2-12 流星の光
楓はやはり迷った。自分に開かれたこの道を進むつもりには、どうしてもなれなかった。
迷いがせりあがるあまり、楓は寝床からずっと脱出ることができずにいた。
――なぜ、ためらってるの? 死ぬのが怖いから? 戦いたくないから?
どちらでもないように思えた。小川と天薙の元を去ったあとで、楓はとてつもない虚脱感に見舞われた。
――私は、結局何が起こっても、あの天薙という魔物と契約し、佐井さんのいいように使われるだろう。もう、この流れは決まってしまっている。
でなければ、小川さんが示した通りの展開。不思議なことに、気が触れる前兆を楓はわずかも感じなかった。諦観が楓を支配していた。
まだ太陽は傾く色を見せず、道路の側、通行人が途絶えることはない。
それまでほとんど知らない場所に案内されたために、家からは相当な距離。
遅れることを洞察し、スマホの電源を入れ家族にメールを送ろうとする。
だが、アプリを起動する直前、電話がかかった。
その番号は、永歌のものだ。
「もしもし?」
楓は平静をよそおいつつ対応に出る。
「ねえ、楓はどうして急に学校を出ちゃったの?」
そこに怒りや疑いの感情はない。素直に知りたがろうとしているからこそ、苦しい気分。
どう切り出せばいいか、何も思いつかない。
楓は沈黙していた。永歌はさらに、
「維光くんはそわそわしてるみたいだった。体育の時間の時にね、数分間遺失物をとりに校舎の方に戻ったらしいんだけど――どうしても、引っかかるんだよね」
真実を教えるわけにはいかない。このあまりに非情な世界に、この子を巻きこむなど許されない。
「引っかかるって?」
よそよそしい口調になるのは、やむをえない。
「何かを取りに行くって言ったのに、別に何か持参た風でもなかったし。授業が終わった後、透くんに何かの相談を持ちかけて、でも透くんは断って。でもそれ以上に言いたいことは――竹屋町くんが話してくれたことなの」
楓は一瞬永歌の通話を無慈悲に寸断てたくなったが、友達同士という理由でなんとかおしとどめた。もし永歌が真実に足を踏み入れたならと、気が気でない。
「ごめん。今、忙しくてさ――」
だが、鋭い声で楓に迫る永歌。
「ねえ、聴きたいの。維光くんの持ってる書が、私たちの知らないところでよくわかんない力を持ってるって、真実?」
いらつく心を抑えつつ、電柱によりかかる楓。
「なんで、私にそんなこと訊くの?」
「竹屋町くん、言ってたの。楓がずっと、維光くんのことを調べてたんじゃないかって」
「は……」
――ばれてたのか。思いがけない失態に激しい罪を感じる。
「私は何も考えてなかったんだけど、楓、維光をずっときつい目で視てたって竹屋町くんは言ってたの。ひょっとしたら、それは何かを知ってるからじゃないかって。透くんと、維光くんの秘密を」
楓はつい声を猛げてしまう。
「でも、それが何かあなたに関係ある? そんなの、竹屋町の推測じゃない!」
「透くんのことなら、関係あるの。私を助けてくれた命の恩人だから」
永歌の本気にあふれた言葉に、笑う余裕もない。
「透が、維光の秘密に関わってる証拠でもあるわけ?」
――なぜ、どいつもこいつも私に注目する! 怒るにも怒れない状況に、激高していく楓。
「私も、透くんが何か隠してるんじゃないかって疑ってたの。そして実際、私がそのことを伝えてみたら、透くんは何も私に教えてくれなかった。やっぱり透くんと維光くんはつながってる!」
永歌の方もそうとういきりたっていて、比較的低いおとなしいはずの音色がきんきんした調子に。
「楓なら、そのことを知ってるんでしょ!? ちゃんと、二人のことを覗き見てたんならさ!」
楓はもはや永歌の詰問とつきあう気にはなれなかった。
「もう、いいから」
