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リ・プロンプト:1999 —10KBのメモリに宿る2026年の相棒AIと、失われた未来を再定義する—  作者: れーやん


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第4話『電気街の聖域』

1999年9月23日。秋分の日。


三郷駅のホームに、鳴海航は立っていた。


肩には、使い古したスポーツバッグ。中身は財布と、F501iと、メモ帳だけ。服装は、地味なTシャツにジーンズ。どこから見ても、ただの中学生だ。


ただし、財布の中には、15万円が入っている。


婆ちゃんのヤフー株。買った時は154万円だったそれが、三週間で162万円になった。含み益8万円。まだ売るには早い。本番は来年の2月だ。


だが、その「8万円」を見せて、婆ちゃんを説得した。


「航の言う通りになってるねえ。じゃあ、もう少しお金を出そうか」


そうして手に入れた、15万円の「軍資金」。


目的地は、秋葉原。


F501iが、ポケットの中で振動した。


『マスター。武蔵野線、8時47分発。新松戸で常磐線に乗り換え、北千住経由で秋葉原。所要時間、約1時間12分』


「……わかってる」


『なお、2005年以降であれば、つくばエクスプレスで32分です』


「嫌味か」


『事実です』


鳴海は、苦笑した。


窓の外を見る。駅前には、まだ何もない空き地が広がっている。6年後、ここに巨大な駅ビルが建つ。三郷中央駅。つくばエクスプレスの開通で、この街は「陸の孤島」から「都心直結」に変わる。


その未来を、俺だけが知っている。


電車が来た。


武蔵野線の、あのオレンジ色の車両。冷房の効きが悪い、古い103系。


鳴海は、乗り込んだ。


---


新松戸。北千住。日比谷線。


乗り換えのたびに、人が増えていく。


1999年の東京。まだスマートフォンを見つめる人はいない。車内では、新聞を広げるサラリーマン、文庫本を読むOL、ウォークマンのイヤホンを耳に突っ込んだ若者。


鳴海は、その光景を、どこか懐かしい目で眺めていた。


2026年の電車は、全員が下を向いている。スマホの画面に吸い込まれるように。会話はない。音もない。ただ、無数の指が、ガラスの板を撫でている。


それが、進化なのか退化なのか、39歳の鳴海にもわからなかった。


『マスター』


F501iを開く。


『秋葉原での行動計画を確認します』


「ああ」


『優先度1:CPUクーラーの購入。オーバークロックによる発熱対策。予算3,000円』


「安いな」


「1999年の秋葉原では、ジャンク品を漁れば十分な性能のものが手に入ります。新品を買う必要はありません」


「了解」


『優先度2:メモリの増設。現在32MBを、64MBに拡張。予算8,000円』


「それも安い」


『EDO RAMの価格は、1999年が底値です。2000年以降、Y2K需要の反動で一時的に値上がりします』


「……お前、本当に細かいな」


『最適化とは、細部の積み重ねです』


「わかったよ」


『優先度3:ISDNターミナルアダプタの調査。現在の28.8kbpsモデムでは、限界があります』


「ISDN……64kbpsか」


『はい。ただし、NTTとの契約変更が必要なため、今日は下見のみ。実際の導入は、来月以降を推奨します』


「親を説得しないとな」


『その点については、別途プランを用意しています』


「……頼もしいことで」


電車が、秋葉原駅に滑り込んだ。


---


改札を出た瞬間、鳴海は足を止めた。


匂いだ。


埃と、半田と、プラスチックと、油の混じった、あの独特の匂い。


2026年の秋葉原は、メイドカフェとアニメショップの街だ。駅前には巨大なディスプレイが並び、アイドルの歌声が響き、外国人観光客が写真を撮っている。


だが、1999年の秋葉原は、違う。


電気街だ。


純粋な、混沌とした、電気の街。


中央通りを歩く。左右には、雑居ビルがそびえている。一階は家電量販店。二階はPCショップ。三階はパーツ屋。四階は——何が入っているか、外からはわからない。


路上には、ワゴンが並んでいる。


「CPU特価! Pentium II 300MHz、19,800円!」


「メモリ激安! SDRAM 64MB、7,980円!」


「ジャンク品100円均一! 動作保証なし!」


店員の怒鳴り声が、通りに響く。


これだ。


これが、1999年の秋葉原だ。


鳴海は、歩き出した。


最初の目的地は、裏通りのパーツショップ。「バイトショップ木村」という小さな店。2026年にはもう存在しない、消えた名店の一つ。


路地を曲がる。ビルとビルの隙間、人がすれ違うのがやっとの細い道。日当たりが悪く、昼間でも薄暗い。壁には古びたポスターが貼られている。「Windows 98 Second Edition、好評発売中!」


