(第四十六話)闇の神の魔手
シンとテパは球体の中で拘束されていた。
四肢の自由は奪われ、できることといえば、視線を彷徨わせることくらいしかない。
「あなたたちにしたい話はねぇ……」
ザワリが口を開いた途端、空間内に充満する血の匂いが、一層濃くなった。
それだけではない。
耳元をぬめりと舐められるような、肌がざわつく不快な感覚が纏わりついた。
「テスカトリポカ様のは・な・し」
ザワリはゆっくりとシンに歩み寄り、その顎を足先で持ち上げ、顔を覗き込む。
その唇には、底意地の悪い笑みが浮かんでいる。
「聞いたわよ。あなた、元はこの世界の人間じゃないんでしょ?」
◆
「!!」
隣で一部始終を見ていたテパは思い出した。
以前、シンはこう言っていたのだ――。
『変な話だと思うだろうが……僕は、初めからこの世界にいたんじゃない』
続けてシンはこうも言った。
『”ここに来る前に、別の世界にいたような気がする”んだ』
『今となっては記憶も曖昧だが……ここよりもずっと暗い、ジメッとしたところで生まれたんだ』
あの時は話半分に聞いていた。
”ここじゃない別の世界”から来たなんて、唐突に言われても信じられなかった。
そして何より、その後に語られた、姉との別離の話が悲しすぎた――。
(そんな……)
シンはテパの目の前で、目を見開いたまま動かない。
何かに、強烈に怯えているようだ。
(シン、本当に、この世界の人じゃないの……?)
◆
その後も、ザワリはシンの前に立ち続けていた。
「顔を上げなさい」
薄く毛が生えた足が、シンの顎をくいと上げる。
「あなたに見て欲しいものがあるの」
そう言うとザワリは糸を丸め、爪先で練って形を整え、シンに見せた。
その姿は男と女のようである。夫婦にも見える。
だが、一つ奇妙な点があった。
その夫婦の顔は――骸骨だった。
「この二人に見覚えはない?」
「……!」
その時、ただでさえ大きく開かれていた目が、一瞬で閉じた。
シンはうっすらと、最悪の真実を思い出していたのだ――。
(やめろ……やめろ……)
悪夢が蘇る。
払っても払っても、新たな悪夢が現れる。
振り払った筈の悪夢も、それに招かれるかのように、どこか別のところから現れる。
骸骨の顔をした夫婦。
周りに積まれた骨の山。
飛び交う蝙蝠。
不吉な声で鳴く梟。
そして――。
夫婦の間から、次々と人の影が現れる。
彼らの体には、青白く光る血が流れていた。
心臓から全身へと、ぼんやりと脈打ちながら――。
次から次へとシンの前に現れる人影。
悪夢の中にいるそれは、眼窩がぼこりと空いた穴だけの目で、シンを見つめている。
何かを訴えたいようにも見えるその目に、シンは抗いようのない恐怖を抱いた。
――全員、他人の気がしないのだ。
「――――っ!!」
シンは必死で言い聞かせた。
これは夢なのだと。
現実ではない。
瞼をこじ開ければ、この嫌な世界から解放されるのだと――。
だが、鉛のように重い瞼は、どうしても開かなかった。
◆
やがて、シンより少し年上そうな、若い女性の影が現れた。
(シ……ン……)
穏やかで優しい声。
包容力のある、懐かしさすら感じる声。
それなのに、全身に鳥肌が立つほど恐ろしい。
彼女もやはり穴だけの目、人間とはとても思えない目をしているのだ……。
(いらっ……しゃ……い)
影はゆっくりと、シンに手を伸ばした。
「――っ!!」
シンは俯いたまま、動かなくなってしまった。
◆
テパはいつの間にか、再びシンに目を向けた。
(シン……)
シンは何も言わない。顔も見せてくれない。
心配になる一方で、テパの胸の奥では別の感情が燻っていた。
(……本当に……?)
ずっと信じていたシンを疑いたくない。
疑う自分を、受け入れたくない。
だが疑念は、シンを見れば見る程重く、濃くなっていく。
(シン、何か隠してるの……?)
◆
「う~ん」
「!?」
不意に、先程の爪がテパの顎に触れた。
ザワリはそのまま、顔を近づける。
逃げようのない圧迫感に、テパの額から冷や汗が溢れた。
「あなたには……特に何も言ってなかったわ」
矢鱈と顔を近づけた割に、ザワリはあっさりと興味をなくした。
だがテパは、その背中を見て少しも安心できなかった。
(……ぁ……)
寧ろ、何か大事な秘密を見透かされたように思えた。
言いようのない感覚。
その正体は――全くわからない。
◆
「さぁて」
ザワリは粗方話し終え、肩を竦める。
ここまで来れば、やることは一つ――二人の始末だ。
(でも……二人纏めて始末するのは癪だわ。面白くないもの)
そこでザワリは、テパの口を塞いで喉元に爪を突きつけた。
そして、俯いたシンの顎をぐいっと上げ、視線を向けさせる。
「ぼうやぁ、ぼさっとしてるとこの子が死ぬわよ?」
(!!……!!)
テパは気づいて貰いたい一心で、必死に藻掻いた。
だが、声は潰れ、届かない。
シンは視線すら向けない。
「ねぇ、この子が死んでもいいの~?」
ザワリは何度も煽るが、シンは全く顔を上げない。
その様は、まるで”犬”を倒す前に見た死体のようだった。
(シン……そんな……)
テパは、はっきりと理解した。
――自分は、ここで殺される。
◆
その頃、闇に閉ざされた空間にて。
「……ふむ」
テスカトリポカが、漆黒の鏡を興味深く見つめている。
その中では――テパが殺されかけ、シンは死んだように動かない。
「気の毒だが、お前の子はもう終わりだ」
横に侍るチャアクに向かって、主は冷ややかに告げる。
「……!」
あまりの非情さに耐えかね、チャアクは背を向ける。そして必死に心の中で祈った。
(誰か……誰か、テパとシンを……助けてくれ……)




