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番外編 女神の恋 後編

 フェルグスは前アルスター王だったが、コンホヴァルに騙された形で王の座を降りることになった。それだけならまだしも、コンホヴァルが彼自身の許嫁ディアドラとその恋人のノイシュに対してした仕打ちに対して抗議し、賛同する一団を率いてアルスターから亡命し、コナハトに身を寄せていた。


 元々ディアドラはコンホヴァルの養い子だったが、幼い内に出会ったノイシュと何も知らずに恋に落ちてしまった。しかしディアドラを妻にするつもりでいたコンホヴァルはノイシュを殺し、ディアドラは嘆き悲しみ自ら命を絶ったのだ。


 コンホヴァルのあまりの横暴と、若い二人に起きた悲劇に対して怒りを覚えた者は多く、また、フェルグスを慕っていた者たちもアルスターから一斉に離反し、アルスター王国の戦力は一気に下がることとなった。


 それでもコンホヴァルの甥であるセタンタの圧倒的な強さが、アルスター王国を守っていたのだ。


 一騎打ちが再開され、セタンタはフェルグスがその相手となったことに驚愕した。


「親父殿、なぜあんたが出てきた。いくら恩ある貴方でも、俺は容赦はしない」

 セタンタは流石に自分を育ててくれた相手と戦うことに苦痛を覚えたが、誓約を違えることはできない。いっそのこと苦痛を与える前に一気に片を付けてしまおうと、いつも以上に闘気を燃やした。


「セタンタ、立派になったな。今日は話し合いに来た。コナハト軍はお前のお陰で今誰も一騎打ちに出ようとする者がいないんだ。だから俺が出ざるを得なかった。だが、コナハト王は俺を信用していない。なぜか愛用の剣を取り上げられ、鈍らを持たされたぐらいだ。どうやら奴は俺に死んでもらいたいようだ」


「……親父殿はあんなくそ野郎の下にいる人じゃない。アルスターではまだ貴方を慕っている者が多くいる」

 セタンタは養父のこれまでの苦難を思い描き、眉を寄せてそう言った。自分の伯父が奪ったその地位であると知っているが、セタンタにとって、フェルグスは血は繋がらずとも心から慕う義父親でもあるのだ。


「セタンタ、俺はコンホヴァルに一矢報いるまでは死ねない。だから今日は引き分けということで見逃してくれないか」

「引き分け?それに何のメリットがある?どうせまたどこかで俺たちはやり合わないといけないだろ?」

「今回だけでいいんだ。もし次回お前と戦うことになったら、俺は戦う前に降伏すると誓おう」

「……いいだろう。まともな剣を持たない相手を倒しても卑怯者だと噂されるだけだろうしな。……親父殿、伯父を憎む気持ちはわかるが、どうか……」

 セタンタはそれ以上言葉に出せなかった。養父と養子としてどちらも相手と戦うことを望んでいない、むしろ互いに相手が生きることを望んでいたが、敵として対立する限りいつかはどこかで決着をつけることになるだろう。セタンタはその日ができる限り先であるよう祈った。


 その後、「セス・ノインデン」の病からようやくアルスターの男たちは回復し、軍が再び戦える状態に戻った。


 コナハト軍との大決戦が始まろうとしており、緊迫した事態にコナハト王アリルはフェルグスに剣を返した。

 フェルグスは戦場でコンホヴァルと出会い、彼を翻弄するが、義理の息子コーマックによって殺害を阻止された。セタンタも戦いに加わりフェルグスに挑戦する。するとフェルグスは約束を守って降伏し、その部下達も野原から引きずり出された。


 セタンタは捕虜としてフェルグスを保護し、その命を守ることができて安堵した。

 メイヴは旗色が悪いと悟るとすぐに側近を連れてあっという間に戦場から逃げ出した。メイヴの他の同盟者たちも、メイヴが撤退するのを見てパニックに陥り、撤退し始めた。


 コナハト軍は敗走し、アルスター軍が優勢になったが、しばらくするとコナハトからセタンタに再び一騎打ちが申し込まれた。


 それはセタンタの兄弟子で親友のフェル・ディアドだった。


 フェル・ディアドは呪いとも呼ばれる神の祝福持ちだった。彼の鱗のような固い皮膚には普通の刃が通ることは無く、セタンタのゲイボルグですら難しいのではないかと言われいた。

