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8.サクの名案

 シェリーは家路をたどって帰宅した。玄関を開けると、薄暗い居間の食卓テーブルの椅子に両親が座り、呆然としているのが見えた。


 四十代後半になる父の顔はこの二日間で酷くやつれ、一気に老け込んだように見えた。母は泣き腫らした真っ赤な顔で呆と天井を見上げている。


 食卓テーブルの上には避難先から持ってきた小さな酒樽が乱雑に置かれていて、どれも蓋が割られている。村中の畑を荒らされて売るものもなく、食べる物も無く、この先どうすればいいのか途方に暮れ、二人で酒を飲んだくれていたのだろう。


 ただいま、と声をかけるのも気が引けるほど重苦しい空気が立ち込める居間に、シェリーは足を踏み入れた。母が目だけをこちらに向け、掠れた声で「おかえり」と言った。


 母に光を宿さない濁った目で見つめられ、シェリーは固唾を呑む。半開きになった母の口からはよだれが糸を引いて伝い落ちていた。涎を拭う気力さえも母にはないようだった。


 沈黙を破るように父が口を開いた。


「シェリー⋯⋯丁度いいところに来てくれた」


 父の顔を見ていると、キャリーへの怒りですっかり忘れていた父の愚行を思い出し、シェリーは声を震わせて言った。


「そんなことよりおっとう、何で退魔師に金を払ったんさね。その金で街から種や肥料を買うなりなんなりできたっしょや⋯⋯」


 父は無駄金を使ったことを謝罪せずに続けた。


「シェリー、キャリーに店を開くよう言っておくれ。頼む」


 唐突に無理不可能な頼みごとをされ、シェリーは咄嗟に言い返す。


「な、何言うとんねおっとぅ。あいつがあたしの言うこと素直に聞くんと思うけ?」


「作物を盗まれた村には仕事も金も、何もねぇ。戦費を使い込んだ領主は民に救済処置をしてくれねぇ。だからキャリーに稼いでもらう。資金がなきゃ畑を立て直すことも肥料や種を買うこともできん。外科医を必要としちょる軍民をこの村に呼び寄せて、金を取ればええ」


 村を立て直すための大切な資金を、退魔師に全部支払ってしまった阿呆が何をとぼけたことを。憤怒の熱が全身に広がっていく。


 父は元々村長の資質などない無能だとシェリーは幼い頃からそう感じ、苛立っていた。資金不足になった時、父は金を工面するなど対策を練らずにいつも村の最重要経済源であるキャリーの家族に擦り寄り、金をせがんでいた。そんな父が嫌で、キャリーの母親は引っ越しを考えているとシェリーに打ち明けたことがある。


 一家に逃げられるかもしれないと察したのか、父は一家を村から逃さないようにと、無理矢理キャリーの兄とシェリーを婚約させ、束縛した。その上で事あるごとにキャリーたちに売り上げを上げろと無理を押し付けていた。そんな無能な父を母は一切叱ることなく味方するばかりで、シェリーは両親が大嫌いだった。


 今まで積み重ねられた父の無能案件が一気に思い出され、とうとう堪忍袋の尾が切れたシェリーは叫ぶ。


「おっとぅは馬鹿だ! 退魔師なんかに金払いよって! おかげでなけなしの金がぱぁになったさね!」


 シェリーの訴えを適当に受け流すように父は曖昧に頷き、言い訳をする。


「悪魔の呪いが疫病を呼ぶのを防ぐためさね。昔、おめぇのおじいとおばあが生きてた頃に疫病が流行ってぎょうさん人が無くなったって話を聞いたろ? あの時の疫病は、どこからか来た悪魔の呪いの仕業さね。だから退魔師を村に呼んだんさ。資金集めの前に皆が死によったら元も子もないさね」


 シェリーは居間の壁の額縁に飾られた祖父母の似顔絵を見た。昔、二人が絵師に描いてもらったものだった。祖父母はシェリーが生まれる前に疫病で亡くなった。


 悪魔の呪いがこの村に降りかかっているとしたら、いずれここは疫病の発生源になるかもしれない。だから退魔師に金を払って悪魔の呪いを祓ってもらうことにしたという父の考えは一応わかる。しかしいつ発生するかわからない疫病のことよりも、明日食べる物や生活の糧のことを優先しろ。そうシェリーは再び叱責しようとしたが、こちらの話を聞こうともしない父に何を言っても無駄な気がして、口を閉ざす。


