第二話「魔法と家庭教師」
この世界の魔法は少し変わっている。
まず、基礎魔法六種というほとんどの人種が使う事のできる魔法がある。
特に三段階に分けられた内の初級魔法は三歳の子供でも魔法陣を描いて発動することができるのだ。
もちろん初級の威力は小さく、例えば火の初級魔法『火弾』を受けても軽い火傷を負う程度だ。それでも当たり所によっては重傷になる可能性もあるので、僕もジェイクハルトも言葉を覚えるまでペンを与えられなかった。
中級魔法になると、大人でも使えない魔法が出てくる。
それは使う能力がないのではなく、単純に〝魔力が足りない“だけらしい。
逆に言えば魔力さえあれば子供でも上級魔法を使えるとジェイクハルトは言っていた。
基礎魔法と呼ばれる所以は登竜門という意味ではなく、応用魔法の土台という意味だ。
「基礎魔法は魔法じゃないの。今までにこの世界で起きた事象を持ち出すだけなのよ」
ジェイクハルトは聡明で魔法について何でも知っている。
オルアルク家に出入りする人間は少ないというのに、その知識量は蔵書では補えない量だ。
「基礎魔法すら碌に使えないクリアハルトは魔法の才能がないのかもね」
ジェイクハルトに言われると本当にそんな気がしてくる。
両親はそんな事ないと励ましてくれたが、基礎魔法はスポーツに例えると走ったり跳んだり身体を使った基礎動作に当たる。基礎魔法が使えないと言う事は走る事すらできないと言う事になる。
つまりは相当な魔法音痴か、魔法を使うにあたって何かしらの障害があるか、だ。
応用魔法になってくると、今の僕には到底理解できない仕組みだった。
オルアルク家で応用魔法を使えるのは回復魔法の一部を使えるアネスタくらいだ。
と言っても本人は使えないと否定していたので真偽は確かではない。僕がジェイクハルトと喧嘩して怪我をする度、寝ている間に治してくれる人は誰なのだろうか。
もしかしたらジェイクハルトだったら応用魔法を使えるかもしれない。
本人は「もし使えるなら私は稀代の魔導士になれるわね」と鼻で笑っていたが、裏庭に置かれた兎を模した陶器は基礎魔法では作り出せないと思う。屋敷の誰に聞いても買った覚えはないと言うし、犯人は兄以外にあり得ない。
問いただすほどの事ではなかったので放置しているが、もし応用魔法を使えるなら僕に教えてくれても良いのにな……。
僕はジェイクハルトの事が苦手だけど、目を合わせるだけでどうすればいいか分からなくなるほど苦手だけど、それでも好きだった。
物語の主人公のような兄。
綺麗で、聡明で、魔法の才能に溢れ、立ち振る舞いは貴族そのもの。
女性に生まれていれば間違いなく国王に見初められていただろうに……。
物心ついた時からいつか分かり合える日が来ればいいなと思っていたけど、十歳になった今でも兄の事は何一つ分からないままである。
夏がやってきた。
日本の夏よりも若干涼しく、過ごしやすい季節だ。もしかしたら僕達の体が寒暖に強いのかもしれない。
いやそんな事よりも、いよいよ僕とジェイクハルトに家庭教師が付く事になった!
この国の家庭教師は十歳から十三歳までの三年間、魔法や剣術、知識や教養など様々な分野を雇い主の子に伝授する。どちらかと言えば師匠と言った感じだ。
「まずは自己紹介からしてもらうか」
中庭に並んだ男女十名の家庭教師候補。
家庭教師ギルドに頼んだ精鋭なので、誰を選んでも間違いはないとベルハルトは笑った。
左端の男が一歩前に出る。
燃えるような髪が特徴で二十代くらいの若い青年だ。
「シェラヌス=アルバードと申します。家庭教師歴は五年。二人の子供を育てた経験があります」
「ほう、五年。家庭教師は三年間の教育が通例。理由を尋ねても良いかな?」
ベルハルトが自身の青い髭を触りながら、品定めするように聞いた。
アルバードは元気よく返事すると、説明を始める。
「はい! 二人目の子供は私と相性が良く、二年で教えるべき全てを教え終わりました! 残りの一年は共に国内を旅し、見聞を深める事ができました!」
「なるほど、自身の成長にも繋がったから一年間は抜いたと?」
「その通りです」
アルバートは自慢するでも謙遜するでもない様子で頷いた。
見た目も清潔感があり、喋り方も流暢で信用できそうだ。
「うん、素晴らしいな。ありがとうアルバート」
「失礼します」
家庭教師の選別は自己紹介が終わると客間に戻って待機する流れとなっている。
家庭教師ギルドは国の補助も出ていて監査も入るため、その辺の教育はきっちりできている様子だ。
「次は……、ほう? 君はもしかして……」
「……ご察しの通り、竜人です」
眼に白い部分が見えず、ホラー映画の悪魔のように見える。
体格は二メートルを超えており筋骨隆々で、堅苦しい言葉が良く似合う。
