28 西瓜と煙草
星野は、赤坂の料亭前で待機していた。議員である下越の護衛で、今日は店の出入り口の警備を担当している。
警備場所は持ち回りで、基本的に星野は下越の近くにいることが多い。ただ、今日は料亭の座敷が会合場所で、先日骨折した星野に正座はまだ難しかった。左足にギプスがはまったまま、手荷物検査と 出入り口の監視という、比較的体を動かすことの少ない場所を担当している。
そのうち、やいやいと賑やかな高齢男性の声が複数近付いてきた。会合は終わったらしい。一番先に出入り口にやって来たのは同僚である池澤だ。
「まもなく議員が来るので、下がっててください」
簡潔な報告に、星野は黙ったままうなずいて道を池澤と、後続の議員たちに譲る。続々とスーツを着た後期高齢者たちが店を出ていき、一番後に出てきて頭を深く下げて見送るのが、下越だった。
最後の議員が車に乗り込むのを見届けて、下越はようやく顔を上げた。それから星野を見る。
「なんだ、いたのか?」
「今日は外番です」
「まだ休んでて良かっただろうに」
「人手不足なんですよ」
星野はそっけなく言った。それは事実で、別部署の池澤が星野の穴を埋める程度には人材不足である。今日日机に向かっているだけのホワイトカラーでさえ人材不足にあえいでいる。星野たちのような、危険・キツイ・不規則な職業に就きたいと思うような健康かつ倫理観に問題のない若者など砂漠の中の砂金のような存在と言っていい。永遠に補充人員など来ないだろう。
下越もその辺りの事情に詳しい方なので、説明など不要のはずだ。星野の話を鼻で笑う。
「きみみたいな顔のいいのが、率先して働きやすい職場であることを世間に訴えたまえよ。そうでなくて、志願者数が増えるはずないだろう? きみは子どもだって抱えてるんだ。怪我をした時の交代人員は欲しいんじゃないか?」
「……小学6年生は、もう友人の家へひとりで泊まりに行けます」
「そうか。もう6年生か。きみの家へ来たのは4年生の時だったか。大きくなったんだろうな」
「いや、まだ小さいままですね」
「自分と比べてないか? と言うか、ここは写真でも見せる流れだったろう」
「持ってないんで」
そう言ったら、下越はぎょっとした顔をした。どうやら、子育てしている人間が子どもの記録を取らないことが信じられないらしい。下越はこれで子ども好きなので、なおさらそんな感想になるのだろう。
「……まあ、いい。お子さんのためにもさっさと帰りたまえ」
帰宅命令ときた。どうしたものかと一瞬考えて、目に入った池澤がにっこりと笑う。今日は本当に上がっても大丈夫なようだ。
「そんじゃ……」
「……立ちっぱなしだろう? まだ座敷は使っていいから、少し休んでから帰りなさい」
「…………」
いやに下越からのサポートが手厚い。なぜだ? この怪我は下越の護衛時に負ったものだが、職務の範囲内のことである。
首を傾げていたら、下越はさっさと店の出入り口へ向かった。その後を池澤が追う。池澤がちらりとこちらを見て、手で追い払う仕草をした。もっとほかに伝え方があるだろうが。
だが、なんだかんだ言っても足は痛む。綺麗にヒビが入っていたらしく予後は悪くないが、退院して二週間ほどだ。正直、まだ休んでいてもいいのかもしれないと自分でも思う。
それでも出勤するのには、理由があった。
「……とりあえず、休ませてもらうか……」
松葉杖をつきながら議員たちが会合に使っていた部屋を目指す。純和風の造りをした料亭は、奥に行くほど広く、静かになっていく。板張りの廊下は磨き込まれて庭から差し込む陽光で黒く光って、星野が歩くたびにきしきしと控えめな音を立てた。
その廊下の向かいから、意外な人物が歩いてくる。
「おう、こんな場所で奇遇だな」
気安い調子で声をかけてきたのは、裕一郎だった。
いつも子綺麗なシャツを着ている洒脱な男だが、今日は上等な仕立てとわかるスーツをきっちりと着こなし、長めの前髪はオールバックに整えられ一筋の乱れもない。
「……しごとか?」
「ああ。取引先とのランチミーティングで、たまに来るんだよ」
ここは国会議員が贔屓にするような、会員制の料亭である。薄々わかってはいたが、裕一郎も、奈々も、本来であれば星野とは関わるはずのない階層の人間なのだと、改めて思い知った。
「……お前もしごとか? さっき下越議員を見かけた。お前が入院してた病院にも来てたな」
「……まあ、しごととは言っておく。だが今日は上がりだ。少し部屋で休んでから帰る」
「そうか。まだ無理するなよ」
裕一郎は柔らかい表情で星野の体調を気遣ってくれた。
裕一郎は奈々との一件で星野に対して恩を感じているらしい。無理を承知で子どもの世話を頼んだのは星野だが、わざわざ見舞いに車を出してくれたり、子どもの趣味に付き合ってくれたりした。裕一郎の立場を考えれば、破格の対応だろう。子どももすっかり懐いている。
──だから、本気で考えてしまったのだ。
「……下越さんが借りてた部屋は一番奥の個室だろ。肩でも貸してやろうか」
「……気持ちだけ受け取っておく」
ヒールの付いたギプスでゆっくりと板張りの廊下を歩く。ただ、後ろから裕一郎が付いてくる気配は感じていた。
部屋にたどり着くと、すでに片付けははじまっていた。差配していた顔見知りの女将が星野に気づいて、背後にいる男に驚いた表情を浮かべる。
「星野さん……と、若さまじゃないですか。おふたりとも、お知り合いだったんですか?」
「ああ。奈々が持ってる物件の店子なんだとよ」
「そうでしたか」