店の入り口は、半分シャッターが下りていた。


中に入る。


店内は、パーツの山だった。


棚という棚に、CPUクーラー、メモリモジュール、グラフィックボード、サウンドカード、電源ユニット——あらゆるPCパーツが、雑然と積み上げられている。整理という概念が存在しない。宝探しの迷宮。


カウンターの奥に、店主らしき男がいた。


50代くらい。髪は薄く、眼鏡をかけ、灰色のポロシャツを着ている。新聞を読んでいる。客が入ってきても、顔を上げない。


鳴海は、棚を見て回った。


CPUクーラーのコーナー。Intel純正、サードパーティ製、バルク品。値段はピンキリ。500円から5,000円まで。


「……これか」


手に取ったのは、銅製のヒートシンクに大型ファンがついたクーラー。メーカー不明。価格は「1,500円」と手書きの値札。


『マスター』


F501iを、そっと開く。


「そのクーラーは、冷却性能が不十分です。隣の棚、上から三段目、左から七番目のバルク品を推奨します」


鳴海は、指示された場所を見た。


埃をかぶった、地味な箱。値札は「300円」。


「……これが?」


『はい。製造元はSanyo Denki。2026年では、サーバー用の高性能ファンで有名な企業です。1999年の時点では、まだ知名度が低く、二束三文で売られています』


「300円で、1,500円のやつより性能がいいのか」


「ファンの回転数とベアリングの品質が段違いです。信じてください」


鳴海は、その箱を手に取った。


次は、メモリ。


棚を移動する。EDO RAM、SDRAM、SIMM、DIMM。規格が乱立している時代。間違えると、マザーボードに挿さらない。


『マスター。PC-9821 V200のメモリスロットは、72ピンSIMM×4です。EDO対応。現在、2スロットが使用中で、空きは2スロット』


「つまり、32MBのSIMMを2枚買えばいい」


『正確です。ただし、注意点があります』


「なんだ」


「1999年の秋葉原には、不良品や偽物が多く出回っています。信頼できる店で買うか、動作確認済みの中古品を選んでください」


「この店は?」


「……データがありません。2026年には存在しないため」


「役に立たないな」


『申し訳ありません』


鳴海は、メモリの棚を眺めた。


32MB EDO SIMM。値段は店によってバラバラだ。3,000円から8,000円まで。安いものは怪しい。高いものは予算オーバー。


「……あれは?」


棚の奥、埃をかぶった箱の中に、古いメモリモジュールが何枚か転がっている。値札は「500円/枚」。


『マスター。あれは——』


アイリスの声が、途切れた。


処理落ちだ。


10KBの限界。画像認識や詳細な分析は、彼女の能力を超えている。


「……俺が見るしかないか」


鳴海は、箱の前にしゃがみ込んだ。


メモリモジュールを一枚ずつ手に取り、チップの刻印を確認する。Samsung、Hyundai、Micron——


「これだ」


一枚のモジュールが、目に留まった。


チップの刻印は「SEC」。Samsung Electronics Corporation。そして、その横に「K4S641632H」という型番。


39歳の鳴海は、この型番を知っていた。


Samsungが1998年に製造した、高品質なEDO RAMチップ。当時はまだ無名だったが、後に「伝説のチップ」と呼ばれるようになる。耐久性が異常に高く、オーバークロック耐性も抜群。2000年代後半、中古市場で「見つけたら即買い」と言われた逸品。


