(第七十一話)天変地異・その一
村を隅々まで見て回るうち、シペは一体の死体に目を留めた。
「これならいいだろう」
見た感じでは、事切れてからそれ程時間が経っていないようである。
成人直前と思しき、うら若い青年の死体。
偶然にも、それは自分に似ていた。
(——)
何の感慨も示さず、シペは手を伸ばす。
(——スッ)
まるで霧が溶け込むかのように、一瞬で乗り移った。
「……!!!」
その時、地面に突っ伏していた死体が、弾かれたように起き上がった。
「……」
青年の身体は、確かに立っている。
だが、その目には生気がない。
それでも、前だけはしっかり見据え、その場を走り去った。
(メリッ、メリッ……)
一歩、また一歩と足を進める度、青年の皮膚が少しずつ捲れていく。
剥がれた皮膚の下からは、腐りかけて黒ずんだ骨肉が覗けている。
それでも、青年は止まらなかった。
◆
その頃テスカトリポカは、いつの間にか初老の男性に憑依していた。
「ふん」
周囲の人間を殺し終えた彼は、荒い鼻息を立ててその場を去ろうとした。
——その時。
(ザクッ……ザクッ……)
どこからか、砂利を踏み締める音が聞こえる。
「ん?」
そこに現れたのは一人の青年だった。
その皮膚は指先から肘にかけて大きく剥がれ、だらりと垂れている。
誰が来たのかすぐわかった。
「……よくわかったな。俺がここにいると」
「袂こそ分かったが、お前は俺の家族だ。その気になれば、居場所を探し当てるのは容易い」
「……俺を止めに来たのか」
「ああ。至る所で、人間が次々に殺されている。お前の仕業だろう」
「……ふっ」
「何の目的かは知らないが、今すぐにやめろ。生命の均衡が崩れる。そうなれば、俺たちも——」
「やはり、お前は何もわかっていないようだな」テスカトリポカはシペの言葉を遮る。
「いつもそうだ。均衡が崩れるだのなんだの言って、意地でも現状維持したがる」
背を向けていたテスカトリポカは、振り返るなりシペの胸ぐらを掴んだ。
「そういうのを何というか、わかるか?」
(——ギリッ)
力任せに掴まれた瞬間、青年の皮膚が裂ける。
胸元から肉が剥がれ、その下の骨まで露出した。
「”腰抜けだ”!!」
「く……っ」
「どうだ? このまま全部剥いてやろうか?」
(バシッ!)シペはテスカトリポカの手を払いのける。
「そっちがその気なら……」
シペは懐から、トウモロコシ——否、それによく似た形状の小刀を出した。
鈍い光を放つ刃が、闇の中に浮かび上がった。
「ほう」
テスカトリポカは、怯むどころか、嬉しそうに口角を上げた。
その禍々しい輝きは、シペよりも自分自身に似合っている。
「これならどうだ!!」
突然、テスカトリポカの手から漆黒の波動が放たれた。
「!!」
シペは咄嗟に回避する。
だが、波動は間髪入れずに飛んでくる。
一息つく余裕など、皆無だった。
この時のシペにできることは、逃げることだけだった。
◆
闇の波動を辛うじて躱しながら、シペは木陰へ身を滑り込ませる。
「……」
ふと見たのは自分の手だった。
暗闇で異様に冴える目に、剥き出しの骨肉がいやがうえにも焼き付く。
(逃げ一辺倒ではあいつの思うままだ)
そう思ったシペは、一か八かの作戦に出た。
(これを使えばあいつを止められる。だがその代償として、今生きている多くの命を終わらせることになる)
テスカトリポカを野放しにすれば、世界そのものが終わりかねない。
それを考えれば、個々の生命が失われることなど気にしていられない。
シペにとって重要なのは、ただ一つ。
均衡が保たれることである。
だが今回は違う。
(メリッ、メリッ……)
皮膚の剥離が、全身へと広がっていく。
それでも、シペは一歩も退かなかった。
◆
シペは膝をつくと、掌を力の限り地面へ押しつけた。
(終焉を待つ森羅万象よ……)
声を小さくせざるを得ない。
テスカトリポカに居場所を悟られないためだ。
だが、その言葉に込められた意思は揺るがない。
(この手に集え!)
