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「メイドの手記」の外側に  作者: 稲見晶
枝分かれした物語(パラレル、イフ設定など)
9/12

母性というもの(上)

「もしロザリーが女性だったら」というパラレルストーリーです。

「イラ。君の結婚相手を探しにいくよ」

 ある早春の晩に、ロザリー様は突然そうおっしゃいました。ロザリー様の、その白く艶美なお顔とたおやかな振る舞いからは想像しがたい凛然とした口調はいつものことでしたが、私はそのお話の中身に驚いてしまいました。

 何も申し上げられずにぽかんとしていると、ロザリー様は「君もそろそろ社交界に出てもいい年頃だろう」と続けられました。


「ロザリー様、あの、社交界とは……?」

 ロザリー様は少し首を傾げられました。下ろされていた長い黒髪が揺れました。

「聞いたことはないかな。貴族が結婚相手を探したり、喋ったりするための集まりだよ」

「それは、存じておりますが……。私が、そこに……?」

「そうだよ」

 ロザリー様はあっさりと笑ってうなずかれます。


「ロザリー様、私はただのメイドでございます。そのような場所になど参れません」

 困惑しきってしまって、思わず後ずさりました。

「大丈夫さ。私の娘ということにすれば問題ない。私が確かに産んだと言い張れば、追求する者もないだろう」

 ロザリー様は唇を持ち上げられました。そのお言葉は私の戸惑いに追い討ちをかけるばかりでした。

「いいえ、そのような畏れ多いことなど、とても……!」

 一刻も早く部屋に下がりたい気分でじりじりと扉に近付きます。

「とはいえ、いつまでも私に仕えているわけにもいかないだろう。この屋敷に二人も行き遅れを置いておくことはない」

 私はひたすらに首を横に振りました。ロザリー様はお気になさるご様子もなく続けられました。

「このような場所にこもっていては出会いもないだろうし、それならば宴の場で一気にけりをつけてしまおうじゃないか」


 それに、とロザリー様は灰色の瞳に笑みを浮かべられました。私は不安な予感で胸を一杯にしながらその唇が開かれるのを待ちました。

「もう返事は出してしまっているからね。適齢期の娘が来るのを心待ちにしている男たちが大勢いるはずだよ」

 私はしばらくそのお言葉の意味を考え、恥ずかしさに手で顔を覆いました。

「君のように可愛い娘なら、引く手あまたに決まっているさ。安心しておいで」

 ロザリー様は愉快そうにおっしゃいました。


 一夜が明けて少し冷静になってから、ロザリー様に反論を試みました。

「ロザリー様、あの、やはり私がロザリー様の娘というのは、難しいのではないかと……」

「なぜだい?」

 ロザリー様は朝食の手を止めて不思議そうな顔で私をご覧になりました。

「髪の色も、目の色も似ておりませんし、とても親子には――」

 ロザリー様はふと私に寂しげな笑みを向けられました。

「……君は亡くなった夫にそっくりだよ」

 すっかり面食らってしまいました。旦那様の事など今まで一度もうかがったことはありませんでした。

「ご結婚なさっていたのですか?」

「ああ。君が生まれる少し前に事故で逝ってしまったけれどね。忘れ形見である君を支えに、これまでなんとか頑張ってきたんだ」

 後半のお言葉に違和感を覚えました。私はライラックの下で拾われ、しばらくは王城で育てられたと聞いていたものですから。

 失礼にあたるかもしれないとは思いつつ、おそるおそるお尋ねいたしました。

「あの、ロザリー様……。そのお話は本当でございますか?」

「……書類上はね」

 ロザリー様のおっしゃっていることがよく理解できず、私はさらに詳しいことをお訊きしました。


「このように女性がひとりで屋敷を持つのは色々と面倒でね。少しばかり王と共謀して、架空の夫を作り上げてしまった」

「……そうでございましたか」

「先ほども言ったけれど、君が生まれる前に亡くなったことにしているから、君は何も気にしなくていい。ああ、名前くらいは教えておいた方がいいかな。トレイシーというんだ」

 ロザリー様の架空の旦那様のお話に衝撃を受けて、申し上げたかった本筋を忘れてしまいました。

 そして「私がいつまでも未亡人でいるせいで娘まで婚期を逃したと言われるのも癪だからね」というロザリー様のお言葉もあり、戸惑っているうちに着々と支度は整ってしまいました。


 ロザリー様は「大丈夫さ。君は花も恥じらう可憐な乙女なのだから、にこにこ笑っていればいい。何かあれば今は亡き夫の力も借りながら、私がなんとか切り抜けてみせよう」と、不安がるばかりの私を励ましてくださいました。

