至高のレシピ制作依頼 後編
あれから、毎日試作を繰り返した。
驚いたのは、階上先輩のレシピがかなり正確だったこと。
記憶で書いているからって言ってたけど、ほぼ完成品と変わらないレベルで正確だった。
私が調整したのはほんの少しだけ。
にんにくと豆板醤の量をわずかに増やしたぐらいだった。
むしろこれは好みの範囲だと思う。
何より、確認して来て理解した。
階上先輩の舌は、機械レベルで調味料を測定しているんだということを。
――料理勝負当日。
私は真っ直ぐに対戦者である阿礼木さんを見据えた。
阿礼木さんは、笑っていた。
勝ち確定の笑い。
……腹立つ。
「逃げずに来たことだけは褒めてあげますわ、庶民」
「そっちこそ、シェフを連れて来ないで良かったんですか、お嬢様?」
バチバチという効果音が鳴りそうなほどの緊張感。
――馬鹿みたい、ただお料理するだけなのに。
でも、これも階上先輩のレシピに書いてあったんだもん。
開始前から煽れるだけ煽れって。
それにどんな意味があるのかは分からないけど、私は階上先輩のレシピを目にした時にあの人を信じると決めたんだ。
ギリ、という歯軋りの音が微かに聞こえた。
阿礼木さんは、明確に苛立っていた。
そりゃあ、料理上手を誇っているらしいお嬢様に「シェフ連れて来ないでいいの?」は地雷だよねぇ?
「――そんな戯言を言っていられるのも今の内よ、這いつくばって謝罪することになるのだから」
「えぇ、そちらこそ」
瞬間、ゴングが鳴った気がした。
見届ける者のない、二人だけのクッキングバトル。
私達は同時に視線を切って調理を開始した。
お互いに材料は持ち込み。
スープを取っている時間はないから、ベースのスープだけは家で仕込んできてよし。
後はその場で時間内に調理する。
そういう、レギュレーションだった。
私は手際良くネギとニンニクを刻み、ひき肉と一緒にサッと炒める。
そこに刻んだ唐辛子、豆板醤など調味料を加えてスープを注ぐ。
麺を茹でて、湯切りして……最後の仕上げをしたスープに投入。
はい、完成。
見れば阿礼木さんも器を置いたところだった。
「……」
「……」
私達は、無言で自分の前の器を相手の方に押しやった。
調理台の下から椅子を引き出して座り、お箸を出す。
「いただきます」
「いただきますわ」
きちんと手を合わせていただきますをすると、お箸を手にして器の中に目を落とす。
……うん、階上先輩の予測通り、日本式のよく見る担々麺。
肉味噌と見事なグリーンに仕上がった青梗菜。
見た目はとても綺麗に仕上がっている……本人の言うように、料理上手は伊達ではないみたい。
それを確認してから、私はチラリと阿礼木さんを見た。
彼女は怪訝そうな顔をした後、鼻で笑って私を見た。
「あらあら、あなた、担々麺を食べたことがなかったの? それならそう言ってくださればよかったのに」
ここだ。
おそらく、このタイミングなんだ。
「阿礼木さんこそ、物知らずでは? これも四川のタンタン麺ですけど?」
「はぁ? 四川の担々麺ですらないわよ、本場で食べたのはこんなものではなかったわ!」
「では、どうぞお嬢様の舌でご判断下さいな」
「っ……言わせておけば!」
お箸を差し入れた阿礼木さんが困惑したような表情を見せた。
私は素知らぬ顔で阿礼木さんの作った担々麺を食べ始める。
……む、確かに美味しい。
ピリ辛で、ナッツの風味がしっかりして、ゴマの香りが豊か。
言うだけのことはあるじゃない。
でも。
私は、顔を上げた。
「な、なにこれ……こ、こんなの、担々麺じゃないわよ……」
ぶつぶつ言いながら、阿礼木さんは麺を啜っている。
大量の甘辛餡かけスープが絡みついた玉子麺を。
私は手元のスープを少し口にする。
やっぱり、少し冷めてしまっている。
冷めて、最初とは味が変わってしまっている。
対して、阿礼木さんは額に汗を浮かべながらアツアツのままのスープごと麺を食べている。
――私だけ残すのは、料理好きとして失礼極まる。
きちんと完食した。
二人が箸を置き、同時に「ごちそうさまでした」と口にした。
私の視界で、阿礼木さんは小刻みに体を震わせていた。
「なんです、これ……これ……っ」
「四川のタンタン麺です」
「だから! こんなものは四川の担々麺ではないと言っているでしょう!? こんな餡かけスープの……!」
「だから、四川のタンタン麺ですよ。お嬢様は知りませんか? ほら、東側の山の方にある人気店」
私の言葉に、ポカンとしたように阿礼木さんは私を眺めていた。
「人気店……?」
「――昔からあるんですよ、このとろみのついた甘辛餡スープのタンタン麺」
「知りません……でした……」
お嬢様のプライドにピシリとヒビが入った気がした。
だから、畳みかける。
「庶民庶民と馬鹿にしますけど、お嬢様のお家がお金持ちなのも庶民あってのものじゃないんですか? 現に今、庶民の味に打ちのめされてますけど?」
「……くっ……」
ダンと、阿礼木さんの拳が調理台を控えめに叩いた。
はぁ、これで負けを認めてくれるかな?
