06
僕がエニに声をかけてから幾度か陽が昇りそして陽が落ちた。陽が落ちてから陽が昇るまでは河川の神として河川の守護を、陽が昇ってから陽が落ちるまではエニの保護を、それが僕…ヴィスルの日課になっていた。
そうして過ごしていくうちに、エニの姿にも変化が出てきた。エニもだんだんと落ち着いた様子になってきた。
ぼさぼさになっていた髪は、小屋に放置されていた木材を利用して人間たちが使っている物を見よう見まねで作った櫛で少しずつ整え、廃材を束ねてあった紐をほどいて編み直した細紐で軽く束ねると、エニがしゃがんだ時に毛先が地面につくことは無くなった。
髪の毛だけでなく、着ていたチュニックやサンダルも少しずつ整えていった。
勿論、無から有を生み出したわけではなく、船着き小屋に打ち捨てられていた木材や布切れなどを使って、なるべく手作業で作ったり修繕したりで、なので本当に少しずつしか進んでいない。
神力を行使すればもっと簡単に見栄え良くできるのだろうが、神力とはそう簡単に何でもできる訳では無い…と思う。
もっとずっと高位であったり深い信仰をもつ神なら出来る事は多いだろうけど、僕は今までそんな風に力を使った事が無いから、どこまで使っていいか分からないしそもそもそんな風に使えるのかすら分からない。ただ、なんだかよくないという気がするというだけだ。
それに、僕に頼れば…僕の神力で何でも解決できると思われてしまっては、エニの教育に悪いことは間違いない。だって彼女はこの先いつかそう遠くないうちに僕から離れ、人間との生活に戻らせなければならないのだから。
エニに付けてもらったヴィスルという名前。「願い、祈り」という意味があるらしい。とてもいい名前だと思う。僕から離れて人間との生活に戻った時、エニに幸せが訪れるよう僕は願い祈ろう。
そうやってエニの今後を祈っていた時、エニに渡したお守りからエニの少しおびえたような辛い気持ちが流れ込んできた。
一体どうしたのだろう?何か怖い夢でも見たのだろうか?
エニのいる小屋に向かって見ても変わった様子はない、が、いつもならエニの近くで使い鳥の誰かがうろちょろしているのに、小屋の陰にある巣に閉じこもって目立たないように様子を伺っているだけだ。
使い鳥たちは本来こんなふうに慎重な性格なので、おかしい事では無いけれどなんだか気にかかる。エニに今すぐの危険は無さそうだけど、どうしたのだろうと周囲の様子を慎重に伺っていると…。
ヒヒーン!
ゴトゴト、ゴトゴト
少し遠くから馬の鳴き声と…あれは何度か見かけた荷馬車だろうか、馬が幌の付いた荷馬車を引いてこちらに向かってきている姿が見えた。
荷馬車そのものには何も悪いことは感じないけれど、自分の感覚と人間の感覚とでは違うからなあ…と、ここ数日の船小屋の修理で実感した僕は状況を見守る事にした。
たまたま使い鳥たちが気にするからエニの前に現れてみただけで、人間の前に姿を見せるなんて本来なら考えもしない事だ。
半分興味半分心配の気持ちで状況をずっと眺めていたら、小屋の近くまで荷馬車がやって来た時、エニは小屋からゆっくり出てその幌馬車を見つめていた。
御者が荷馬車を止めて不愛想に御者台から降りると、エニはお礼を言っていた。
村からの食料品だそうだ。
そうか、そういえば人間も使い鳥たちと同じように食事が必要だったなあ。
はあ、なるほど。一応エニの両親からエニを預かっているという世間体や理由があるからか、こうやって定期的に食料が届けられるという事なのか。
御者は無表情で作業を始めた。彼に挨拶をして両親について尋ねてきたエニに特に構うことは無く、おもむろに幌の付いた荷台に向かい、中から古びた木箱を抱えて小屋の前に運び出し始めたが、小屋の中にまで運び込んだりするわけでは無さそうだ。
そうして御者が荷物を一つ荷馬車から降ろして来たと同時に、エニと同じくらいの年齢の少女が荷台から降りてきた。
「あら、アンタ思ったより元気にやってるじゃない。」
荷台から降りてきた少女は黒くゆったりと長い髪に翡翠に似た緑色の瞳の持ち主で、こんな田舎ながらそこそこ大きな町の裕福な令嬢よりも艶やかで健康的な髪と瞳と肌をしていた。
「ク、クセニア…さん。な、何しに来たの…。えっと、マノリスさんも一緒なの?」
「せっかく食べ物を持ってきてあげたのに『何しに来たの』だなんて随分な言いぐさね!それにとう様は村長の仕事が忙しいのよ、アンタなんかにかまっている暇なんてないわ。」
御者が作業をしているのに何も手伝いもせず、エニに向かって呆れたように両手を上げると大声をだして話始めた。まるで自分の姿を見せびらかすようにエニの前でくるっと回り布地がたっぷり使われたスカートがふわりと翻っている。
御者は特に彼女の行動を気にすることは無いようで、黙々と作業を続けている。
「え、あ、あの、それって…その服や髪飾りは…!」
「うふふっ、いいでしょう?とう様が『これはもうお前のものだ』って。」
クセニアと呼ばれた少女は服の裾を掴んでひらひらさせながら、わざとらしくそのたっぷりの髪の毛を掻きあげた。
