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インセンシティブ・センシブル  作者: サウザンド★みかん
第Ⅲ部 影響していく力―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
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第22話 迫撃~二節~

「インセンシティブ・センシブル」では柔道描写が出てきます。分からない点は、こちらをご覧下さい。

柔道チャンネル

基礎知識http://www.judo-ch.jp/knowledge/

審判規定http://www.judo-ch.jp/rule/koudoukan_judge/index.shtml

 3人目。程よい汗で濡れる私の肉体は、まだ火照ったまま。戦うには絶好のテンションを保っている。ふと、壁際を見遣る。その試合の相手は右側から現れた。緩やかなのか足早なのか判断がつかないような歩調である。それに長身のようだ、180センチメートルは確実だろう。加えて、バランスの良い体格。転び難いとみえる。それは地肌に張り付くような感じの髪型で柔道をするには少々長目だ。やがて赤畳の上まで来たとき、そのたくましい姿と正対した。無意識に瞳を合わせにいく。


「……」


 女。

 ちょっと待て。いや、ちょっと待て。心の声も空しく、対戦相手の女は赤テープまで辿り着く。ま、待て。敵チームに女性はいないはずだ。いや、いなかった。そして互いに、礼。私もそうせざるを得ない。相手のお辞儀は見本のように美しいものだったが、恐らく今の私のは酷かったろう。何も考える余裕はない! その相手と歩調を合わせるように、左足、右足と順に踏み出す。次は号令とともに試合開始だ。

 表情などを読もうとすれば、さらに気圧され、それこそ押し潰されてしまいそうな勢いである。静かに佇む両者に、審判である宇野はちょっと停止してから、


「……はじめっ!!」


 勢いある声を響かせる。さて。体格は大きいが、膂力りょりょくはどの程度のものなんだ? 私は、その女まで釣り手を伸ばす。ここは、敢えて組ませて様子を伺おう。釣り手で前襟を取る。敵のくるぶしを払いながら、だ。そして触感。ベルカーブを思わす柔らかさを意識せざるを得ない。その瞬間、バンッ!! という物音とともに、私の視界、上半分が真っ暗になる。前襟から伝わる振動で敵人が後ろを向いたことは分かる。右大腿部への圧力。払い腰。それは暴力だった。私が釣り手を引くのと、前方向へと引っ張られるのは同時であった。全身がひこずられている、青畳の上を。必死で食い下がるも、その移動距離はどんどん伸びてゆく。抵抗すればするほど私の五体が浮き上がっていく気がした。


「脱力っ!!」


 律子。私は全身の力を抜いた。途端、懸かる圧力への抵抗力を得る。そのまま場外を表す赤畳の上を転がって、突っ伏すのだった。


「技あり……待てっ!」


 起き上がりたくなかった。明らかに格上の、しかも女。舐めていたらこんなことになってしまった。律子がいなければ一本だったろう。


「……」


 私は立ち上がる。そうだ、律子がいる。あいつなら良きアドバイスを与えてくれるに違いない。今だってそうだ。脱力せずに力を入れ続けている方がまずかった。なぜなら、脱力すれば力は下方向に働くが、抵抗した場合、その力がすべて後ろ方向に傾く保障はない。上体を立てようとしているんだから、当然、それは上方向にだって働く。それは相手の投げたい方向のひとつだ。

 よし、律子だ。あいつに頼るしかない。かかってこいっ! 大女!


「始め!」


 今度は慎重に引き手から取りにいく。釣り手から取りにいくのは、基本的に相手が左組みのときだけにしておこう。私は左手を伸ばし、彼女の右手を払うように取った。と感じたが、切って離されたのは咄嗟のことだった。そして離されたと思ったら、即座にこちらの引き手を奪いにくる。いけない、捕まった――切れない。刹那、右ストレートのような釣り手が私の鎖骨を突く。組まれた。この釣り手は首の隣り、横襟だ。そのまま大内刈り。横襟を掴む腕によって上半身は固定されている。逃げられない。思い切り全身を捻って、斜めに寝転ぶことでの回避。


「有効っ!」


 助かった。押さえ込みを回避するために腹ばいになるも、相手は何もしてこない。押さえ込めたかもしれないのに……。苦手なのか、寝技が? いや、立ち技で投げ飛ばしたいのだろう。

 開始線まで戻って私は、ここで初めて相手の表情を観察することになる。試合中に敵の表情を見るというのはスポーツで勝利するために欠かせない習慣だ。顔を上げる。圧倒、という言葉が見合うのはまさにこの瞬間なのだという直感を得る。対戦相手は初めから私の表情を観察していた。それは冗談みたいに巨大な瞳。パッチリなんてレベルじゃない。スラリとした曲面を描く頬線。眉根、外耳、後首。おおよその頭髪量は、そのあたりに掛かるほどであった。ショートに分類されるだろうが、柔道を嗜むという視点からみればそれは充分に長い。だが何より、その巨躯から私を見下ろすように突き刺される見えない直線に気圧される私がいた。あちらは常にこちらの表情を読んでいる。目を合わせれば、もうそこで敗北しそうな気がした。

 だが、視線を合わせにいった。勝ちたいという自身の思いについて、それを自己確認するためである。しかしながら、その大き過ぎる眼、冗談みたいに可憐な顔立ち、その表情の凛々しさを前にして、視線なんて遣るんじゃなかった、という思いが心底に撒き散らされる。気圧けおされたのである、私は。


