第22話 迫撃~一節~
今、戦わない人間があとで戦うわけがない。戦わないためのいいわけなんて、無限に考えつけるものなんだ。
5/20(金)
白テープの前で一礼して、さあ前に踏み出そうと思うと相手はもう目の前だった。柔道の試合をやるというのに、ちょっと作法が適当すぎやしないか?
「始めっ!」
試合開始。そんな思いも、相手の素早い組み手を前にしては即座に振り解かねばならない。お互い右組みのようだ。対戦相手は小柄な高校生。引き手(右組みの人から見て、対戦相手の右肘のあたり)を取ろうとするも、てんで上手くいかない。ちょっと触ってもすぐに振りほどかれる。まあ体格差もあるし当然の反応か。ん、いけない。先に引き手を掴まれた。そうなるとすぐに……。
「乾先生、切って、引き手を!」
律子の声援も空しく、高校生に釣り手(同じく、対戦相手の左の襟)も取られた。前襟というのは、袖に比べれば面積も多いから仕方ない。こうなると、体格差があってもこちらは身動き出来ない。なぜなら、敵人の右手が私の襟を握っている以上、相手の引き手を取ることは簡単に出来るが、右手で釣り手を取ることに関しては、相手が掴んでいる引き手(私の右手)を突っ張られるせいで、近付くことすら難しいからだ。
「乾先生、背負い危険っ!」
律子の声とともに対敵は私の膝下へと消える。低くしゃがんだ背負い投げ。体重が向こう側に、相手の背中を跨ぐように体重が移り込んでいく。
何とか吹っ飛ばずに済む。それを直感した次の瞬間、膝を曲げて相手の担ぎ所作を回避する。また同時に、私の左手は彼の左足の裾を掴んでいる。
「おおおおっ!!」
「すげえっ!」
試合場の外から聞こえる。見たことのない技術に対する歓声が。対戦相手の身体は、宙で一回りしながら滑り込むように畳に落ちた。相手が背負い投げでしゃがみ込んで、のちに力を抜いた瞬時。私はその左裾を掴んだ。自分の重心を一気に上げて対敵を持ち上げたのだ。どうやら体力に開きがありすぎた。敵の体は奇麗に1回転した。
「技ありっ!」
技ありか。宇野のジャッジを信用してはいるが、個人的には一本だったと思う。すぐに元の位置、白テープの線まで戻る。相手の顔を突き刺すように視線を送る――まだ戦意喪失の気配はない。
宇野の声とともに再び組み手争いが始まる。てんで駄目だ、全然組めない。相手に組まれそうになったら、すぐに敵の引き手を切って回避するも、それでも相手方の技数が多い。このままでは指導を取られかねない。
「……今だっ!」
想念する。振りかぶって私は、殴りつけるようなモーションでその背中までアプローチを伸ばす。パンッ、という痛しい音が響き、私と彼との実距離は30センチメートルにまで近付いた。別に何のことはない。柔道着越しに相手の背中を握っているのだ。組み手の戦略上、釣り手を先に取るのは良くないのだが相手の動きを制することが出来るのならば問題ない。そして、動けないその物体を目掛けて強引に払い腰を打つ。相手方もなかなかに堪えるものの、その体重差は20キログラムはあるだろう。逃げられないはずだ。
「有効っ! ……押さえ込み!」
袈裟固めを決める。身動きは取れるはずもない。特に変化もないまま、そのまま時間が過ぎる。やがて試合用タイマーのブザーが鳴った。
「技あり! 合わせて一本、それまで!」
テープまで戻り、一礼。私はそのまま、相手は後ろに下がって場外の赤畳のところで再礼。最初よりもさらにぞんざいな礼になっている。心の内は図りかねるが、それでも試合の結果から目を逸らしてはいけない。って、そんなこと考えている余裕もないのに何をやってるんだ? これは後で考えよう。乾賢太朗という人間、とにかく集中力が散漫すぎる。
ほら、もう次の対戦相手が出てきた。さっきの子は黒帯だったが目の前の相手は白帯を締めている。その体格は張り詰めた筋肉などという語彙が非常に合う感じで、どうやら他に格闘技でもしていそうだった。髪は長めで、汗で滲んだ額に掛かるそれを煩わしそうに手櫛でのかしている。
そのときだ。確かに私には聞こえた。「来たぞ!」という発声が後ろの方でしたかと思うと、目の前の選手の口元が緩んだのである。
「始めっ!!」
一直線に向かって来た。さっきの私と同じやり方で背中を取られる。しかも、馬鹿力ときたもんだ。このままでは巻き込み技の直撃を喰らいかねない。こちらも空かさず背中を取り返す。刹那、相手は背中から手を離し、引き離したばかりの右手は私の首根っこを通り過ぎる。そのまま体重を預けられ、私と相手はともに畳に伏す格好となる。