女将はそれで納得したらしく、人好きのする笑みを浮かべた。星野は背後を振り返る。
「……アンタ、真っ当な職業だよな? 悪いが、しごと柄大っぴらに反社会的勢力と関わるわけにはいかねえんだ」
「親が事業やってるだけだ。変に疑わなくていい」
「そうかよ」
女将は、下越から話は聞いている、と星野を庭の見える場所へ案内してくれる。
四季折々の木々が彩る枯山水が一望できる軒下の縁側で、本来なら星野が一生見ることはない光景だ。一方で、真昼の日光に近い。冷房のきいた室の奥でないのは片付け中は隅に寄っていて欲しいという事情があるのだろう。
女将は柔らかな座布団を数枚用意してくれた。ありがたく、高くした座布団にギプスがはまった左足を乗せる。隣に裕一郎も腰を下ろした。
女将がなにも言わないうちから灰皿を用意してくれたので、ふたりで小さな箱を取り出して火をつける。星野も裕一郎も、今や絶滅危惧種の紙煙草派だった。
「……この前の話だ」
──やはり、その話がしたくて付いてきたらしい。
星野は自分が預かる子どもを、裕一郎と奈々に任せられないかと打診していた。
「あおちゃんにこの話はしてるのか?」
「……してねえ」
「あおちゃんの希望なら俺だって本気で考えるがな。そんなわけがないってのは、あおちゃんを見てればわかるだろ。あの子はお前を慕ってんだよ」
「……俺はこんなしごとで、怪我だって日常茶飯事だ。入院するのだってはじめてじゃねえ。夜勤は奈々がいないと成り立たなかった。俺には今のところパートナーもいねえし、コブ付きの男なんざ色気感じねえだろ」
「……お前があおちゃんを手放したいって言うなら、俺はそれを止めるような間柄じゃない。でも『手放した方がいい』って話なら、もっとよく考えるんだな」
隣に座る裕一郎の横顔は、庭の景色を眺めていた。強い日差しでできた軒先の濃い陰に裕一郎の吐く紫炎が立ち上り、茹だるような暑い空気に溶けて消える。
裕一郎の視線を追って、星野も庭を眺める。昼下がりの真夏の光は、日本庭園を彩る松やもみじといった葉の鮮緑さえかき消すほど強い。現実味がなく、左足の痛みと煙草の苦味、ねっとりとした暑さが、これが夢ではないと主張していた。
「……怪我が日常茶飯事なのは事実だ。もっと酷い負傷をして、現場復帰に何カ月もかかったこともある。
……その度に、あの子どもが泣くのがわかってるのに、このままでいいわけねえだろ」
怪我は任務中に負ったものだ。下手を打ったのは間違いない。
それでも、ただの骨折だ。生活は不便だが、それだけとも言える。命に関わるものではない。
それなのに、あの子どもは病院で大泣きして、毎日見舞いに来て、いかに寂しいかを訴えて、早く帰って来いと鳴くのである。
そんな思いを、何度もさせていいわけがない。
裕一郎は黙ったまま煙草の煙を吸い込む。一本分灰になったところで、女将が麦茶と小皿を差し出してきた。
小皿には、小さく切られた真っ赤な西瓜が乗せられている。
「煙草に西瓜ってあうんでしょう? お客さまから聞いたことがありまして」
「そうなのか? ありがとう。わざわざすまないな」
「今日の水菓子の残りですよ。気になさらないでください」
女将はごゆっくり、と笑ってさっと自分のしごとに戻っていった。とは言え、片付けはほとんど終わったようで、従業員たちも座敷から出て行ってしまった。
控えめに考えても、そろそろ出て行け、ということだろう。
「……お前がそう考えてるのは、わかった。だったら、なおさらあおちゃんと話し合え」
「…………」
「あおちゃんが泣いて嫌がるって、お前はちゃんとわかってる。だから話さないまま俺たちに預けようとしたんだろ」
星野は、なにも言い返せなかった。その通りだった。
「……ちゃんとあおちゃんと話をしろ。俺がどうこう言うのはそれからだ」
裕一郎はそう言って、ひと口で西瓜をかじってしまう。上品な見た目と違って男臭い。自分のチームにいても馴染んでしまいそうなところがあった。
「あとな、言っておくが奈々ほど子育てに向いてない女はいないからな」
「そうか? 上手いことやってるように見えたが」
「あおちゃんがしっかりしてるから……というか、あれは空気を読むのが上手いんだろうな。今まで色々あったんだろ」
「…………」
「無責任なことはわかっちゃいるが、はっきり言うなら、俺はアンタがあおちゃんの家族になってほしいと思ってる。……そのためのサポートなら、いくらでもしてやる」
裕一郎はそう言って星野の背中を叩いた。ぐいと麦茶を飲み干して立ち上がり、そのまま座敷を出て行ってしまう。
残された星野も、西瓜をかじった。煙草の苦味が西瓜の青臭い香りと混じって、不思議な甘味を感じる。煙草で渇いた口内が果汁の瑞々しさで満たされた。
変な組み合わせだが、悪くはない。世の中、そういうものは多いのだろうか。
たとえば、独身男と小学生女児とか。
ぎょっとするような組み合わせでも、案外悪くない、というような。
──そんなに簡単に答えが出せるものじゃねえ。
よくあることだろうがなかろうが、自分たちは自分たちなのだ。ほかのだれでもなく、自分があの子どもをどうするのか、あの子どもがなにを選ぶのかだ。
「……まだ今年、西瓜食べさせてねえな……」
星野はそう呟いて、麦茶を飲みながら少しの間、真夏の庭を眺めた。
夏の献立はこれで更新終了です。
次回は秋頃〜冬の献立、最終章の予定です。
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