047 遅くなって悪かったな…
夜も更け込み、雨ざらしになった身体は芯から冷えている。だが、心の奥底は怒りで燃えたままだった。
仄暗い洞窟の中を覗き込みながら、両手の指先を一本ずつ動かしていく。中にどれだけの敵が潜んでいるかは知らないが、足を踏み入れた時点から戦闘は覚悟しておくべきだろう。
事実、洞窟を守っていた見張り二人と、ステラを攫った馬車の御者を叩き伏せている。全員を適当な大木に拘束していた。
「ステラの元まで一直線に進む……それだけだよな」
誰に言うでもなくつぶやき、ぴょんぴょんとその場で軽くジャンプする。私とステラを結びつける大気の流れは顕在だ。後は流れを辿るだけでいい。そうすれば、私の目的は達成できるだろう。
一つ目は、誘拐されたステラの奪還。二つ目は、"憑依"の魔法使いの打倒。
魔法使いの様子を考えれば、ステラを放置するとも想えない。二人は必ず同じ場所にいるはずだ。……もし、いないのならば、ステラを担いで探しに行けばいい。何にせよ、私の弟子を傷つけた償いをさせねばならない。
軽く両膝を折り曲げ、身体を前へと傾けていく。指先を動かすと同時に風魔法が発動し、背中に向かって追い風が吹き荒れる。想い切り地面を蹴り上げた瞬間、私の身体は風に乗って突き進んでいた。
洞窟内の通路を勢い任せに走破していく。誰かれ構わず、すれ違うたびに腹部へこぶしを叩き込む。敵には一切容赦しなかった。私の通り過ぎた後には、昏睡者たちが転がっていた。
数分後、ステラとの繋がりを強く感じる部屋に到着する。走る勢いのままに蹴破ったドアの先には、岩、岩、祭壇と不気味な雰囲気が漂う。不自然に地面の一部が抉られ、砕けた岩が転がっていた。
予想した通りに、"憑依"の魔法使いと想われる男は立っていた。しかし、ステラの姿が見当たらない。岩と土で覆いつくされて人間の形をした『何か』……忘れもしない『バケモノ』が祭壇の上に載せられているだけだった。
見ただけで、どんな状況であるかは掴めてしまう。
沸き立つ怒りのままに、見下すような笑みが広がっていく。コツン、コツンとわざとらしく音を鳴らして歩いていた。
「だから言っただろ。お前は劣っている、と」
瞬間、魔法使いが憎らしげに睨みつけてくる。私は想わず鼻で笑っていた。
「文句があるのならば、早くステラを元の姿に戻したらどうだ?」
「……貴様!」
魔法使いの右手に握られたナイフ、その刃は半ばから折れてしまっている。祭壇を中心に地面へ描かれた文字を見れば、魔法を使っていたことは明らかだった。それよりも、問題なのは――。
「――お前、ステラを切りつけたのか?」
血で汚れた衣服の切れ端を見つけ、想わず声が低くなっていく。魔法使いには傷ついた様子がなく、地面に転がるナイフの刃先は赤く染まっている。その赤色が、誰の血であるかは考えるまでもない。
五メートル……四メートル……三メートル……。
距離は詰まっていくが、魔法使いに答える様子はない。折れたナイフを私に向けてはいる。しかし、そのナイフは無様に震えていた。
勝ち目がないことは察しているのか、魔法使いの憎々しげな顔は恐怖に染まりつつある。だから、油断していたのかもしれない。魔法使いの突然の行動に、私は即座に反応することはできなかった。
「……自殺したのか。本当に、勝手な奴だな」
自身の喉元に折れたナイフを突き刺し、魔法使いの身体が背中から倒れていた。地面には、赤い血溜まりが広がっていく。
小さくため息を吐き出し、握りしめていた両こぶしを解く。怒りの向先を失ったからと言え、死体を殴りつける趣味はなかった。
気持ちを切り替え、ステラの元まで歩き、そっと身体に触れる。岩と土で覆われ、肌のぬくもりは感じられない。胸元に手を置いても、呼吸で上下に動いているかすらも判然としなかった。
「遅くなって悪かったな」
口から謝罪の声が漏れるが、口まで固まったステラが答えるはずもない。
ステラ自身の肌が露出している場所はないか、そう想い風魔法で宙に浮かした後、縦、横と回転させていく。調査は難航するとも想えたが、想いのほか簡単に見つけられた。ステラが魔法使うために必要な両手のひらは、岩や土で隠されてはいなかったのだ。
岩塊と化したステラを垂直に立たせる。そして、ステラの右手のひらに触れた。
「冷たいな、ステラ」
氷のような肌に想わずつぶやいてしまう。衝動的に、ステラの手のひらに爪を突き立てていた。
「……まだ、意識は残っているんだな」
ピクリと小さくステラの身体が震え、両手だけが逃げるように動き出していた。安心感のあまり、私の口からは大きく息が漏れる。
ステラの意識が残っているならば、元に戻すこともできるはず。口まで固まっていなければ、私からキスしても良かったのだろうが……こればかりは仕方がない。
再びステラの手のひらに爪を押し当てる。強く、大きく、ゆっくりと一文字ずつ書き出していく。『吸収しろ』、と書けば相手が私だと理解はできるはずだ。後は、ステラが"吸収"を発動することを信じるだけだ。
抱きしめるようにステラと身体を触れ合わせ、お互いの両手のひらを重ねる。
数秒も経たない内に、私の意識は遠ざかっていった。
両手の指先以外、何も動かすことができない。目で何かを見ることも、鼻で臭いを感じることも、耳で音を聞くことも……何もできなかった。真っ暗な暗闇だけが広がっている。
ステラ、起きているか? おい、ステラ! バカ弟子!
心の奥底に向かい、何度も叫ぶが返事は返ってこない。たっぷりと一分間近く繰り返した後、私は気持ちを切り替えて指先を動かし始めていた。
身じろぎひとつできないのは、拷問に近かった。孤独しか覚えない暗闇の中から、一秒でも早く抜け出してしまいたい。
「――! ――!」
発動した瞬間、全身を押し潰しかねない重みが消え失せていく。ピクピク、とまぶたが勝手に動き、急に光が差し込んでくる。想わず目元を右手で覆っていた。
「――王女殿下! お前たち、背中を向けろ!」
唐突な女性の叫び声に、想わず顔を顰めてしまう。起き抜けに聞くには、あまりにも騒々しく気分が悪い。
「……お前が、どうしているんだよ?」
苦手な相手の顔が映り、訊ねる声は低くなる。そんな私とは裏腹に、フレンは騎士服の上着を脱ぎ、私の肩から掛けてきた。
「お話は後で伺いますから、先に上着を着ていただけますか?」
私の問いを無視し、フレンは背中を向けてくる。フレン以外の騎士たちも揃って背中を向けていた。
不気味な祭壇に、変に抉れた地面。場所は、私がステラを見つけた部屋で変わっていない。違うのは、フレンたち騎士がいることと、ステラのシャツが切り裂かれて半裸になっていたことだった。
認識した瞬間、肩に掛けられた上着を慌てて掴んで袖を通していた。




