第十五話「始まらない物語」
アネスタの部屋から蟻の巣状に広がる地下施設は、たった二ヵ月で迷宮と呼べるほどの規模になってきた。
オルアルク家に関わるほとんどの人間は地下施設の構造を把握しており、彼らにとって最も大切な会議部屋へと迷わず進める事ができる。
会議部屋はクリアハルトのデザインによって異世界の洗練されたデザインが採用されている。円卓の机に座り心地の良い椅子、壁には山と空の描かれた絵が飾られていた。
空調システムも異世界の理念が組み込まれていた。
普段の地下施設は空気が停滞しており、長時間滞在すると酸素が薄まるように設計されている。それを防ぐ為には入り口かもしくは会議室に設置された空調システムを魔法で稼働させなければならない。空調システムを稼働させる為の扉は魔法で細工がしてあり、基礎魔法六種の一種、光の初級魔法「白光」を使わなければ見つける事ができない。この辺りになってくると元研究者のクィンクとジェイクハルトの趣味の領域とも言えるだろう。
「私が稼働させておきます」
会議部屋に一番乗りしたバルサが小さく手を上げて部屋の奥へと進んで行った。それを見たジェイクハルトが肩を竦め、クリアハルトの顔を見る。
「全く、誰のおかげでやる気が出ているのかしら?」
クリアハルトは薄明かりに溶け込む黒い瞳を左右に泳がせながら、
「さぁ、僕に言われても」
と、誤魔化した。
それを見たジェイクハルトがエメラルドグリーンの瞳を光らせ、銀髪を魔力で浮かせながら弟を壁に追いやった。
「その動揺、あーやーしーなー?」
一見すると美少年二人が戯れているようだが、後から来たクィンクは慌てて二人を引き離す。
「ちょっとちょっと! 不純異性交遊は独立式を迎える今年の夏までなしでしょ!」
クィンクの見た目はクリアハルトよりもオルアルク家の人間として相応しかった。
銀髪を腰まで伸ばし、金色の瞳を輝かせる。
肌は白く、年の割に容姿は幼い。
彼女は竜人と呼ばれるドラゴンと人間のハーフで、クリアハルトの家庭教師をしている。
「不純異性交遊って僕は男の子なんだけどなー」
ジェイクハルトが演技をするように大袈裟な動きでクリアハルトの顔に自分の顔を寄せた。お互いに顔立ちが整っているが、ジェイクハルトの完成された美貌の前にクリアハルトは頬を赤らめるしかなかった。
ジェイクハルトは皆に元エルフの転生者で女である事を打ち明けて以来、周囲に対する応対が変化していた。女性には女性らしく振る舞い、父親には息子として接する。母親には場面によって甘えん坊な娘のように接したり、頼れる息子のように接したり使い分けている。そしてクリアハルトに対しては“ズカズカと心に踏みいる姉”を演出していた。
「フレアハート、今すぐその場を離れるべきです」
空調システムを稼働させたバルサが、初級魔法「光矢」を発動する。光の弓は限界まで弧を描き、いつでも魔法の矢を放てる状態になっていた。
バルサにフレアハートと呼ばれたジェイクハルトは“本名を呼ばれた事”が嬉しいのか、軽やかなステップでクリアハルトから離れる。そのまま最奥の席に座って満足げに部屋を見渡した。
「お父様は不参加だし、そろそろ始めましょうか」
ジェイクハルトが座ったまま両手を広げると、促されるように残りのメンバーも席に着く。予めアネスタの用意していた茶菓子を摘まみながら会議は幕を開けた。
(本当にこんな呑気で良いのだろうか……)
クリアハルトは心の不安を消化しきれない様子だった。
数週間前から始まった「崩壊戦争を防ぐための会議」。
エルフと人間の間で数年に渡って行われる国家間の戦争。
両国民の大多数が戦死し、若者達の未来が消費されていく。
その時は数年後に迫っているのだ。
前世でも戦争を体験した事のないクリアハルトが不安に思うのは無理もなかった。
◆
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崩壊戦争について
発端:レイブランド暦1016年にレイブランド二十二世により、非常事態宣言が発令される。それに対してアルティア側も戦争状態である事を宣言する。
※現在1011年
原因:レイブランド側が資源の枯渇によりアルティアに対して領土の一部を解放するように打診し、断られた事が原因とされている。
※現状見る限りレイブランドの資源が枯渇する様子はなく、魔石の採掘により資源はむしろ潤沢になってきている。
北方平原が主な戦場となり、多くの戦死者で溢れかえる。