「始めっ」


 組み手争いでも勝てる見込みがないと判断した私は、また釣り手から取りにいった。奥襟を狙いにいくも、私の腕が届く直前に袖をキャッチされてしまう。いけない、これでは先に引き手を取られたのと一緒じゃないか! 私は直感する。敵はすでに釣り手の位置に目星を付けている。案の定、最速で最短のアプローチが描かれた釣り手が飛んでくる。それを払いのけて私は、全力で自分の釣り手を殴りつけるように取りにいく。相手は女だが、構うものか。相手の方が――私よりも強い! 互いに自分の組み手を作り合ったのは同時であった。


「先手を……取るっ!」


 心の声をともない繰り出すは、内股。相手の股の間に軸足(左足)を突っ込み、ワンステップで右足全体を跳ね上げる。その直撃を確認し、雄叫びを上げながら(※1)真上へと力を集中させる。察知したのは直後であった。その技が全く効いていないことを。首筋に嫌な悪寒が走る。互いに体の向きは同じ。敵が掴んでいるのは私の横襟。互いの身体は密着している。導き出される結論は……すくい投げ(※2)。対戦相手の、さっき視界に入っただけで分かったリーチの長い腕が、私の股に差し込まれる。次いで帯を握られる。もう逃げられない。なす術もなく、私の70キログラム台後半の体重が宙に浮かび上がっていく。


「おおおおおーーっ!! 決まるか!?」

「そのままっ! 慎重にやれよ!!」


 外野の声に呼応するように彼女の力が強く込められる。私の抵抗も無駄に終わりそうである。そうだ、脱力するんだ! 急げっ! 


「せいやぁーーーーっ!!」


 耳元に響く掛け声とともに私の五体は宙にあった。足をバタバタさせるしか出来ない自分に苛立つも、浮き上がっていく我が肉体に焦りを禁じえなかった。動きが一瞬、止まったかと思った刹那。私の世界は回転を始めた。垂直方向への回転とともに右半身を思い切り叩き付けられた。痛すぎて声も出ない。


「有効――っ!!」


 威勢の良さに釣られたのだろうか、審判の声も、そこはかとなく声量大となって道場内に響き渡るのだった。有効で済んだのは奇跡だったと思う。私の肉体は回転し過ぎたのだ、恐らく。それで仰向けを逃れ、斜めに倒れたことにより有効ポイントと相成った。

 右半身の足、腰、腕。あらゆる箇所の痛みが同時に、あたかも蕁麻疹じんましんのように湧き出てくる。ひりひりする痛み、何かが突き刺さる痛み、骨身の内側から響いてくる痛み。とにかく痛覚に事欠かない須臾しゅゆであった。


「優子――! その調子、手加減しなくていいですからねっ!」

「もう、千璃ちゃんっ!」

「決めろっ! 伝家の宝刀、見せてくれ!」


 千璃せんり(とが)めるは、同じ志上チームである姉の千奏せんか。続いて相手チームの誰かが、その優子という女に声援を送っている。まさか、まだ本気じゃないっていうのか? それを耳に入れて私の心は、畳よりも奥底に沈んでいくようだった。もう、どうでもいい。ポイントはいくつ取られたっけ? たしか、技ありと有効がふたつ。絶望的じゃないか。


「始めっ!」


 その心は沈んだまま、試合再開の合図を聞くこととなった。引き手を取ろうとする。かわされる。逆に引き手を取られる。思い切り切って外すも、後ろにつんのめるような姿勢となった私に、すかさず優子と呼ばれた女は、再び引き手を取りに来る。かわそうと思えば出来たかもしれない。だが、もうすでに勝利への意欲は尽きる寸前であった。そして釣り手も取られ、絶体絶命となる。私は、女に対して引き手さえもっていない。技が繰り出される。それは試合開始当初に繰り出された払い腰のモーションであると感覚した。申し訳程度に右手を引いてこらえようとするも、その凄まじい膂力に圧倒され、躯体はすでに浮き上がり始めている。これで終わりだ。よく頑張った。あと数秒後、私の身体は畳へと落ちる。

 今まさに、投げられようとしている瞬間だからこそだろうか? 瞬時、対戦相手の隙間からチラリと律子の姿が瞳に宿る。赤畳と板の間とのスペースの間で寒々しいような余裕をたたえる律子を、私は確かに瞳に宿したのだ。こんな無様な姿を見せてしまい、悪いことをした。定例試合が終わってからも、さあ帰ろうという段になっても、自動車の中でも、わびしい思いをするのだろうな。瞬く程の時間であったが、そう考えるには十分だった。一時の不徳をもって、それが後悔に変わることの愚かさを認ずるのは。目覚めろ、私(元)。目覚めろっ。


「うおおおおおおおっ!!」


 ()は投げられているにも関わらず、怒声を上げながら青畳に頭から突っ込んだ。判定は?


「……」


 ノーポイント、か。宇野青葉うのかんば。自チームの試合審判を兼ねているとはいえ、さすが贔屓ひいきなど欠片もない。むしろ疑いを避けるため、わざとこちらに有利なジャッジをしているように見て取れる。宇野よ。俺は、今からお前を後悔させる。いま目前に迫る女を痛めつけ、あの時、なぜ贔屓をしなかったのかと自身に問い詰める訓練をさせてやる。


「始め!」


 仕切りなおし。ここからが本番だ。

※1……冗談みたいな話ですが、声を上げながら投げるとポイントが入る確率がちょっと上がります(。。)...


※2……2013年現在、相手の帯から下を掴むのは国際ルールにおいて禁止です。なお、大抵の国内大会は講道館ルールで行われます(。。)...


ちなみに、乾先生の得意技は、試合中に自分が投げられている様子を実況することです(。。)...


毎週、金曜日に更新です。ゆっくりお読みください(。。)...

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