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10. 廃棄・撤去・粗大ゴミ化するメガソーラー

 メガソーラーの問題は、設置した瞬間には見えにくい。


 完成直後のメガソーラーは、整然と並ぶ太陽光パネル、再生可能エネルギー、CO₂削減、地域の有効活用といった言葉で語られる。しかし、発電設備には必ず寿命がある。太陽光パネルも、パワーコンディショナーも、配線も、架台も、接続箱も、監視システムも、永遠には使えない。


 そのため、メガソーラーは設置時だけでなく、終わるときまで含めて評価しなければならない。


 太陽光パネルの寿命は一般に二十五年から三十年程度とされ、FIT制度によって急増した太陽光発電設備は、二〇四〇年頃から大量廃棄の時期を迎えると見込まれている。資源エネルギー庁も、FIT開始後に導入された太陽光発電事業が二〇四〇年頃には終了し、パネルを含む廃棄物問題が発生すると説明している。


 さらに環境省・経産省系の資料では、使用済み太陽光パネルの排出量は二〇三〇年代後半以降に顕著に増え、年間最大五十万トン程度になるとされている。現行法ではリサイクルが十分に義務化されていないため、最終処分場の残余容量を圧迫し、廃棄物処理全体に支障が出るおそれも指摘されている。

 

 つまり、これは空想上の不安ではない。

 すでに行政側も、将来の大量廃棄を政策課題として認識している。


 メガソーラーを設置するということは、将来撤去しなければならない大量の人工物を、あらかじめ国土に置くということでもある。発電している間は設備である。しかし、採算が落ち、発電効率が下がり、部品が劣化し、撤去費用が不足し、事業者が撤退すれば、それは発電設備ではなく、広大な土地に固定された産業廃棄物へと変わる。


 この意味で、出口設計のないメガソーラーは、将来の粗大ゴミを前借りで設置しているようなものである。


 もちろん、制度上は対策も進められている。二〇二二年七月からは、FIT・FIP制度を利用する一定規模以上の太陽光発電設備について、廃棄等費用の積立制度が始まっている。資源エネルギー庁の資料でも、この制度は発電事業終了後の放置・不法投棄対策を主な目的としている。


 しかし、制度があることと、問題が消えることは別である。


 廃棄費用の積立制度は重要である。


 だが、それは万能ではない。


 第一に、積立制度は主にFIT・FIP制度の枠内で設計されている。今後増える非FIT・非FIP設備への対応、制度対象外の設備、事業途中での災害・故障・撤去、事業者の資金繰り悪化など、すべてのリスクを完全に処理できるわけではない。環境省資料でも、非FIT・非FIP設備への対応や、事業終了後の放置など不適正管理への懸念が示されている。


 第二に、積立があるとしても、それが実際の撤去費用、運搬費用、処分費用、原状回復費用を十分に賄えるとは限らない。撤去費用は、設置場所、規模、地形、設備の状態、災害被害の有無、処分方法、リサイクル費用、運搬距離によって変わる。山林や斜面、高原、火災跡地、伐採跡地に設置されたメガソーラーでは、単にパネルを外すだけでは済まない。架台、基礎、配線、フェンス、管理道路、排水設備まで撤去し、必要なら土地を安定させる必要がある。


 第三に、太陽光パネルのリサイクルは、制度面でもコスト面でも未完成の部分がある。経産省資料では、太陽光パネルは有用金属を含み資源循環の観点からリサイクルが重要だが、リサイクルコストは依然として高く、リサイクル処理を行うインセンティブ構造になっていないという課題が示されている。


 つまり、理想としてはリサイクルすべきでも、現実には安い埋立処分や不十分な処理へ流れる可能性がある。環境省資料でも、リサイクルより安価な埋立処分が選択され、十分な再資源化が行われていない課題が示されている。