 フェル・ディアドは最初、友との戦いを拒絶し王の召喚を無視していたが、メイヴは自身の娘フィンダルをあてがい、酔わせ、決闘の約束をさせた。



「久しぶりだな、兄者」

「セタンタ、できれば戦いたくなかったが、誓約には逆らうことはできない。ならば師匠に恥じぬよう、互いに全力を尽くそうぞ」


 翌日、両英雄は川の浅瀬を決闘場所に選ぶと、師匠、スカーサハから授かった武術の全てを尽くして激突した。


 セタンタは兄弟子相手にどこか本気になれず、フェル・ディアドが優勢に戦いを進めた。


「セタンタ!本気を出せ!クランの猛犬の名に恥じぬ戦いを見せろ!」

 ロイグがセタンタに対して野次を飛ばすと、セタンタはどこか遠慮がちだった己を恥じた。そうして気合を入れなおした身体は膨れ上がり、フェル・ディアドを圧すほどの体格となった。


 セタンタはゲイボルグを構え直し、フェル・ディアドの下半身へ、次に胸へと次々に繰り出した。最初の一撃でフェル・ディアドの下半身に突き刺さったゲイ・ボルグは彼の体内で棘を開いて引き裂き、二撃目は彼のあばらを砕き心臓を貫いた。


 フェル・ディアドは大量に血を吐き、絶命し轟音とともにその巨体を台地に沈めた。

 こうして兄弟弟子の激闘は幕を下ろした。




「誰かあの犬を止めることができる者はいないの!?」

 メイヴは最後の切り札とも言えたフェル・ディアドまで失くし、打つ手がなく半狂乱になっていた。コナハトから始めた戦いだったが、このままでは敗走では済まず、コナハト王国自体が滅ぼされてしまうだろう。


 するとある男が前に出た。彼はセタンタが一騎打ちで殺したある武将の息子だった。

「メイヴ様、私に良い考えがあります。あの化け物の誓約を御存じですか?」

「誓約?クランの猛犬代わりに鍛冶屋を守ることか?」

「それだけではありません。アルスターの亡命者から聞き出しましたが、あいつは同時に『犬を食わない』という誓約を立てているそうです」

「犬を?」

「はい。誓約を破れば、呪われて力を失います。奴に誓約を破らせれば良いのです」


 メイヴはその言葉を聞き、上手い作戦だとほくそ笑んだ。

「良し、ではその方、上手く事が運んだら、わが娘をやろう」

「ハッ!必ずややり遂げて見せます。楽しみにお待ちください」

 男は不敵に笑って、アルスターに向かった。


 アイルでは誓約は絶対だった。

 ただし、誓約には二つある。自らが立てる誓約とアイル全土で立てられている一般禁忌と呼ばれる誓約だ。


 一般禁忌の中に「もてなしを拒否する」というものが含まれている。

 つまり、誰であれ、他人からのもてなしを拒否したものは誓約の呪いを受けて力を失うのだ。

 

 ある日戦いが終わってくつろいでいたセタンタの前に老婆が現れた。

「アルスターの英雄、セタンタ様。どうかこの老いぼれの手料理をお召し上がりください」

 老婆はコナハトの男に雇われた者でその料理には犬肉が使われていた。

 もてなしを拒否しても受けてもセタンタは禁忌を破ることになる。

 そうして、禁忌を破ってしまったセタンタは破滅に向けてその力を弱めていくことになった。

 その全てを見守るしかできなかったモルガンは、決まってしまったセタンタの運命にただ寄り添うしかできず、もどかしく思っていた。たった一言、セタンタが「祝福を受ける」と言ってくれたならまたその力は蘇るのだが、頑固なセタンタは全く首を縦に振らなかった。


「ねえ、お願い。私の祝福を受けて。私に貴方を救わせて」

 モルガンの切なる願いにセタンタはただいつも通り否と言う。

「モルガン、俺に祝福は必要ない。俺の運命を決めるのは俺自身でありたい……。大丈夫だ。ほんの少し呪われたからといって、コナハトにはもうろくな奴なんて残っていないさ」

 そんなセタンタの強がりともとれる軽口に、モルガンは唇を噛んだ。女神のモルガンには先見の力がある。モルガンにはこの時、セタンタの明日が見えていた。

 それでも、「あるべき運命」に本人の承諾なしでは女神も抗うことはできない。できる事は最後まで見守ることだけだった。それがどんなに悲劇であったとしても。

 