場もわきまえず、舌打ちしていた。
「永歌、二度とそんなことで電話してこないで!」
「違う、私は楓を責めたいわけじゃなくて――」
永歌がしゃべり終える前に、電話を切っていた。
大人げない醜態をさらした、と楓はきまずい顔であたりを見回す。
さいわいにも今の通話を盗聴していた人間はいないらしい。誰もが、あくまでも楓のそばを無関心に通過ぎていく。
――まさか、今の言葉で意味が解かっちゃった人はいないはず。一所懸命、自分に言い聴かせるが、それでも不安な心は消えない。
けれど、問題は永歌たちだ。学校のみんなが、行使者と魔物のことを、薄々感づいている。
とても不堪忍。こんな秘密をかかえたまま、生きていくなんて。それに、佐井の言葉を思い出せ。二度とあの日常は復ってこないのだ。
あの千本楓は、すでに死んでしまった。
「……なんで……」
無自覚に、嘆きの言葉がもれでる。
「うそでしょ……」
小川の言葉通り、自分は生半可な覚悟しか有っていないのだ。本当に行使者になる勇気があるなら、この程度のことで恐懼いてはいない。
最初から、維光の秘密なんて探らなきゃよかった。
楓は帰道をたどろうとした。ところが、やはり小川のささやきが頭中をかけめぐる。
もしこのまま家に帰り、『普通の人間』として過ごそうと思えば、抹消だけなのだ。
逆にあの場所にもう一度おもむいて、魔物と契約してしまえば、普通の人間として生きられなくなる。
どっちが、好都合なのか。楓には、どうしても結論が出なかった。
今まで、人生でこれほどの決断を迫られたことはない。
――私の一存が決めることじゃない。こんなの、誰かに任せてしまいたい。
すると、自然に足が、あの場所へつながるルートを向いて、動き出した。
雑木林がかこみ、枯葉と砂が広がる。
街をやや遠ざかった山奥に、破棄てられた発電所。
人気のない道を、おそるおそる往く一人の少女。
――なぜ私は、ここに戻ってしまったのだろう。後悔しかないのに。
例のあの場所までもう少しというところで、数人の男が焚火をかこんで土砂の上に座っていた。
楓は、気がすくんで立ち止まった。
またもや、ためらいが生じたのだ。そして、男たちの内一人が、静止した楓に気が付き、起立。
「誰だ、お前?」
いかにも、気性の激しい顔を浮かべ、にらみつけてくる。
すると、他の数人も怒りをあらわに、楓に差し迫った。
「おい、ここは俺たちの秘密基地だぞ?」
「まさか好きでここに来たんじゃないだろうな?」
自分でも驚くほど、楓は男たちの威嚇に恐怖を覚えなかった。
行使者になるというとんでもない大ごとに比べれば、こんな奴らにからまれるなど物の数ではない。
「……私は決めたんです」
「おっ! てめえ、俺らとやりあうつもりか!?」
内の一人が、腕をならして歩きだす。
「気力があるならとことん遊ぼうぜえ、嬢ちゃん」
――行使者になれないのなら、どうなっても構わない。
男たちをありやかまきり同様に見なして、楓は彼らに歩み寄る。
――行使者にならず死ねるなら、それほど幸運なことはないんだから。
すると上から竜巻が降って来て、男たちを乱暴にふきとばした。
竜巻が回転を止めると、それは佐井だった。判断するまでもなく、異様な怒りを身にまとっている。
「このクソガキどもが!!」
ある奴は林へとつっこみ、その他は砂の上をころびまわる。
かすれたうめき声をあげながら、流血している男たちをよそに、ぶちぎれ真っただ中の行使者がどなる。
「佐井さん!?」
感情が佐井を完全に占拠っている。
「夷川透っ……あのマセガキ……!!」
透が、佐井さんに何かをしたのだろうか。もしかしたら、契約して、――佐井さんを倒したとでも?
どれにしろ、これで一歩には引けなくなった。
私は行使者になるわけだ。