 ここで重要なのは、メガソーラーの廃棄問題が「パネルだけ」の問題ではないという点である。


 撤去対象になるのは、太陽光パネルだけではない。


 パネル。架台。基礎。杭。配線。接続箱。パワーコンディショナー。変圧器。フェンス。監視カメラ。通信設備。管理道路。排水設備。


 メガソーラーは、広い土地に大量の設備を並べる事業である。したがって、終わるときには、広い土地から大量の設備を取り除かなければならない。撤去後も、土地が元に戻るとは限らない。特に山林や斜面、自然回復の余地があった土地では、長年の設置によって植生、水の流れ、土壌、景観が変わっている可能性がある。


 撤去とは、パネルを外して終わりではない。


 土地の後始末まで含めて撤去である。


 ここが住宅用太陽光や屋根上太陽光との大きな違いである。屋根上太陽光なら、既存の建物の上に設置されるため、土地そのものの改変は小さい。しかしメガソーラーでは、土地を発電設備用に作り替えている。したがって、設備の終わりは、土地利用の終わりでもある。


 発電事業が終わった後、その土地をどうするのか。


 再び森林に戻すのか。

 草地として回復させるのか。

 農地に戻すのか。

 更地として放置するのか。

 別の開発に転用するのか。

 排水設備や地盤の安全性は維持されるのか。


 この出口が曖昧なまま設置を許せば、地域は将来の問題を抱え込むことになる。


 実際、政府資料でも、太陽光発電事業は参入障壁が低く、事業主体の変更も起こりやすいため、発電事業終了後に設備が放置・不法投棄される懸念が示されている。さらに太陽光パネルには鉛やセレンなど有害物質を含むものがあることも、適正処理の必要性を高める要素として挙げられている。


 ここでいう「粗大ゴミ化」とは、単に見た目が悪くなるという意味ではない。


 それは、発電設備としての役割を失った後も、撤去・処分・原状回復に費用と労力を必要とする人工物が、土地に残り続けるという意味である。


 採算が取れている間は、事業者は設備を管理する。


 売電収入がある間は、保守費も出しやすい。


 制度上の支援がある間は、事業として成立しやすい。


 しかし、売電価格が下がる。

 設備が劣化する。

 発電量が落ちる。

 修理費が増える。

 盗難が起きる。

 災害で壊れる。

 部品が手に入らない。

 撤去費用が高騰する。

 事業者が撤退する。


 この段階に入ると、設備は利益を生む資産ではなく、費用を発生させる負債になる。


 この転換点が危険である。


 メガソーラーは、発電している間は「再エネ設備」として扱われる。


 しかし、発電できなくなり、修理にも撤去にも金がかかる段階に入れば、それは「廃棄物予備軍」である。


 しかも、これは一施設だけの問題ではない。


 全国で大量に設置された太陽光設備が、同じ時期に寿命を迎える。


 二〇三〇年代後半から二〇四〇年代にかけて、排出量が大きく増えると見込まれている以上、処理能力、リサイクル体制、運搬体制、処分場容量、費用負担の問題は一斉に表面化する可能性がある。


