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2-11 悩みの終わり

 楓は眠れなかった。

 自分が行使者になる。維光や透に、自分がなる。想像するだけで身の毛がよだつ。

 一体、それで誰が得するのだ。あの佐井崇勝とかいう、可猜疑(うさんくさ)い人物の駒になるだけではないのか。第一、元の生活をもはや送れなくなるのだ。どう、家族や友人に伝えればいい。

 佐井のあの脅迫は、嫌でも忘れることはできない。


 ――忘れたのか? あともどりは、できない

 ――逃げようとしても無駄だ。維光が惑書を使役し、行使者の道を突き進んでいるという事実は!

 ――そして、惑書を始末したところで、維光は行使者であり続ける。もうあの日常は二度と回復(もど)らない!!


 楓は、もしかしたら首をつってしまうのではないかという恐怖にかられた。どう考えても、こんな事態に追いこまれた人間が理性を保てるとは思えない。

 だがもっと怖ろしいのは維光や透の方ではないか。彼らは行使者という非日常に身をおきながら、それを隠匿(つつみかく)し一見普通の人間として生きているのだから!

 楓は何度もこれを悪夢と思いこもうとした。何度もそう強く念じ、その悪夢から自分を解き放とうとした。

 けれど、夢はいまだに醒めない。当然だ、これこそが現実なのだから。あまりにも残酷な。

 ――あいつらは、何様なのよ。

 楓は、怒りの矛先を彼らに向けた。

 ――あいつらが(あや)まってこんな非日常に手を出さなければ、私もこんな嫌な目を見たはずがないのに!

 維光があの謎の(ほん)を拾ってから、全てが狂い出した。もう私も、その魔の手を逃れることはできそうにない。

 楓は、思考を転換する。

 悔恨(うらみつらみ)をいくら述べ立てても、現実は何も変わらない。むしろ、現実を元の形に正さなければならない。維光が惑書を手にする、それ以前の世界に。佐井にどう言われようが、関係ない。

 私は、私の道を適く。


「よく来たな!」

 ドアをたたいて中に入る。あるオフィスビルの一室。

 待ち構えていたのは佐井ではなかった。白いヘルメットとジャンパーで身をつつみ、黒い闇が顔をおおっている。

 見るからに怪しい、しかしどこか気迫を感じさせる人間。

「小川というものだ。佐井崇勝の行動に協力している。君の件はもう聴いているよ」

 小川の声は、まるで変成器にかけたように抑揚にとぼしい。だが、佐井に協力している人間という札のおかげで、それさえもこの男の不思議さを強調していた。

 緊張しながら、決意を固めようとする楓。――そう、私はもう決断したじゃない。行使者になって、あいつを止めるって!

「魔物と契約して、行使者になるというのがあんたの目的だったな」

「はい、そうです」 うなずく楓。

「普通なら魔物を行使者のため確保するなど、狂気の沙汰なのだがな」

 肩をあきれ気味にすくめるヘルメット。

「佐井という人のことを、どれほどご存知なのですか?」

 楓は、ずっと気になっていた質問を臆せずぶつける。

「……昨日奴かが教えたろう?」

 いまだに『不可信(しんじられない)』と否定する感情が楓にはあった。それに、佐井の言葉を全部記憶していたわけでもない。あまりに驚くべき情報の数々で、覚えきれなかったことも少なくなく。

「あの人は行使者で、銀という魔物を追っているのですよね?」

「そう。銀を捕まれば魔物がこの世に存在している原因が分かる。そして魔物の故郷である魔界への入り口が分かるかもしれん。そうすれば、魔界から魔物をやってくるのをせき止めて、この戦いの終止符を打つことができるとほざいておるがな」

 あまりにも大規模な話。楓は、その表面の意味しか理解できなかった。

 その時点で、楓は小川を佐井の盟友と全面的に信じていた。むろん人間として信用しているわけではないが、自分でも知らないうちに出会ったばかりの小川に対する恐怖心を棄去っていたのである。