上半身は裸で、下半身は布を巻いているだけ。
……家庭教師としてはどうなんだこれ。
だけど、ドラゴンと人間のハーフである竜人は世界でも数百人しかいないとされる希少種で、圧倒的な魔力と強靭な肉体を持つ。寿命もドラゴンと同じくらい長く、千年生きるとも万年生きるとも言われている。その分知識や教養に長け、教わる事も多い。
「エクブフ=ドラゴン=サンドールと申します。家庭教師歴は百二十年です」
「ひゃ……、ひゃく……」
同僚ではないのだろうか。
隣にいた家庭教師が唖然としていた。
その隣の女性はがっくりと肩を落としている。
サンドールがいたら選ばれないと思ったのだろうか。
だがどんな人にも、竜人にも欠点はあるもので。
「私の教えは少し厳しく、大抵の子供は一年と持ちません。優しく教えたい場合は別の家庭教師を雇うと良いでしょう」
「ふむ、正直な所は好感が持てますな」
ベルハルトは雇い主でありながらもサンドールより年下であった為に、妙な口調になっていた。
サンドールは軽く頭を下げると、客間に向かっていく。
その背中は世界中を敵に回しても怖くなさそうな威圧感を放っていた。
僕としては教わってみたい気もするけど、……少し怖い。
三人目から六人目は、サンドールの勢いに負けてしどろもどろだった。
ベルハルトは僕達に優しい父だったが他人には厳しく、彼らを叱咤して屋敷から追い出してしまった。
七人目の獣人と八人目の青年は自ら辞退してしまった。
理由は告げなかったがサンドールの存在感と厳しいベルハルトに諦めてしまったのだろう。
そしていよいよ自己紹介も九人目となった。
今の所二人しかまともに自己紹介できておらず、ベルハルトの表情にも曇りが見える。
さらに彼に追い打ちを掛けたのは、九人目の候補が見た目には十四、五の少女だった事だ。ジェイクハルトと同じくらい綺麗な銀髪、瞳は金色に光り、顔立ちは柔らかい。
どちらかと言えばまだ教わる側ではないだろうか。
「私の名前はリンクル=ドラゴン=クィンクと申します。去年まで魔法の研究を続けていたので家庭教師歴はないですが、しっかり役目を勤めたいと思います」
ペコリと頭を下げる少女。女子中学生が背伸びしたように喋り方だ。
「ふぅむ、君も竜人なのか?」
「はい! 二十五歳なのでベルハルト様より年下でございます」
「そうか。家庭教師は剣術の指南も業務に含まれているが、戦う事は出来るのか?」
「ご安心ください。これでもレイブランド剣術大会に出場しておりますので!」
「ほう! ここ最近は参加していなかったが、君のような若い女性が勝ち残るとは!」
「二回戦で負けてしまいましたが……」
「いやいや、あの大会は出場する事すら難しい。ちなみに剣の流派は?」
「自己流です! 基礎は竜神一刀流を取り入れさせていただきましたが」
ベルハルトは魔法よりも剣で生きてきた人間だ。どうやらクィンクとは話が合うらしい。
そういえばクィンクの目は普通の人間と変わらないけど、竜人にも色んな種がいるんだろうか。
「それでは、失礼します」
クィンクはペコリと頭を下げると、軽やかな足取りで去っていった。
前世でも多様な人種のいる国は驚きに満ちていたんだろうなぁ……。
「クリアハルト、お前はあの子にしろよ」
先ほどまで家庭教師に一切興味を示さず、一言も発しなかったジェイクハルトが僕の肘を突いた。その顔はどこか楽しそうで、修学旅行で好きな子を問いただす悪友のようだ。……修学旅行に行けなかったからイメージだけど。
「そういうジェイクハルトはどうなの? 気に入った人いる?」
「強いて言うなら竜人の男に教わっても良いけど、竜人って自分の事を特別だと思ってるから嫌いなのよね」
竜人が自分を特別扱いしているなんて聞いた事もない。
本当にジェイクハルトの知識はどこからやってくるのだろうか。
「最後は君か。フードで顔が見えなかったが、女性のようだね」
「はい」
全身を覆い隠すようなフードを被った女性が、一歩前に出る。
声質は若々しく、立ち姿は凛として美しい。
ゆっくりとフードを外すと、ピンと尖った耳が現れた。
その瞬間、ジェイクハルトが声をあげる。
「あ……、ああ……」
ジェイクハルトは今にも泣きだしそうな顔で、最後の家庭教師候補に近づいた。
僕でもすぐ分かった。彼女はそう――エルフだ。
エルフに憧れ、自身もエルフになりたいと言ったジェイクハルトにとって、この出会いは運命的に感じたはずだ。
太陽の光で二人は輝き、まるで神話の一幕のような神々しさがあった。
「どうした、ジェイクハルト」
「あ、いえ。何でもありません」
それにしてもジェイクハルトのエルフに対する執心めいた憧れは異常だ。