すると、シペの手の周囲が淡い金色に輝いた。
同時に、世界の至る所で、弱っていた草花が枯れた。
それだけではない。
花も、虫も、動物も、そして人間も。
僅かな生命力で生き永らえていた者全てが事切れた。
シペに命を”吸われた”のだ。
(……来た!)
ものの数分も立たずに、膨大な量の生命が集まった。
「う……っ!!」
手が焼けるように熱くなり、シペは思わず手を離す。
そして大きく上げた後、全身の力を込めて地面に叩きつけた。
(これであいつはもう、逃げられまい)
そう呟いた瞬間——。
(ドゴゴゴゴゴォ……)
シペの周囲で大きな地響きが起こり、木々が一斉に天へと伸び始めた。
一部の木についていた実が落ちたかと思うと、忽ち芽を出し、親と同じ大木となって、その後を追うようにぐんぐん伸びていった。
少し離れたところでは蕾が一斉に花開き、空を染める勢いで花粉を飛ばした。
魚や虫、鳥の卵も次々と孵って産声が上がった。
世界各地で、生と死の循環が、異様な速さで繰り返されている。
それはシペの背後でも起きていた。
「!?」
突如地中から生えた蔓が、闇の神を拘束した。
◆
「くっ……貴様……」
テスカトリポカの呻き声が、シペの背後で聞こえた。
(——)
シペはテスカトリポカに背を向けたまま、膝をついている。
一度も振り向いていない。
それでもわかる。
闇の神の動きを止めるには、自分のしたことが十分だったと。
(どうなっているか……)
シペが徐に振り向くと、想像通りの光景が広がっていた。
(止めを刺すなら、今のうちだ)
手に握り締めた小刀を、闇の神に突き刺そうと向かうシペ。
だが——。
「……?」
切先が届く寸前、小刀が消えた。
自分の体が、妙に熱い。
「……!?」
嫌な予感がして、シペは恐る恐る視線を下ろした。
「……!!??」
小刀が、何故か自分の腹に突き刺さっていた。
「はははっ!」
背後から、笑い声が響く。
「そんな小芝居に騙されるとはな」
シペが振り向いた先には、蔓など最初から存在しなかったかのように、何事もなく立っているテスカトリポカの姿があった。
「な、何だと……貴様……!」
「この俺を舐めるからこうなるんだ」
テスカトリポカはシペの腹から小刀を奪い、その体を滅多刺しにする。
「ついでに皮も剥いでやろうかと思ったが……いいか」
テスカトリポカは、かつて家族——もとい兄弟だった相手を嘲りながら見下ろす。
「俺と同じ『原初の四柱』がこの様とは……情けないな」
その時。
「!」
テスカトリポカの黒曜石の鏡が艶めいた。
同時に、シペの体から全ての皮膚が剥けた。
「……呆気ないな」
シペの依代が、限界を迎えている。
この後、この体がどうなるかはわかりきっていた。
「……」
憑依していたシペも、満身創痍となっている。
言葉はおろか、息をする余裕すらなくしたようだ。
「この様とはいえ、力は弱くはない。“糧”としては十分だ」
再び鏡が光り、シペはその中に取り込まれてしまった。
程なくして、青年は骨ごと塵となって消えてしまった。
◆
「さて……」
静まり返った村に立つ闇の神は、ゆっくりと周囲を見渡す。
「次は、どいつにするか」
今の依代も、そう長くは持たない。
一刻も早く、次の器を探さなければならない。
「この骸も、長くは持たないだろうからな」
テスカトリポカは、新たな集落を目指して一歩を踏み出した。
その背後には、生と死が狂ったように循環した大地が残された。