※エルフ側は南北に走る断崖絶壁をすり抜ける為の応用魔法を開発していたが、1020年時点では施工段階にすら至ってはいない。
年表
1015年
完全に国交を断絶し、北方平原に多数の地雷魔法が設置される。
お互い軍備強化が高まり、国民の緊張が高まる。
1016年
レイブランドが非常事態宣言を発令すると共に大規模な上級魔法で北方平原の地雷魔法を排除し始める。その動きを見てアルティアが戦争状態である事を国民に宣言して多数の軍を北方平原に集める。
1017年
地雷魔法はほとんど排除され、お互いの兵が睨みあう状態が続く。
レイブランドの総指揮官グラン将軍がアルティアの総指揮官カナリア将軍と一騎打ちをする。お互い大剣士であったが、グラン将軍がカナリア将軍に勝ってその場で処刑する。
目の前でカナリア将軍を殺されたアルティア軍の一部が暴走、戦争が始まる。
1018年
両軍の戦死者が合わせて百万人を越える。
北方平原で戦うしかない両軍に対し、西南大陸のフェアリアが間を取り持つと提案する。
数ヶ月間冷戦が続いたが、グラン将軍が暗殺された事により戦争が再開。
レイブランド総指揮官がブラムスに変わる。
1019年
海岸線も絶壁に囲まれたアルティアに対し、上陸可能な場所の多いレイブランドは他大陸に侵略される。七大陸同盟の機能が停止し、世界戦争に近い状態となる。
※この辺りは情報として耳に届いただけなので確証はない。
1020年
応用魔法を使える兵士が少なくなり、武器による直接的な戦争が続く。
アルティアとしては退く気は一切なく、私も前線へ送られ、クリアハルトに殺される。
―――――――――――――
「まとめてみたけど、あまり有益な情報はないわね」
ジェイクハルトが自身で作った資料を眺めながら自嘲する。
研究に没頭していたので戦況に疎かった事が原因であるが、その事を言い訳にする気配はない。
「もう一度確認しますけど、戦争が起きる前に予兆みたいな事件は起きていないんですね?」
クリアハルトの質問に対し、ジェイクハルトはキッと睨み付けて、
「普通に生きていて戦争が起きると思わないわ。覚えている訳ないじゃない」
と、啖呵を切った。
その場にいた誰もが彼女を咎める事ができなかった。
何故なら自分が彼女の立場になった所で、未来を予知する能力でもなければ戦争が起きるなんて露とも思わないと確信していたからである。
それくらいにレイブランドは平和で、穏やかな国だった。
「レイブランドの資源が枯渇したという情報は正式な情報なんですか?」
バルサの質問にジェイクハルトは即座に頷いた。
「もちろん。アルティアは自然豊かで資源の宝庫だから、レイブランドが愚かにも私達の未来を奪おうとしている、と言うのがエルフ側の戦争理由だもの」
「確かにそれが成り立たなければ戦争になりませんものね」
クィンクの同意に一同が頷く。
戦争を回避する為の会議を始めてから何度となく行われたやりとり。
それでも、少しでも打開策を見つける事は出来ないかと話し合いは続いた。
――――――――――――――
戦争を回避する為に
・前世の記憶を公表する
(大陸全土、レイブランド、アルティア)
・ベルハルトを大臣にする
・エルフ側に味方を付ける
・戦争どころではない状態にする
(白銀竜を暴れさせる、魔王を復活させる)
・他大陸に協力を得る
・諦めて逃げる
・無詠唱魔法で両軍を無力化する
・第三勢力を作り上げる
・どちらかの国を滅ぼす
――――――――――――――
(こんなのしか思いつけない僕って……)
メモに殴り書きした回避案を眺めながら、クリアハルトは大きな溜息を吐く。
その横顔を見てバルサの目尻が緩み、クィンクの口角が上がった。
ジェイクハルトはおもむろにクリアハルトの頭を撫でると、
「ハルト。あまり思い詰めないで」
と、励ました。
ジェイクハルトはクリアハルトの前世の名前を聞いて以来、「ハルト」と呼ぶようになっていた。クィンクもバルサも同じように呼びたいと思っていたが、家庭教師としてのプライドが邪魔をする。
クリアハルト本人はどちらでも気にしていない様子だ。
「でも……」
「こう考えるの。一度転生したくらいで止められる戦争なら、最初から起きていないって」
ジェイクハルト自身、何度も自分に向けた言葉。
戦争に負けた自分に対する大きな言い訳であると、彼女自身気づいている。
それでも、不安に押しつぶされそうな弟を助ける為なら何度でも使おう。
――兄として、姉として。
結局この日も何一つ進展する事無く会議は終わった。
