(第六話)遥かなる神話の時代 その3
「テスカトリポカの視線の先にいたのは、雨の神トラロックだった」
「そうそうトラロック。知ってるよ」
「この時を以て、『第三の太陽の時代』が始まった」
「どんな時代だったんだろう……」
―――
「これが太陽かぁ、面白いなぁ!」
燦燦と輝く太陽の玉座に、トラロックは腰を下ろしている。
「テスカトリポカやケツァルコアトルと同じことができた!やっぱりボクは偉い!」
トラロックの誇らしげな声が、天空いっぱいに響き渡った。
だが喜んでいたのはトラロックだけだった。彼が坐する太陽の下には黒い雲が厚く重なり、下界の方々でひっきりなしに雷雨を発生させていたのである。
「ああ、また雨か……」
「全然降らないのも困りものだけど……こう何度も降っちゃ、外を歩けないわ」
人間たちは、何日にも亘って降り続ける雨に溜息をついた。
その頃。神々は洞窟に集まり、雨宿りをしていた。
「どういうことだこれは……いくらなんでも降りすぎだろ……」
一同がうんざりして口を開く気すら削がれていた中、テスカトリポカが零した。
「あいつ……まさか地上が見えないのをいいことに、力を好き放題使ってるんじゃないだろうな……?」
―――
「トラロック……そんなことしてたの?恵みの雨を降らせてくれる神様だと思ってたのに……」
「気まぐれなところがおありだからな。逆に数日間全く雨を降らせず、地上を干上がらせてしまったこともある」
「それでも、人間は暮らしていけたの?」
「ああ。トラロックは、流石に大地が滅びるまでのことはなさらなかった」
「この時代の人間って、何をしてたの?」
「第二の太陽の時代の頃とあまり変わらなかったそうだ。人間の姿形も、同じだったらしい」
「……でもさ」テパが急に暗い声になった。
「この時代も、終わっちゃうんだよね」
「そうだ。始まって364年で、『第三の太陽の時代』は終わったんだ」
―――
「うっ!うわっ、はぁぁ……」
大海原の真ん中で、息を切らしながら浮かぶ者がいた。ウィシュトシワトルだ。
「おーい、何やってんだよーぉ?」
空から自分を揶揄う声がして、ウィシュトシワトルは顔を顰めた。
「何って……見ればわかるでしょ」
「お前が見当たらないなぁ~と思って探してたら、まさかこんなところでプカプカ浮いてたとはな」
「あいつが雨ばっかり降らすから、どこもかしこも洪水だらけで、このザマよ」
「チャルチウィトリクエまで面白がって水増やしてるしな」
「もう我慢できないわ……ねぇケツァルコアトル」
「んあぁ?」
「ケ ツ ァ ル コ ア ト ル!!!」
耳を劈く声が響いた。ケツァルコアトルは耳を壊されたかと思った。
「わあっ!?」
「あいつを止めて!」
「何だよ~んなのじぶんでやりゃあいいだろうが」
「これで何をしろってのよ!大体あんた、前は太陽だったのよ!?あいつを止める力くらいあるでしょ!?早くやって!!」
「んもぉ~しょうがねぇなあ」
―――
「ケツァルコアトルは火の雨を降らせた。それは雨雲を超えて遠く天まで巻き込んだ。トラロックが驚いた時、火の雨が集まって巨大な手になって、トラロックを太陽の座から引き摺り下ろしたんだ」
「地上では何が起きたの?」
「多くの生き物が焼かれた。もちろん人間も巻き込まれた。生き残った人間は、犬、七面鳥、そして蝶になった」
「あっ……」テパの額を冷や汗が伝う。
「七面鳥……食べたことある……あれも元々人間だったんだ……」
「僕たちに馴染みのあるものは、過去の太陽の時代には人間だった、というものが多い」
「……」テパはごくりと息を呑んだ。
(これからは、今まで通りに七面鳥を食べられないかも……)
外では日が沈み、星が一つ、二つと見え始めていた。テパとシンがいる家の中もすっかり暗くなり、互いの顔が見えにくくなっている。
「次は『第四の太陽の時代』だ」
「ケツァルコアトルが太陽になったの?」
「いや、なったのはチャルチウィトリクエだ。トラロックが下ろされた後、空いていた玉座に、チャルチウィトリクエがちゃっかり座っていたそうだ。そのまま、彼女の時代が始まったんだ」
「人間は……生き物たちは、どう暮らしてたの?」
「生き物は暮らしていけたが……とにかく、あちこち水が多かったらしい」
「それってまさか……」
「ああ。第三の太陽の時代と、同じようなことが起きてな……」
―――
「あーもう!つまんなーい!」
チャルチウィトリクエが遥か天上で、玉座に座りながら不満を漏らしていた。興味本位で就いた太陽の座には訪ねる者もなく、戯れ好きだった彼女とはとても相性が悪かった。
「こうなったら、みんなを呼ぼーっと!」
その日、地上ではよく晴れていた。とはいえどこもかしこも水が溢れ返っているので、神々は陸地を探すのも億劫になり、日がな一日
泳ぎ続けていた。
「!?」
突然、神々を巻き込む巨大な渦が発生した。やがてそれは柱状を成し、天をめがけて勢いよく昇っていった。
「うわあああぁぁぁ!!」
その時、地上から神々が――消えた。
天高い太陽の前にて。
「わぁーい!みんな来た~」
「……」
「面白かったぁ?」
「お前は降りろ!!!」
「あわわわわああ!」
チャルチウィトリクエは太陽の玉座から引き摺り下ろされた。この時、またしても天地を呑み込む洪水が起きた。
―――
「怒った神々は満場一致でチャルチウィトリクエを下ろしたんだ」
「ありゃりゃ……」
「しかもチャルチウィトリクエは、下ろされる間際にも洪水を起こした。それで……」
「……まさか、また人間が何かに変わったの?」
「魚になった」
「え……」テパの額にまたしても冷や汗が流れる。
「テパが食べてるの、また人間だったやつだ……」
テパはうっすら吐き気を催した。
外では夜がどんどん更けていった。星々に囲まれるように、月が美しく輝いている。日が出ている時は生温かった風も、流石に夜になると冷たくなった。
「シン……」テパが声を震わせている。
「寒い」
「ティルマ貸そうか?」
「いい。シンも寒くなっちゃう」
「……」
「ねえシン……」テパはシンの方へ、膝歩きで近寄る。
「神話の続き、教えて」
テパはシンにもたれかかる。シンは驚いてどけようとしたが、できなかった。
(こいつ……何でこんな目をしてるんだ……)
とろんとした、まどろむような目。安心してもたれる体。その二つは、外から差し込む月の光にうっすらと照らされた。それがえも言われぬ神秘性を帯びていて、シンは暫く見惚れていた。