「あの……」

 ――もしかしたら、私はこの人たちの口車に載せられてるだけではないのか。楓の心に、どうしても疑念

「小川さんは、行使者ですか?」

「何?」

 無機質な口調だが、ヘルメットの闇の向こうから険しい顔つきが想像できた。

「この世界に関わった人間の一人でも、行使者でない奴がいると思うか?」

 若干速まった口調に、行間を読み取ろうとする楓。時間は迫っているのだ。こんな場所で無駄話にひたっている余裕などない、とこの男は。

「失礼しました……では私はこれからどうすれば?」

「ここから場所を移そう」

 とドアノブをにぎる小川。

「ちょっと一般の人間に知られては困るところでな。秘密は守ってくれるな?」

 寸前(さきほど)から全く変わらない声色で、恐怖を余計にかきたてられる。

「も、もちろんです!」

 ――もしそれをばらしてしまったら、箝口(くちふうじ)をくらってもおかしくない。何より、家族にも友達にも知られてはいけないのだから。

 数秒を措いて、ドアノブを小川は傾ける。

「よし、了解した」

 その音で、楓は自分がもう一生出られない迷宮に入った気がした。

「お前はもう以前の千本楓じゃない。あの千本楓は死んだ。どこにもいはしない」

 楓は、またもや激しい迷いに駆られる。

 小川は何一つなぐさめる言葉を発してくれない。それは当然だとしても、もう誰も救いの手をさしのべてくれない世界で、楓の精神は荒野の真ん中に遺棄されていた。


 一人の軍服が座って楓と小川をにらみつけている。

 写真で観る、一昔の軍人のような姿。肩章にしても、襟から垂れる紐も。

「お前が、例の小娘か」

 魔物が開口一番、尖った声で。

 楓はその時点で、人間とはまるきり違った気がその魔物を覆っているのを感じた。外見は人間でも、その中身は人間とは何の共通点もない。それなのに、人間と同じ姿を採っていることの、不気味さ。

「千本楓と言います……」

 小川は手を楓にのべて、紹介する。

「今回、魔物と契約して、行使者になりたいと考えている女の子だ」

「やめておくがいい」

 魔物の耳から黒い煙がもれ、すすで汚れた天井に向かって流れる。

「お前もかつては魔物を擁する儼然(れっき)とした行使者だった。ところがいまやしもべを喪い、格上の行使者に対して平伏せねばならん、衰退(おちぶ)れた惰弱」

「天薙、それはこの子に対する弁解にも何にもなっておらんぞ」

「黙れ!」

 叫んだ。急に火花がそのまわりに飛び散って、煙の幕が厚くなってあたりの情景を隠してしまった。

 突然の現象に、せきこみつつ驚愕する楓。だが、煙はさほど有害なものではないらしく、見えなくなると急にその不快感もうせた。

 依然として椅子に座ったままの魔物。表情もなお機嫌が悪い。

「実に短気な魔物だ、天薙」

 舌打ちしたのだろうか、小川から奇妙な高音が響く。

「この小娘には何の興味もないぞ。そもそも、魔物と人間は心に共鳴するものがあってこそ契約できるのであって、軽い気持ちで契約などできるものではない」

「別に今やれ、というつもりは少しもないさ」

 楓は、目前で二人が繰り広げる相談(やりとり)を聴き、何も言えなくなった。

 これこそが、非日常の深奥で広がる世界。普通に生活をしていれば、死ぬまで関わるはずのない世界のはずなのだ。

 だがその世界へ進出した少数派の中に、彼女。

「この子は我々の世界に入ってからまだ数日もたってない。しかしじきに、決意せねばならんくなるよ」

 小川はついで少女に向きを変え、

「どうだ、覚悟は決まったかね?」

 気軽な感じで。

 その質問で、楓の決意が一気にぐらついた。

「わ、分かりません」

 大汗を顔にかきながら、目つきも口元も葛藤にゆがむ。

 大きく息をはくと同時に、今度は真横に煙を噴射する天薙。

「どうだ小川、この小娘はやはり行使者になりたくないとほざいておるぞ」

「さて、どうかな。もし本当になりたくないならこっちも手を使わねばならん」

 小川はするとポケットに手を突っこみ、何かを取りだすそぶりを見せる。

 その意味するところを一瞬で察し、楓はさらに震動(みぶるい)を激しく。

「な……なります! なります……」

「生半可な回答だ。その覚悟では十分ではない」

 小川は冷酷(ひややか)に。

 天薙の体からは寒い風が吹いてくる。

「私をこのまま拘留して、ただで済むとでも思っているのか」

「魔物の権威のおかげで、お前の体は不安なくここにつなぎとめることができるよ」

 楓は、小川という人間の言動から、魔物の方が人間よりよっぽど無害な存在だと確信した。結局、Homo homini lupus.――人間にとって人間は狼。

 魔物相手に不動の心を示したまま、小川はふたたび楓の方を向いて告げる。少女は、今にもここから離れたそうな顔つき。

「出直して来い。その心を鍛え直すことだ」

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