第十一話「過去と今」
私の名前はバルサ。
着実や堅実を意味するが、スラムではノロマな奴に向ける悪口だ。
本名は父が逃げたその日に母に捨てられた。二歳か三歳の時の事だ。
母はハーフエルフ。
徐々に数を減らしている為に劣等種族と揶揄され、水面下で差別を受け続けてきたエルフと人間のハーフだ。仕事を不当に断られたり、私達の家だけ家賃を上げられたり。
ハーフエルフは身体が弱く、力仕事が苦手だった。
さらにエルフの特徴は女性にしか現れず、時代を重ねるごとに弱いイメージのみが世間に刷り込まれていった。
気が付けば獣人以下の扱いで、自力で生きられない彼女達が最終的に向かう先は決まっていた。幸運な事にハーフエルフは子供が生まれにくい体質だった。
『あんたがいなけりゃどうとでもなるのに』
母の口癖だった。
その言葉を聞く度に心臓が凍りつき、呼吸さえ忘れて動けなくなる。
私は母の顔色を伺いながら、失敗の少ない生き方を学んでいった。
では母は何故逃げなかったのか。
答えは簡単な話、ハーフエルフの子供を置いて逃げる場所などどこにもなかったから。
首都ベルグランドはスラム街の孤児も含めて、全て国王と貴族に管理される。
私を置いて逃げれば指名手配となり、即座に捕まる。
『毎年毎年、あんたの誕生日が待ち遠しいわ』
十二歳になって、一度目の成人式と呼ばれる独立式を迎えれば親の管理義務がなくなる。
私にとって誕生日は時限爆弾の折り目でしかなかった。
いずれ私は外に放り出される。
家庭教師はもちろん、孤児学校にすら参加できない無知な私が。
――その時はあっという間に訪れた。
『じゃあね、私の人生を狂わせた忌々しい子』
閉ざされた家の扉を私はしばらく眺め続けた。
あの時に何を想っていたか、今では全く思い出せない。
怒りや恨みではなかった気がする。
哀しみや苦しみでもない。
とにかく私は扉を穴が空くほど眺め続けた。
もしかしたら、もう一度母親の顔を見たかっただけなのかもしれない。
それから私は自らの命を賭し続けた。
西大陸では未成年でも、他国の人間でも魔物狩りになる事ができるらしい。
生まれて初めての犯罪は無賃乗船だった。
西大陸には数多くの魔物が蔓延っていた。
魔力が濃すぎる所為で動物や植物などがすぐに魔物と化すらしい。
何度も何度も死に掛けたが、それでも私は生きた。
生き抜く事ができた。
気が付けば18歳になり、それなりの財産と魔物狩りの知識を得ていた。
私は西大陸出身者としてレイブランドに帰ってきた。
母親がどうなっているのか、この目で確かめる為に。
――結果は悲惨なモノで。
『あの子の所為で、あの子の所為で!』
応用魔法の一種に快感を得る創造の魔法がある。
貴族の一部が奴隷や娼婦に掛ける魔法で、副作用として心身が弱り幻覚を見るようになると聞いた。目の前のハーフエルフがまさにその症例通りの状態だった。
私の知っている母はもう、この世にはいない。
私を知っている人はもう、誰もいない。
『ありがとうございます! あなたのおかげで合格できました!』
私は家庭教師ギルドに所属し、三人の子供を育てた。
魔法の知識に自信はないが、剣の技術、特に入学試験に必要な魔物狩りの技術なら教える事が出来ると思ったから。
三人目も名門へと送り出し、次の教え子を探そうとしていた矢先。
『あのハーフエルフの女はどこにいる!』
今までの雇い主が鬼の形相でギルドへと訪れた。
受付が話を聞く限り、一人目は北方平原でエルフに殺されたらしい。
二人目は大剣士になる為に魔物に挑んで大怪我を負った。
三人目は入学した学校でイジメを受けているという。
それもこれも、私が試験に受かる為の技術ばかり教えて、それ以外の事を何もしてこなかった所為だと責めてきた。
確かに私は剣術を重点的に教えてきたが、家庭教師ギルドが課しているノルマはこなしていた。魔法も知識も全員が規定ラインを突破した。
家庭教師ギルドは結果報告から見ても不手際はなかったと突っぱねたが、私の心は確実に傷を負った。致命傷だ。
所詮私は、母の言う通り愚図でノロマな子のだ。
誰の役にも立たないし、誰にも必要とされない。
家庭教師ギルドには他国に籍のある私を拾って貰った恩がある。
次で最後にしよう。
家庭教師に選ばれなければその日に、選ばれたら教え子と離れた日に。
――私の人生は終わりを告げるのだ。
◆
◆
◆
そして私は彼らと出会った。
『決めたよ。僕はバルサから教わる。クリアハルトはあの竜人の女だ』
一人はジェイクハルト。
人形のように美しく、女性にしか見えない少年だ。
妖精のように輝いていて、絹のような白銀の髪を腰まで伸ばしたオルアルク家の長男。
その隣で溜息を吐いていたのがクリアハルト。
この世界では珍しい黒髪で、気の弱そうな、でもどこか大人びた少年だ。