空調が止まり、ゆっくりと停滞していく部屋。
最後に退室したクィンクの手は小さく震えていた。
◇
◇
◇
「ふぅーーーーーーーーーっ」
浴室にクリアハルトの溜息が響く。身体の疲れを再確認した声ではなく、心の摩耗を再確認したような軽い溜息だ。
大人が十人入れる浴槽にお湯を溜め、余すことなく体を浸した。
レイブランドには浴槽に浸かる文化はなかったが、今では家族だけでなく使用人まで風呂を楽しみにしている。異世界から持ち込んだ知識が役に立ち、クリアハルト自身も鼻が高かった。
「難しいなぁー」
水面から顔だけをひょっこりと出した。
すると誰に話しかけたでもない言葉に返事が返ってくる。
「クリアハルトは悩んでばかりですね」
「へあっ!?」
浴槽の隣に設置されたシャワーを利用しながら、バルサが感情のない声を漏らす。
クリアハルトは反射的に飛び起きて、声の主が誰なのかじっくりと見極めた。
長耳が隠れるような若草色の髪。鼻は高く顎のラインは芸術的だ。
首筋から鎖骨にかけてなだらかな曲線を描き、大きな胸が水の流れを急激に変えていた。
すっきりとした腹部がクリアハルトの視線を下へと誘導する。
「やはりクリアハルトは色欲が強いのですね。前世の影響ですか?」
バルサは恥ずかしがる様子も見せず、クリアハルトに正面を晒した。
実際は心臓が張り裂けて飛び出そうなほど緊張していた上、恥ずかしさでいっぱいだった。
相対する少年が初心で女性経験に乏しくなければ、すぐに見抜かれていただろう。
「ち、ちち、違うよ! びっくりしただけだから!」
顔を真っ赤にして否定するクリアハルトを見て、バルサの顔が綻ぶ。
自身の身体で、存在で、愛する人の感情を動かせると知ったからだ。
「湯船に浸かっても良いでしょうか?」
「ぼ、僕達用のお風呂に入ってきた時点で確信犯でしょ! 好きにしたらいいよ!」
オルアルク家の当主であるベルハルトは独立式を迎える今年の夏まで息子達に恋愛を禁じていた。
クィンクは彼の言いつけを守り、クリアハルトに対しても家庭教師と教え子の線引きをはっきりと示していた。
バルサは違っていた。
彼女は厳密にいえばクリアハルトの家庭教師ではなくジェイクハルトの家庭教師だ。
その為、クリアハルトと接する時間も短く、アピールの場も少ない。
ベルハルトの言いつけを守っていてはクィンクやジェイクハルトに負けてしまう。
彼女にとって、前世は女であったとはいえ彼の実の兄でさえライバルだった。
「失礼します」
「う、うん」
水面に波が生じ、クリアハルトの胸を撫でた。
目を開けないよう努力を続けていた彼の頬をバルサの細長い指が触れる。
「もう大丈夫ですよ?」
「まったく……、勘弁してよ……」
大丈夫と言われはしたものの、クリアハルトの目線は明後日の方向を向いていた。
彼にとっては最後の抵抗であったが、バルサにとっては可愛らしい少年の一面でしかなかった。
「会議の時も悩まれていたので、つい……」
「……悩んじゃうよ、そりゃね」
ジェイクハルトが前世で体験した戦争は自分達にとって他人事ではない。
レイブランドの人間が兵士として前線へ送り込まれるのだ。
未来で出会うであろう人達があっさりと命を散らしていくのだ。
「僕なんて所詮はただの子供だって分かってるけどさ。戦争なんて嫌だよ」
「そうでしょうか?」
冷たく言葉を返すバルサにクリアハルトは顔を上げた。
クリアブルーの瞳が少年の心を射貫く。
「私のようなハーフエルフは劣等種として虐げられてきました。土地を奪われ、職を奪われ、全うに生きる機会さえも奪われてきました。今後も戦争のような出来事がなければ地位を確立する事はできないでしょう」
「それはっ! ……ば、バルサだって立派な家庭教師じゃないか!」
反論の言葉がすぐに見つからず、思いつくままに口にした。
だが、バルサはその言葉を見越していたかのように、
「私が家庭教師になれたのは、〝隣の大陸で魔物を虐殺し続けた功績があるから”です。言わば侵略戦争に成功しただけの話です」
と、はっきり自分のしてきた事を無垢な少年に説明した。
魔物は古来から人間に害を成してきたが、その多くは土地の開拓や資源の採掘の為に人間側が先に手を出した結果だ。歴史に名を残すような魔王に統率された魔物なら話は変わってくるが、バルサが殺してきたのは本来であれば他大陸の人間が手を出す必要のない生き物である。
「クリアハルトはそれでも私を肯定してくれますか? それとも否定しますか?」
