029 湖面の告白〜ローズ のターン〜
ローズは、息を吸っては吐いて、吸っては吐いての深呼吸を繰り返す。いつの間にか、無意識に膝の上に乗せた手を強く握り込んでいたらしく、目をとめて、顔を俯かせる。
「ローズは、リンデン王子をお慕いしていました」
「!?」
ハッと息を呑むリンデン。
「初めてお会いして、手を取ってキスをして下さった時……あの時、確かに、ローズの初恋でしたよ」
リンデンは、微かに震える己の体を動かして、ローズの右手を取ってキスをする。
「リンデン王子と、たった一曲だけのダンスで、ローズはたくさん、救われてましたよ」
強く握ったままの左手に、ローズの涙がポツリと落ちる。
「……ごめんなさい。私は、リンデン王子が……好きになったローズとは……違う……の」
「……謝らないで」
リンデンはローズの右手を自らの膝の上に置いてから、ローズの左手を取って、固く握られた指を一本ずつ開いてほぐす。そして、ローズの両手を取って、優しく握る。
「謝らないで下さい。あの時、貴女が顕れてくれなかったら、私は……ローズを永遠に喪っていた」
「私……違う。ローズ、変えちゃって、キライに……なったり、怒ったり、しなかった、ですか?」
リンデンは「クスッ」と笑う。その笑い声を耳にして、顔を上げてリンデンを見るローズ。
リンデンはローズの両手を引き寄せて、胸に抱き締める。
「キライなら、こんな事やあんな事なんてしないでしょう。……もしもの事を考えていました」
「もしもの事?」
「ローズ嬢はその生い立ちから、余り社交的とは言えませんでした」
リンデンはローズを見て「わかりますか?」と視線で問い掛け、ローズは理解して頷く。
「生まれつき魔力量が多く、聞いた話ですが、赤子の頃大泣きして布類を焦がしたそうです。私と同じ師について、魔力のコントロールを体得するまで、同年代の子供達との交流はほぼ皆無。漸くサロンデビューを果たしたと思ったら、人前で己の婚約者を蔑ろにするど阿呆のせいで、ローズ嬢は遠巻き……いえ、はっきり言って、嫌がらせ等の冷遇を受けていました。生まれや立場からしたら、考えられない事です。十歳に満たない頃にそのような扱いを受けて、すっかり打ちのめされて。その後でローズ嬢を二本の足で立たせたのは、貴族令嬢としての矜持だけです。春の討伐参加もそうでしょう。双子の弟は逃げたというのに」
リンデンは抱き締めていたローズを離して、顔を見合わせる。
「もしも、憂いなくのびのびと成長していったら、今のようになっていたのではないかな、と。私は、ローズ嬢は本質的には変わっていないと思います」
「え……まさか」
「さあ。私がそう思っているだけかもしれません。ただ……今の貴女には、感謝をしています。春のあの日の夜。『頭を打って混乱しているから、一人で記憶を整理したい』と言って、一人でテントで過ごしていたのを、覚えていますか?」
「ええ、はい、よく」
「ローズとしての記憶を、声に出して確認していたでしょう」
「!? 聞いていたんですか?」
「勿論。公爵家としての立場や、ローズ嬢の身で扱える魔法を悪用する輩なら、然るべき対処が必要ですから」
「ごもっともです」
「その胸をおさえて、ローズ嬢の恋慕う人や、初恋について聞いていましたよね。貴女はこう返しました。『口には出さないから、安心して。なるべく、ローズの意に添うようにする。いざとなったら国外逃亡してでも守ってあげるから、大丈夫』」
「……よく聞き、よく覚えていましたね」
「惚れましたから」
「へ!?」
「あの時、一見ローズ嬢の体は蘇生出来たようですが、ある意味では失っていて、私も打ちのめされていました。でも、ローズの味方になると言った貴女に、救いが見えたのです」
リンデンはローズの顔を見て、意味深に微笑み掛ける。
「私のですよ」
「?」
ローズは首を傾げる。
「こうも言っていましたよね。『十七歳でこのスタイルですか。二十歳だった私は完膚無きまで負けてますが何か? 一体誰のモノになるんだか、このけしからん』」
「わーー!!」
ローズはリンデンの胸ぐらを掴み、自分の首をぶんぶんと振ってリンデンの言葉を止める。そんなローズに対してリンデンは「クスクス」と笑う。
「私のですよ」
リンデンは、ローズの両手を取って口付けをする。
「ローズ。再び言います。何度だって言います。どうか、私の妻に」
ローズは困った様な顔をして、リンデンに掴まれている手を引こうとする。リンデンは離さずに、手の甲にキスを落とす。