これで変に上から来るのをやめてくれれば、料理好き同士として友達になれるかもしれないな。
ところが、阿礼木さんはそのまま立ち上がって洗い物を始めた。
私もそれを見て洗い物を開始する。
互いにしっかり、使った調理器具や食器を拭いてから棚にしまった。
そして、阿礼木さんは、ビシッと私に指を突き付けた。
「来週! 私の家にいらっしゃい! その時に本当の……至高の担々麺を食べさせてあげますわ!!」
それだけ言い残して、阿礼木さんは走って調理実習室を出て行ってしまった。
あれ?
これってもしかして……家に遊びに来なさいってことかな?
「なぁんだ、結構いい子なのかも?」
そう呟いた私は、後日改めて階上先輩にお礼を言いに行かなくちゃな、なんて考えた。
***
私は、化学準備室の前に立った。
ここまで走って来て若干上がっている息を整える。
「……」
腕を持ち上げる。
ノックは四度。
――コンコンコンコン。
すぐに返答がある。
「入りたまえ」
ゴクリと生唾を飲み込んだ。
相応の覚悟は必要になる。
そう聞いていた。
でも、だからこそ。
私はノブを掴んだ。
鍵は――開いていた。
「失礼しますわ、毒薬嬢」
「おや、阿礼木のお嬢様。僕に依頼かな?」
夕陽を背負って座っているのは、アッシュグレーの短髪に灰色の瞳、セーラー服の上から白衣を纏った異端の先輩――階上渚さん。
「御機嫌よう、えぇ、あなたへの依頼です。私に」
一瞬言葉を切る。
その一言で私の運命は――破滅に近付くかもしれない。
それでも。
「食べた者を事故死させられる、至高の担々麺のレシピを作ってくださいな」
滅多に崩れないと聞く階上さんの顔が、少しだけ歪んだ。
邪悪で、愉悦に満ちた笑みに。
「いいとも。これは僕のフィールドだ」
ゾクッと背筋が恐ろしさに震えた。
グレーデーモン、灰色の悪魔、毒薬嬢。
よく耳にする彼女の異名はそんなところだろう。
でも、本当は。
「さぁ開幕だ、完全犯罪を始めよう、僕の毒でね」
楽しそうに笑う毒のモリアーティ。
彼女こそが完全犯罪コンサルタント、“毒薬嬢”階上渚なのです。
***
翌週、私の家から帰宅する途中で交通事故に遭って、一人の女子生徒が亡くなった。
彼女はふらついたように道路に転がり出て、車に撥ねられて即死したという。
周囲の目撃談から、彼女が事故の少し前からふらふらと歩いていたと判明して検死に回されたけれど、不審な点はなかったことから、思春期によくある一時的な低血圧などでふらついたのだろうと判断された。
胃の内容物は、中華麺、ひき肉、青梗菜、スープ。
そう、私の作った、至高の担々麺だけでした。




