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ココロのクモリ

 今日も特訓。でも思うように、昨日以上に身体が動かない。疲れているという訳では無い。天王寺さんに言われた。動きに明らかな迷いがあると。実際そうだ。今の俺は何をしていいのかわからない。色んなものを抱え込んで、押しつぶされている。具合が悪いのかと聞かれたが、特に問題は無い。とそれだけ言った。その後俺は何も言わなかった。

 早めに切り上げると言われた。仕方の無いことだ。今日これ以上やっても意味が無い。そう天王寺さんに言われた。


「あらお疲れー。班長なら先に帰ったわよー」

「そうですか」


 応接室に戻ってきたら、袴田さんが何やらテーブルに向かって作業をしていた。


「何してるんですか?」

「気になるー?」


 いえ、別にそんなことは。自分で聞いておいてそれを言うのもあれだが、それが本心なんで。そう言おうとしたが、そうする前に袴田さんが言葉を続ける。


「今ねー、文化祭用の短編書いているところなのー。それでどういった話にしようか考えてるところで」

「そうなんすか。てか文化祭、まだまだ先ですよね?」


 確か、うちの文化祭は秋だったと思う。今はまだ六月。それまでの期間は長い。


「早め早めに準備をしておくの」

「そういうもんですか」


 休もうと思い、彼女の向かいのソファーに腰かける。


「それにしてもどうしたの? 顔色が優れないようだけど」

「いえ疲れてるだけですよ」

「あらそう。それにしては、そんなふうにも思えないのだけど」


 袴田さんは作業をやめて立ち上がると、移動してきて俺の隣に座って来た。


「な、なんですか」

「気分転換がてらに、ちょっとお話でもしましょうか」

「わざわざこっち来なくたっていいじゃないですか!?」

「気にしない気にしない」


 俺が気になるの! いろんな意味で!

 ただ、先輩のご好意を無下にするのも失礼だ。少しくらいは話に付き合うことにしよう。


「急なんだけど、蓮君は麗奈にどういうイメージ持ってるー?」

「邦岡さんのことですか。てか急にどうしたんです」

「いいからいいから」


 邦岡さんのことか。そうだな……簡潔に。自分の知ってる限りで話してみる。


「しっかり者で頼りになるって感じで。こんな事言うのもあれですけど、天王寺さんより班長してるって気がします」

「成程。でも以前の麗奈って、なんかもっとお堅い感じでもあったのよねー」


 そう言うと、何故だかこの人は俺の方に顔を寄せてくる。


「な、何すかそんなにじっと見つめて。俺の顔になんかついてます?」

「なんかねぇー今の蓮君見てると、去年の麗奈のことを思い出すのよ」

「去年の邦岡さん?」

「そう。ある一件でちょっとミスをしちゃって。誰にも相談することなく、自分で責任全て抱え込んじゃって。それで無理して結果倒れちゃって、また苦労をかけたって嘆いちゃって」

「なんか意外ですね」

「話変わるけど、そういえば先週の件、紅葉ちゃんから聞いたのよ。なんか今週の蓮君は表情が怖いって。それであの時の麗奈のことを思い出したのよ」


 そうか。気づかないうちに紅葉にまで心配かけていたのか俺は。やっぱり俺って――――



 自己嫌悪になっていたら、横に座っていた袴田さんの左腕がこっちに伸びてくる。そしてぐいっと頭を寄せられて、そのまま頭から彼女の方に上半身が倒れていく。


「そーれー」


 ぽふんっと。なにか柔らかい感触が俺の頭を受け止めていた。でもソファーじゃない。これって……。


「そう暗い顔をしないの。私は麗奈や李梨華ちゃんみたく感が鋭いわけじゃないから、蓮君が何で悩んでるのかなんてわかんないけど、何かあったらいつでもお姉さんが慰めてあげる。それくらいはできるから」


 袴田さんの太ももの上に俺の頭はあった。そして彼女は右手で俺の頭を撫でてくれた。

 いきなりこんなことされたけど、驚く余裕もなかった。それ以上の感覚があった。暖かくていい香りがして、とても落ち着く。


 でもなんでだろう。なんで。なん、で……?