没落貴族と評されるオルアルク家の双子。
私は当初、世間知らずな浮ついた子達だと見下していた。
レイブランドは国王と貴族管理の下、全ての民が最低限の幸せの上に生きられる理想国家だと世界に発していた。事実貴族や平民の多くは幸せを享受できる豊かな生活を送っている。
だが、彼らを支える平民以下は一年後の見通しさえ立たない苦しい人生を送らされていた。資産も管理されている為、儲けが出るとすかさず特別税として回収されるからだ。
目の前の子供達はそんな事も知らずのうのうと生きている。
誰のおかげで笑っていられるかも知らずに、万能感に浸っている。
私はすぐにジェイクハルトを指導した。
今までの教え子は彼と同じように調子に乗って失敗したからだ。
この子は何も分かっていない。私が教えてあげなければまともな人生を歩めないと。
――分かっていなかったのは私の方だった。
『調子に乗るな? 僕にそう言ったのかい?』
『ええ、あなたの為に忠告しました』
『ふぅん』
『これからはもっと慎まし――』
私は彼の部屋で気絶した。
気がついた時には彼の造った地下牢にいた。
いや、正確には“彼女”の造った――。
『あのね、バルサ。先に言っておくけど、私エルフなの』
『……は?』
正直気が触れているのではないかと思った。
エルフの特徴を一つも持っていない人間の息子が自分はエルフだと言った。
私が消したくて消したくてしょうがなかったエルフの部分を彼は欲しがった。
『エルフごっこ……ですか。子供らしくない遊がっ!?』
耳の中にコルク抜きを突っ込まれて奥へ奥へとねじ込まれる感覚。
痛みと苦しみと気持ち悪さが一度に押し寄せて、簡単に嘔吐してしまう。
本能で悟ってしまった。
目の前の美しき少年は本当にエルフなのだと。
そして、痛みと共に“彼女”の想いが私に刻まれていく。
フレアハートの怒り、哀しみ、苦しみ。
私の人生が霞んでしまうような大きな運命の流れ。
『……バルサ。お前は何者だ?』
『私はバルサ。エルフの子』
『敵は?』
『人間。レイブランドの民です』
屈してしまった。
彼女の激情と運命にではない。
もちろん信じているが、正直な話エルフもあまり好きではない。
人間もエルフも悪い人達は平等に滅んで欲しいくらいだ。
そうではない。
私は心を奪われてしまった。
フレアハートが私を必要だと言った真っすぐな瞳に。
『バルサ、これをどうぞ』
『これは……』
『少し遅れましたが誕生日プレゼントです。受け取ってください』
フレアハートの前世を終わらせたというクリアハルト。
彼はまた、彼女と違う形で私の価値観を壊した。
私にとって誕生日は自分が不必要であると再認識する日。
決して祝われるような日ではないし、軽々しく祝わないで欲しい。
だが、私はクリアハルトの想いに屈してしまった。
『生まれてきた事、それ自体は望まれなかった命もあるのは分かる。だけどね、バルサ』
クリアハルトの顔は哀しみと慈しみに溢れていた。
たった十年生きただけの少年が、これほどまでに深い感情を出せるのだろうか。
『僕は君と過ごした一年間。殆ど喋らなかったし、あんな事もあったけど。
それでも君と一緒にいられる事を望んだ。望まれた命なんだよ、君も』
私の三十年間を否定する優しい言葉。
幼少期、食事よりも、暖かい布団よりも欲しかった言葉。
『……訳が分からない』
涙が溢れて止まらなかった。
兎の銀細工を握りしめ、私はクリアハルトから逃げ出した。
ああ、オルアルク家の双子に私はすっかり壊されてしまった。
願わくば二人が手を取り合って困難に立ち向かうような未来を……。
『バルサ、あんた変わったね』
地下室に監禁したアネスタへ食事を持っていった時、彼女はそう言った。
何度か逃がそうかと思ったこともあるが、ジェイクハルトを裏切ることはできなかった。
ジェイクハルト……いや、フレアハートはたった一人で戦ってきた。
私なんかよりもずっと辛い環境で。
例え罰せられるようなことでも、いや、〝罰せられるような事”だからこそ私は彼女の共犯者としてついていこうと思う。
『クリアハルトの優しさに揺れているようだね』
『……は?』
アネスタはマリティアヌとジェイクハルトが離れていることを知らない。
彼女の前でクリアハルトと会話した事などほとんどないはずだ。
それなのになぜクリアハルトの名前が出てくるのか。
『そんな驚いた顔しなくても分かるさ。だってほら、
あたしを含めて彼と関わったメイド達と同じ顔してるじゃないか』
急いで地下室を駆け上がり鏡を見た。
知らない間にクリアハルトに何か魔法をかけられたのだろうか。
ありえない話じゃない。
クリアハルトは純粋そうに見えて女たらしだ。
たった数度の会話で女心をくすぐってくる。
全くその気がないのもずるい。