磨いた木の実を革紐で丁寧に編み込んだ髪飾りや首飾りが否応なしに目に映る。
それを見ていたエニの顔は段々と白くなっている。
「そ、その髪飾りはお母さんの…、あの荷馬車と馬だってお父さんの…、その服だって私が…。」
エニが小さくかすれた声で呟いたが、黒髪の少女には何も届かなかったようだ。
「…ふぅーん、なあに?何か言った?それとも村で一番偉ぁいアタシのとう様が言った事が、間違ってるって言うの?」
「…そ、それは…その。えっと…。」
クセニアはとやらは、震えながら俯いてもじもじと答えきれずにいるエニを下から見上げるようにじろじろと覗き込むと、エニの髪が綺麗に束ねられていることに目ざとく気付いたのか、エニに向かって更に問い詰めてきた。
「なんだかおかしいわね、エニ、アンタ何か隠してるでしょ?」
クセニアはエニの事を探るように顔を突き出すと、不審げな顔を隠さずにぐいっとまっすぐに見つめてきた。
「な、なにも無いよ…。」
胸元の服の上からぎゅっと掴まれたお守り袋からは、エニの悲しみと諦めが入り混じったような不安な気持ちが僕にじんと伝わって来た。
「ふーん?」
じろじろと遠慮なく無遠慮に覗き込んでくるクセニアだが、エニの毛先の端に枯れ草がついているのを見て、何やら納得したのか引き下がった。恐らく寝床代わりに敷いていた麦わらの欠片だろう。
「まあいいわ、枯れ草付けてる位だもの、隠して持っているものなんて無さそうね。」
エニは思わず自分の髪の毛の先を掴み、慌てて枯れ草を払い落とそうとしたが、うまく取れず払い落とそうとした手と髪の間に絡まらせてしまい、藁の欠片はひらひらとまるで生き物かのように踊り始めた。
そんなエニの緊張のあまり上手く動けない様子を見て納得したのか
「ま、アンタを此処に追いやった時に持たせたものなんて何もないし、この腐った小屋にあるものだってたかが知れているもの、そんなに気にしなくても良かったわね。」
これでは返す言葉もないだろう。只俯いて黙っているエニに満足したのか、クセニアは上機嫌でしゃべり始めた。
「そうそう!明日はねぇ、何か月かぶりに東方から大商隊がやって来るのよ。その準備で村はとーっても忙しくってとう様達は大変なのよ。アンタの面倒なんて見ている暇なんて本当は無い位。なのにこうやって食べものを持ってきてあげたことに感謝しなさい!」
「あ、…いつも、あり…が…と…う、です。」
エニが絞り出した言葉は届かなかったのか、黒髪の少女はさらにはしゃぐようにうっとりした顔で体を揺らし、その一方的なしゃべりはしばらく止むことがなさそうだ。
「はぁー、楽しみだわ!大商隊はこの辺りじゃ手に入らないような色んなものを売っているのよ。こんな寂れた所からはさっさと帰って素敵な布をとう様におねだりしなくちゃ!だからアンタにかまってあげる暇なんてないのよねぇ。」
「前に大商隊が来た時に、次に来るときはとっても高価な色とりどりの布を持ってきてくれるように頼んだのよ?とう様は切れ味のいい自慢できるような剣が欲しいって。そうしたら大商隊の頭目がとう様にいい金策紹介してくれたのよ。だから真新しい布を遠慮せずに買って良いんだぞって。」
「その上、先週に大商隊から来た連絡には、更に儲け話があるからってとう様に誘いが来たわ。大商隊の頭目にもとう様はとーっても頼りにされているの。どう?凄いでしょう?」
「だから明日に大商隊が来たら、こんな安物の服や髪飾りなんかとは比べ物にならないくらい高価で素敵な真新しい布や髪飾りを買ってもらうのよ。ああ、本当に楽しみだわ!」
クセニアという黒曜石のような髪の少女は翡翠石のような瞳を輝かせ、うっとりとした表情をしながらエニの前でい自慢話を思う存分に語ったようだ。
「ところで…。とう様に大商隊が来る前に、アンタの様子を調べて来いって言われたからここにやって来たけれど、アタシたちが思っていたよりも元気で平気そうよね。」
「やっぱりアンタなんかの心配なんてする必要はないって、とう様にちゃあんと報告しておかなくっちゃね。」
「ほ、報告って…い、一体何を、どんなことを報告するの?」
「アンタがとう様が思ってた以上に頑丈だってことをよ。こんなところで暮らしていても平気だなんて、信じられない位に丈夫過ぎる身体を持っているのね。羨ましいわぁ。」
クセニアがそう言いながらエニに詰め寄っていた時、荷物…木箱や籠や藁編みの袋を荷台から下ろし終えた御者が帰りの合図を出した。既に帰りの方向へと向き直された荷馬車に繋がれた馬が、名残を惜しんでエニの方を向いている。
あれが以前にエニの両親と共に旅をしていたという、幌付きの荷馬車とその輓馬だろう。
合図を聞いたクセニアは、エニを鼻先で笑うと直ぐに荷馬車の御者の隣に座り、馬は悲しそうに一声鳴くと、御者に鞭を入れられ村へと向かって歩き出した。
エニは黙ってその様子を見送っていた。
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