035 僕と兄上と毒
★★★
僕が六才の誕生日をお祝いしてもらってから、少し経った頃だったと思う。父上と母上が、そろって地方をまわる事になった。公務、というらしい。
兄上のおかげもあって、絵本や物語の中の“お父さんとお母さんと子どもたち”の暮らしとは違う、王族や貴族というものを少しずつ理解できるようになっていた。
父上、母上、兄上と僕と、一緒にご飯を食べるのは十日に一度でもあればいいほうで、夕食後のお茶の時間でさえ数日おき。それ以外の日は、顔を合わさない事すら当たり前だった。
それが普通だったから、さみしいとか、そんな思いはない。兄上だけはいつも一緒にいてくれた。
ただ不満があるとすれば、兄上と僕だけの夕食の時はいつも代わり映えしなくて、量も少な目だということ。スープにパンに、焼いた肉か魚が少しと野菜の付け合わせで終わり。
父上か母上が一緒に食べる日や、お城でにぎやかな集まりがある日はもっとゴーカになるんだけど、「しばらく帰ってこない」らしいから、夕食は期待できそうにないな。
そう僕が思ってから、何日か経った後の夕方。メイドに連れられて食堂に入った僕は、テーブルの上に並べられた皿を見ておどろいた。いつもより数も多いし、どれもこれも僕の大好きな料理ばっかり。しかもキライな苦い野菜はまったく入っていない。こんなことは初めてだ!
「今日、お城でパーティーでもあるの? 父上たちはいないのに」
イスに座って思わず声を出してしまう。僕より先に席についていた兄上が答えてくれるだろうと、何気なく口にした質問だけど、当の兄上は真剣に皿を見つめている。「そんなに早く食べたかったの?」と声をかけなかったのは、その時の兄上が、僕が先生にイタズラをした時よりコワイ顔をしていたから。おまけに、兄上は小さな声でブツブツとつぶやいていて、僕の言葉はきっと聞こえていない。
早く僕の大好物ばかりの夕食に食いつきたいのをグッとガマンして、兄上を待った。だって父上に言われているから。
「リンデンが『食べていい』と言う物だけを口にしなさい。逆に『ダメだ』と言われた物は、何があっても口にしてはいけない。また『気を付けろ』と言った人物に近付いてもいけない。とにかくリンデンの言葉に従うんだ。いいな、ローレル。これだけは私と約束をしておくれ。絶対だよ」
僕は約束を守るよ。父上と母上が一緒の食事の時だって、みんな兄上がうなずくのを待ってから食べ始めるのだから。だから兄上早く――
「うん。ローレルも六歳になったのだから、そろそろいいかな」
「何がですか? 兄上」
「もちろん、英才教育だよ。社会勉強の一つかな」
『えいさいきょういく』が何のことだか分からないけど、“勉強”と聞いて僕は、思わず顔をしかめてしまった。
「そんな顔をしないで。机に向かったり本を読んだりする勉強じゃないから。使うのは体。ローレルは体を動かすのが好きだろう」
「うん」
「じゃあ大丈夫だよ。ローレルは【身体強化】……ええと、体が丈夫なんだ。だからきっと乗り越えられるからね」
「うん。それで僕は何をすればいいの? 兄上」
「そうだな。まずは目の前のお皿の中から、今一番食べたい料理を選んで」
兄上に言われて、僕は迷わず一つの料理を指さす。鹿肉のハーブ煮込み。お肉が柔らかくて香りも良くて、夕食に出てきた時は真っ先に食べきってしまうんだ。
「じゃあ、ナイフとフォークを持って。肉を切り分けて。ローレル、それでは多いよ。その塊の半分くらい……。そう、それでいい」
僕は兄上の言う通りに、肉を切り分けてフォークを刺したまま待った。……本当は一切れ全部だって問題なく食べられるし食べたいけど、兄上の言葉には従う約束だから、ガマンガマン。
「ナイフは置いていいよ、ローレル。では夕食にしようか。言っておくけど、ローレルの今日の晩御飯は、その一切れのお肉だけだよ」
「そんな!?」
肉の後は何を食べようか……皿を見回していた僕は、思わず叫び声を上げて兄上のほうを見る。
兄上はいつもと同じように、僕に穏やかにほほえみかけてくるだけだ。
「一口食べればすぐに分かるよ。いいかい、ローレル。そのお肉を口に入れたらフォークを置いて、きちんと飲み込むまでは決して他の料理に手をつけようとしてはダメだよ。さ、お食べ」
僕は不満でいっぱいだっけど、兄上の笑顔に圧されて、言われた通り肉を一口でほおばってからフォークを置いた。
「……なんだコレ?」
マズイ。はっきり言ってただニガイだけだ。いつもとは全く違う味つけに、自分でもしかめっ面になっていくのがわかる。ぺって吐き出したいけど、兄上は飲み込めって言うし。……いや、他のお肉も、お皿全部がいつもよりマズかったりするのかな?