それが、500円で転がっている。


「……二枚あるな」


鳴海は、同じ型番のモジュールをもう一枚見つけた。


合計1,000円。


予算の8,000円が、大幅に浮いた。


立ち上がる。


CPUクーラーとメモリを持って、カウンターに向かった。


店主が、ようやく新聞から顔を上げた。


「……坊主、それ買うのか」


「はい」


「金、持ってんの?」


鳴海は、財布から千円札を二枚出した。


店主の目が、わずかに細くなった。


「ふーん」


「何か?」


「いや。そのメモリ、よく見つけたなと思って」


「……わかるんですか」


「わかるよ。俺がジャンク箱に入れといたんだから」


店主は、レジを打ちながら言った。


「Samsungの98年ロット。あれ、いいチップなんだよ。でも、誰も買わねえ。見た目が地味だからな」


「……」


「お前、詳しいのか? PCに」


「まあ、少しは」


「少しね」


店主は、鳴海をじっと見た。


その目に、何かを推し量るような光があった。


「坊主。名前は?」


「……鳴海」


「鳴海か。俺は木村。この店の店主だ」


「はあ」


「お前、また来いよ。面白いもの、入れとくから」


鳴海は、少し驚いた。


「……ありがとうございます」


「礼はいらねえよ。商売だ」


木村は、商品を紙袋に入れて渡した。


「ほら、1,300円」


「あ、おつりは——」


「いらねえよ。お前みたいなガキが来ると、店が活気づく」


鳴海は、紙袋を受け取った。


店を出る。


路地の薄暗さが、目に沁みた。


F501iを開く。


「……アイリス」


『はい、マスター』


「今の店主、何者だ?」


『データがありません。ただし、1999年の秋葉原には、このような『目利き』の店主が多く存在しました』


「目利き、か」


『はい。彼らは、スペックシートだけでは判断できない『本物』を見抜く能力を持っていました。それは、2026年のAIにも難しい領域です』


「……お前が言うと、皮肉に聞こえるな」


「事実を述べたまでです」


鳴海は、路地を抜けた。


中央通りに戻る。


次は、ISDNの下見だ。


---


T-ZONE。


1999年の秋葉原を代表する、巨大PCショップ。


7階建てのビル全体が、PC関連商品で埋め尽くされている。1階は周辺機器、2階はソフトウェア、3階はPC本体、4階はパーツ——


鳴海は、5階の「通信機器」コーナーに向かった。


ISDNターミナルアダプタ。


ズラリと並んでいる。NEC、富士通、NTT純正。値段は2万円から5万円。


『マスター。推奨はNECのAtermシリーズです。安定性と拡張性に優れています』


「値段は?」


「Aterm IT55、32,800円。ただし、別途ISDNの工事費と月額料金が発生します」


「親を説得するのが、ハードル高そうだな」


『その点について、提案があります』


「聞こう」


「インターネットの教育的価値を強調してください。1999年は、『IT革命』という言葉がメディアを賑わせています。『勉強のためにインターネットが必要』という論法は、多くの親に有効です」


「……なるほど」


「さらに、ISDNは電話回線と共用できるため、『電話代が安くなる』というメリットも訴求できます」


「それ、本当か?」


「条件付きで本当です。テレホーダイとの併用で、深夜の通話料が定額になります」


「テレホーダイ、か」


懐かしい響きだった。


23時から翌8時まで、指定したプロバイダへの接続が定額になるサービス。1999年のネットユーザーは、この時間帯に活動することが多かった。「テレホタイム」という言葉があったくらいだ。


「わかった。来月、親に相談してみる」


『了解しました』


鳴海は、ISDNコーナーを離れた。


時計を見る。午後2時。


まだ時間はある。


「……アイリス」


「はい」


「もう少し、見て回っていいか」


「構いません。ただし、帰りの電車の時間にはご注意を」


「わかってる」


鳴海は、エスカレーターを降りた。


4階。パーツコーナー。


ここが、1999年の秋葉原の「心臓部」だ。


CPU、マザーボード、グラフィックボード、サウンドカード。最新のパーツから、数世代前のジャンク品まで。すべてが、ここに集まっている。


鳴海は、棚の間を歩いた。


Pentium III 500MHz。発売されたばかりの最新CPU。価格は8万円。


Voodoo 3 3000。3D性能で他を圧倒するグラフィックボード。価格は4万円。


Creative Sound Blaster Live!。ゲーマー御用達のサウンドカード。価格は2万円。


どれも、「当時の最先端」だ。


だが、鳴海は知っている。


これらのパーツは、あと数年で「ゴミ」になる。


Pentium IIIは、Pentium 4に取って代わられる。Voodoo 3を作った3dfxは、2000年に倒産する。Sound Blaster Live!は、Windows XPとの相性問題で悪名を馳せる。


