第3話:15%の壁——リナの記憶
訓練三日目の夜。
エルの効率は、15%まで上昇していた。
『エル・アルシェラ:魔法効率推移』
『初日:0.004%』
『二日目:3.2%』
『三日目:15.1%』
三日で15%。
驚異的な成長だ。
だが——壁にぶつかっていた。
「《ファイア・ボール》!」
『消費MP:42』
『効率:14.8%』
『灰排出:35.7kg』
「くっ……また下がった……」
エルが、悔しそうに唇を噛む。
この三日間、彼女は睡眠時間を削り、食事の時間も惜しんで、ひたすら訓練を続けた。
指先には魔法の使いすぎでかすかな火傷の跡。目の下には隈。
それでも、15%の壁を越えられない。
「エル。休憩しろ」
「でも、まだ——」
「無理をしても効率は上がらない。むしろ下がる」
俺は、焚き火に薪を足した。
パチパチと音を立てて、炎が揺れる。
エルが、疲れた体を俺の隣に沈めた。
「……カイさん」
「何だ」
「私、やっぱり才能ないのかも……」
「なぜそう思う」
「だって……三日も練習して、まだ15%で……カイさんは98%なのに……」
「俺が98%になるまで、何年かかったと思う?」
エルが、顔を上げた。
「……何年ですか?」
「12年だ」
「じゅ、12年……!」
「お前は三日で15%だ。俺が三日目の時は、まだ2%だった」
エルの目が、驚きで見開かれる。
「カイさんも……最初は、低かったんですか?」
「当たり前だ。最初から98%の人間なんていない」
俺は、焚き火を見つめた。
炎が揺れている。オレンジ色の光が、灰色の森を照らしている。
——12年前。
この炎と同じ色の髪をした少女がいた。
「……俺が効率化を始めたのは、12歳の時だ」
「12歳……」
「妹が死んだ年だ」
エルが、息を呑んだ。
「妹……さん?」
「リナ、という名前だった」
俺は、静かに語り始めた。
12年間、誰にも話さなかったことを。
*
リナは、生まれつき体が弱かった。
魔力回路に欠陥があり、魔法を使うことができなかった。
貴族の家に生まれながら、『欠陥品』と呼ばれた。
父はリナを恥じ、屋敷の奥に閉じ込めた。
母は何も言わず、父に従った。
使用人たちは、リナを見て見ぬふりをした。
俺だけが、リナの部屋に通い続けた。
「お兄ちゃん、今日も来てくれたの?」
リナは、いつも笑っていた。
窓から差し込む光の中で、オレンジ色の髪が輝いていた。
彼女の部屋には暖房がなかった。父が、『欠陥品にマナを使う必要はない』と言ったからだ。
だから俺は、自分のマナを使って、彼女の部屋を暖めた。
「お兄ちゃんの魔法、温かいね」
「当たり前だ。お前のために使ってるんだから」
「ありがとう、お兄ちゃん」
リナは、いつも俺に笑いかけた。
その笑顔が、俺の世界の全てだった。
*
12歳の冬。
リナは、肺炎にかかった。
灰塵肺だ。
屋敷の隙間から入り込んだ灰を、知らず知らずのうちに吸い込んでいたのだ。
治療に必要なマナは、500MPだった。
俺は父に頼んだ。
「お願いします、父上。リナを治療してください」
父は、冷たく言い放った。
「欠陥品に使うマナはない」
「でも、リナは死んでしまいます!」
「死ねばいい。元々、生まれてくるべきではなかった」
俺は、自分の貯金を全て使って、治療師を呼ぼうとした。
だが、500MPは——12歳の俺には、途方もない金額だった。
リナは、三日後に死んだ。
俺の腕の中で。
「お兄ちゃん……寒いね……」
「大丈夫だ、リナ。俺が温めてやる」
「お兄ちゃんの魔法……温かい……」
リナは、最後まで笑っていた。
「ありがとう……お兄ちゃん……」
彼女の体が、冷たくなっていくのを——俺は、ただ抱きしめていることしかできなかった。
その年。
父が装飾魔法に使ったマナは、45,000MPだった。
宝石を輝かせるためだけに。
服を豪華に見せるためだけに。
リナを、90回救えた量だ。
*
「……それから俺は、数字を見るようになった」
俺は、焚き火を見つめたまま言った。
「誰が、何に、どれだけのマナを使っているのか。どれだけの命が、『無駄』によって失われているのか」
エルの頬を、涙が伝っていた。
「カイさん……」
「才能なんて関係ない。俺がここまで来れたのは——ただ、リナを忘れたくなかったからだ」
俺は、空を見上げた。
灰が、降っている。
リナを殺した、灰が。
「この世界では、毎年何万人もの人間が、『無駄』によって死んでいる。暖房が足りなくて凍死する者。灰塵肺で窒息する者。治療を受けられずに病死する者」
「……」
「その全員を——俺は救いたい」
エルが、ゆっくりと立ち上がった。
涙を拭いて、俺を真っ直ぐに見た。
「……私も」
「何?」
「私も、救いたい。私の無駄で、誰かが死ぬのは——もう、嫌です」
エルが、両手を前に出した。
「もう一度、教えてください。15%の壁を越える方法を」
俺は、彼女を見上げた。
月明かりに照らされた銀髪。涙で濡れた、だが強い意志を宿したエメラルドの瞳。
——リナに、少しだけ似ていた。
「……いいだろう」
俺は、立ち上がった。
「15%の壁を越えるには、『形』を見るのをやめる必要がある」