涙目になりながら、なんとか飲み込んだ。水でニガイのを洗い流そうと手を伸ばしたら、また兄上から声をかけられた。
「ダメだよ、ローレル。テーブルの上の、他のどの物も口にしてはいけないよ」
兄上ヒドイ! 今日は一体どうしたっていうの!? という僕の言葉は、口から出ることはなかった。
「……かっ!? ゲホッ! ゴホッ!」
急にお腹のほうが熱くなってきて、なにかがこみ上がってきて、カゼでもないのにセキが後から後から出てくる。
なんだこれ? こんなのなんかおかしいよ。
「ローレル様!」
セキは止まらないし、息が荒くなって、手もふるえだした。僕を心配してか、メイドが駆け寄って来る足音がする。
その時、兄上がテーブルの上のカトラリーを無造作に掴んで、こっちに投げつけてきた!
「きゃ!?」
兄上の投げたテーブルナイフがメイドに当たったらしく、彼女は悲鳴を上げる。
僕は「兄上、なんてことを!」と声を上げたかったけど、セキでそれどころではなかった。
――ガシャン!
「ガッ……ハッ……! え?」
僕の夕食のお皿に、ナイフが落ちてきた。食事用ではない。剣の師匠が見せてくれたような本物の刃……。メイドのほうを見上げると、警備の兵に捕まえられるところだった。
今夜は何もかもがおかしい。急に不安がどうしようもなくあふれてきて、兄上の方を見る。
「ローレル。君は強い子だから、大丈夫だよ。どうしようもなく苦しくなったら、生命力……生きたいって強く思うんだよ、いいね」
兄上は僕にそう語りかけた後、僕には「半分」と言った肉の塊を、何の気負いもなしに口に入れて噛み始めた。
「兄上!?」
「……やっぱりマズイ」
それは食べてはいけない! 食べては悪い物だ! 僕にもそう言ったじゃないか。
僕は兄上に食べるのをやめてもらおうと、立ち上がろうとして、できなかった。テーブルクロスを掴んだままイスから落ちて、床に転がった。そしてとうとう、お腹の中の物を吐き出し始めた。
「ほら、吐いた物を喉に詰まらせないように気を付けて。いいかい? さっきしゃべった事を忘れないで。強く思うんだよ。私がついているから、大丈夫」
……兄上の言葉を聞いていられたのは、ここまでだった。
★★★
――ヒュー。ヒュー。
僕の体から、僕のものじゃないような音がひびく。
口の中とのどが痛くて、お腹が熱いのに、手や足が冷たすぎて動かない。胸がドクドクと思いっきり走った時みたいに跳ねていて、そのせいか頭も目もぐるぐるとまわる。強く目をつむっていると、眠るときみたいに落ちそうになるけど、吐いたりセキこんだりでムリヤリ引き戻されて、そのうちどんどん自分が弱く小さくなっていく気がした。
もうダメだ……。
そう思った時、兄上の声が聞こえてきた。耳に水が入ったみたいにぼんやりとどこか遠い。
『ローレルは強い子だから大丈夫だよ。“生きたい”って体に強くお願いしてごらん?』
……生きたい。
僕がそう思ったら、心臓がドクンと応えた。
『いいかい、ローレル。ここには肝臓と呼ばれるものがあってね、解毒……今のローレルの苦しみを助けてくれるんだよ』
兄上の言葉に“思い”を向けると、お腹の横のほうにひんやりとしたものがあてられる。……ああ、兄上が魔法をかけてくれているんだなって、わかった。
