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インセンシティブ・センシブル  作者: サウザンド★みかん
第Ⅲ部 影響していく力―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
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第25話 届かぬ声~第二節~

7/24日(日)

 午前8時過ぎ。全員が、余裕をもってハッピーマウンテン体育館に到着できたのは、律子が新たに購入したハイエースによるものが大きい。生徒たちは、先に体育館入り口で開場のときを待っている。


「大きい車は楽でいいですね」

「律子。これ新車だろう。高かったんじゃ……」

「やだなあ、親に半分出してもらったんです」

「……でも、わざわざ柔道部のために」


 律子は、ぎこちない笑みを浮かべつつジャージの腿あたりを掴んでいる。涼やかなる笑顔。


「わたしがやりたいと思ったんです。こうでもしないと、駅入り口からタクシーになっちゃうでしょ。やっぱり、全員で話とかしながら来た方がリラックスできるんですよ」


 律子は中学校から大学まで柔道をやっている。こういう細かいところまで把握しているのが強みだ。それにしても、非常勤教師には高い買い物だったろうに。


「おい、とにかくこれ。後で開けてくれ」

「え?」

「餞別だ。ハイエース乗りになるって聞いてな。用意しといた。本来なら、私が自動車を買うべきだったんだが」


 封筒には、それなりの金額を包んである。経済的な負担はこちらで負う。臨時教諭に、そこまでさせるわけにはいかない。


「後で開けるんだぞ。後でな」

「は、はい! ありがとうございます」


 会場入り口へと向かう。表玄関では、すでに数十人が待機している。いま、係員が開場するところだ。各所の鍵が開けられるやいなや、教員は組み合わせを知るために1階の大スペースに入っていく。かたや男子生徒は、着替える場所を確保しに2階まで走っていく。

 

「更衣室はあっちだ。9時まで、出場者みんなで200畳分を敷いていくからな。着替え終わったら、すぐ来るように」

「はい!」

「はーい」

「分かりました」


 答え方にも個性があるものだ。そして私と律子は、館内に足を踏み入れる。

 体育館は広さにして1,500㎡は超えるだろう。200畳でも余裕をもって敷けそうだ。ステージ横には、他学校の教員がすでに集まっている。


「うちは、よおいけて3位ぐらいかのお」

「ああ、一回戦目から丘野か。終わったじゃなあか」


 備後弁まじりに悲喜こもごも。それをうかがいつつ、わが鴨中学校の組み合わせを確認する。


「一回戦目も、二回戦目もなんとかなりそうですね。上位入賞したことない学校です。ツイてて良かった」

「そ、そうか律子。それは良かったな」


 先日、幸原ゆきはら道場の繋がりで、備後柔道連合の幹部級の職員を交えた飲み会があった。そのとき、遠まわしに、緒戦で強豪と当たらないよう根回しをしていた。根回しといっても、汚いものじゃない。立ち上げ当初の柔道部が、初めの試合で強豪と当たることの悲哀を冗談っぽく述べたに過ぎない。

 ハッピーマウンテン市内において、新規の柔道部は10年以上も生まれていないそうだ。新規参入(?)を保護するよう、計らってくれたのだろう。もし断られていたら、どうしていたろうか。今度こそ本気の嘆願に動いたのだろうか?

 ……多分、そうしてたんだろうな。だって私の生命がかかってるんだ。何だってやってやる。


「乾先生。そろそろ生徒たちを」


 律子は、そう言って微妙に肘を当ててくる。乾賢太朗の身体は、一切の反応を示すことなく、きびすを返して館内入り口まで歩を進めるのだった。

 乾賢太朗じゃなくて、私(元)の意識が強まってるときなら、反応したかもしれないな。そうなるには、何らかの手段によって、精神を高揚させる必要があるのだが、まあ平時には関係ないことだ。

 入り口には、着替え終わった調歌が、うずうずした様子で待ち構えている。真新しい柔道着。練習用のやつと違いはないものの、ほぼ未使用であろうそれは、上方からのライトを帯びて真っ白に反射している。


「ねえ、これからどうなるの?」

「ん? あれ見ろ、参加者みんなで畳を敷いてるだろ。あれに参加するんだよ」


 強豪校の先生たちは、生徒を率いて柔道畳の入ったカートを運び終えている。一番端に真っ黒な強力ゴムを設置し、そこを起点として畳を敷いていく。


「うわー、いくー!!」

「その後は開会式。そして計量。数十分後に試合開始。一回戦目は……まあ、そこまで強くないところだ。心配するな」

「……もう、畳を敷きにいってますね」


 他校の男子生徒にも積極的に声を掛ける調歌。教師の言うことを聞かなくても、あれぐらい熱血な方がスポーツをやる人間としては相応しい。

 その数分後、苹樹と彩季もやってきた。さらに15分もする頃には、体育館全体に畳が敷き詰められていた。50名以上が参加すれば、すぐ終わるもんだな。他校の女子も参加していたが、やはりうちの生徒たちが最も要領が良かった。毎日、畳の上げ下ろしをしてるんだから当然なのだが。しょうもないことに思えるが、公式大会に初参加する彼女らにとって、それが自信に繋がるのだ。

 私は、しみじみと生徒らを見詰めていた。開会式の始まりを告げるマイクの声を聞く頃には、試合中に掛ける言葉について、律子との打ち合わせに用いる時間の少なさを嘆いていた。

