技ルールから寝技ルールに切り替わる地点。主審が、「待て」を掛けようと近づいた刹那。井上の身体がごろんと転がり、それは主審の足の甲を打った。


「わ、技あり!!」


 なんのことはない。膝を付いて寝技の体勢になりかけた井上の脚を、苹樹が大外刈りで刈り倒したのだ。相手が膝を付いているからといって、寝技中と定義される訳ではない。かといってそれを知っていたかと問われれば、そういう訳でもなかったろう。

 なんという理解力。なんという決断力。この娘と一緒なら……私は、目的を達成できるに違いない! 事実、いまも目頭は熱くなるばかりである。

※1……現在では、一本の基準がしっかりしています。完全に背中から落ちた場合のみ一本です。逆に、そうでないと一本にはなりません。昔は審判による裁量面が強かったように思います。極端な話ですが、うつ伏せに落ちても、それ以外が完璧だったら一本になることもありました。


毎週、金曜日から日曜日まで更新です。それでは、ゆっくりお読みください(。。)...

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