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6 蝉桜 後編

 「頂き物だから捨てる訳にもいかないし、あちらにはご家族もいらっしゃるから聞くに聞けないんですよ」


 薄井はコーヒーをちびちびと干しながら、上目遣いで俺達を見た。コーヒーのお蔭で目が覚めてきたせいか、徐々に姿態が艶っぽくなっている。


 「私どもの方で聞き込みをするのも、問題になりますか」

 「お坊様のお力で、何とかあちらには知らせずに済ませる訳にはいきませんか」


 長い睫毛をぱちぱちさせて流し目を送る。俺、自己紹介した筈なんだが。客にならないと判断されたのだろうか。

 そして俺達を部屋に残したまま、薄井は店へ出掛けてしまった。


 「A氏に何処で買ったか聞いた方が、手っ取り早いと思うんだけどなあ」

 「聞けるぐらいなら、お前まで仕事が回ってこないよ」


 綺仙洞がコーヒーカップを勝手に片付けながら言う。好きなように使ってください、と言われても、初対面の他人の家で寛げるものではない。まして、これから物の怪と対面するかもしれないのだ。俺は指輪をためすがめつ眺めた。


 「本当にこの指輪が原因なのかなあ」


 しかし薄井がしたように、指に嵌める気にはなれなかった。


 「彼女の言い分で試してみて、だめなら店へ行けばいいだろう」


 昼間は出ないようなので、長い夏の日が暮れるまで、俺達は指輪を脇に置いてテレビ台にあったトランプでポーカーをして過ごした。何回戦か終わった後で、綺仙洞がぽつりと言った。


 「これ、占い用かもしれない。下に白布が敷いてあった」

 「うわ、遊ぶ前に言えよ。でも、特別綺麗な感じはなかったぞ。占い用にしても、きっと偶々家にあった札を流用したんだろう。元通りにしておけば、大丈夫」


 トランプ遊びをする気も失せた。折よく、日も傾きかけている。俺は綺仙洞にトランプを元通り片付けさせ、テーブルの周りをきれいにした。

 洗面所へ行って手を洗い、口を漱ぎ、持ってきた道具を使って簡単に身を清める。部屋へ戻ると綺仙洞がカーテンを閉めていた。指輪を挟んで向かい合わせに座る。少しずつ部屋の中が暗くなってきた。


 やがて日もとっぷり暮れた。このマンションは防音もしっかりしているようで、近くに交通量の多い大通りが走っているにもかかわらず、車の音が聞こえてこない。サイドボードの上に置かれている時計の秒針も静かに回る。

 綺仙洞は足を組み、一見寛いでいる様子だが、その実俺に渡された懐中電灯を両手で握り締めている。俺達は無言で指輪と睨み合っていた。


 ぽうっ、と指輪が微かに光ったのは、どのくらい経ってからであろうか。


 「出たっ」


 綺仙洞の押し殺した叫びで、俺ははっとして指輪に焦点を合わせた。あんまり静かなので、頭が眠ったようになっていたらしい。指輪は灯りのない部屋で、確かに青白く光っていた。綺仙洞は、懐中電灯のスイッチを入れたいのを我慢している。組んでいた足を解き、上半身を引いて指輪に視線を釘付けにしていた。


 昼間には感じなかった気配に、壁際を見る。薄井が話した通り、若い男がいた。青白い顔をしていることを除けば、ごく普通の若者といった出で立ちであった。俺は穏やかに話しかけた。


 「お前はどういう訳で、この指輪に憑いているんだ」

 「憑いているんじゃありません。呼び出されたんです」

 「なに?」


 思わず力強く聞き返すと、若者は掻き消えてしまった。綺仙洞が素早く懐中電灯のスイッチを入れ、部屋の明かりを点けた。


 「点けるなよ」

 「消えたから点けたんだよ。どう言う事だ?」


 明るい部屋の照明の下では、指輪は何の変哲もない物に見えた。俺は指輪を箱に仕舞って立ち上がった。


 「やっぱりこいつの来歴を調べなきゃ、だめだ。A氏の話が本当なら、お前の伝手で出所を探せるだろう。店へ電話して、指輪を暫く借りられるよう依頼人に話をしよう」

 「俺が調べるのか」


 綺仙洞は面倒臭そうに懐中電灯のスイッチを切った。



 面倒臭そうに言った割には、綺仙洞の調査は早かった。翌々日には、蓮照寺(れんしょうじ)へ乗り込んできた。


 「判ったぞ。質流れ品だったんだ」


 手には無理矢理預けた指輪の箱を、紙袋に入れて提げている。今日は他の手土産はなしだ。


 「憑物を勝手に境内へ持ち込むなよ」

 「お前こそ、坊主の癖に呪いの指輪を素人に押し付けるなよ」

 「呪いと決まった訳じゃないだろう。で、出たのか」


 英二が冷たい麦茶を入れ物ごと持ってきて、会話が途切れた。のんびりと菓子を食っている場合ではないのを悟ってか、茶菓子は無しだった。

 綺仙洞はうまそうにごくごくと喉を鳴らしながら麦茶を一気に飲み干し、グラスに注ぎ足した。


 「店の方に置いておいたから、見ていない」

 「何ぃ、お前に預けた意味がないじゃねえか」

 「人を実験台みたいに扱うな。お前がやれよ」


 みぃーんみーんみんみんみんつくつくほーしつくつくほーし。

 蝉しぐれが言葉の勢いを煽る。暑さもいらいらを募らせる。同時に、暑さが喧嘩を続ける気力を消耗させる。どのみち、二人とも本気で言い合うつもりはない。俺は間を置くために、麦茶を一口啜った。


