第53話 英雄の証言
返還された脱出石は、地方神殿の救護人、独立記録院の立会人、地下の記録係の三者が揃うまで封印を解かなかった。
マリエルから私へ返された、という二人だけの物語にしてはいけない。いつ、どの装置から外され、誰が運び、どこで保管したか。その来歴ごと、裁判へ渡す証拠だ。
耐火布が開かれる。
私の境界目印が、石の奥で弱く光った。
帰還門の前で生き延びるために握っていたはずの石。
奪われ、遺品にされ、偽りの奇跡へ使われた。それが今、ようやく私の前へ戻ってきた。
私は石を胸へ抱かなかった。
証拠台の上で、自分の魔力紋との一致だけを確認する。
「本人所有物であることを確認します。返還は受けますが、審理が終わるまで共同保全を続けてください」
エドガーは、地方神殿の混成監視下にいた。
王家の英雄として市民へ語りかけるため、彼には専用の放送認証が与えられている。国葬で『彼女は笑っていた』と告げた声を、王都全域へ届けた回路だ。
王家はまだその認証を失効させていなかった。公に失効させれば、悲劇の騎士が王家へ背いたと認めることになるからだ。
脱出石は、追悼設備と大奇跡装置を通じ、王都の公共受信板へ繋がっている。
私の目印で石の接続を開き、エドガーの英雄認証で放送網を起動する。皮肉な組み合わせだった。
「許可するかどうかを、私へ決めさせないで」
私は神殿側の責任者へ言った。
「証言設備の使用条件に合うか、記録保全と市民の安全に問題がないかで判断してください。彼が私へ謝りたいかは関係ありません」
審査の結果、放送は許可された。
エドガーは拘束を解かれないまま、証言台へ立った。剣も勲章もない。机には、すでに署名した供述書と、記憶庫の認証写しが置かれている。
王都の受信板に、彼の声が流れた。
『私は、エドガー・ヴァレンです。これから話すことは、王家が用意した文書ではありません。私自身が行い、見て、署名したことです』
彼はまず、私へ投票したと認めた。
『リディアは、自分から残ると言っていません。「同意していない」「死にたくない」と拒絶しました。私はその声を聞きながら、門へ向かおうとする彼女の両腕を背後から押さえました』
広場で彼を称えた市民たちが、無言で受信板を見上げている。
『マリエルが脱出石を奪うのを止めず、私は自分だけ帰還門を通りました。地上へ戻った後、彼女が自発的に残ったという共同証言へ署名しました。国葬では、「彼女は最後まで笑っていた」「皆をお願いと言った」と、事実ではない言葉を私自身の声で語りました』
エドガーは言い訳を挟まなかった。
『私は王太子の事前計画も、装置撤去も知りませんでした。ですが、知らなかったことは、私が危機の場で彼女を選び、拘束し、後から嘘を語った責任を消しません』
次に、監察局の受領簿が示された。
ネラが国葬後に送った質問状。その封筒の裏には、エドガーの提出印がある。宮廷監察局の欄には、『動向確認要。英雄譚を損なう疑義の拡散を防止』と記されていた。
『私は、ネラから受け取った質問状を監察局へ渡しました。彼女を逮捕させるつもりはないと、自分へ言い聞かせました。ですが、その提出が監視と解雇の端緒になりました。これも、私が地上へ戻った後、自分で選んだ加害です』
私はそれを初めて知った。
ネラは、私を正しく覚えていたために仕事を失い、監視された。その入口を作ったのも、エドガーだった。
胸の奥に冷たい怒りが湧く。
けれど、いま彼へ許すとも、許さないとも答える必要はない。
これは恋人同士の告白ではなく、公の証言だ。
エドガーの放送に続き、十三人の生還者へ公開回答の要求が送られた。
反応は分かれた。
結界術師セリーヌと薬師イネスは、自分がリディア票を入れ、虚偽証言へ署名したと認めた。
重装戦士オスカーは「結果として十三人を救った判断は正しかった」と主張し、偽造があっても自分の票は変わらないと言った。
弓術士ミレーヌは、「自分一人が反対しても結果は変わらなかった」と繰り返した。
聖騎士ヒューゴは退路を塞いだ事実を否認したが、帰還門の接触記録とほかの証言が反証した。
斥候ブラムは回答せず、ダリオは王家の保護下へ入ろうとして拘束された。レオナードは、事前計画と命令原本について黙秘を選んだ。
そして、地図師テオから短い通信が入った。
『最後の一票について、証言する』
未開票のまま焼かれた票。
これまで、誰が投じ、何と書いたかはわからなかった。
テオは王都外の小さな記録院へ出頭し、立会人の前で語った。
『最後の票は、私が投じた。私はリディア以外の名を書いた』
投票札そのものは焼かれている。だが、彼の本人魔力紋は、十四接触痕のうち最後まで内容不明だった正規の痕と一致した。
これで内訳が確定した。