「とにかく、資金集めにキャリーには店を開いてもらわんと。今はキャリーだけがわしらの命綱さね。だから頼むシェリー、あいづに開店しろと言っておくれ」


「む、無理さね!」


 拒否すると、父が突如険しい表情を浮かべて愚痴を溢した。


「無理だぁ? じゃあどうするんさね。このまま飢え死ねってのか」


 普段怒らない父が声と顔に怒りを滲ませたことに、シェリーは半ば気圧されながらも言い返す。


「あいづはあたしらの言うこと聞かんさね! おっとうだってわかっとろうよ!」


「わかっとるよっ!」


 父が上半身を起こし、吠えるように叫んだ。


「わしらじゃ無理だからおめぇに頼んでんじゃいっ!」


 父は瓶を持ち上げるや、シェリーに向かって投げつけた。後ろで瓶が床に当って砕け散る音が響き、シェリーは震え上がった。父が激怒し、娘に危害を加えようとしても母は止めようともせず、天井を呆然と見つめるだけだった。


「作物もなきゃ畑も使えない今、何が何でもキャリーには稼いでもらわなきゃいかんのだ。あいづの目ん玉くり抜いてでも説得してこい」


 母も父の味方をした。


「そうさね、シェリー。あたしたちより、あんだが一番キャリーと仲が良かろうよ。きっと分かってくれるさね」


 二人の頼みを突っぱねようと、シェリーはここでキャリーの秘密を暴露しようかと考えた。キャリーが帝国兵を匿っている、あいつは罪人だからもう店を開けない、と。


(おっとうたちを納得させるためにゃ⋯⋯仕方なか)


「キャリーは帝国兵を匿っとる」


 父は眉をひそめて「はぁ?」と怪訝な声を上げた。


「本当さね。怪我した帝国兵を手当しとった」


 父は形相を変えて叫んだ。


「都合のええ嘘つくな! 帝国兵は村に一匹もおらんかったぞ!」

 

「本当さね! 嘘でない!」


「黙れっ!」


 突っぱねられ、シェリーは口を閉ざした。これ以上二人と話すとこちらまで心を病みそうになる。延々と続く会話を断ち切るため、シェリーはがなり散らした。


「⋯⋯もう知らんっ!」


 声を張り上げた途端に疲労が押し寄せ、身体が鉛のように重く気怠くなってきた。どいつもこいつも勝手すぎる。やり切れない気持ちでシェリーは歩き出し、居間の隅にある寝床に横たわる。


 我が家なのに居場所がないという窮屈感に苛まれながら目を閉じると、瞼裏に両手を広げて帝国兵を庇ったキャリーの姿が浮かんだ。


 ――こいつに、殺してほしかったからさね⋯⋯だから看病してたんさね⋯⋯。殺されて、家族んとこに行きたかった。⋯⋯ひとりは、辛すぎっから。このことをばらさんでくれ、シェリーおねえ⋯⋯。


 そして両腕を広げたキャリーの背後で、驚いたように目を見開き、彼女の傷ついた肩にそっと手を伸ばしていた帝国兵の姿も脳裏に蘇った。

 まるで、自分を庇ったキャリーを心配していたような仕草だった。


 冷たく黒い感情が胸に満ちてシェリーは掛け布団を怒り任せに掴む。


(キャリーは悪魔と手を組んだ。このままだと、今まで以上に厄介なことが起きっぺよ)


 悪魔がいなくなれば、キャリーは死ぬのを諦めて元の人間らしさを取り戻し、皆を煩わさせないようになるだろうか。これ以上キャリーのことで怒りに身を焦がすのに嫌気が差しているシェリーは、再度の悪魔殺しを決意した。


(あの悪魔、殺してやる。夜中にこっそり家に忍び込んで寝込みを襲ったるわ)

 

 苛立ちながら瞼を閉じ、うたた寝して暫くした時、突然居間の蔀窓しとみまどを誰かが叩く音がした。


 驚いて上半身を跳ね起こし、シェリーは窓を睨む。


(誰さね?)


「シェリーお姉。いる?」


 サクの声だった。両腕のない母親の看病と畑仕事を父に任せっきりにされている哀れな少年だ。サクのぐれた父に因縁をつけられるのを避けるため、村人たちはサクが両親から酷い目に遭わされているのを見て見ぬふりしていた。


 さらなる面倒事に巻き込まれるのはごめんだとうんざりしながら、シェリーは立ち上がって蔀窓を開けた。窓を半開きにするといきなりサクの手が伸びてきて、シェリーの髪の毛を一本引きちぎった。