「あらあら。嬉しくて泣いちゃった?お姉さんってば悪い子」

「いえ、なんか……」


 気づけば俺は涙を流していた。今までこんなこと誰にも言えなくて、言える訳もなくて、全部抱えて、勝手に悩んで苦しんで、自分で自分を追い詰めていて。そんな自分が自分じゃないってようやく気づいて、情けなくなってきて……。

 でもこの人は、そんな俺を優しく受け止めてくれた。誰にも言わず、誰にも頼らず。一人で悩んでいた俺に、多少強引な形ではあったけど、手を差し出してくれた。


「いいのいいの。気が済むまで泣いたって。内緒にしといたげるから」

「あ゛りがどう、ございまずぅ……」


 それしか言葉が出なくて泣くしかなかった俺の事を、袴田さんは優しく慰めてくれた。こうして受け入れてくれる人がいるだけで、今は十分に嬉しかった。


 気がつけば、何分くらい泣いていたんだろう。


「あら。やっと泣き止んだ? その様子だと、よっぽど抱え込んでたみたいね。無理してたら、自分が真っ先に壊れちゃうわよ」

「すみません。でも誰かに話す気にもなれなくて……」

「プライドがあるのは悪いことじゃあないけど、あんまり大きすぎるとそのプライドも台無しよ」

「プライド。ってもんでもないんですけどね……」

「悩むことは誰にだってあるのよ。そんな時こそ孤独にならずに、誰かを頼りなさい。そうでなきゃ自分が自分で無くなっちゃうし、人の痛みのわからない人になるのよ」


 人の痛み……か。


「あの……もう少しこのままでもいいですか?」

「どうぞー。好きなだけ甘えてていいからねー」


 全てを忘れて、しばらくはこの夢心地に浸っていたかった。この時間だけは、全てを忘れてしまいたかった。



「ただ今戻り……」

「あ」

「あらー」


 という訳にもいかなかった。

 そういえば今日はかなり早く切り上げたから、放課後になってあんまり時間経ってなかったんだよなぁ。冷静に考えられるようになって、やっと気づいたよ。そろそろ見回り戻ってくる時間だって。それに今日の見回り担当、紅葉だったってことに。

 見られたくはなかった。こんなところ。特に彼女には。


「何やってるんですか!?」

「待ってくれ紅葉!? これには色々と経緯があってだな……」

「何って……落ち込んでるみたいだったから慰めていただけよー」

「人の彼氏を奪わないでくださーい! あと蓮君も易々とココロを奪われないでよ!」

「いやそういう訳じゃなくてだ……って何してんですか!?」


 紅葉は床に正座で座ると、太ももをペチペチと叩く。


「私の膝枕も貸したげるから! さぁ、飛び込んどいで!!」

「!?」


 身を翻してガタッと立ち上がる。落ち着け紅葉と言おうとしたんだが、そうする前に、近くにいた誰か……まぁ考えるまでもなく袴田さんに肩を押され。


「そーらいってこーい」

「あがっ!?」


 ふらりふらりとバランスを崩し、倒れた先には紅葉の姿。踏ん張ろうとして堪えようにももう遅い。そのまま吸い込まれるように俺の頭は彼女の膝枕に。


「(あっ。こっちもいい感触……)」

 こちらの感触もなかなか良いものであった。


「蓮君は強いもん! あんなやつなんかに負けないもん! だから自信持って! アイツをぶん殴ることだけ考えて!」

「紅葉、言い方。まぁありがとな」


 言葉は荒々しいけど、頭を撫でてくれた彼女の手は優しかった。


「やっぱりかなわないのねー」


「今戻っ……」

「「「あ……」」」


 そうだった。邦岡さんも見回り担当だった。

 このあと三人、赤面状態の邦岡さんから、手厚い制裁を受けました。

 でもおかげで全てが吹っ切れて、軽くなった。



 なにはともあれ、もう迷うのはやめにしよう。抱え込むのはやめにしよう。

 両親を亡くして、誰にも頼れなかった昔の俺ではない。今の俺には支えてくれる人たちがいる。信頼してくれる人たちがいる。そんな人たちを俺は守ってやりたい。それが不器用な俺にできる恩返しだ。

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