第21話 未成熟で、模索中~一節~
面倒くささは、人生の醍醐味
5/20(金)
音恋さんの説得に成功してから、はや数週間が経つ。正直いって、わが柔道部は、これでもかというぐらい順調に推移している。音恋さん、部井、加目田さんの3人とも、すぐに部活動に適応したし、ダラダラしながら基礎練習をこなすようなこともない。やはり、能力などを問わず、目的意識がある者を少しだけ集めるという方針は正しかった、と今では確信している。始めの方は、練習前後に行う畳の上げ下ろしもキツそうだったが、コツを掴んだ今となっては、あっさりこなせるまでに成長している。同じ体力でも、姿勢の変化などによって感じる重量を変化させられることを、みな直ぐに勘付いた。
体育館のステージ上。体操服でぐるぐると回転運動を繰り返す女子が3人。柔道着はまだ届いていない。少なくとも一ヶ月は受身を中心にやっていくという方針だったので、まだしばらく柔道着は必要なさそうである。私も律子も、ジャージ姿で指導している。教師、生徒ともに練習ユニフォームを合わせる、という単純なことではあるが、律子に言わせれば、これでも多少の結束を深める効果があるという。大学での選手生活で習ったのだろうか。
初練習からこれまで、ずっと受身の稽古だけをやってきた。この練習方針については、私と律子が完全に同意するところであった。ステージの上に柔道畳が置いてあるのだが、その端から端まで毎日ずっと、受身を取りながら往復を続けるという地味な工程。初めの数日間は、でんぐり返りのような前方回転受身だったが、慣れにつれ、どんどん様になっていく。
本当をいえば、苦労するだろうと思っていた。乾賢太朗の運の強さに賞賛を送りたい。3人が3人とも、彼女らが異なった素質を備えていることを確信していく数週間だった。まず、音恋さんは柔軟性、スタミナ、腕力など、スポーツに必要な全てを兼ね備えている。今のところ、彼女には文句の付けようがない。
部井の運動能力は平均的だった。ところで負けん気の強さというか、女子であるにも関わらず、その男気とも呼べるような姿勢で臨む練習態度は、中学生としては十分な覇気を周りに影響させている。
加目田さんは両極端な感じだ。練習開始当初、それは酷いものだった。一人で後方受身を取る練習、これは後ろに倒れながら、両掌で畳を打つことで衝撃を逸らすタイプの受身なのだが――彼女は、怪我を防ぐためにあるはずの受身なのに、後ろに転がるときに自分から後頭をぶつけ、しばらく悶絶していたことがある。それを見て私は、以前に相談室で加目田さんから、「運動神経が切れている」との本人の弁を聞いたことを思い出した。身体で覚えるという感覚が苦手なのだな、とその際は思っていたが、反面、知性で捉える分野については、才力を存分に発揮した。例えば、柔道の基本ルールについての文章的理解については、もう私や律子と同程度だと言えるし、指導計画について話すと、不完全ながらも、それについての自分の意見(ex.大会日から逆算して受身練習が多過ぎるのではないか、どの先生が誰に付くか固定した方がいい場合もある等)をもつことが出来る。
5月末にある試合に参加できたらラッキー、と思っていたが、この3人ならば全然問題ないだろう。来週からは立ち技に入り、寝技については逃げ方だけを教え、それで試合に臨むという予定で律子と一緒に練習メニューを調整していこう。
6時半。浮かれた気分で、練習を終える。この時期の完全下校は7時だ。30分以内に全ての畳を片付け、着替えを完了させるためには、気合を入れて片付け作業をする必要がある。
「ねこ! ちょっと早いって!」
「え……ああ、ごめん調歌」
ステージの上側で音恋さんが青畳を持ち上げ、同じく下側にいる部井に向けて渡す。やはりまだチームワークというか、相手の姿を見ながら作業するというのは中学生には慣れが薄いため、噛み合っていない動きがしばしば見られる。
「部井、作業物を受け取るときは相手と反対側につくんだ。音恋さんは左にいるから、右について、それを受け取る」
「あー、うん、なんとなく取りやすい」
「音恋さん、相手の受け取る所作を確認してから、畳を突き出そうな」
「はい、気を付けます」
「加目田さん、早い動きを意識するんだ。緊張と弛緩を使い分けていこう」
「は、はいっ!」
この3人、実は面識がない。一年生のときも別々のクラスだったという。正直、相性の良さについては量りかねるものの、仲良くできる機会については教師の方から提供していくべきだろう。さてさて、残り時間も怪しくなってきた。
「残り時間20分で着替えるんだぞ! 生徒指導の御庭先生が待ち構えてるからな!」
「重いんだよ、イヌも手伝えよっ」
う、言われてみれば。確かに若干、今日は畳を運んでいる数が少ない。まあ、今日はそれなりに大事な日なのだが――とにかく、私は手元の赤畳を担ぎ、体育用具入れまで歩いていく。収めようとして、そこにいる律子とバッタリになる。
「乾先生、今日……」
「律子先生、分かってる」
完全下校3分前。御庭先生に追い立てられつつ体育館を出る柔道部員の側を、律子のカムリは横切っていく。
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