 そのお言葉に、今どころか過去のどこにも存在していらっしゃらなかった「お父様」を思い、少し笑ってしまいました。

「そう、その顔だよ」

 ロザリー様は白く冷たい指先で私の頬を軽くつつかれました。


 ついに宴の夜が訪れてしまいました。

「イラ、力加減がよくわからないから、痛かったら言っておくれ」

「はい」

 ロザリー様は私がドレスを着るのを手伝ってくださいました。

「少し苦しいだろうけれど大丈夫かい。慣れていないと動くのも大変だろう」

 コルセットを締め、紐が背中で結ばれるのがわかりました。ロザリー様を振り返ろうとしたとき、ほとんど露わな肩に冷たい手が触れました。

「若い娘の肌のきめ細かさは羨ましい限りだね。今晩は化粧代わりに君の血にあやからせてもらうこととしようかな」

 指先が首筋を撫で上げます。くすぐったいのともまた違う、なんとも言い難いぞくりとする感覚が走りました。

「はい、ロザリー様……」

 ロザリー様がそれをお望みになるのならば、と顔をうつむけて首筋を向けます。ロザリー様の唇が近づくのが感じられました。吐息が肌を撫でました。


 突然に背後で笑い声がしました。

「すまないね、君をからかっただけだよ。この大事な夜に、そのような誤解を招きかねない跡など付けられるものか」

「ロザリー様……」と私はため息をつきました。そうして「……誤解、とはどのような?」とお尋ねいたしました。

 少し間の空いた後、ロザリー様は再び声をあげて笑われ、「君にはまだ早かったかな。気にしないでおいで」とおっしゃいました。


 次いで私もロザリー様がドレスをお召しになるのをお手伝いいたしました。

 えんじ色のドレスはロザリー様の白い肌をとても魅力的に引き立たせていました。モチーフは薔薇で、私のライラックのドレスとは印象は異なりましたが、もとのシルエットは同じものでした。

 ロザリー様と似たドレスを着られることは晴れがましいような、少し気恥ずかしいような気分でした。


 飾りを少なく抑えたロザリー様のドレスと比べると、私のものには花飾りやレース、それに宝石がたっぷりと使われていました。

 そのことが気になってしまって申し上げると、ロザリー様はくすりと笑われました。

「今夜の主役は君だからね。私はただの引き立て役だよ」

 私はほとんどロザリーに見とれてしまいながらも首を横に振りました。

 ロザリー様は最後に、ライラックの香水を私の首の後ろに付けてくださいました。


 宴の開かれる貴族の屋敷で、私は不安に胸をどきどきさせながらロザリー様にほとんどぴたりとくっついていました。このように多くの人が集まっているのを見るのは初めてでした。

 広間の中では明るい音楽が演奏されていました。

 ロザリー様は立ち居振る舞いの優雅さこそお変わりありませんでしたが、いつもの凛としたご様子を潜め、すっかりとなよやかな貴婦人の物腰でいらっしゃいました。


 たとえば栗色の髪をした、やや年配の紳士がロザリー様に話しかけました。男の人はロザリー様や私に比べるとずいぶんと大きく、私は少し怯えを感じて目を伏せました。

 彼は「貴女にお目にかかれるとは、珍しいこともあるものですね」とロザリー様に言いました。

「夫を亡くしてからというもの、このような場所へ参る気もすっかりと失せてしまって……。けれども、娘もそろそろ年頃ですので……」

 ロザリー様はほんのわずかな寂しさを声音に滲ませながらお応えになりました。

「イラ、ご挨拶を」

 私は練習していた通りに挨拶の言葉を述べました。緊張で声が震えているのが自分でもわかりました。

「申し訳ございません、閣下。父親というものがいないせいか、殿方にはあまり慣れていないようで……」

「いいや、清楚でかわいらしいお嬢様だ。私も独身であれば奮って結婚を申し込みましたよ」

「まあ、光栄ですわ」

 それから二言三言を交わして、話は終わりました。


「私の後ろにくっついていなくてもいいのだよ。気になる男性がいたらそれとなく近寄ってみればいい」

 ロザリー様はこっそりと私に耳打ちなさいました。顔が赤くなるのがわかりました。

「いいえ、そんな……」

「私もこのような場所で顔が利くわけではないからね。けれども逆に考えればしがらみがないとも言えるし、良い相手をしっかりつかまえておいで」

 私はうつむいて首を横に振りました。


 これまで接したことのない多くの男の人よりも、私は広間に絶え間なく流れ続ける音楽に心を惹かれていました。

 少しずつ少しずつ音色の聞こえる方へと足を進めます。たどり着いた部屋の端には、これまで見たこともないほどに大きな楽器が置かれていました。その前に座って一心に曲を奏でていたのは、金の巻き毛をもった若い男性でした。精巧な人形と見紛うばかりに美しい顔をしていました。