「今の貴女は、どうですか? 私の事をどう思っていますか? これから先、私と共に生きてくださいますか?」
「……わかりません。正直その……ローズの体に、引っ張られるところがあって。前よりはたくさんではないかもしれないけど、以前のローズはまだちゃんといるんです。そのローズが、リンデン王子に対してドキドキして、胸が、疼くような時があって」
「疼く、ですか……」
リンデンはローズの手を離し、自分の手で口元を覆い隠し、「胸が」と、ごく小さく呟く。
ローズは、リンデンの手から離れて、すぐに冷えていく自分の両手をじっと見詰める。
「あの……」
「何でしょう? 何でも仰って下さい」
「手が」
「手?」
「手が離れると、寂しいです。その……今の私が」
ローズは言いながら両手を差し出す。リンデンはローズの手を取って握るが、それは僅かの間で、ローズを引き寄せて抱き締める。
「こう、抱き締られるのは如何ですか?」
「……嫌ではないです。……あったかい」
「っ!?」
ローズは言いながら、リンデンの胸に顔を押し付けてぐりぐりと動く。リンデンは、そんないつになく積極的なローズに、思わず息を呑む。
「ローズ。では、キスは?」
「キ……」
「したでしょう、あの夜」
「あの時はそれどころじゃ……ん」
抗議をしようと顔を上げたローズの唇を、リンデンがふさぐ。
あの時と同じように、甘味のある魔力回復薬の香りの残る唇をリンデンが舐めると、ローズは驚いて僅かに口を開く。
「……んぅ……ふぅ」
自分の口の中に押し入ってきて、舌も歯も、口の中を全部舐めとろうとしているリンデンの動きに、ローズの腰は堪らず引けてしまう。
今までで一番長いキスの後、リンデンは再びローズの唇を舐めてから離れる。
「もう一度聞くよ、ローズ。キスは?」
「……キス?」
(手を繋ぐと、寂しくない。抱き締め合うと、あたたかい。キスは……?)
ローズはやや惚けた風に、潤んだ瞳でリンデンを見上げて、小首を傾げた。
「……もっと?」
「ッ!!」
「ふにゃ!? ……え?」
ローズの言動に堪える事が出来なくなったリンデンが、ローズを強引に押し倒す。
「あまり……男を煽る事ばかり言うのは、どうだろう? どうしてくれようか」
「あの……」
「ローズ、それ以上は黙って。我慢も限界になる」
リンデンは、ローズの唇を再び塞ごうと顔を近付ける。
その時――
「何!?」
「きゃっ!」
リンデンとローズを襲う、突然の浮遊感。
これまでずっと浮島と化していたスカイブルードラゴンのハレが、二人の体を手で包んで持ち上げたのだ。
『はいそこまで。そっから先は止められないでしょ。ちょっと頭を冷やそうか』
ハレの【念話】が終わるや否や、グンと圧力が掛かり世界が回り出す。
「わぁーー!」
「キャー! キャー! キャアァァーー!!」
ハレはリンデンとローズの二人を手に持ったまま、急上昇、急旋回、急降下のアクロバット飛行を行った。
時間にしては僅か数分だろう。最後に湖面すれすれを水飛沫を上げながら飛行し、湖畔に立てられたテントの近くに着水し、ローズとリンデンの二人を地面に下ろす。
リンデンは口元を抑えて座り込み、テントで二人を待っていたローレルが駆け寄る。
「兄上! 大丈夫か!」
「ちょっと……ムリ……」
「しっかりしてくれ!」
「ローズ、気分は?」
「お兄様! ジェットコースターみたいで楽しかったです!」
「じぇ……? 何?」
「つぇーなー、お嬢ちゃん」
「青の王子」
リンデンの傍らに、人の姿になったハレが立つ。
「その気分の悪さは、耳の周辺に回復魔法を掛けると楽になりますよ」
「……やってみます」
ハレのアドバイスに従って、魔法を使うリンデン。
その間にローズはテントの中を覗き見る。その場にいたのは、ローレル、ホーリー、メイプル、アニキ、シールに護衛の騎士達。それと獅子の獣人だ。
「皆様、何をなさっていたのですか?」
「おー、ヒマだったから『カタヌキ』頂上決戦。この時間には子供も寝てるし、ヨッパライ相手にゃ向かないから、残ってもらったんだ。お嬢ちゃんもやるかい?」
「テキ屋のおっちゃんを泣かせた過去を持つ私に挑戦とはいい度胸だ。受けて立とう」
「勘弁して下さい」
厳つい見た目に反して丁寧に頭を下げる『カタヌキ』店主の獅子系獣人。何故かすでに涙目だ。
「あ! メイプル鞄を」
「ただ今お持ちします」
ローズはテントの片隅に置かれていた鞄を受け取る。中から、以前友人達の前で火属性魔石を用いて作ったアイテムを取り出す。
「ハレさん、お世話になったお礼です。宜しかったら如何ですかですか?」
