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5 つの桜 後編

 篠塚明子が夫と住んでいたアパートは、うなぎの寝床と呼ばれる長屋方式の時代がかった木造住宅で、土蔵も地下室もなく、とても骨董品集めを趣味にしている人間が住みそうになかった。

 家の中も外見を裏切らず、余裕のない生活に追われている人々の普通の家にしか見えなかった。


 未亡人の明子は、今日は喪服を脱いで地味な恰好をしていたが、やはり滴るような色気を発散させていた。俺達はお祓いの邪魔になるからと理屈をつけて、明子に貴重品だけ持たせて篠塚の実家へ戻した。


 「お前、あの未亡人の色気に当てられたな」


 明子を見送ってから、綺仙洞が俺を横目で睨んだ。


 「まさか。もう次の嫁ぎ先が決まっている女に惚れてどうするんだ。それに、水子で腰痛になっているぞ」

 「取ってやればいいのに」


 俺は無視して仮設の仏壇がある部屋へ足を向けた。仏になりつつある篠塚は、別に祟る様子もなかった。他の部屋もざっと見たが、取付いている霊もいなかったし、取付きそうな骨董品もなかった。

 形見にもらうとすれば、篠塚が使っていた茶碗や身につけていた洋服ぐらいである。


 写真もろくになく、葬式用の写真が修正に修正を重ねてほとんど別人になっている理由がよくわかった。

 霊が憑いています、と言って貰い受けるにしても限度があった。ご主人は格子縞のハンカチに未練が残って成仏できないでいるのです、と説明して誰が信用するのか。俺だって信じられない。


 「めぼしいものは何もないな。ネクタイピンひとつないぞ」


 少しは期待して来たらしい綺仙洞が、憤然として言った。


 「英二のものも残っていないようだ。うちに来る時に皆処分したのかな」


 一通りお祓いならぬ捜索を終えて、俺は大人しく仏壇に残っている篠塚を眺めた。


 「やっぱり綺仙洞の言うとおり、あの二人が夢中になって足でもぶつけたかな」


 仏になりかかっているものにむやみに話し掛けて、成仏の邪魔をしたくなかった。俺はふと思いついて、スマホで明子を呼び出した。



 篠塚明子と夫の末弟は、二人並んで仏壇の前に座っていた。心なしか居心地悪そうだった。それも道理で、篠塚の夫は二人が姿を現した途端に末弟をじろじろ観察し始めたのだ。これでは成仏しそうにない。


 「つかぬことをお伺いしますが、もしやご主人の形見の時計か何かを分けてもらいませんでしたか」


 末弟は明らかにぎょっとして腕を押さえた。そんなに気になるなら身に付けるなよ、と綺仙洞がぶつぶつ小声で呟いた。俺も同感だった。

 腕から外して見せてもらうと、金ぴかの有名ブランド物の時計で、恐らくこの家で一番高価な品ではないかと思われた。夫の様子を窺う。夫は生前自分の物であった時計よりも末弟の方を気にかけていた。


 俺は時計を仏壇に供え、通り一遍お経を唱えた。明子達も神妙に祈っているようである。お経を上げて、俺は明子達に向き直った。


 「奥さんの経験された現象は、ご主人によるものでした。どうも、弟さんがご主人の時計を身に付けて、ご主人のように振舞われるのが気になるようです。四十九日が過ぎるまでは、弟さんはこちらの家へ出入りするのは控えてください。奥さんがご実家へ行かれるのは構いません。四十九日が過ぎたら、ご主人のご位牌をご実家へ移されて、それから再婚のお話を進めても構わないでしょう? 法律上も、すぐには再婚できないのですから」


 明子と末弟は神妙に頷いている。俺は咳払いした。


 「それでは、折角のお兄さんの形見ではありますが、念のため、この時計はこちらで供養いたしたいのですが、如何でしょう」


 明子が目を剥いた。たちまち色気が消し飛んだ。末弟も躊躇った。

 俺は意外なものを目にした動揺で表情を変えないよう苦労しつつ、二人の返事を待った。しばらく沈黙が続いた。やがて、明子が狡そうな目で慎重に口を開いた。


 「仏壇に置いた方が供養になりませんか。その時計は主人も大事にしていて、滅多に身に付けなかったものです。もっと普段から使っていたものの方がいいのではないでしょうか」


 頭の回る女である。俺は内心舌打ちしながら、表面はせいぜい浮世離れした微笑を湛え、こう答えた。


 「おっしゃる通りです。そうしたご事情であれば、もっと身近な物を教えていただければこちらで供養致します。例えば眼鏡のような、金属やガラスで出来た物の方が霊の影響が及び易いのです」

 「ああ、確か主人がよく掛けていたサングラスがありました。持って参ります」


 明子はほっとしたように席を立ち、間もなく安っぽい色つきサングラスを持ってきた。しかもプラスチックレンズであったが、俺はこれ以上何も言わない事に決めた。懐紙に包んで、更に風呂敷で包む。


 型どおりの挨拶をして仏間を後にする時も、篠塚の夫は後に残った末弟をみつめていた。人の話を聞かない奴等である。後で、篠塚の爺にも忠告しておかないと俺のせいになりかねない。


 「やれやれ。まさに骨折り損のくたびれ儲けだ」


 二人きりになるのを見計らって、綺仙洞が言った。


 「英二に親父の形見を貰えただけで充分だ。ちゃんと出張料は払うよ」



 英二に篠塚の親父の形見を渡すと、頭を畳に擦り付けるようにして礼を言われた。

 複雑な気持ちを押し殺し、俺は秘密にしてしまっておくようきつく言いつけた。あの金ぴかの時計と違って、高価ではないが、身に付けると目立つ事この上ない派手な色合いのサングラスだった。


 次の日、途中になっていた掃除を終えようと、寺の裏手を登っていったら、桜の芽が更に大きく膨らんで赤味を帯びていた。角ではなく、お雛さまの紅のようだった。

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