 彼は口元に静かなほほえみを浮かべて鍵盤に白い指を落としていました。その横顔と生み出される優美な旋律に、私は見とれてしまいました。


「イラ」

 いつの間にかロザリー様から離れてしまっていました。顔を上げると、ロザリー様がこちらへ向かっていらっしゃいます。

「申し訳ありません、お母様」

 ロザリー様は「構わないよ」とおっしゃってくださいました。

「いい人は見つかったかい?」

「いえ……」と答えながらも、つい音楽を奏で続けている彼を意識してしまいました。


「それなら、誰かの紹介を……」とロザリー様は辺りを見渡されました。不意にその眉が曇りました。

「……イラ、少し来なさい」

 こっそりと壁沿いに進んで楽器から離れます。ロザリー様は少し身を屈められて、低くささやかれました。

「今、楽器を演奏している男性がいるだろう? 彼には絶対に近付いてはいけないよ。常に彼の手が届かないような距離を保っていなさい。うっかり関わりを持ってしまっては、君の人生の汚点になる」

 すっかり驚いてしまいました。ロザリー様はあの方とお知り合いなのでしょうか。

「なぜ……ですか」

「……彼は私の人生にとっても汚点のひとつだからだよ」

 ロザリー様は今にも彼をつまみ出してほしいとでも言いたげな苦々しい表情をなさいました。よほどのことがあったのだろうと感じて私はうなずきました。


 それからはロザリー様と共に何人かの男性と挨拶を交わしました。目の前に現れる人々の顔は目まぐるしく移り変わり、とても覚えていられないほどでした。

 帰りの馬車の中ではすっかりくたびれ果てていました。ずっと笑みを作っていたせいで、頬が固く強張ってしまっていました。

「きちんと令嬢の振る舞いが身に付いていたじゃないか。今晩の成果が届くのが楽しみだね」

 ロザリー様は私を元気づけるようにそうおっしゃってくださいました。


 季節が変わる頃になって、何通かの手紙がお屋敷に届きました。それらはあの夜会で出会った人たちからで、私との結婚を申し込むものだったそうです。

「さて、彼は誰だったろうね……。覚えているかい?」

 ロザリー様からの問いかけに、私は首を横に振るばかりでした。ロザリー様は少し肩をすくめられましたが、それでも王との手紙のやり取りなどを通じて、私の嫁ぎ先を選んでくださいました。

 それはナッシュガルト家という子爵の家でした。夫となる人はブライアンという名で、背が高く、青空のような色の目をしていました。

 

 縁談は滞りもなく進みました。何度か顔を合わせたブライアンは、私を見つめてはまっすぐな声で情熱的な言葉をくれました。

 私はその度に戸惑うばかりでしたが、彼の快活な笑顔に次第に打ち解けていきました。


 ある晩に私はお屋敷でロザリー様と向かい合っていました。もう婚礼の日も間近に迫る頃のことでした。

「君がいないと、少し寂しくなってしまうね」

「ロザリー様……」

 この広いお屋敷にたったひとりで暮らし続けるロザリー様のお姿を想像し、胸が締め付けられました。


 ロザリー様は「いや」と一度つぶやき、笑顔を見せてくださいました。

「これまでずっと一人だったんだ。これからも私は一人でやっていけるさ。君を心から祝福するよ。イラ、どうか幸せにおなり」

 その温かなお声に、涙がこみ上げました。

「ロザリー様……、私は、ずっと、幸せでした……。ロザリー様と、一緒にいられて……」

 しゃくりあげながらも、なんとか言葉をお伝えしようとしました。

 ロザリー様が椅子を立って歩いていらっしゃいます。優しく柔らかく、私の頭を胸に抱いてくださいました。うつむけた黒い髪が触れました。

「イラ。夫も持たず、子を生すこともできない私のもとへ来てくれてありがとう。君という娘を持てたことは、私の永い生涯の中でも、いちばんの誇りだよ」

 私はロザリー様に抱きついて、子供のように泣きじゃくりました。


 ようやく涙が収まってきました。ロザリー様は私の頭を撫でてくださいました。

「……もしも、もしもの話だよ。向こうに嫁いで、どうしても辛いことがあれば、いつでも帰っておいで。私はいつまでもここにいるから。その時には、一緒に修道院のような生活を送ろうじゃないか」

 私は泣き濡れた頬でロザリー様を見上げ、少しだけ笑いました。ロザリー様は「このことは二人だけの秘密だよ」と人差し指を唇に当てられました。私も「はい」と同じ仕草をお返しいたしました。

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