「こ、これは……」
「こんな物まで。さすがは『職人』です」
「おーし、勝負すっぞ、勝負。最後まで残った奴が勝ちな。俺はあえて三本同時に着火」
「なんの。漢なら五本いっとくべきでしょう」
「私は普通で、一本でいいよ」
(……。異世界に転生した元・日本人のドラゴン達が景勝地で『線香花火』勝負とか。よく考えたらすごい絵ヅラだな)
湖畔でのパーティーが決まった後、皆で楽しめたらと各種手持ち花火もコツコツ作り続けた為に、この場にいる全員が十分に遊べる量がある。自然と、皆で花火という流れになった。
案の定、直ぐにポタリと落ちて線香花火勝負に負けたアニキとシールのドラゴン親子は、護衛の為に立って見守っている騎士達の足元で『ヘビ花火』を大量に着火するという、嫌がらせのような地味な遊びにシフトしていった。
ローズも、復活したリンデンと共に、しっぽりと線香花火を楽しんでいた。
「で、結局のところどうなったんだい?」
「首尾良くいったのか、兄上?」
二人に話し掛けてきたのは、ホーリーとローレル。
(あ、プロポーズの返事はしてないな)
(いやでも、決定事項だと言うし、断れないものをどうしろと)
ローズは首を捻って考え込んでしまう。
リンデンはそんなローズを横目に見ながら、新しい線香花火に火を点ける。
「……都合のいいように解釈します」
「何ですか、ソレは? ご説明頂けますか? リンデン王子」
「それは結局どうなんだ、兄上。結果としてセレステブルー湖に来て正解だったが、反対意見を振り切ったり、ここまで色々とやらかして行き着いたのはそこなのか?」
「カミさんは一部始終聞いてたんだろう。どうだったの? リンちゃんの『プロポーズ大作戦』は」
「……試合に負けて、勝負には八百長込みで勝ちの判定に持ち掛けている。といった感じでしょうか?」
「わからん。結局どっちなんだ?」
「負けてはいません」
「リンちゃんさんの今のセリフは、ネットなら『キリッ』と顔文字ですねぇ」
「何と言うか、青の王子は“ザンネンと情熱の狭間で”って感じ?」
「ローズは、リンデン王子に不満はないのかい?」
「何故不満から言わせるんですか、ホーリー。それでは勝ち目が減ってしまって、ダメでしょう!」
『ダメなんだ。っていうか自覚があったのか……』
リンデンを除く、全員の心が一つになった。
その後はやや静かに花火を楽しみ、撤収作業の後、全員で『ガンバン』に向かった。
ドラゴン達も踊りを楽しむつもりで、見た感じははしゃいでいる。
(いや、というか、その指と指の間に複数本挟んだライトはなんだ、シールさんよ。あなたの考える踊りは、こちらの人達には『ポカーン』だぜ、きっと)
(アニキもハレさんも。「何歌おうか」って、オールでカラオケと違うんだからね!)
ツッコんだ方がいいのだろうか。何だかんだ言って、設備だけなら揃っていそうだ。それはそれで面白そうかと、黙って見守る事にするローズ。ふと、自分の横を歩くリンデンが、静かに沈んでいるように思えた。
ローズは、湖面での遣り取りを思い出し、返事の代わりではないが、自分からリンデンの手を取って握り締めた。
驚き、戸惑いの表情を浮かべて、ローズを見るリンデン。ローズはそれに「しょうがないな」とでも言いたげな、はにかんだ微笑みを返す。
(少しずつ、歩み寄っていけたら……)
リンデンは握られているローズの手を持ち上げて、口付けを落とす。
二人の遣り取りに気付いて見守っている一行は、『やれやれ』と互いに感想を抱き、目配せをしあう。
その後、『ガンバン』に着いたリンデンが、そのままローズを寝室に連れ込もうとしてローレルに拘束され、
「だからダメなんです」
と、諭すように言ったホーリーの言葉に、見ていた全員が無言で頷いたりした。
★★★
翌日。『ガンバン』の大広間で、フォレスト・フェザー両国の友好式典が行われた。
フェザー王国第三王子ファルコンと、マクローリン公爵家令嬢オーキッドの婚約。
フォレスト王国第二王子ローレルと、フェザー王国第一王女スワンの婚約。
両国の王族の婚約が発表されて、参列者が見守る中、二組の男女が必要書類に署名を行った。
その影で、リンデンがローズに“いい笑顔”で書類を差し出し、静かなる攻防の後、リンデンとローズの婚約に関しての書類にも署名がされた。
「後は万事、私に任せて下さい」
サインの済んだ書類を見た後で満面の笑みを浮かべたリンデンに対し、(それアカンやつや)という言葉を口に出すのは、懸命に呑み込んだローズだった。