 開会式は、市会議員の挨拶が長引いたことでイライラさせられる羽目になった。約20分間で全工程は終了したが、まさか律子とひそひそ話をするわけにもいかず、仕方なく試合中の声掛けをシミュレートしていた。

 開会式が終わって、すぐに選手全員で計量が行われる。ステージ中央には教員が集められ、大会の注意点が事細かに説明される“申し合わせ”が行われる。一応、県大会に繋がる試合だから、罰則(※1)はきっちりと適応される。そんなルール把握してませんでした、では生徒全員に迷惑がかかってしまう。

 まあ、申し合わせといっても確認的な内容だけだ。来年から導入されそうなルールとか、審判ジェスチャーの変更とか、問題が起きたときの対処などである。さくさくとメモに記帳を進め、終了時刻は9時20分。あと10分で試合が始まる。

 ここで、気になることを思いつく。律子の元へと走る。

 やってきたのは、館内アリーナの横ゲートを少し入ったところにある小会場。女子の計量会場はここのはず……って入れるかっ! 危うく試合前に逮捕されるところだった。

 そう思ったとき。苹樹が歩いてくる。


「問題……なかったよな?」

「はい! クリアーです。あ、でも調歌が体重ギリギリだったとか……」


 あいつめ。44キログラム級なんて怪しいと思ったら……が、クリアーできたなら良かった。


「乾先生!」


 律子。落ち着きのない表情で、彼女は言う。


「彩季ちゃんが……」

「彩季が……どうした?」


 ほんの少しだけ、本当に少しだけ。計量会場を見入る。女子の行列と、その横側に脱ぎ散らかされた柔道着。女子選手は、Tシャツ姿で体重計の前に並ぶのだが、乗る前に帯をほどき適当な場所に置いているようだ。多少ずぼらな行為ではあるが、まあ、盗まれる心配もないしな。

 すると、中で一番に計量を終えたと思われる3人組を先頭とし、扉の外に出ようとする一団があった。会場内にいる参加者たちは、行列待ちの者まで含め、その軍団に対してうやうやしく道を開けていく。

 丘野おかの中学校、女子柔道部であった。それは、おぞましいようなサツバツ・アトモスフィアで、高々、子どもの社会だからと馬鹿に出来ない空気であった。

 確か、先日の県選手権では僅差で優勝をもぎとり、平均客単価5000円相当の店舗で祝賀会を行ったということだ(律子情報)。その先頭に立つは……あれ、見たことのある顔だ。

 思い出したぞ、昇級試合で会ったことがある。井上さんだ。あの日、私が促してから、彼女は苹樹と打ち込みをした。そして、その日の試合で当たることになったが、散々な内容であった。

 強い、とは思っていたが――


「お、すまない」


 これはいけない、丘野の女子が間近に迫っていた。勘付くのが後一歩、遅ければ睨みを食らっていたに違いない。ほら、あの井上さんの隣にいる、推定80キログラムはあるだろう巨漢の女の子。表現は気にしない。

 最前列の3人がレギュラーだろうな。もう1人は、眼鏡を掛けた細身で上背うわぜいのある女子だった。よくよく観察するに、失礼ながらその3人は、昔の漫画のワンシーンを連想させるような雰囲気であった(※1)。

 さて。中には入れないが、せめてうちの選手だけでも……発見した。

 入り口付近で、彩季が傾きながらたたずんでいる。決して口を利かないで下さい、とでも懇願するかのようだった。私を察して、彼女は申し訳なさそうに呟く。


「すいません。計量……ダメかもしれません」


 落ち着け。まずは情報を得るんだ。


「体重計、乗ったんですけど。63キログラム級の範囲じゃなかったんです。調べる人は何も言わなかったけど……もうダメです」

「……落ち着くんだ、彩季。大体、何キロだ……」

「女子になに聞いとんじゃあっ!!」

「うごっ!」


 デリカシーのなさが露呈した瞬間。調歌の蹴りは強烈だった。何だか、星河学院のあいつを思い起こさせる。


「調歌。必要なことだ。いいか、彩季。別に、言わなくてもいい……そうだ、何キロオーバーしてた? いや、階級範囲の上か下にオーバーしてるとか、言わなくていいから」

「だいたい、1.5キロぐらい……ああ~朝ごはんなんか食べるんじゃ――」

「OKだ」

「え」


 申し合わせ、細かく聞いといてよかった。


「±2キロまでOKだ。もちろん県大会じゃダメだけどな……」

「ああ、よかった~うっ!」


 私は、彩季のおでこに丸めた掌をゆっくりと見舞う。


「もし、失格だったら? 個人戦、出られなかったんだぞ!」

「ごめんなさい……次は……体重ちゃんと……」

「あ、い、いやもういいから。次はちゃんとやってくれるって、教師である私は信じてるからな」

「はい、本当に気を付けます」


 調歌も、苹樹も、律子も安堵の表情を見せる。しばらくの間、こうして冷や冷やしっ放しなんだろうなあ。

 って、気が付いたら試合開始5分前じゃないか。急げ、と4人に告げようとして大事なことを察する。ああ、そうだった。女子の試合は、まだ余裕があるんだった。これから始まるのは男子の試合である。別に見なくていいわけじゃないが、見逃して損するわけでもあるまい。

 私は、生徒3人を前にして、しばらく彼女らと雑談することにした。少しでも、緊張が和らぎますように。

毎週、金曜日から更新です。注釈は最終節に。それでは、ゆっくりお読みください(。。)...

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