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第2話「咀嚼――あるいは、世界で最も不味い攻城兵器について」

 俺の名はレオ・ヴァルハルト。二十八歳。元・聖フォルティア王国騎士団長。


 ――元、だ。


 なぜなら、守るべき王国はもう無い。


 現在の肩書きを強いて言うなら、「世界最大の齧歯類の背中に乗っている男」である。


 騎士学校で六年間、血反吐を吐きながら学んだ剣術も、戦術論も、紋章学も、この状況では何の役にも立たない。


 俺はいま、カピバラと一緒に温泉に入っている。


 なぜこうなったのかは、第1話を読んでほしい。


 ※第4の壁を破壊する発言。



   ◇



 翌朝。


 森の中で目を覚ましたレオを出迎えたのは、鳥のさえずりでも、朝露の輝きでもなかった。


 ガリ……。


 ガリ……ガリ……。


 岩を削るような、不快な音。


 それは、すぐ隣から聞こえていた。


「……ゴート?」


 レオは寝ぼけ眼をこすり、隣を見た。


 カピバラ――ゴートは、昨夜と同じ場所に座っていた。虚無の表情。半開きの目。そこまでは通常営業である。


 だが、一つだけ異常な点があった。


 ゴートは、自分の上の前歯と下の前歯を、凄まじい速度で擦り合わせていた。


 ガリッ。ガリガリッ。ガッ、ガッ、ガリィッ!


 火花が出ていた。


「――ッ!?」


 レオは跳ね起きた。


 火花。顔面から。火花が出ている。


 しかもゴートの表情は無である。虚無の表情のまま、口元だけが高速で動き、オレンジ色の――待て、歯がオレンジ色?


「キウィ! おいキウィ、起きろ!」


 レオは、木の枝で丸くなっていた小鳥を叩き起こした。


「んあ……朝ご飯? 朝ご飯ならゴートの背中の毛に虫が三匹――」


「そうじゃない! ゴート様の様子がおかしい! 歯から火花が出ている!」


 キウィは欠伸をしながらゴートを一瞥し、頷いた。


「ああ、あれね」


「知ってるのか」


「主の魂の刃が目覚めたのだ」


「は?」


 キウィは厳かに羽を広げた。


「主は仰っている。『我が魂の刃が、甘美なる抵抗を求めている。この衝動は、世界を削り取らねば収まるまい』――と」


 ゴートが口を開いた。


「ぬ」


 レオの背筋に、冷たいものが走った。


 ――魂の刃。世界を削り取る。


 昨日の温泉でのChill状態とは打って変わって、ゴートの全身から言い知れぬプレッシャーが放たれている。半開きの目は変わらないのに、空気だけが重い。


 これは――


「第2形態への移行演出じゃねーか……!」


 レオは本能的に後退りした。


「運営、おい運営! まだ第2話だぞ!? 難易度調整ミスってんだろ!」


 ※レオ・ヴァルハルトは、極度の緊張状態に陥ると、まるで別の世界の言語体系を借用したかのような奇妙な独り言を発する癖がある。王国騎士学校の同期たちはこれを「レオの発作」と呼んでいた。



