僕に残された時間
早ければ数年。
遅くとも十数年。
それが、僕に残された時間だった。
僕は小さな小部屋で、懐にいつも入れている小さな短剣の手入れを始めた。
僕が死ぬことは決まっている。
だから、怖くはない。
僕は王宮で、聖女のお世話係をやっている。これは、先祖代々僕の一族の役目だ。とは言っても、まだ聖女は決まっていない。
だが、いつ決まっても大丈夫なように、毎日聖女用の部屋を掃除している。
一生、決まらなければいいのに……。
「おい、王がお呼びだ。今すぐ謁見の間へ行け」
どうやら、僕の寿命は早まったらしい。
「え!?私が聖女!?」
高い天井の謁見の間に、少女の声が響いた。
王や貴族たちが並ぶ中、その少女だけが明らかに場違いだった。
長い栗色の髪は少し乱れ、靴には土が付いている。
……新しい聖女は、見るからに田舎娘だった。
彼女があまりに震えている様子を見ると、大分無理やり連れてきたのだろう。
きれいな髪がボロボロになってしまっている。
貴族が小声で何か話しているのが聞こえる。
どうやら、手放しで歓迎、というわけではなさそうだ。
城の人間は歓迎はしているようだが、同時に警戒もしているらしい。妙に念入りに、彼女の様子を確認する視線が多い。
その中でも、王の傍らに影のように控えていた初老の男の視線だけは、他の誰とも違う質を持っていた。表情ひとつ変えず、値踏みするようにひたすら少女を見つめている。
これはある意味厄介そうだ。
「というか、聖女って一体……?御伽話には出てくるけど、実在するなんて思ってなかったわ」
「聖女とは、この国に蔓延する瘴気を唯一払える人です」
「え、瘴気……?貴方は?」
「僕は貴方のお世話係になります、カインと申します。ここでは気も休まらないでしょう。詳しい話は王宮を案内しながらにしましょう」
震える彼女を、謁見の間の外にある庭へ案内した。
奴らも、彼女が震えているのが分かったからか、止める者もいなかった。
途中、近衛兵とすれ違ったが、彼女を見て小声で何かを話していた。
良い話ではなさそうだったので、足早にそこを去ったが、彼女は意外にも丁寧にお辞儀していた。
庭へ着くと外の風にあたり、少し緊張が解けたのか、震えは止まったようだった。
「えっと、カイン?だっけ?」
「はい、カインと申します。先程のお話の続きをしてもよろしいですか?」
「お願いします」
中々肝が据わっているらしい。彼女は、真っ直ぐ僕を見つめた。
「先程説明した通り、この国には瘴気、と呼ばれる謎の霧のようなものが発生します。見たことは?」
「うーん、多分ないかなあ」
……瘴気も見たことがないほど、山奥の田舎育ちというわけか。
「瘴気は、人が多いところに発生します。一説によると、病気や怪我で発散されるはずの穢れが溜まってしまったもの、とも言われております」
「『びょーき』?『けが』?なんなのそれ?」
「この国には、神の祝福のおかげで病気も怪我もありません。馬車にはねられても無傷で済むほどです」
「えっ……他国は違うの?」
「骨が砕けるか、死にますね」
「そんなの大変じゃない……!」
どうやら、彼女は大分素直なようだ。
聖女に選ばれた理由も、なんとなく分かった。
自分で考えて動かなそうだから、都合が良かったのだろう。
国の都合で選ばれて可哀想だが、同情はしない。
これから、色んな人に祝福されるのだから。
「ですが、他の国には瘴気はありません」
「そうだ、瘴気って何なの?あると何が問題なの?」
「そうですね……。簡単に言うと、作物が枯れ、動物も凶暴化し、人間の暮らしができなくなります」
「そんなの大変じゃない!」
「そこで生まれたのが、聖女様の存在です。聖女様は、この国で唯一瘴気を浄化できる、いわば救世主なのです!」
少し、大げさに言い過ぎたかもしれない。
彼女があまりにも素直なので、つい乗せられてしまった。
僕は咳払いをした。
「聖女様は、大昔この国を瘴気から救った勇者の血を引く者から選ばれる、と言い伝えられております」
「勇者の、血……?」
彼女は目を丸くした。
「うちは、ただの農家よ?そんな大層な血筋、聞いたこともないわ」
「王宮の記録では、そうなっているようです。詳しい経緯までは、僕も存じ上げません」
「で、その聖女が私ってこと?」
「はい、そのようです」
「そうなのね。自覚はないけど、それなら頑張るしかないわね!期待されてるみたいだし!」
彼女は決心したのか、手を上に上げて、頑張るぞーと大声で叫んでいる。
本当に、素直で良い子だ。良い子すぎるくらいに。
「ねえ、貴方ってお世話係ってことはいつも一緒なの?」
「そうですね、基本的には」
「そしたら、これからよろしくね、カイン!」
彼女は、僕に小さな手を差し出した。
これから、か。
その言葉に、喉の奥が僅かに締め付けられた。
僕は彼女から差し出された手を取らずに、その場でお辞儀をした。
「今日はお疲れでしょうし、お部屋の用意がございますのでそちらでお休みになってください」
「うん。ありがとう、カイン」
お礼を言われることなどしていないはずだが。
胸の奥が、痛いくらいに高鳴った。理由なんて、考えたくもなかった。
僕は自分の小部屋に戻ると、日課の短剣の整備を始めた。
使っていないのだからそんなにする必要はないのだが、しないと落ち着かない。
僕は小さい頃に父親から、
「お前は聖女のそばにいるために生まれた」
と言われた。
更に、
「聖女の苦しみを引き受けることがお前の使命だ」
そして最後に、
「怪物になったら、自分で死ね」
と。
父の言葉は、いつも同じ順番で、同じ抑揚だった。まるで、誰かに教え込まれた台詞を、そのまま読み上げているみたいに。
父は七年。
祖父は十一年。
曾祖父は九年。
誰も最後まで人間のままではいられなかった。
さて、僕は何年持つかな。
ふと、自分の手に目が止まった。今日会った聖女のことを思い出した。
彼女は、僕に手を差し伸べてくれた。
こんなことは、今までなかった。
彼女の顔を思い浮かべると、口の端が緩んでいるのに気づいて、僕は慌てて手でそこを覆った。
だが彼女も、僕同様役割を与えられた子だ。
でも、楽しそうだった。彼女には、輝かしい未来が見えているのだろう。
僕とは違う。
その眩しさから、目を逸らしたくなった。
彼女が笑うたび、僕の残り時間は削られていくのだから。