 メガソーラーの廃棄問題は、時間差で発生する社会的コストである。


 設置時には、発電量が語られる。

 CO₂削減が語られる。

 地域貢献が語られる。

 企業の環境対策が語られる。

 だが、撤去時には別の現実が来る。

 誰が撤去するのか。

 費用は足りるのか。

 事業者は残っているのか。

 土地所有者は責任を負えるのか。

 自治体は対応できるのか。

 リサイクル施設は足りるのか。

 不法投棄や放置を防げるのか。

 災害で壊れた設備をどう処理するのか。

 有害物質や破損パネルを適切に扱えるのか。


 この問いに答えないまま、メガソーラーを増やすことは危うい。


 特に問題なのは、利益を得る時期と、負担が発生する時期がずれていることである。


 建設時に利益を得る業者がいる。

 売電期間中に利益を得る事業者がいる。

 部材販売で利益を得る輸入業者がいる。

 保守契約で利益を得る業者がいる。

 土地賃料を得る所有者がいる。


 しかし、廃棄・撤去・原状回復の問題は、二十年後、三十年後に重くなる。


 そのとき、最初に利益を得た者が同じ責任を負うとは限らない。


 ここに、メガソーラーの構造的な危うさがある。


 利益は先に出る。負担は後から来る。


 利益は特定主体に集中する。


 負担は地域、自治体、将来世代に押し出される可能性がある。


 これが起きるなら、メガソーラーは持続可能な発電事業ではなく、将来負担の先送りである。


 さらに、廃棄・撤去の段階でも供給網と利権構造は残る。


 処分業者。運搬業者。解体業者。リサイクル業者。中古パネル流通業者。廃棄物処理業者。保険会社。行政手続き代行業者。


 メガソーラーは、設置時だけでなく、終わるときにも新たな金の流れを作る。これ自体は産業活動として当然の側面もあるが、問題は、その費用が最初から十分に設計されているかである。出口でまた別の利権や費用負担が生まれ、地域が後始末に巻き込まれるなら、事業全体の合理性は疑わしくなる。


 廃棄・撤去を考えないメガソーラー評価は、半分しか見ていない。


 発電設備は、設置して終わりではない。


 使って終わりでもない。


 最後に取り除き、処理し、土地をどうするかまで含めて一つの事業である。


 もし、撤去費用が足りない。

 処分先が足りない。

 リサイクルコストが高い。

 事業者が消える。

 土地所有者が対応できない。

 自治体が後始末に巻き込まれる。

 設備が放置される。


 こうなれば、メガソーラーは環境対策ではなく、国土に置かれた将来廃棄物である。


 もちろん、すべてのメガソーラーが必ず放置されるわけではない。


 適正に管理され、撤去費用が確保され、リサイクル体制が整い、土地が適切に回復されるなら、問題は小さくできる。


 だが、問題を小さくできることと、問題が存在しないことは違う。


 現に行政資料では、放置・不法投棄への懸念、廃棄費用確保、リサイクルコスト、処理能力、非FIT設備への対応などが課題として扱われている。これは、廃棄・撤去問題が制度的にも未解決の部分を持つことを示している。


 したがって、日本でメガソーラーを評価するなら、少なくとも次の条件を満たす必要がある。


 撤去費用が現実的に積み立てられていること。


 事業者倒産時にも撤去責任が消えないこと。


 土地所有者と事業者の責任分担が明確であること。


 廃棄物処理・リサイクルの経路が確保されていること。


 災害で壊れた場合の処理計画があること。


 パネルだけでなく、架台・基礎・配線・フェンス・道路・排水設備まで撤去対象としていること。


 土地の原状回復、または自然回復の方針が明確であること。


 自治体や地域住民に後始末を押しつけないこと。


 この条件を満たせないメガソーラーは、将来の粗大ゴミ化リスクを抱えている。


 メガソーラーは、見方を変えれば、国土の上に大量の将来廃棄物を並べる事業である。

 発電している間だけを見れば、再エネ設備である。


 しかし、寿命を迎え、採算が崩れ、撤去責任が曖昧になれば、それは国土に残る負債になる。


 環境対策を名乗るなら、最後まで責任を持たなければならない。


 設置時のCO₂削減だけでなく、廃棄時の処理負担まで見る必要がある。


 発電時の美しい数字だけでなく、撤去時の泥臭い現実まで見る必要がある。


 メガソーラーの本当の評価は、設置したときではなく、撤去するときに明らかになる。


 そのとき、発電設備として社会に利益を残すのか。


 それとも、広い土地に廃棄物と後始末だけを残すのか。


 出口設計のないメガソーラーは、環境対策ではない。


 それは、将来の粗大ゴミを、今の国土に置いているだけである。


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