 次の一騎打ちで三本の魔法槍を持つルガイドという戦士が現れた。


「クー・フーリンよ。私の槍には『王が倒れる』との予言がある。その予言が成就するのが今この時だと確信した!」

 ルガイドはそう声を上げると、最初の攻撃で、戦車御者の王と言われるロイグを倒した。そして次の攻撃で、馬の王と呼ばれるマハを倒し、三本目の槍は誓約を破り、身体にしびれを感じていたセタンタに命中し、致命傷を負わせた。


 セタンタは致命傷を負いながらもが構わず攻撃したが、最後は、ルガイドに奪われたゲイボルグに貫かれた。


 自分の命が終わることを知ったセタンタは岩に身体を結び付けて立ったまま死ぬことを望んだ。


 そして、命の火が消えようとするセタンタの肩にカラスが止まった。

「……モルガンか……。俺を看取りに来てくれたのか?」

「セタンタ、よく戦ったわ。貴方は私が知るどの戦士よりも優れた英雄よ」

「…戦女神に認められた……。こんな光栄なことは……グフッ」

「もういいのよ。眠りなさい。アルスターはもう私が守ってあげるから。お願い。貴方の大事なものぐらい私にも守らせて……」

「……ありが……と……」


 それを最後にセタンタは完全に動かなくなった。

 モルガンはその瞳から涙を落した。


 彼の死後、モルガンは約束の通り、アルスターに加勢し、国を守った。退却のどさくさで牛を盗んだメイヴだったが、結局牛はすぐに命を落とすこととなり、メイヴは大きな財産を失った。


 モルガンは初めて失った恋しい人を思い、物思いにふけるようになった。そんな時、好きな男を追って人間になることを選んだ妹のマハのことを思い出した。


――そうだ。人の魂は「巡る」のだ。黄泉で記憶も罪も洗い流され、また人の世に生れ落ちる。マハの魂を追えば、今も恋人と共にあるらしい。


 それならば、「自分も人になればいい」。モルガンの目に迷いはなかった。



 モルガンはアイルの王の娘モルガン・ル・フェイとして生まれ変わった。十三歳で北ブリタニアの王国レッジドのウリエンス王に側妃として輿入れすることになって、アイルを出てブリタニアに渡った。


 ウリエンス王はモルガンよりも随分年上で、他にも妃が数人おり、子供も既に四人もいた。

 モルガンとの結婚は、ブリタニアに侵攻中の異人アングル人に対抗するための政略でしかない。


 しかし、モルガンはウリエンス王と対面したその時、知らずに涙した。


 ウリエンス王は黒髪翠眼で彼とは似ても似つかない。

 しかし、その魂の色は、確かにあの戦場で失ったセタンタと同じだったのだ。


 ウリエンス王の旗に印された三羽の黒鳥がモルガン、マッハ、バズウを象徴する事にも気付き心が温かくなった。


「旗が気になるか?ああ、昔からよく夢を見るのだ。我が戦場を駆け、黒鳥が守ってくれている夢をな。アイルの伝説の三女神の物語を後に知った時は震えたものだ。我はかの女神達に守られているのだと確信した。だから、かの方々を御旗に印し、信仰の証としている。教会に知られれば破り捨てられるかもしれんが、我の誓いは主なる神と三女神に捧げている」


 ウリエンス王は愛しげに旗に触れた。


 微かではあるが彼にセタンタの記憶が残っており、自分が終にその妻となれた事にモルガンは歓喜を覚えた。


 ウリエンス王はあくまで義務的にモルガンに接し、一男を授かった後は、モルガンは特に寵愛を受ける事は無かったが、それでもモルガンは満足して彼を見守り、彼との子を愛しんだ。


