依頼1
「あの、死神さん、ですか?」
事務所の扉を開けて入ってきたのは、三十代くらいの男性だった。背広はよれていて、疲労が顔に滲み出ている。その顔には、見覚えのない黒い靄がまとわりついていた。死気だ。それも、他者から与えられたような、深い憎しみの色が混ざった、汚い死気。
私は何も答えず、ただ彼をソファに促した。
「失礼します」
男性はぎこちなくソファに腰掛けた。佐藤は、お茶を淹れて彼の前に置いた。
「どうして私のことを知った?」
私が尋ねると、男性は俯いたまま、震える声で答えた。
「ネットの…匿名掲示板です。新宿に、死神さんと呼ばれる人がいるって…噂を耳にして」
私は、その渾名が嫌いだった。だが、否定することもしなかった。
「依頼内容を聞こう」
男性は、その言葉を待っていたかのように、顔を上げた。その瞳には、深い絶望と、燃え盛る憎しみが宿っていた。
「ある男を…殺して欲しいんです」
私は、彼の言葉に表情一つ変えなかった。
「それは、私の仕事ではない」
きっぱりと断ると、男性は絶望に顔を歪ませた。
「でも…あなたは、死神さん、なんでしょう?人の命を奪うことだって、できるはずじゃ…」
「私の仕事は、人の命を救うことだ。奪うことではない」
私は、彼の目の奥にある死気をじっと見つめ、静かに言った。
「帰ってくれ」
男性は、力なく立ち上がった。まるで、魂が抜けてしまったかのように、その背中は小さく見えた。彼は何も言わず、事務所の扉を開けて出て行った。
扉が閉まると、佐藤は心配そうな顔で私を見た。
「あの人…本当に、大丈夫なんですか?」
私は、彼女の視線から逃げるように、煙草に火をつけた。
「さあな。だが、彼は嘘をついている」
佐藤が、驚いたように目を見開いた。
「嘘…ですか?」
「ああ。彼は、本当に誰かを殺してほしいわけじゃない。あれは、別の誰かに助けを求めている。だが、それを正直に言えない。そういう、ひねくれた感情だ」
私は、煙を吐き出しながら言った。
「佐藤さん、あの男を尾行して、詳しい話を聞いてきてくれ」
佐藤は、少し躊躇ったが、すぐに決意したように頷いた。
「わかりました。行ってきます」
彼女は、走り出すように事務所を飛び出していった。私は、一人残された事務所で、壁の時計を眺めていた。あの男のまとっていた死気は、他者から与えられたものだった。それは、彼の心を壊し、復讐心へと変えてしまった。
彼の本当の願いは、いったい何なのだろうか。




