(第七話)遥かなる神話の時代 その4
次なる太陽の時代が到来する少し前――。
「何たることだ!!」
ウィツィロポチトリが怒りを露わにした。チャルチウィトリクエが太陽の座を降ろされて以降、世界は闇に包まれていた。
「地上は水浸しだわ人間は魚になるわ……おまけに太陽まで流されてしまった!!」
「落ち着け、ウィツィロポチトリ」
シペ・トテックが肩にそっと手を乗せ、彼を宥める。
「お前が怒りたくなる気持ちはわかる。太陽が全く姿を見せない日がこうも続くのは前代未聞だ。兎に角、まずは新たな太陽を呼ばないと……」
「でもどうするんだ?玉座に座る者を選ぶだけで太陽が現れるとは、とても思えない」
ウィツィロポチトリの言うことは尤もだった。シペ・トテックは考えた。
「オメテオトルにどうするか聞いてみるか……」
―――
「それで、オメテオトルは何て言ったの?」
「実は、その返事はすぐには返ってこなかったんだ。神々は手持無沙汰になってしまった。そこで、次の太陽の座を選ぶのに先駆けて、人間を創ることを決めたんだ」
「人間?いなくなっちゃったのにどうやって?」
「幸い、先の時代の人間の骨が残っていた。それを使ったんだ」
「へぇー」
「だが……その”人間を創る”のが……ちょっと手間取ったんだ」
―――
「ないなぁ……」
「ここにもないわね……」
「骨ぇー!どこぉー!?」
「呼んだって来ないってば……」
方々で神々の声が響く。総出で地上を隈なく探しているが、骨はどこにも見当たらなかった。
「んあぁ~やっぱねぇか」
休む暇なく骨を探す仲間を尻目に、ケツァルコアトルは寝転がっていた。
「おいケツァルコアトル!」
「あぁ~?何だよウィツィロポチトリぃ~」
「お前も探せ!ずっと寝転がってばかりいて……」
「みんなあっちこっち探し尽くしたんだろ~?今更俺が行ったって……」
「いい加減探さないと……」
怒りが滾るウィツィロポチトリの腕に、太陽と見紛う光が集う。
「あわわわ!!わかったわかった、俺も探すよ!だからシウコアトル【※1】使うのはやめろ!!」
ウィツィロポチトリはゆっくりと手を下ろした。
「お前はどこを探すんだ」
「そうだなあ……ミクトラン【※2】なんかどうだ?」
「えぇ!?」
その場にいた神々が、一斉にケツァルコアトルの方を向いた。
「正気か!?」
「本当に行くつもりなの?」
「ミクトランテクートリに何かされるぞ……」
「他を探せばいいのに」
「散々地上を探し回ってないんだったら、後はミクトランくらいしかない。骨がまさか、天高く昇るわけあるかってんだ」
「……そうだな」シペ・トテックが言った。
「これだけ探してもないとなると……あまり考えたくはないが、そこにあると思わざるを得ない」
「だろ?やっぱり」
「行ってこい。くれぐれもミクトランテクートリを怒らせる真似はするな」
「なあ、ショロトルも連れてっていいか?」
ケツァルコアトルに視線を合わせられ、ショロトルはぎょっとした。そしてすぐに頭を抱え、蹲ってしまった。
「……無理か」
―――
「こうして、ケツァルコアトルは単身ミクトランへ向かった。幾層にも重なる地下世界を潜り抜け、色々な動物に襲われながらも何とか切り抜けて、ミクトランに着いたんだ」
「骨はあったの?」
「ケツァルコアトルはミクトランテクートリに謁見し、骨をよこせと言った。その声はあまりにも気だるげで、明らかに礼を欠いていた。当然、ミクトランテクートリは怒ったんだ」
「じゃあ、骨もらえなかったの……?」
「ミクトランテクートリは骨を渡すと約束した」
「何だ。よかった」
「但し、それには条件が付いていたんだ……」
―――
「何だよ……”この法螺貝を吹き鳴らしてミクトラン四周したら骨をやる”って……」
ケツァルコアトルはミクトランテクートリの元を離れて歩き回っている。法螺貝を渡されてから何度も息を入れているが、音は一向に出ない。
「おかしいな……」
暗闇の中、ケツァルコアトルは目を凝らす。法螺貝の小さな凹凸や穴の有無まで、指で触りもしながら存在を確かめた。
「……あ!」
ケツァルコアトルは気づいた。法螺貝に穴が一つも空いていなかったのだ。
「あいつ……俺を嵌めやがったな!」
ケツァルコアトルはミクトランテクートリのところへ戻ろうと足を動かした。すると――。
「ん?」
足元に何かを感じた。柔らかくぶにっとしたもの。そして微かな「ブーン……」という音――。
(これ、まさか……)
危うく踏みかけたものと、音を鳴らして飛んでいたものを、ケツァルコアトルはそっと手に取る。そこにいたのは、小さな虫と蜂だった。
「!」ケツァルコアトルは閃いた。
「こいつは……使える!」
―――