この屋敷にはエルフの情報などほとんどなく、歴史書に数行、説明文が書かれているだけというのに。
「君はその……エルフなのか?」
ベルハルトの問いに彼女は首を振った。
その瞬間、ジェイクハルトの顔が絶望に染まる。
「いえ、私はハーフエルフです。エルフの耳が残っている程度のただの人間です」
「そうか。詮索するような真似をしてすまんな」
「大丈夫です。よく聞かれますので」
ハーフエルフ。
言葉だけ聞くと人間とエルフのハーフみたいだけど違うのだろうか。
尖った耳、クリアブルーの瞳、白い肌。
少し線が細くて身体は弱そうだ。
「バルサ。家庭教師歴は十二年。四人の家庭教師を担当し、いずれの生徒も国立レイブランド学校へ入学して頂きました」
「ほうっ、名門じゃないか! 一般合格させたと言う事か?」
「はい。私は魔法よりも剣を教えるのが得意なので戦術試験で」
「それは良い! あそこは優秀な剣術家が沢山いるからな! やはり男なら剣士にならなくては!」
バルサは口数が少なく、表情に乏しかった。
痩せ細った身体と相まって病気ではないかと勘ぐってしまう。
するとジェイクハルトが一歩前に出た。
挑戦的な表情で、僕以外の誰も見た事のない本当のジェイクハルトだった。
「君、ハーフエルフって言ったね」
「はい。スラム街出身なので詳しい事は分かりませんが」
「ふぅん。それより、ハーフエルフならエルフの事どう思ってるんだよ」
その瞬間、ベルハルトの表情がサァと青くなった。
この国においてエルフの話は禁句だ。
戦争に発展しないまでも関係は緊張状態にあり、万が一彼女がエルフ主義者だったら捕まえなければならない。
どうやらバルサの事をかなり気に入っていたみたいだ。
バルサはジェイクハルトの視線など気にもしていない様子で、空を見たり地面を見たりした後、
「異国の人、と言った所でしょうか」
と、抑揚のない声で答えた。
ジェイクハルトはギリと歯ぎしりすると、振り返って僕の隣へと戻る。
そして、僕の肩にポンと手を置いて、
「決めたよ。僕はバルサから教わる。クリアハルトはあの竜人の女だ」
と言った。
ジェイクハルトの横暴には慣れているが、これはあまりにも酷い。
家庭教師の選別は将来を決める重要なイベントだ。
父様とも良く話し合ってから決めたかったのに。
「バルサとクィンクか。うむ、良いだろう」
父様の頭の中はジェイクハルトを剣士にする事でいっぱいになっていた。
きっと僕が誰を指名しようと許可されたことだろう。
「バルサ。これからよろしく」
ジェイクハルトが僕の身体に体重を預けながら言った。
バルサはペコリと頭を下げると、客間へと足を向ける。
「では、結果の報告をしてきます」
「うむ、頼んだ。君達の荷物はこちらで運ぶように手配しておこう」
あっという間に決まってしまった。
僕にとって大切な決断がこんなにもあっさりと。
ああ、だからジェイクハルトは苦手なんだ。
◇
◇
◇
サンドールの立ち振舞いを見た時、私は身体が震えあがってしまった。
クリアハルトはあの竜人に剣術を教わったのだ。
そして、私をいとも容易く殺す事ができた。
絶対に彼らを引き寄せてはならない。
だから私はクリアハルトの家庭教師を役に立ちそうもない竜人の女にした。
これで一つ将来への懸念が解消された。
万が一私がクリアハルトを殺し損ねても、この世界のフレアハートは殺されない可能性が出てきたのだ。
この世界のフレアハートにジェイクハルトの魂が宿っている可能性はあるが、エルフには魔力を視認する秘術がある。人間の魂が宿っていれば必ず気づくはずだ。
「それでは、今日からジェイクハルトの家庭教師を務めさせていただきます。先生、もしくは師とお呼びください」
「私はクリアハルトの家庭教師を務めさせていただきます。好きなように呼んで頂いて結構ですよ」
私は魔法の指導をクリアハルトと一緒に受ける事を父上に提案した。
理由は何とでもなる。
バルサが魔法は苦手と言っていたし、私は魔法が得意なのでクリアハルトに教える事ができる。弟に私の、エルフの秘術を教える気はないが。
目的は監視の為だ。
クリアハルトが妙な真似をしないように、クィンクが弟を歪めてしまう知識を教えないように。
父上はすぐに承諾した。
バルサさえいれば私が国立レイブランド学校で剣士として大成してくれると信じているのだろう。
私がバルサから何を教わると言うのだ。
エルフの誇りを捨て、人間に媚びへつらう情けないエルフもどき。
家庭教師に選んだのは私が彼女から何かを教わるからではない。
私がバルサにエルフの全てを教え込む為だ。
時間はたっぷりとある。
三年後には優秀なエルフの駒として働いてもらう。
人間世界から崩していくのも、それはそれで楽しいかもしれないな。