 しかしその生活は長くは続かなかった。


 アングル国の猛撃を次々と撃破し、同盟国から英雄として祭り上げられたウリエンス王に嫉妬したブルフ国の王子によって程なくして暗殺されてしまったのだ。


 国は滅び、幼児を連れたモルガンは父のところではなく、再婚した母の元に身を寄せる事になった。


 そして異父弟であるアルトリウスに「魔女」として仕える事になる。

 ある意味そこからモルガンの運命は大きく変わってしまった。


 アエーシュマはアングル国に付き、モルガンにいつもの勝負を持ちかける。


「さあ、ブリタニアを賭けたゲームをしましょう。ダ・アーナの民と無神の民の陣取り戦に決着をつける時が来た。よろしいかな?」

 悪神がニヤリと笑い、モルガンは頷く。


 人になってもモルガンの先見は有効だ。負ければ未来で世界は無神の民が総て、ダ・アーナは最終的に魔神に堕ちて消え去るだろうというところまで理解していた。


 しかし、それもモルガンにとってはただ「成り行き」でしかない。

 それならそれで完全に「人」になってしまえば良い。セタンタの記憶を忘却していたウリエンスのように、モルガンも全てを忘れられれば、その時こそこの未練も苦しみも癒える気がしたのだ。


 それでも、「魔女」として治癒を施し、出来得る限りアルトリウスに加勢した。

 マーリンという淫魔と人のハーフがアルトリウスの側におり、モルガンが手を出さなくても、勝利はほぼ確定している所まで先読みはできていた。


 しかし、それは神格を堕とし、湖の乙女と呼ばれる妖精に身を達していた妹のバズウの恋によって打ち砕かれる。


 人であるモルガンは流石に堕ちたとは言え女神である妹の影響までは先読みできなかった。


 バズウはある騎士と恋に落ちたため、彼女に言い寄っていたマーリンが邪魔になり、アヴァロンの牢獄に彼を閉じ込めてしまったのだ。


 気付いた時には後の祭りだ。


 バズウと騎士は、その騎士の生涯に渡って幸せに暮らす事ができたが、突然消えたマーリンの穴は大きく、アルトリウスはアングル人との戦いで命を落としてしまった。


 モルガンは一縷の望みを賭けてアヴァロンに彼を連れて行ったが、アルトリウスの命を救う事はできなかった。


 恋人が老衰したバズウが戻ってきた時には最後の戦いから既に随分時間が経ち、ブリタニアのみならずアイルの滅びの未来までがほぼ確定となっていた。


 それほど無神の民の勢力は強大で、いくばくもなく世界からは魔法も信仰も失われ、主なる神と悪神以外は触れられぬものとなるだろうと予想できた。


 モルガンはそれもまた面白いと受け入れたが、小さきもの達には受け入れ難く、結果的にバズウは皆から責められる事になった。


 己の考え無しの行動が多くの者達の運命を変えてしまった事に気付いたバズウは多いに嘆き、悔い、モルガンに縋った。


 マッハとモルガンが人に転生したせいで、この末妹に多くの負担があった事はモルガンにも自覚はあった。


 騎士との恋は長い時を過ごしたバズウにとってこの上もない甘美なものとなったであろう事も、それを責める資格が自分にはない事も承知していたモルガンは大釜を使う決意を固める。


 マーリンを解放したバズウは彼に謝り、今度こそ彼と一緒になる事を誓った。それを見届けたモルガンはマーリンにアルトリウスを救う事を誓わせ、自身はアヴァロンの林檎を齧った。


 神力が満ち、魔女モルガンは女神モルガンに再び生まれ変わる。不老不死の存在として、二度と人への転生は叶わない。


 それでも彼女は大釜をかき回し、アルトリウスの最後の戦いの時を戻す。


 世界は二つに分かれ、マーリンとバズウが新しくできたその世界に降り立ち、遂にアルトリウスは無神の民を打ち砕く。


 そして、モルガンは林檎の園で過ごす。


 女神として、管理者として、もう二度とセタンタと巡り会う事はないと思いながら。



 それから千年以上の時が過ぎて、珍しくアヴァロンが騒がしくなった。黒髪の男が湖に落ちて、妖精によって運ばれてきたのだという。


 打ち上げられた男を見て、モルガンは息を止めた。その魂の色がまた彼と同じ色をしていたから。



◆参考文献

ブルフィンチ作 野上弥生子訳 中世騎士物語 岩波文庫 一九四二年

井村君江 ケルトの神話 ちくま文庫 一九九〇年

関根正雄 旧約聖書外典 上 講談社文芸文庫 一九九八年

関根正雄 旧約聖書外典 下 講談社文芸文庫 一九九九年


お陰様で、今般電子書籍化していただくことができました。

本当に光栄に思います。

ミーティアノベルス様、イラストレーターの春乃まい先生、関係者の皆様

どうもありがとうございます。

そして、この作品を読んでくださった皆様にも心からの感謝を込めて。

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