「ケツァルコアトルは虫に穴を開けさせ、蜂を入れて音を鳴らした。そのままミクトランを四周して、意気揚々とミクトランテクートリの元に帰って来た。”細工に細工で返して何が悪い”、と言ってな」
「これでやっと骨が貰えるね!」
「ミクトランテクートリは骨を渡した。だが細工を見破られたのが余程悔しかったのか、骨を持って出たケツァルコアトルを、手下の動物に襲わせたんだ」
「ケツァルコアトルは無事だったの?」
「重傷を負ったが、何とか脱出に成功した。骨も持ち帰れたが、籠が何度も落ちた衝撃でバラバラになってしまったんだ」
「それで大丈夫だったの?」
「神々がそれに血を注ぐと、みるみる人間の姿へと変わった。僕たちと同じ人間が生まれたんだ」
「そっか……だからテパたちもいるんだね」
「まあ……骨がバラバラになった影響で、人間も背丈がバラバラになったんだがな」
夜はますます更けていく。長々と話していたシンも流石に眠くなってきた。だが、彼の肩に寄りかかって話を聞いているテパは、話が進む毎に目を輝かせている。それは夜空を彩る月よりも、そして星々よりも明るい輝きだった。それを見つめるうちに、シンもすっかり眠ることを忘れてしまった。
「ケツァルコアトルが地上に戻り、新たな人間が生まれても、オメテオトルからの返事はなかった」
「じゃあ、また神様たちは手持無沙汰になっちゃったの?」
「全く、というわけではなかった。ケツァルコアトルが人間の世話をすることになったんだ」
「え……」
テパは思い出した。地上ではケツァルコアトルが碌に骨を探さなかったことを。
「まさか……ずっと寝転がってたんじゃないよね??」
「と思うだろ?だがケツァルコアトルはしっかり、愛情を込めて人間の世話をしたんだ。自分を見て無邪気に甘える姿が、とても可愛らしかったそうでな」
「へぇーそうなんだ。びっくり!」
「しかも、それだけじゃない――」
―――
「……えぇ……??」
困惑する神々の視線の先にはケツァルコアトルがいた。嘗ては荒々しく怠け者だった彼が、穏やかな微笑みを浮かべている。
「お、お前……一体どうなっちまったんだよ……?」
「もう今まで通りには振舞わない」ケツァルコアトルは胸を張って答えた。
「私は変わったんだ。人間たちの手本とならなければな」
「おいお前……」シペ・トテックが近づいてきた。
「まさかぁぁぁ偽物じゃないだろうなぁぁぁぁ……!?」
「ぁいいいいいぃぃぃぃ痛い痛い痛い!!」
力一杯皮膚という皮膚を引っ張られ、ケツァルコアトルはもがいた。
「おいおい嘘だろ……?」
「あわわ……」
「そんなまさか……ねえ?」
「うわーん!ケツァルコアトルがどっか行っちゃったー!」
神々を取り巻く困惑の雰囲気は、止まる気配がない。ただ一人、ショロトルはその渦に呑まれていなかった。
(兄上がそんなに変わったようには、見えないけどなぁ……)
―――
「信じられない……ケツァルコアトルがそんなに変わったなんて……」
「でもこれはつまり、ケツァルコアトルがそれだけ人間を愛してくださっていることでもある」
「ケツァルコアトルは……人間の為に色々なことをしてくれたの?」
「ああ。例えば、お腹を空かせた人間の為に、食料を探したりもしたんだ」
―――
ある日、ケツァルコアトルは小高い山に赤い蟻が入っていくのを見つけた。それを見て何かを感じ、黒い蟻に変身して問うた。
「蟻君、何処へ行くんだい?」
赤い蟻は言った。
「この先に食べ物があるんです」
「ついていってもいいかな?」
「え……」赤い蟻は躊躇う。
「頼む、この通りだから」
「でも……」
「連 れ て 行 け!!!」
(はっ……!)
うっかり地が出てしまった。我に返って焦るケツァルコアトル。その前では赤い蟻が怯え切っていた。
「すまない……手荒なことをしてしまった」
「……ついてきてください」
赤い蟻は恐れが抜けきらないまま、ケツァルコアトルを案内する。
―――
「暫くして天地が震えるような轟音が響いた。神々が驚いて振り向くと、そこにはケツァルコアトルがいて、山を砕いていたんだ」
「えぇ!?赤い蟻がいるのに!?」
「勿論出て行ってからやった。崩れた山の中からは、大量の食糧が出てきたんだ」
―――
「おーい皆、食糧を運ぶのを手伝ってくれ!」
ケツァルコアトルは溢れ出た食糧に埋もれながら神々を呼ぶ。するとトラロックが飛びつくようにやってきた。
「ほーら人間、食べ物だよー!」
人間に食糧をばら撒くトラロックは、すっかり得意満々になっていた。
「へへっ、ボク偉いでしょ」
そこへ背後からウィシュトシワトルが現れた。
「もう、変なところで出しゃばるんじゃないわよ!」
トラロックの頭に、大きなたんこぶができた。
【※1】シウコアトル……トルコ石のように青い蛇を象った武器。
【※2】ミクトラン……アステカ神話における冥界。