「なっ⋯⋯何すんっ!」


「シラミ付いとったから取ったさね⋯⋯で、シェリーお姉。ちょっとおらに付いてきて」


「はっ?」


「いいから早く。来ないならずっとここで待つっぺよー?」


 待機作戦でこちらを焦らすつもりらしい。鬱陶しいので仕方なくシェリーはサクに付いていくことにした。



 ◆ ◆ ◆



 サクとシェリーは森の中へ入っていった。昼なのに薄暗く、肌寒い。


「森に入って、何する気?」


 シェリーがそう訊くと、サクは立ち止まってこちらを振り返った。


「キャリーお姉、帝国兵を匿っとったらしいな」


 自分しか知り得ないはずの情報をサクが口にし、背筋を衝撃が走り抜けた。


「な、なな、何でそれを⋯⋯」


「おら、家に帰るふりして、道を引き返して、キャリーお姉が家に戻ったのを後ろから見てたんさね。こっそり後を付いていったら、シェリーお姉の声が家から聞こえてさ。二人の話し声で、帝国兵が家の中にいんのを知ったさね。キャリーお姉がなんかすんげぇ焦ってそわそわしてた理由は、帝国兵を匿っとったからなんさね。悪魔なら殺してくれると思ったからとか言っとったね。⋯⋯キャリーお姉らしいね。で、シェリーお姉はキャリーお姉が帝国兵を匿っとったことにきれて、殺そうとしたんさね?」


 キャリーを庇うようなサクの言い方に不快感を覚えながらもシェリーは頷いた。


「そ⋯⋯そうさね。後で皆にキャリーの悪事をばらすっぺよ」


「そうはさせんよ」


 サクは懐から血に濡れた一本の骨を取り出し、シェリーの髪の毛をそれに巻き付けた。赤黒く半ば固まった血と皮下脂肪の塊がこびりついた骨を見て、背中が寒くなるのを感じた。


「な、何を⋯⋯っ」


「これ?⋯⋯"黒魔術"」


 サクは骨の関節部分を舐め、呪文を唱えるようにぶつぶつと呟いた。


「この贄の骨を食いし悪魔よ我の願いを聞き給え。骨に巻き付けし髪の主がキャリーお姉の罪を暴露した時、惨い呪いを髪の主に与えよ」


「サク⋯⋯?」


「代わりに我が魂を捧げます⋯⋯うっ」


 突然サクが顔を歪めて苦しげに呻き、咳き込んだ。赤い飛沫がサクの服に飛び散る。サクが吐血したと気づいたシェリーの背筋に悪寒が走った。


「サ、サク!⋯⋯血がっ!」


 サクは咳き込みながら、にっこりしてシェリーを見つめた。


「今、呪いをかけてもらうかわりに悪魔におらの魂の一部を捧げたんさね」


 意味不明な発言にシェリーは眉をひそめる。


「⋯⋯は?」


「もうシェリーお姉にかかった呪いは解けん」


 悪魔、魂を捧げた、呪いをかけた。サクの言った一つ一つの言葉が脳内で結びつき、得体の知れない恐怖感が込み上げてくる。

 サクは魂を捧げるといった際に苦しげに呻いて、吐血した。演技だとは思えない。

 まさか、まさか、本当に⋯⋯。

 何か取返しの付かない、恐ろしいことに巻き込まれたのかもしれないと混乱する頭でサクの言葉を受け止めながら、シェリーは訊いた。


「呪いをかけた? あたしに?」


「⋯⋯この黒魔術はな、昔街に行った時黒魔術師から教わったんさね。殺した生贄の骨に呪いてぇ人間の髪の毛を巻き付けて、あとは悪魔にお願いせばええって」


 黒魔術師。悪魔崇拝者であり、人を呪術で殺したり呪ったりする人の姿をした魔物。それを恐れるあまり、国から黒魔術師と疑われた人々は今まで何人も処刑されてきた。

 サクはその黒魔術師から教わった呪術を使い、呪ってみせたというのか。

 腹底に悪寒がぞわりと広がり、シェリーは歯を鳴らす。


「キャリーお姉の罪をばらせば、シェリーお姉は悪魔の呪いを受けて死ぬ。もう決まった運命さね。残念」


 恐怖感が確信に変わり、シェリーは愕然として膝を付いた。


「キャリーお姉の死にたい気持ちを踏みにじった罰さね」


 戦慄くシェリーの前で、サクは嘲笑うように笑った。


 シェリーはサクを――子供の姿をした小さな悪魔を身震いしながら見上げ、問う。


「何で⋯⋯そこまでして、キャリーを庇うん?」 


 サクは口から血を垂らしながらにっこり微笑む。


「キャリーお姉は、悪魔さんより先においらが殺すからさね。⋯⋯必ずね」

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