『【解毒強化】か【解毒速効】、【毒吸収】なんてものもあるけど。この前魔力の扱い方について習ったよね。肝臓に魔力を集めるようにしてから、“強化”か“補助”って考えてごらん』
兄上の声と魔力に導かれるまま、体の中の魔力をお腹の横に集めるイメージをする。
それから心の中で「強化」と唱えると、また心臓がトクンと応えて……。今までのは一体なんだったの!? って叫びたくなるくらい一気に、体がラクになっていった。
「ローレル?」
兄上の声が今までよりもハッキリ聞こえて、僕は何度かまばたきをしながら目を開けた。すぐに、心配そうに僕の顔をのぞきこんでいる兄上と目が合う。
「あにうえ……」
僕が返事をすると、兄上はふわりと笑って、「はー」っと息を吐き出した。
体が固くこわばってうまく動かないけど、目や頭を必死に動かして辺りを見回す。
どうして兄上は下着姿なんだろう? と思った後、僕自身はまっぱだかにシーツを巻き付けられている状態だった。何がどうしてこうなんだろう? もっとヒントはないかと探ると、部屋のすみに汚れた布がひとかたまりになっている。独特のすえた臭いに、僕が体の中の悪いものを、ほとんど吐いたり漏らしたりしたことを思い出した。だからか、と、裸足のかかとが触れた石の冷たさに、ここが浴室だと気がついた。
「ローレルはもう大丈夫だから。体を洗うお湯と着替えの用意を。あと薬湯もね」
兄上の言葉にメイドや使用人たちがあわただしく動く。布の山も運ばれていった。
「お薬の前に、これでうがいをして」
そう言われて兄上にカップを渡されたけど、倒れる前のことを思い出して、怖くてふるえてしまう。
「これは大丈夫だよ、ただのお水だから。安心して、ローレル」
兄上の浮かべた笑顔と一緒に父上の言葉を思い出して、カップの水を口に含んでぐちゅぐちゅと口の中を洗ってその辺に吐き出す。すっぱくてニガくて血の匂いがして、二度三度とうがいをする度に、なんでだか涙があふれてきた。
「うっ……ヒック……」
「ローレル、よくがんばったね」
「あ゛にう゛え゛……」
いつもの優しく穏やかな笑顔で、僕の頭をなでてくれる兄上。僕は甘えて抱きついて、大泣きする寸前だった。
「ちゃんと【耐毒】のスキルがついたよ。致死量すれすれに加減して、ギリギリまで粘って【解毒】の魔法を使わなかった甲斐があったよ」
……僕の頭の上で、兄上の口から、何やら不穏な言葉が降り注がれた。何を意味しているのか、全部がわかったワケじゃない。だけどなんだか、出かかった僕の涙をひっこめるイリョクのある言葉だ。
「兄上?」
僕は恐る恐る顔を上げた。
「今はまだ【耐毒】のレベルは低いから、今回みたいな事を何度も繰り返すよ。私も一緒に毒を摂取して、対応した【解毒】魔法を覚えていくから。食事がおいしくなくなるのが困りモノなんだけどアレなんとかならないかな? 【毒無効】のスキルになるまで、一緒に社会勉強かんばろうね、ローレル」
自分だって苦しくなる肉を食べたのに、いつもと同じように穏やかな笑顔を向けてくる兄上。
僕の唯一絶対の味方だと、心の底から信じている兄上のほほえみが、この時初めて怖いと思った。
アホな子でいることはもちろん、もはや純粋な子供ですらいられないのだと。
言葉にするのが難しい何かが終わったのを、僕はこの時、確かに感じたのだった。