   ◇



 ゴートの「歯ぎしり」は、時間が経つにつれて激しさを増していった。


 近くの石を齧ってみては、一瞬で粉砕してしまい不満そうな顔。


 流木を齧ってみては、綿菓子のように消滅して不満そうな顔。


 レオの剣を齧ろうとしたので全力で阻止した。


「やめろ!! これは騎士団長の聖剣だぞ! 先祖代々受け継がれてきた――」


 ボリ。


「あああああああ!?」


 聖剣の切っ先が、ビスケットのように齧り取られた。


 ゴートは三回ほど咀嚼し、


「ぬ」


 と、不満そうに吐き出した。


 キウィが翻訳する。


「『まずい。鉄の品質が低い。鍛冶師を変えろ』だそうだ」


「先祖代々の剣を味で批評するなァァァァァ!!」


 レオは頭を抱えた。


 だが、騎士として冷静に分析すれば、事態の深刻さは理解できる。


 ゴートの前歯――あの、鉄を砕くオレンジ色の歯――は、明らかに昨日より長くなっている。


 昨日は唇の内側に収まっていたものが、今は下顎から数ミリはみ出している。


「……まさか、あの歯は伸び続けているのか?」


 キウィが珍しく真面目な顔で頷いた。


「齧歯類の宿命だ。歯は一生伸び続ける。硬いものを齧って削らなければ、いずれ口が閉じなくなり――」


「餓死する、と?」


「そうだ」


 レオは絶句した。


 あの、魔王軍の斧を弾き返し、時速50キロで戦場を駆け抜けた最強の生物が。


 歯が伸びすぎたら、死ぬ。


「……なんだそのデバフは。性能盛りすぎたキャラに後から弱点パッチ当てたみたいな仕様だな」


 ゴートが再び岩を齧った。粉砕。不満顔。


「ぬ」


「『この程度の硬度では話にならん。俺の魂を満たすに足る、真の抵抗を持つものはないのか』――だそうだ」


 レオは額に手を当てた。


「要するに、硬いものを探して齧りたい、と。そういうことだな?」


「まあ、端的に言えば」


「最初からそう言え」



   ◇



 一行が森を抜けると、平原が広がっていた。


 そしてその先に――それは、あった。


 黒鉄城塞。


 魔王軍の前線基地にして、大陸でも指折りの難攻不落の要塞。黒曜石と魔法金属で固められた城壁は高さ30メートル。その表面は無数の魔法障壁で覆われ、正規軍が総力を挙げても半年は落とせないとされている。


 レオは足を止めた。


「……迂回するぞ」


「ぬ」


「ここは無理だ。あの城塞は大陸最硬の防壁を持つ。どう考えてもイベントスキップ案件だろ。もう少しレベルを上げてから――」


 言いかけて、気づいた。


 ゴートの目が、変わっている。


 昨日、温泉の湯気を見つけた時と同じ目。


 虚無が消え、瞳の奥に光が灯っている。


 それは、最高の研ぎ石を見つけた職人の目であり。


 あるいは――


 レオは、ふと既視感を覚えた。


 ――そうだ。


 あれは、犬だ。


 かつて城に飼われていた軍用犬――ゴールデンレトリバーのマックスが、でかい骨を見つけた時と全く同じ目をしている。尻尾を振っていないだけで、耳の角度、鼻の開き方、全てが一致する。


 ※カピバラは齧歯類であり犬ではないが、レオ・ヴァルハルトの脳内データベースにおいて「嬉しそうな四足歩行動物」のテンプレートは全て愛犬マックスに統一されている。


 ゴートの視線の先には、黒鉄城塞の城門がある。


 黒曜石。魔法金属。ヤスリのように荒い表面。


 人間にとっては「絶望の壁」。


 カピバラにとっては――


「やめろ」


 レオは言った。


「やめてくれ」


 ゴートの後ろ足に力が入る。


「頼むから、やめてくれ」


 大地が、軋んだ。


「嫌だああああああああ!!」



   ◇



 ズドォォォォン!!!!


 二度目の地獄が始まった。


 時速50キロ。ノーモーション。予告なしのフルアクセル。


 レオは昨日の教訓から、ゴートの剛毛を両手で全力で握りしめていた。それでも体が浮く。内臓が置いていかれる。


「ああああああ物理エンジンが仕事してねえええ!!」


 城壁の上で、オークの歩哨が異変に気づいた。


「な……なんだあれは!?」


「茶色い……塊? 猪か?」


「違う、あの速度は――」


「弓を構えろ! 撃てェ!」


 矢の雨が降り注ぐ。


 ゴートの剛毛に刺さり、一本残らず弾かれる。


 弾かれた矢の一本がオーク弓兵の足に刺さる。


「ギャア!? 反射ダメージ!?」


 そしてゴートは止まらない。


 黒鉄城塞の城門が、秒速で迫ってくる。


 レオは覚悟した。激突する。この質量とこの速度で城門に正面衝突すれば、いくらゴートでも――


 直前。


 ゴートの後ろ足が、地面を抉った。


 超絶ドリフト。


 80キロの巨体が横滑りし、城門の角――黒曜石のエッジ部分に対して、完璧な平行停止を決めた。


「……は?」


 激突しない。


 そうか。


 最初から、ぶつかるつもりなどなかったのだ。


 ゴートは城門の角に顔を寄せた。


 鼻をヒクヒクと動かし、表面の匂いを嗅ぐ。


 その仕草が、また犬だった。新しいおもちゃの匂いを確かめる大型犬そのものだった。


 そして、ゴートは口を開いた。


 巨大な門歯が露出する。


 オレンジ色に輝くそれを、レオは間近で初めて見た。


 ――あれは、ただの歯じゃない。


 レオは騎士として、あらゆる金属を見てきた。鉄。鋼。ミスリル。果ては伝説のオリハルコン。だが、あのオレンジ色の光沢は、そのどれとも違う。


 鉄分が凝縮された、生物由来の超硬質エナメル。


 それはもはや、歯という名の魔導合金だった。


「オリハルコン・エナメル……!」


 レオは呟いた。


 ※実際にはただの鉄分を多く含むカピバラの歯である。


 ゴートは、その門歯を黒曜石のエッジに押し当てた。


 そして――顎を動かし始めた。


 上下ではない。前後。


 齧歯類特有の前後運動。高速で歯を擦り合わせ、対象を削り取る、生物史上最も効率的な破壊メカニズム。


 ガリッ。


 最初の一削りで、魔法障壁に亀裂が入った。


 ガリガリッ。


 二削り目で、黒曜石の表層が粉末化した。


 ガリガリガリガリガリガリガリ!!!