真正なリディア票は十二。
私の票は王太子へ。クレマンがそれを抜き、偽造のリディア票へ差し替えた。
最後のテオの票だけが、私以外へ投じられていた。
『だが、私は開票に異議を唱えなかった』
テオは続けた。
『リディアが拘束され、石を奪われるのを見ながら門を通った。地上では、彼女が志願したという共同証言へ署名した。自分は票を入れていないという事実を、沈黙するための言い訳に使った』
彼が私へ投票しなかったことは、置き去りを止めなかった責任を消さない。
同時に、十三人全員が私を選んだという王家の物語も崩れた。
北棟の守備兵はクレマンの秘密移送命令を拒み、処刑待機房を施錠したまま監視付きの証言回線を開いた。クレマンはそこで、投票箱を開け、私の札を抜き、偽造票を入れたことを認めた。ヴァルターも地下側の公開回線で、正常な位相環を外し、帰還後に兵器へ転用したと証言する。
二人とも、王命を理由に無罪を求めることは許されない。その供述は、命令者と実行者を分けて裁くために記録された。
私は一連の証言を、王太子府の命令原本、国王承認印、装置報告書と束ねた。
そして、宮殿外門を守る兵士たちの受信板へ送った。
「あなたたちに、私へ忠誠を誓えとは言いません」
私は呼びかけた。
「ただ、いま従っている命令が、何を隠すためのものか確認してください。武器を置く者には退路と審理を保障します。市民へ向けて撃たないと決めるなら、門を開けて」
すぐには動かなかった。
宮殿の壁上では、王太子直属隊と通常の守備兵が言い争っている。
やがて、一人の守備兵が槍を床へ置いた。
次に二人。十人。
外門の内側で、重い閂が外される音がした。
王家の英雄本人による証言が、王家を守る最後の門を内側から開いた。
私はミハルと地下・地上双方の立会人を伴い、開いた門をくぐった。
門楼の広間では、通常守備兵が王太子直属隊から武器を取り上げていた。その中央に、レオナードが立っている。まだ王太子の外套を着け、拘束具もはめられていない。だが、彼の命令で門を閉じ直そうとする兵はもういなかった。
「リディア・フェルゼン」
帰還門で私を残すと決めた時と、変わらない声だった。
「地上と地下を軍事衝突へ巻き込み、ようやく自分の一票を取り戻したか」
「私の一票だけの話ではありません」
私は彼との間に距離を残したまま、ミハルへ記録を続けるよう合図した。
「あの投票は、何を決めるためのものだったのですか」
レオナードは、周囲の受信板がまだ生きていることを見た。逃げるように黙ることも、弁明を叫ぶこともしなかった。
「帰還させる十三人は、任務前から決まっていた」
広間の兵士たちが息を呑む。
「投票で結果を変えるつもりはなかった。王太子が一人を指名した形にすれば、生還者は責任を私一人へ押しつける。十三人自身に札を書かせれば、全員が同じ決定を守る側になる」
「責任を分けたのではないわ。あなたが決めた犠牲へ、十三人を加担させたのです」
「それで十三人は帰った」
レオナードの視線には、今も迷いがなかった。
「君は深層へ入るためにも、壊れた門を維持するためにも最も有能だった。後援は弱く、エドガーは王国騎士として命令に従う。任務を成立させる配置として、君を評価した」
「評価したと言うなら、私の拒絶も一人分の判断として数えるべきでした」
「個人の拒絶で国家の任務は止められない」
「なら、なぜ私の票を偽造したのですか」
初めて、レオナードの返答が一呼吸遅れた。
「十二票で結果は決していた。私の票を残しても、帰還人数は変わらない。それでもあなたは、私があなたの名を書いた事実を消した」
私は一歩だけ前へ出た。
「あなたが恐れたのは結果ではない。生贄にされる本人が、決めた側の責任を指し示した記録です。だから拒絶を錯乱に変え、投票を総意に見せた」
「統治には、残すものと切るものを決める者が要る」
「あなたがしたのは決断ではありません。使える装置を先に壊し、拒絶を偽造し、その責任を仲間へ配った。選択肢を奪ってから犠牲を必要だったと言っただけです」
レオナードの顔から、初めて王太子としての静けさがわずかに剥がれた。
通常守備隊長が彼の剣を外し、両手へ拘束具をかける。
「私を処刑するか、奈落の女王」
「私一人では決めません。あなたは生きて、公開の審理で同じ事実に答えてください」
レオナードが連行される。
その瞬間、宮殿地下から金色の光が立ち上がった。
国王オズヴァルトが、星脈炉の血統鍵を最大出力で作動させたのだ。
王都の水道灯、施療院の蓄積器、王門の円環が一斉に明滅する。
地下からも、水脈核の補助弁が一斉に止まり、圧力が急落したという警報が届いた。
追い詰められた国王は、地上と地下の生命線そのものを人質に取った。