年の差を良いことにむき出しのやさしさをぶつけてきて……。
『……あ』
何故私はにやけているのだ。
世間知らずなお嬢様のように。
私はなぜこんなにも……。
『それは恋かもしれないし、家族愛かもしれないねぇ』
地下室に戻った私に向って、アネスタはクスクスと笑いながら言った。
『クリアハルトってほら、僕何でも知ってますよーって顔してるのに事あるごとに目を輝かすじゃない? あれが可愛くて可愛くて……』
『……その癖に相手の喜ぶところを知っている』
『そうそう、まるで私の事を生娘のように扱うんだよ。あはは、そんなわけないのにさっ』
その光景はすぐに想像できた。
クリアハルトは過去に何があったとか、他人とのしがらみとか、そういう余計なものを一切気にしない。
それが私の心を裸にして、弱い部分をむき出しにする。
『あんたもあたしもハーフとして苦労してきたさ、そりゃね。口にするのも思い出すのさえもおぞましいような経験をしてきた。綺麗な心や身体とは到底言えない』
アネスタの言葉には説得力があった。
私は性的な暴力を受けたことがない。
きっと彼女は私よりも凄惨な人生を送ってきたのだろう。
『けどさ、クリアハルトと喋ってると暗い過去なんて一切なくなる。ただのアネスタとして笑えるんだ、心からね』
私は小さく頷いた。
あんなに自然と笑ったのは物心ついて以来、初めての経験だ。
あまりに恥ずかしすぎて寝る前に叫んでしまったくらい。
『だからさ、これ以上クリアハルトが悲しむような事を続けないでおくれ。私なら黙って消えるからさ』
アネスタは本気で言っていた。
私には彼女が“必ずそうする”と分かった。
クリアハルトの名前を出してまで助かりたくない。
アネスタはきっとそう思っているはずだ。
気が付けば私はジェイクハルトが、フレアハートが不在であることを告げた。
そして、帰ってきたら開放してもらえるように嘆願すると約束した。
今日には全てが綺麗に収まる。
そう思ってたのに――。
◇
◇
◇
「何とか外に逃げ出すことはできた……」
薔薇園を背にしてベルハルトが呟く。
その顔に余裕はなく、銀光の剣士をもってしても絶望する相手だと分かった。
黒竜は不気味なほど静かに飛んでいた。
鳥のように羽ばたいている訳でもなく、風船のように浮かんでいる訳でもない。
まるで〝空間に固定“されたように、地面から一メートルほど上空で静止していた。
「バルサ、お前はクリアハルトを頼む」
「できません」
ベルハルトはチッと舌打ちすると崩壊した壁から折れた角材を引っ張り上げる。
私が剣を渡そうとすると、「現役が持っておいたほうがいい」と断られてしまった。
「いいか、黒竜は見た目の不気味さほど奇妙な攻撃はしてこない。基本的には突進してくるか体の一部が触手のように伸びるかどっちかだ」
触手、魔物の一部が持っている伸縮自在の手。
鞭のように使う魔物もいれば細剣のように突き刺してくる魔物もいる。
黒竜はおそらく後者だろう。身体を貫かれれば致命傷になる。
「しかも考える頭がないのか、決められた動きしかしねぇ。慌てなければすぐに死ななくて済む」
「では、勝ち目も……」
「いや無理だ。俺は剣を握るのも久しぶりのポンコツだし、お前の剣は荒すぎる。きちんと同じ部分をなぞる事ができる丁寧な剣が必要だ」
その瞬間、タイミングを見計らったかのように、聞き覚えのある声が飛んできた。
「その役目、僕に任せてください」
「クリアハルト!!?」
ベルハルトの叫びに呼応するかのように、ぶぅんと音が鳴る。
黒竜の触手がクリアハルトの体を貫こうと伸びた。
「大丈夫です!」
クリアハルトは落ち着いていた。
伸びる触手に対して真正面から受け止めず、金色の鞘を盾にギリギリで避けた。
クィンクの教えていた剣術に突きを避ける動作があったが、対人剣術でも役に立つようだ。
「父上、この剣は何なんです!?」
クリアハルトの問いにベルハルトが叫んだ。
「西南の大陸から仕入れた妖精の剣だ! なんでも迷いを断ち切る魔法が掛けられているらしい!」
「そう言う事だったんですね!」
クリアハルトは一人で納得し、妖精の剣を抜いた。
銀光の剣士という名にふさわしい研ぎ澄まされた刀身が現れる。
「クリアハルト、私も加勢し――」
「バルサ。悪いがあいつの足手まといだ」
ベルハルトが私の腕を掴む。
その目は真剣だった。
確かにクリアハルトは十歳そこらとは思えないほどの成長を見せている。
特に精神面では大人に勝るとも劣らないと言えるだろう。
だが、相手は黒竜。
歴史上十人しか単独討伐に成功していない強力な魔物。
大剣士を目指した何千何万という剣士達が夢を散らせた相手。
敵うはずがない。
「……わかりました」
いつでも身代わりになれるよう準備しておこう。
私の命などクリアハルトの存在価値に比べたら軽いものだ。