バルサの瞳は涙で潤んでいた。
彼女自身、その答えを知っていたからだ。
戦争を回避する為に思考を動かし続けている少年が彼女の過去に何を想うか。
クリアハルトは彼女に答えを残せぬまま、逃げるように浴室を後にした。
◇
◇
◇
少年の部屋とは思えないような華やかさに満ちていた。
壁紙は花模様が広がり、カーテンは薄いピンク。
カーペットは高級な赤で、天蓋付きのベッドは薔薇模様のカーテンで張り巡らされている。
ジェイクハルトはそれらを避けるように壁端に座って空を見上げていた。
前世で研究に息詰まっていた時に、実験道具や書物に満たされた空間で一息つく為の方法だ。
「アルティアを止める方法はないですかね?」
入口から声をかけたのはクィンクだった。
銀色の腰まで伸びた髪を先で束ねており、薄手のシャツに麻布のズボンをはいている。
貴族用の絹のパジャマを着ているジェイクハルトと大きな差があった。
「同種族が開発した無詠唱魔法を鼻で笑うような連中よ。人間の話なんて聞くと思う?」
「どうですかね。エルフの情報はレイブランドでほとんど流れていませんから」
クィンクがジェイクハルトの隣に並ぶと、同じ銀髪同士で姉妹のように見える。
二人とも心の中では嬉しく思っていたが、決して口には出さなかった。それをお互いで確かめ合うと、クリアハルトの存在を否定してしまうような気がしたからだ。
「レイブランド二十二世はあなたも間近で見た通り、政治よりも芸術に夢中ですからね。大臣を説得しない限り戦争を回避する事は出来ないでしょう」
「傀儡政権なんて言われてくらいだからね。でも、十二人の大臣の内、実に八人が人間至上主義者でエルフに対して排他的よ。説得なんてできると思わないわ」
「ウリエイル家は北方平原に近いクラザネ地方も領地でエルフと親交がありますし、説得できないでしょうか?」
提案にジェイクハルトは首を振った。
「逆よ。ウリエイル家を動かして失敗すれば残りの穏健派も力を失ってしまう。生命線を自ら断ち切るような行為は避けなくちゃ」
「では大臣のブラムスを暗殺するというのはどうでしょう?」
「それは常々考えているけれど、前世で彼は多くの傭兵を雇っていたの。自分が成り上がり貴族で命を狙われやすいって気づいていたのね」
「ではベルハルト様を大臣にするとか」
「……できると思う?」
数秒間が空いた後、
「「無理」ですね」
と、同時に声を発した。
ベルハルトは剣で生きてきた人間だ。
決して無能ではないが、政治に聡い様子もない。
魔石が見つかったのも偶然であり、新たな採掘場を探しては失敗し辟易していた。
二人が同時に無理だと断言できるくらいにはオルアルク家当主が大臣になる事は難しかった。
「いっそ北方平原を塞いでしまうというのはどうでしょう?」
「それは悪くないかもしれないわね。先延ばしはできると思うわ」
降って沸いたような案だったが、ジェイクハルトの食いつきは上々だった。
大陸とはいえ南北に走る断崖絶壁の存在で、別大陸と言えるほど交通の手段は限られている。
北方平原を断崖絶壁で塞ぐことができれば数百年は国交を断絶できるだろう。
「北方平原は馬で一日走れば端から端まで渡れる距離だから……」
「土の上級魔法を使えば半年で埋められると思います」
「無詠唱魔法と魔力の受け取る秘術を使える者が四人いて、魔力さえ足りれば一週間もかからないわ」
ジェイクハルトの提案にクィンクは驚きの声を上げた。
「無詠唱魔法を他人に教えるつもりですか?」
「……少なくともあなた達には教えても良いと思っているわ」
クィンクの視線から逃げるように、ジェイクハルトは窓から覗く夜空を見上げた。
無詠唱魔法自体は教えるまでもなく、〝ひっかけ問題に対する気づき”のような感覚で使える事ができる。今まで詠唱、もしくは魔法陣を経由していた魔法に対し、「無詠唱で使う魔法である」と前置きを入れれば良いだけなのだから。
ただし、無知な人間が思いつくままに無詠唱を設定しても使えるとは限らない。ジェイクハルトの予想では使えない可能性の方が高いと思っている。
「その代わり、魔法という概念が根底から崩れ去る覚悟がいるけどね」
「どういう事ですか?」
クィンクの質問にジェイクハルトが答える事はなかった。
しばらく沈黙が流れた後、クィンクはジェイクハルトの手を一度握って退室する。
残されたジェイクハルトは両腕で顔を覆い、
「私にだって覚悟がいるのよ……クィンク」
と、誰にも聞こえないように呟いた後、涙を拭った。