「払い巻き込み。初心者のやる技じゃない」
思わず、心で呟いた。もちろん悪い意味で、だ。巻き込み技というのは、要は技に入ったままで体重を相手に預けるようにして倒す技だ。技術的なものはあまり要らないから、どうしても投げたいときの最後の手段として用いられる。初めからそうするものでは決してないのだ。
「待て」という審判の声。お互い伏したまま何もせずにいたので、その号令はすぐに発せられた。そして、またすぐに「始め」の声が屋内に跳音する。古い建物だからな。よく声が響く。互いにまた釣り手を取り合った。いま、私は背中ではなく奥襟を掴んでいる。そのままじっと鍔迫り合いが続いた。申し訳程度の大内刈りを受け、私がそれを返す仕草を取ったところで連絡技の大外刈。私の体勢が後ろに傾く。トン、トンと畳を蹴りながら後退していった。このままでは倒れる。
「待て!」
ここで、相手方の赤いテープを見詰める。そこから視線を上に。対戦相手の不敵な笑み。私の心の奥底から今まさに海底の泥が蠢いて散ったような、そういう感触を得た。
「あぁ、指導だ……」
「なっさけないですね」
心配そうな声が千奏で嘲っているのは千璃だ。宇野が両手をくるくる回し終わったかと思うと、さっと私を指差す。教育的指導。反則ではあるものの特に効力はない。旗判定があればちょっと不利になるだけだ。私の攻めが足りなかったのだろう。
再開の号令とともに私は一直線に奥襟を掴んだ。こちらの方が少しばかり早かった。まだ敵人は釣り手を持っていない。すかさず大内刈りを仕掛け、畳を駆ける2名分の足音が響き渡る。私の膝裏あたり、これでもかと言わんばかりの抵抗力が加わっている。私の足技が返されようとしているのだ。返されるわけにはいかない。やがて力は拮抗し、私は大内刈りの体勢で、相手はそれを返そうとして停止する。これまで前方向に力を掛けていた私。いま、最大の瞬発力を期待して、引き手、釣り手を後ろに引き出す。また同時に体勢を横向きにし、対戦相手と身体が密着したのはすぐだった。そのまま体全体で翻す。正対していた私は斜め逆向きの姿勢となっている。
そのまま右足を真上に跳ね上げる――内股、開眼。
私の真横に敵は落ちていった。後ろの客席(?)からは、跳ね上げられた相手が私の腰上で180度の横回転をしたように見えたことだろう。
「一本! それまで!!」
よし、いい感じだ! 互哩のときのような感覚には程遠いものの、それでも約3週間、一生懸命練習してきたお陰で柔道勘を取り戻すことには成功していた。ところで、これに貢献する最も大きな要素はエピソード記憶も使用できるという点だ。タキプレウスによれば、身体が覚えているという意味での記憶も私(元)のそれを用いることが出来るらしい。ならばそれを使わない手はないと、律子に無理を言って幸原道場を紹介してもらったのだ。始めこそ、さっきの小柄な高校生にもポンポン投げられていたが、筋肉痛を堪えて練習に励むことでモノになった。もしかしたら、この乾賢太朗という学校教員。やったことがなかっただけで、もしかしたら運動の才能を有しているのかもしれない。
とにかく勝った。対戦相手に恵まれただけなのだと、運が良かったのだという謙虚の声も聞こえるが、今はとにかく勝ち抜き戦に集中しよう。はっきり分かっているのは今は調子が良いということだ。ならば、この波に乗り続けよう。そう念じるとともにざわめきが聞こえる。誰だ? この状況においてならば、そうか……次の対戦相手。
【再褐】
お問い合わせがあった件について。私の作品をご覧頂いている、希少な方々へ。
作者である渡邉実一は学校関係者でも何でもありませんので、何を書こうと、職務上知りえた秘密の漏洩(公務員の守秘義務)には当たりません。しかしながら、様々な意味で読者の目線に配慮する必要性は認識しております。
なお、「インセンシティブ・センシブル」の読者は寡少ではありますが、すでに心中で完結している物語ですので執筆を止める可能性はない、という宣言をこの場でさせて頂きます。
追伸 完結は今年度末あたりを予定しております。ところで今後の参考にしたいと思いますので、まだ終わっていませんが感想を下さると、筆者が小躍りして、十分な量のお返事を返します(。。)... 渡邉実一
毎週、金曜日に更新です。ゆっくりお読みください(。。)...