 そこからは、もう音の暴力だった。


 鼓膜をつんざくような掘削音。散る火花。城壁が振動し、城門のヒンジが悲鳴を上げる。


 レオはゴートの背中にしがみついたまま、その光景を見ていることしかできなかった。


「食ってる……城門を……食ってやがる……!」


 城壁の上では、オーク兵たちがパニックに陥っていた。


「何をしている!? あの魔獣を止めろ!」


「矢が効かないんです!」


「岩を落とせ!」


 巨大な落石がゴートの背中に直撃した。


 ボヨン。


 跳ね返った岩がオーク兵の陣地を直撃した。


「自滅してるじゃねーか!!」


 レオのツッコミは、もはや誰にも届いていない。


 ゴートは無心で齧り続けている。


 その顔は――レオは認めたくなかったが――幸福そのものだった。


 かつてマックスが、騎士団の備蓄用の干し肉を倉庫ごと破壊して食い荒らした時の。


 あの、罪の意識が一切ない、純粋な歓びに満ちた顔と、同じだった。


「お前ら……同じ生き物だろ……」


 ※カピバラは齧歯類であり犬ではない(二度目)。



   ◇



 それは、静かに始まった。


 ミシ。


 ゴートが齧り続けた城門の角――構造上の支柱にあたる部分から、亀裂が走る。


 ミシ……ミシミシミシ。


 亀裂は蜘蛛の巣のように広がり、城門全体を覆い尽くしていく。


 ゴートが口を離した。


 削り取られたエッジ部分は、まるで巨大なネズミに齧られたかのような――いや、実際に巨大なネズミに齧られたのだが――半円形の窪みが刻まれている。


 数秒間の静寂。


 そして。


 ズゥゥゥゥゥン……!!!!


 黒鉄城塞の城門が、崩落した。


 30メートルの黒曜石が砕け散り、粉塵が空を覆う。


 魔法障壁が崩壊し、青白い光の破片が空に散っていく。


 レオは粉塵の中で立ち尽くしていた。


「魔法障壁ごと……食い尽くした……のか……?」


 粉塵が晴れると、瓦礫の山の上に、ゴートが座っていた。


 その歯はツヤツヤと輝いている。長さは完璧に整えられ、噛み合わせも理想的。


 ゴートは深く息を吐いた。


「ぬ」


 キウィが翻訳する。


「『悪くない噛み心地だ。鉄分補給も完了した。七十点。もう少し硬くてもよかった』――だそうだ」


「七十点……」


 大陸最硬の城門を七十点呼ばわりする生物が、目の前にいる。


 城塞の奥から、魔王軍の守備隊長が這い出てきた。角の生えた魔族の将校。その顔は、蒼白を通り越して白い。


「ば、馬鹿な……。我らが誇る黒鉄の門を……生身の歯で……!?」


 守備隊長は震える声で言った。


「貴様、何者だ……! いや、わかっている。お前は……伝説に語られし――」


「ぬ」


「『暴食の魔獣』……! 全てを喰らい尽くし、文明を灰に帰すと言われた――」


「ぬ」


 ゴートは守備隊長の言葉を完全に無視して、瓦礫の上で丸くなった。


 尻尾を体の横に添え、前足を胸の下に折り畳み、目を閉じた。


 スヤァ……。


 寝た。


 大陸最強の城塞を破壊した直後に。


 敵陣のど真ん中で。


 寝た。


「寝るなァァァァァァ!!」


 レオの絶叫が、崩壊した城塞に木霊した。


「ここは敵地だぞ!? 城門を破壊しておいて昼寝って、お前のメンタルはどうなってるんだ!? いや待て、これは高度な心理戦なのか? 『お前の城など俺の寝床に過ぎない』という――圧倒的なマウントなのか!?」


