君の隣で
「随分と、辿り着くのが早いですね」
ゲイルは、いつもと変わらない、抑揚のない声でそう言った。手には燭台を持っている。追ってきたにしては、随分と落ち着いている。
「……貴方も、全部知ってたのよね」
ミアが、涙を拭いながらゲイルを睨んだ。
「初代聖女様の本当の話も。聖女の力が、最初から偽物だってことも」
「さあ、何のことやら」
「しらばっくれないで!」
「本当に知らないなら、ここまで来れないでしょ」
僕がそう言うと、ゲイルの片眉が、僅かに動いた。
「ここを知っていて事実を知らない。大分無理があると思うけどな」
「……ほう」
ゲイルはようやく笑みらしきものを浮かべた。作り物みたいな、薄い笑みだった。
「中々頭が回りますな。器でなかったら私の後釜にスカウトしていたかもしれませんな」
「どうも」
「そんなことより、何で、隠す必要があったのよ!」
ミアが一歩、前に出た。
「本物の聖女は、この国には存在しません。初代聖女様のように瘴気を吸収できる者を聖女にすれば、早々に怪物になってしまう。それでは困るのですよ」
「だから、私みたいな何も知らない子を選んで、聖女にしてたってこと?」
「その通り。聖女は象徴でいい。国民が信じられる、きれいな顔と、きれいな物語さえあれば」
「器は、カインは犠牲でいいって言いたいの」
「否定はしません」
あまりにあっさりとした肯定に、僕は逆に笑いそうになった。
「器も、罪人扱いも、全部、大人しく犠牲にさせるためだったんだな」
「その通りです。真実を知れば、器の一族に反乱を起こされる。聖女に力がないと知れば、民は誰を信じればいいか分からなくなる。だから、嘘が必要だった」
「そんなの、おかしいわよ!」
「おかしくても、機能していた。数百年、この国はそれで繁栄してきました」
ゲイルは僕らの方へ、一歩近づいた。
「今更、壊してどうするおつもりですか。壊せば、この国は元の、病と怪我に苦しむ国に戻るだけですよ」
「分かってるよそんなことは」
僕は、祭壇に手をかけた。
「彼女には一族を救うだ何だと言ったけど、所詮人間は自分本位なんだよ」
「僕は、もうこれ以上僕自身を消耗させたくないんだ」
ミアが、僕の隣に立った。
「一人に本当のことを隠して背負わせて、それで成り立ってる国なんて、最初から壊れてるのよ」
彼女も、祭壇に手を伸ばした。
「待て!」
ゲイルの声が、初めて焦りを帯びた。彼は手にしていた燭台を投げ捨て、僕らを止めようと踏み込んできた。
「ごめんね、もう遅いよ」
僕とミアは、同時に手を伸ばした。
魔法陣が、眩い光を放った。
視界が白く染まる。身体の奥から、何かが引き剥がされるような感覚がした。
これまでの、浄化のたびに感じてきた痛みとは、違う。
あれは、押し込まれる痛みだった。
これは、抜け落ちていく痛みだ。
「カイン……!」
ミアの声が、遠くから聞こえる。
光が収まると、祭壇は崩れ落ち、魔法陣は跡形もなく消えていた。ゲイルは、その場に呆然と立ち尽くしている。
僕は自分の手を見た。爪は、変わらず黒いままだった。背中の熱も、消えていない。
「……治って、ない」
「そう、みたいだね」
もう変わってしまった分は、消えないらしい。
当然だ。都合よく全部なかったことになるなら、苦労はしない。
だけど
「もう、瘴気は発生しないのか」
そう思うと、不思議と、身体が軽くなった気がした。
遠くから、複数の足音が近づいてくる。近衛兵たちだ。
「……行こう」
「え?」
「ここに残ったら、今度こそ言い訳できない。説明して納得してもらえるとも思えない」
彼女は少し驚いた顔をしたが、すぐに頷いた。
「そうね。……ゲイル、後は任せたわ」
呆然と立ち尽くすゲイルを置いて、僕らは崩れた祭壇を後にした。
重い扉の前で足を止める。古代魔術を消したときの衝撃か、扉は歪んでいた。
僕は懐から短剣を取り出し、隙間にねじ込んだ。
力を込めると、鈍い音とともに扉が開いた――と同時に、刃が根元から、ぽきりと折れた。
これで、もう自分を終わらせる道具はなくなった。
それから数週間、城の中も、国中も、騒がしかった。
馬車の事故で、怪我人が出た。今まで当たり前だった「怪我をしても平気」が、当たり前じゃなくなっていく。
風の噂によれば、あそこに一人残っていた宰相ゲイルが、事の元凶として捕らえられたらしい。彼が禁術に手を出し、瘴気の均衡を崩した張本人だと、まことしやかに囁かれているという。
本当のことを知っているのは、僕と彼女だけだ。
だが、わざわざ訂正して回るつもりはない。あの男が、これまで何人の器を、何人の聖女を、道具として扱ってきたか。今更、それが真実と少し違う罪だったとしても、大差はない。
民衆は、聖女様の力が失われたことに戸惑いながらも、その怒りの矛先を、姿を消した聖女ではなく、捕らえられた宰相へと向けていった。
だが、他国の協力もあってか、徐々に民衆も受け入れてるみたいだ。
あれから、一年が経った。
僕の怪物化は、どんな医術を使っても治らなかった。
古代魔術ならもしかしたら、と言われたけど、でも、もう古代魔術を使える人間は残っていない。
だから僕は、治そうとはしていない。
それでも、時々思い出す。
短剣を振り上げたときの、彼女の怯えた顔を。
あの日、僕は確かに、彼女を殺そうとした。
あれが、怪物化の影響なのか、単に爆発しただけなのか、僕にはよく分からない。
けど……。
「まだそんな顔してるの?」
いつの間にか隣に来ていた彼女が、僕の頬をつねった。
「……君が隣にいるのに忘れることができると思う?」
「忘れてほしいなんて言ってないわよ。でも、いつまでも一人で抱え込んだって仕方ないでしょ。謝罪はもらってるし」
彼女は、僕の腕にあるブレスレットに触れた。
「私はもう、貴方を許したの。あとは、貴方が自分を許せるかどうかだけよ」
僕は怪物のままだ。
それでも、彼女と一緒に片田舎で暮らしている。
本を読んだり。
時々、町まで買い物に行ったり。
特別なことなんて何もない。
今でも時々、あの折れた短剣を取り出して、欠けた刃を布で磨く。
使い道なんて、もうないのに。
それでも、手入れをやめられなかった。かつてのように死に場所を探すためではなく、ただ、あの日々を忘れないための儀式のようなものになっていた。
でも、
「カイン、本でも買いに行きましょう!」
「はいはい」
今日も彼女は、僕の隣にいる。
僕の腕には、あの日もらったブレスレット。
そして彼女の腕にも、同じものがある。
……まあ。
もう少しだけ、この先を見てみるのも悪くないかもしれない。




