第十話 あとは野となれ山となれ、そして誰も死なない戦国時代へ(最終話)
第一章:光秀、ついに「開き直り」の頂点へ到達する
天正十二年(一五八四年)春。近江・坂本城。
「殿! 秀吉様、家康様、勝家様をはじめ、全国四十五ヶ国の大名方より『光秀様・天下相談役就任二周年記念』のお祝い品が届いております!」
広間に駆け込んできた明智秀満の報告に、光秀はもはや驚きも、怒りも、溜息すら見せなかった。
縁側でぽかぽかと春の陽気を浴びながら、光秀は穏やかにかき餅をかじっている。
「ほう。今年はなにが届いたのだ?」
「は! 秀吉様からは『黄金の特大どら焼き』、家康様からは『三河特製・長寿の壺草茶』、勝家様からは『越前ガニ入り特製釜飯』、伊達政宗様からは『手製の和太鼓・光秀様仕様』にございます!」
「そうか。適当にはみんなで分けろ。太鼓は……叩くと政宗が飛んでくるから厳重に封印しておけ」
「ははーっ!」
見事なまでの手慣れた捌き。
もはや光秀の中で、「死にたがり」や「迷い」は完全に消え去っていた。
かつて本能寺で「どうせ惨めに殺されるなら、先に上様を討って豪華に腹を切ってやる!」と開き直った男は、二年の歳月を経て、**「どうせ誰もわしを死なせてくれないなら、最後まで付き合ってやるか」**という、究極の脱力・悟り境地(シン・開き直り)へと到達していたのだ。
第二章:信長の遺品と、ひとつの区切り
その日の午後。光秀は坂本城の奥深くに置かれた、ひとつの文箱を開いた。
中に入っていたのは、あの日、本能寺から持ち出された織田信長愛用の茶器や、信長が光秀に与えた数々の感状であった。
光秀は静かにそれらを撫でた。
(上様……。あなた様が力と恐怖でねじ伏せようとしたこの天下は今、信じられないほどのバカバカしさと、平和に満ちております)
もし史実通りに戦っていれば、秀吉が天下を取り、勝家は自害し、信長の子らは衰退し、最後は関ヶ原や大阪の陣で何十万という命が失われていたはずだった。
だが、光秀が「もう知らん! あとは野となれ山となれ!」と全財産を捨て、命を投げ出したことで、大名たちの「戦うロジック」は完全に崩壊した。
殺し合う理由を失った男たちは、光秀へのお歳暮の豪華さを競い、甘味を作り、筋トレに励み、ボードゲームで戦うという、平和な狂乱の中にいた。
「上様……。わしの『投げやりな反逆』は、案外、悪くない結末を連れてきたでしょう?」
光秀が呟くと、風がふわりと吹き抜け、信長の「フン、相変わらず知恵者気取りか」という苦笑いが聞こえた気がした。
第三章:第三回「天下の相談役会議」〜新しい時代の約束〜
天正十二年五月。京都・二条城。
年に一度の恒例行事となった「天下の相談役会議」。
集まった大名たちの顔には、かつてのギラギラとした野望や猜疑心はなく、どこか晴れやかな「やり切った感」が漂っていた。
参議・羽柴(冷泉)秀吉が口を開いた。
「光秀殿。この二年で、全国の検地もほぼ終わり、街道も整備され、民の暮らしは上様の時代より豊かになった。戦で死ぬ者も少のうなった。」
徳川家康も頷いた。
「三河も駿河も平和そのもの。大名同士の境界線争いも、光秀殿の裁定(または交渉)により、すべて平和裏に解決しておりますぞ。」
柴田勝家も、引き締まった筋肉を誇らしげに誇示しながら言った。
「わしも越前で民とともに汗を流しておる! 腹筋も六つに割れたぞ!」
光秀は大名たちの顔をゆっくりと見渡し、ふっと優しく微笑んだ。
「よくやっているな。見事なものだ。」
大名たちが息をのんだ。
あの「冷酷で、毒舌で、だるそうに裁定を下していた光秀」が、初めて素直に彼らを褒めたのだ。
光秀は立ち上がり、静かに一同を見下ろした。
「わしは二年前、本能寺で上様を討ち……『あとは野となれ山となれ』と捨て鉢になってすべてを投げ出した。わしは英雄でもなければ、天下人でもない。ただの死に損ないの男だ」
大名たちは静まり返り、光秀の言葉に耳を傾けた。
「だが……お前たちは、わしが投げ出した荒野に、争いではなく平穏を与えてくれた。秀吉殿、お前の甘味が民を笑顔にした。家康殿、お前の慎重さが無用な血を流さずに済ませた。勝家殿、お前の剛直さが武士たちの模範となった。……感謝する」
「光秀殿!!」
秀吉が号泣し、畳に伏せた。家康も目頭を押さえ、勝家は太い腕で涙を拭った。
「……だからな」
光秀はイタズラっぽく口角を上げた。
「これからは、わしに相談しに来るな。お前たちだけで、この天下を回していけ。それが……わしを殺さず、生かしたお前たちの責任だ」
第四章:グランドフィナーレ〜あとは野となれ山となれ〜
数ヶ月後。近江・坂本城。
「殿、本当に手ぶらで行かれるのですか?」
斎藤利三と明智秀満が、寂しそうな顔で尋ねた。
坂本城の城門の前。
光秀は豪華な着物を脱ぎ捨て、昔のような質素な旅装束に身を包んでいた。傍らには、穏やかな笑顔を浮かべる妻・煕子。
「ああ。城も、金も、お歳暮も……全部お前たちや民に分け与えた。わしには何もいらん」
「殿……どこへ行かれるのですか?」
光秀は青く澄み渡る秋の空を見上げた。
「さあな。伊達の青二才が『奥州へ遊びに来てください!』とうるさいから、奥州で美味しい干し肉でも食べに行くか。それとも信濃で真田の干し椎茸でも味わうか……」
「殿らしいですね」
利三が笑った。
「では……いってらっしゃいませ、光秀様!」
家臣たちが一斉に平伏する中、光秀と煕子はゆっくりと歩き出した。
城下町の街道に出ると、民たちの明るい笑い声が風に乗って聞こえてきた。
滅びの未来をぶち壊した男。
天下を狙わず、欲を捨て、ただ「テキトーに生き残ってしまった」男。
彼が投げやりにつぶやいた言葉——**「あとは野となれ山となれ」**。
その荒野の先には、誰も死なず、誰もが自分の人生を面白おかしく生きる、奇跡のような「新しい戦国時代」が、どこまでもどこまでも広がっていた。
「……なぁ、煕子」
「はい、殿」
「お腹が空いたな。次の茶屋で甘い羊羹でも食べるか」
「ええ、お付き合いいたしますわ、殿」
ふたりは手を取り合い、どこまでも続く平和な街道を、晴れやかな顔で歩み去っていくのであった。
(シン・明智光秀・完)




