第1話:灰の森の浪費家
王都を追放されてから三日。
俺は南西に広がる『灰の森』を歩いていた。
足を踏み出すたびに、灰が舞い上がる。
くるぶしまで埋まるほどの、灰。
かつてこの森は、『翠緑の回廊』と呼ばれていた。世界樹の根の一部が通い、豊かなマナに満ち、緑が生い茂る楽園だったという。
だが今は——
灰色の木々が、骨のように突き立っている。
葉は一枚もない。樹皮は剥がれ、灰に覆われ、まるで墓標のようだ。
空は鉛色。太陽の光は灰雲に遮られ、昼なのに薄暗い。
風が吹くたびに、灰が渦を巻く。
俺は、布で口元を覆った。
灰を吸い込めば、肺を蝕む。庶民街では『灰塵肺』で死ぬ者が後を絶たない。
『現在位置:王都エルディアより南西230km』
『周辺マナ濃度:0.3MP/㎥(通常値の15%)』
『灰堆積深度:平均38cm』
『生態系状態:壊滅』
『備考:この森の再生に必要なマナ:推定8,000,000MP』
8,000,000MP。
それだけあれば、この森は蘇る。
だが——
『優先度判定:ランク外』
『理由:同じマナを都市部の効率化に投資すれば、より多くの人命を救える』
俺は、枯れた木の幹に手を当てた。
冷たい。
灰に覆われて、石のように冷たい。
かつてこの木には、命があった。
葉が茂り、鳥が巣を作り、リスが駆け回っていたはずだ。
「……すまない」
誰にともなく、俺は呟いた。
世界を救うために、お前たちを見捨てることを——
その時だった。
*
空が、燃えた。
いや——燃えたなんてものじゃない。
太陽が、落ちてきた。
「——!?」
轟音と共に、巨大な火柱が森に降り注ぐ。
熱波が頬を焼く。灰が一瞬で蒸発し、枯れ木が炭化していく。
俺は反射的に防御魔法を展開しようとして——やめた。
マナ・レジャーが、即座に分析を終えていたからだ。
『検出:火炎魔法』
『消費MP:18,000』
『効率:0.004%』
『適正消費MP:0.7』
『浪費量:17,999.3MP』
『灰排出量:359.9kg(瞬間)』
『換算:一般家庭18世帯の年間暖房費に相当』
『換算:凍死を防げた人数:約60名分』
0.004%。
俺は今まで、数百人の魔道士を見てきた。
平均的な魔道士の効率は5〜10%。優秀な宮廷魔道士でも15〜20%。
俺自身は、98%以上を維持している。
だが——0.004%?
逆に才能だ。
どうやったら、そこまで無駄にできる?
火柱が森に降り注ぐ。枯れた木々が、次々と炭化していく。
俺は最小限の魔法を展開した。
「《マナ・リフレクション》」
『消費MP:2』
『効率:99.2%』
『灰排出:0.016kg』
熱波を逸らす。頬を熱風が掠めたが、致命傷は避けられた。
「——あ」
間抜けな声が、上から聞こえた。
「ごめんなさい」
俺は顔を上げた。
木の上に——少女がいた。
銀色の髪が、風に揺れている。
灰色の世界で、彼女の髪だけが月光のように輝いている。
エメラルドの瞳。細身の体。ぼろぼろのローブ。
そして——長い耳。
震えている。寒さか、怯えか、あるいはその両方か。
エルフだ。
俺のマナ・レジャーが、彼女をスキャンする。
『種族:ハイエルフ』
『年齢:推定120歳(外見年齢16歳相当)』
『体温:34.2℃(低体温症の初期段階)』
『栄養状態:不良(推定3日間の絶食)』
『所持マナ:∞(測定限界超過)』
『マナ効率:0.1%未満』
『マナ供給源:世界樹(!)』
『警告:この個体は世界樹のアバター(端末)である可能性が極めて高い』
——所持マナ、無限?
世界樹と直結?
世界樹は、数百年前に枯れかけたはずだ。
なのに、この少女は——
「あの、その……虫を追い払おうと思って」
少女が、ふわりと魔力で浮遊しながら木から降りてくる。
『浮遊魔法:消費800MP/分』
『適正消費:0.5MP/分』
『浪費率:99.94%』
『灰排出:16kg/分』
俺は、頭を抱えたくなった。
彼女が1分間浮いているだけで、16kgの灰が世界に降る。
歩けば、ほぼゼロだ。
「……虫を追い払うのに、18,000MPも使ったのか?」
「えっと……使いすぎ、でした?」
少女が、きょとんとした顔で首を傾げる。
使いすぎどころの話じゃない。
18,000MPあれば——
リナを、36回救えた。
俺は、その考えを振り払った。
「お前、名前は?」
「エルです! エル・アルシェラ」
少女が、ぺこりとお辞儀をした。
その拍子に、また魔力が暴発した。
『検出:魔力放出(無意識)』
『消費MP:3,000』
『効果:なし』
『灰排出:60kg』
お辞儀しただけで、60kgの灰。
「最後のハイエルフ……って、自分で言うのは恥ずかしいんですけど」
エル・アルシェラ。
俺のマナ・レジャーが、追加情報を表示する。
『エル・アルシェラ:世界樹の意志を継ぐ最後のハイエルフ』
『特記事項:彼女のマナは世界樹の根を通じて循環している』
『彼女が浪費するほど、世界樹の負担が増大し、灰の発生が加速する』
『推定:彼女一人の浪費で、世界の寿命が年間12日短縮されている』
年間12日。
この少女が存在するだけで、世界は12日早く死ぬ。
だが——逆に言えば。
この少女を最適化すれば、世界は12日以上延命できる。
「エル」
俺は、彼女を真っ直ぐに見た。
「君に、提案がある」
「え?」
「君の魔法を、最適化させてくれ」