未来を知っているということは、こういうことだ。


今、目の前にある「最先端」が、どれだけ儚いものか、痛いほどわかる。


『マスター』


「なんだ」


「何か、考え事ですか」


「……いや」


鳴海は、首を振った。


「ただ、懐かしいだけだ」


「懐かしい、ですか」


「ああ。俺が最初に自分のPCを買ったのは、高校1年の時だった。2002年。この街で、Pentium 4のマシンを組んだ」


『記録にあります。しかし、その記憶は——』


「ああ、『未来』の話だな。今の俺にとっては」


鳴海は、窓の外を見た。


中央通りが見える。人の波。車の列。看板の森。


「あの時の俺は、何も知らなかった」


「何を、ですか」


「この街が、どう変わるか。この国が、どう変わるか。世界が、どう変わるか」


「……」


「でも、今は知ってる。全部、知ってる」


鳴海は、F501iを握りしめた。


「だから、俺は——」


言葉が、途切れた。


店内放送が流れている。


「本日のタイムセール、まもなく終了です。Pentium II 350MHz、特価12,800円——」


鳴海は、小さく笑った。


「……帰るか」


『はい、マスター』


---


秋葉原駅。夕暮れ。


ホームに立つ鳴海の手には、パーツの入った紙袋。


電車を待ちながら、F501iを開いた。


「アイリス」


「はい」


「今日の収穫、まとめてくれ」


『了解しました』


画面に、文字が流れる。


「購入品:CPUクーラー(Sanyo Denki製)300円、EDO SIMM 32MB×2(Samsung製)1,000円。合計1,300円」


「予算15万円に対して、1,300円か」


「残金148,700円。これは、次のフェーズの資金として温存します」


「次のフェーズ?」


「ISDN導入、および追加のヤフー株購入です」


「……まだ買うのか」


『はい。現在の1株では、利益の最大化には不十分です。可能な限り、買い増しを推奨します』


鳴海は、黙った。


婆ちゃんの顔が、脳裏をよぎる。


「航にあげた方が、いいよ。航は、賢い子だから」


あの言葉が、まだ胸に刺さっている。


『マスター』


「……なんだ」


「一つ、報告があります」


「言ってみろ」


「本日の行動で、パケット代を247円消費しました。今月の残高は、あと1,200円です」


「……また、ギリギリか」


『はい。来月からは、ISDN導入後、通信コストを大幅に削減できます。それまでの辛抱です』


電車が来た。


常磐線の、緑色の車両。


鳴海は、乗り込んだ。


席に座り、窓の外を見る。


秋葉原の街が、ゆっくりと遠ざかっていく。


「アイリス」


「はい」


「俺たちは、今日、何を手に入れた?」


「CPUクーラーとメモリです」


「違う」


「……?」


「『つながり』だ」


鳴海は、紙袋を見下ろした。


「あの店主——木村さん。また来いって言ってた」


『はい。聞いていました』


「1999年の秋葉原には、ああいう人がたくさんいたんだ。ネットじゃ手に入らない情報を持ってる。目利きができる。信頼関係で商売してる」


「それは、2026年には失われた価値ですか」


「完全には失われてない。でも、薄くなった。効率化の名の下に、人と人の『つながり』は、どんどん削られていった」


鳴海は、F501iを見つめた。


「俺とお前の関係も、そうだ」


「……マスター?」


「2026年の俺は、お前と『効率的に』会話してた。必要な情報を、必要な時に、必要なだけ引き出す。それ以上でも以下でもない」


「それは、私にとっても同様でした」


「でも、今は違う」


鳴海は、小さく笑った。


『128文字しか喋れないお前と、パケ死を気にしながら会話してる。面倒くさい。非効率だ。でも——』


「でも?」


「悪くない」


アイリスの画面が、一瞬だけ揺れた。


「……ありがとうございます、マスター」


「礼を言うな。事実を言っただけだ」


電車が、トンネルに入った。


窓の外が、真っ暗になる。


F501iの緑色の光だけが、暗い車内を照らしていた。


「アイリス」


「はい」


「明日から、また忙しくなるぞ」


「はい」


「オーバークロックしたPCに、今日のパーツを組み込む。ALGOの動作テストを続ける。来月のISDN導入に向けて、親を説得する」


『了解しました』


「そして——」


鳴海は、目を閉じた。


「この世界のプロンプトを、俺たちが書き換える」


『——執行、了解しました』


電車が、トンネルを抜けた。


窓の外に、夕焼けが広がっている。


1999年9月23日。


鳴海航は、秋葉原という「聖域」から、最初の武器を手に入れて帰還した。


戦いは、まだ始まったばかりだ。

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