 ゴートの耳がピクリと動いた。


 だが目は開かない。


 キウィが欠伸をしながら言った。


「眠いから寝た。それ以上の意味はないよ」


「あると言ってくれ!! 頼むから!!」



   ◇



 守備隊長は逃げた。


 「暴食の魔獣が来た」という報告を持って。


 残されたオーク兵たちは、瓦礫の上で眠るゴートの周囲で、おろおろと立ち往生していた。


 斧を振り上げては、昨日の戦士長の二の舞を思い出して下ろし。


 弓を構えては、反射ダメージを思い出して下ろし。


 結局、全員が三メートル離れた位置でゴートを囲んだまま、何もできずにいる。


 その包囲網の外側に、レオは一人で立っていた。


「おい、お前ら」


 オークたちが振り向く。


「静かにしろ」


 レオは、騎士団長の威厳を総動員して言った。


「ゴート様がお休み中だ」


「は?」


「俺は、この方の飼育係だ。この方の睡眠を妨害する者は、敵味方を問わず斬る」


 剣を抜く。先端が齧り取られた、無様な聖剣を。


 だが、レオの目は本気だった。


 オークたちは顔を見合わせた。


「……人間が、あの魔獣を『飼っている』と?」


「飼っているのか飼われているのか、もう俺にもわからん」


 正直な告白だった。


 だが、結果として――オーク兵たちは武器を下ろした。


 あのカピバラに手を出しても無駄だということは、全員が身をもって理解している。そして、そのカピバラを「守る」と言い張る狂人の騎士を、わざわざ刺激する理由もない。


 奇妙な休戦が成立した。


 瓦礫の上で、カピバラが寝ている。


 その周りを、オーク兵が遠巻きに囲んでいる。


 さらにその外側で、元・騎士団長が腕を組んで番をしている。


 頭上では、キウィが暇そうに羽繕いをしている。


 戦場でもなく、平和でもない。


 ただ、不条理な静寂だけがあった。



   ◇



 どれくらい時間が経っただろうか。


 ゴートが目を開けた。


「ぬ」


 起きた。


 レオは駆け寄った。


「起きたか。頼むからもう走らないでくれ。俺の内臓の位置がまだ元に戻ってない」


 ゴートはレオを見た。


 虚無の目。


 だが、その奥に――レオは微かな何かを感じた。


 感謝、ではない。信頼、でもない。


 強いて言うなら、「こいつ、まだいたのか」くらいの認識。


 ――マックスもそうだった。


 レオは思い出す。


 あの犬は、レオが騎士学校から帰省するたびに同じ目をしていた。「誰だっけ? ああ、なんかいたな」という目。それでいて、レオがソファに座ると当然のように膝の上に乗ってくる。


 好意の表明はないが、存在の許容はある。


 ゴートもまた、レオの存在を「拒絶していない」。


 それは、この世界で最も歪で、最も温かい関係の始まりだった。


 ※レオ・ヴァルハルトは犬好きである。カピバラは犬ではないが、彼の脳はもう区別することを諦めている。



   ◇



 レオは、崩れた城門を見上げた。


 あの三十メートルの壁が、一匹の齧歯類の歯によって崩された。


 魔法障壁ごと。


 そしてその齧歯類は、城門を破壊した跡地で昼寝をした。


 恐ろしい。


 恐ろしいが――それ以上に。


 あの寝顔は、守りたいと思った。


「……わかったよ」


 レオは、ボロボロになった聖剣を鞘に収めた。


「お前がそのつもりなら、俺も覚悟を決める」


 ゴートは半開きの目でレオを見ている。


「この寝顔を守るためなら――俺は人類の騎士を辞めて、お前の『飼育係』にだってなってやる」


「ぬ」


「……今のは、翻訳しなくていい」


 キウィは黙って頷いた。珍しく、何も付け足さなかった。


 ゴートは特に何も考えず、次の歯磨きスポットのことだけを気にしていた。


 だがレオ・ヴァルハルト、二十八歳――


 彼はこの日、騎士の誇りを捨て、世界最強の「下僕」になることを心に誓った。



第2話「咀嚼――あるいは、世界で最も不味い攻城兵器について」


――終――



【次回予告】


「なんだあの金色の群れは!?」


「犬、ですね。ゴールデンレトリバーという犬種です」


「全員こっちに走ってくるぞ!? あの笑顔! あの尻尾! あれは精神支配魔法の一種か!?」


「……ただ嬉しいだけだと思いますが」


「ゴート様が動揺している……! まさか、天敵か!?」


「ぬ」


次回、『絶望の暗黒大陸で、俺だけがカピバラ(時速50km)に乗っている』


第3話「犬嵐――あるいは、誰も抗えない金色の精神汚染について」


お楽しみに。

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