 「ふん、それでどういう悲恋があったんだ?」

 「それがなあ」


 綺仙洞は思い返して首を捻った。


 「質入したのは、男に貢がせた品をいつも買い取らせる常連さんだ。宝飾店でわざわざ作らせた、と男が自慢していたそうだ。折角誂えたのに質屋へ売り飛ばされたのでは、男も気の毒だね」

 「わざわざ作らせなくたって、こんな感じの指輪なら探せばあるだろう。その男の話が怪しくないか」


 俺は席を立って紙袋から箱を取り出し、指輪を明かりに透かしてみた。夏の陽射しを浴びた蛇が、ぎらりと禍禍しく光った。しかしただの指輪にしか見えない。


 「つまり、男も質屋辺りで手に入れた、ということか。どのくらいの人の手を経たかは判らないけど、そんなに使い込んでいる感じには見えないなあ。こういう風に小さな石を沢山嵌め込む細工だと、使っているうちにどうしても台が歪んで石が取れやすいんだよね」


 綺仙洞も席を立って俺の隣から指輪を覗き込んだ。


 「でも薄井って女は、少なくとも三日間は指輪を嵌めたまま仕事をしていたんだろう? 一人で切り盛りするなら、食器を洗ったりつまみを作るのも自分でしてたんだろうに、見たところ傷んでいないぜ」

 「忙しい間は外していたんじゃないか」

 「なるほど」


 俺は不意をついて、綺仙洞の手を掴んで指輪を押し込んだ。綺仙洞は飛び上がった。


 「うわ、何するんだ」


 慌てて外すと、腰から力が抜けて座り込んだ。俺は指輪を取り上げて尋ねた。


 「何か感じたか」

 「俺を実験台にするなって言っているだろうが……むむ、女が見えたような気がする」

 「ま、そうだろうな」

 「判っているなら、尚更するなよ」


 綺仙洞が卓へ戻って麦茶を口に含んだ。



 しかしその夕方、綺仙洞は指輪を嵌めて本堂に座していた。相対しているのは、ご本尊様を背にした俺である。


 「よりましがいた方がいいんだ。指輪の台座みたいなものだな」

 「俺は展示台かよ」


 ぶつぶつ文句を言いながらも、綺仙洞は仕事を持ち込んだのが自分なので最終的に承知し、支度を整えたのである。薄井はよい顧客のようであった。


 蝉の声も止み、静かに夜が更けて来た。日が沈み地に篭っていた熱気も徐々に薄れ、時折、はや秋の虫の音が聞こえてくる。灯明だけで照らされる本堂は暗がりが点在し、見慣れぬ者にはご本尊様さえ不気味に感じられるだろう。

 綺仙洞は見慣れた側である筈だが、指輪を嵌めて緊張しているせいか、俺の背後をしきりと気にする風であった。


 一晩中緊張し続けることは人間にはできない。沈黙して相対しているうちに、綺仙洞がとうとう舟を漕ぎ始めた。俺もうとうとしたかもしれない。


 「出たっ」


 だしぬけに綺仙洞が叫んで立ち上がった。はっとして視線を追うと、庭に面した本堂のすぐ外側の暗がりがぼうっと薄明るくなって、例の男が浮んでいた。俺は男を無視し、指輪に向かって経を唱え、気合をかけた。


 「はっ」


 綺仙洞の様子が一変した。顔付きも別人のようだ。


 「動けまい」


 多分逃げようとして、綺仙洞は悔しげな表情になった。俺の手真似に応じて、存外素直にその場へ座った。様子からして女のようである。


 「お前、あの男に惚れているな」


 女は頷いた。俺は視界の端に男を捉えていた。今夜はまだ消えていない。俺は女と目を合わせたまま、男に声を掛けた。


 「お前はこの女を知っているのか」

 「恋人でした。僕らもう死んでいるんです」


 消え入りそうな声なのに、耳元ではっきりと聞こえた。男はその場から動きそうにない。余計なものが出入しないように、仕掛けを施したのは俺である。ちょっと失敗だったかもしれない。


 「その指輪は彼女が最後に作ったものです。僕ら交通事故に遭ってしまって」

 「では、二人一緒に成仏するのに不服はないな?」


 俺はせいぜいいかめしく言った。女が頷き、男も了解した。そこで俺は仕掛けを外して歩いた。男が本堂へふわふわと入ってきた。



 「で、その指輪はもう安全なんだな?」


 英二と俺が支度した料理を座敷でもりもり食べながら、綺仙洞が尋ねた。英二は庫裏で同じものを食べている筈である。

 綺仙洞は半日寝込んで、夕方に目を覚ました。その時には、無論すっかり片がついていたのである。男の幽霊を見てからの記憶は全くない、と言うので、顛末を話がてら夕餉を食わせていた。卓には珍しく酒の類が置いていない。綺仙洞も要求しなかった。


 「ちゃんと成仏させたよ。近頃では物が溢れていて、九十九神が憑くほど使い込まない。下手をすると、使う人よりも作った人の思いの方が強いんだな」


 食事を終え、膨れた腹を抱えて二人で庭へ出た。

 虫の音がぴたりと止まる。奥にある桜の木の下に、蝉の死骸を見つけた。気が付けば、あるかなきかの微風が涼しく肌を撫でて行く。秋はすぐ側までやってきていた。

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