199 由希奈の選択
情報料や銃弾等の消耗品を経費として計上し、また戦闘による危険度合いを鑑みた結果、さすがに等分にはされなかった。けれども、由希奈一人に割り振られた報酬は億単位に届かずとも、下手な職業の生涯賃金に匹敵する金額に値した。
「…………で、これどうするの?」
仕事を終え、無事に帰宅した菜水を待ち構えていた妹と現物としては初めて見るだろう紙幣の山を前にして、姉の菜水は頭を抱えていた。
「それを今、考えているの」
しかし由希奈の方は気にせず、ノートに思い付く限りの考えを書き込んでいく。
「ちなみに……このお金と相続した遺産を上手く使えば、一生働かなくても生きていけるって気付いてる?」
「うん。気付いてる」
入手経路以前に、実際に上手く人生が回るとは限らない。現に、由希奈の家は思いがけないタイミングで事故に遭い、そのせいで両親を失ったのだ。これからも不慮の出来事に見舞われる可能性は否定できない。
だからこそ、大金の使い道は慎重に検討しなければならないが……今の由希奈には、『一生遊んで暮らせる』甘言に惑わされる理由は一切なかった。
「それでも私は…………ううん、私も『運び屋』になりたい。睦月さん達と、一緒に生きたい」
その為に、由希奈は覚悟を見せようとアイデアを考えてはノートに書き込んでいた。けれども、どれもピンと来ずに次へと移り……やがて、頭を抱えてしまった。
(でも、どうすればいいの……?)
免許ももうすぐ取れる。英会話等の技能は追々詰めていけばいい。後は、何かアピールできるポイントを示せば良いと考えていたのだが……堂々と自分の実績として言えるのは、麻薬組織狩りに参加していたこと位だ。職業体験はもちろんのこと、『表』の仕事に関わったことがあるだけでは、どうしても説得力に欠けてしまう。
(もう私も裏社会の住人だ。でも……『運び屋』として、睦月さんが認めてくれるとは限らない)
『もし、自分の生命が惜しいのなら……失せろ。最悪、お前に構っている余裕がない』
(自衛の手段は必須。自分を鍛えるのは当然だとしても……やっぱり、どんな技能を身に着ければいいのか、睦月さんから直接方針を聞かないと……結局、足を引っ張ってしまう)
陸上競技でも、それぞれの得意分野や出場種目に応じて練習方法が変わってくる。すでに戦い方を身に着けている姫香や他の裏社会の住人達であれば問題ないだろうが、由希奈にはその経験が皆無だった。
ただ『鍛える』と口にすることは簡単だが、実際に努力できるかは別問題な上に、方向性を間違えてしまうと徒労に終わってしまう。だからこそ、裏社会の住人には簡単になれても……睦月の望む『運び屋』になることは、今の由希奈には難しい。
「一体、どうしたらいいんだろう……?」
「…………」
書き込んでいたノートを覗き込んだまま、そうぼやく由希奈を見ていた菜水はその近くに腰掛け、ゆっくりと口を開いてきた。
「これは私が、新人研修の時に教わったことなんだけどね……」
「?」
姉の言葉に、由希奈は顔を上げる。そして見返してきた妹に、菜水は自身が教わったことを話し始めた。
「『思いやりの心は立派なビジネススキルだ。決して綺麗事じゃない』って。何でか分かる?」
「えっと……」
突然話を振られたこともあるが、その内容に疑問しか浮かばない由希奈に、菜水は簡単なたとえ話としてか、ノートへと綴っていたペンを指差してくる。
「ちょっと極端な例だけど……たとえばその手に持っているペン、私に売り込んでみてくれる?」
「これ? えっと……」
突然の要求に困惑する由希奈。結果、咄嗟の思い付きで売り込むしかなかった。
「……使いかけだから、十円で買わない?」
「言葉遣いもそうだけど……由希奈だったら同じように言われて、自分で買いたいと思う?」
姉からの指摘に、由希奈は何も言えなかった。
「実際、これは面接とかでよくある問答なんだけど……この質問の本質は、相手がある認識を持っているかを確かめる為なの」
「認識?」
そう聞く由希奈に、菜水はその手からペンを受け取ると少し席を外し、一枚の書類を持って戻ってきた。
「話は変わるけど……これ、由希奈の分の保険関係の書類。確認した後でサインして」
「あ、うん……」
受け取った書類の内容を確認し、署名しようとした由希奈だったが、そこでようやくペンが手元にないことに気付く。
「お姉ちゃん……ペン、返してくれる?」
「一万円で売ってあげる。お金ならそこにたくさんあるじゃない」
菜水が指差す先にあるのは、由希奈が文字通り命懸けで稼いできた正当な報酬だ。
だから一瞬、何を言ってるのかと憤りかけた由希奈だったが……そこでようやく、菜水の言いたいことが理解できた。
「ペンを必要としている人に売る、ってこと?」
「そういうこと。簡単に言うと、需要と供給ね」
由希奈にペンを返してから、菜水は改めて説明し始めた。
「さっきみたいにペンがないと困るから、お店とかで買うんでしょ? 誰かが必要としている、つまり需要があるから、お店もペンを供給して売ってるの。これはさっき言った通り、本当に極端な例だけど……それが仕事の基本だってことは、今ので分かったでしょ?」
「だから……『綺麗事じゃない』んだ」
そう言われて、由希奈もようやく菜水の話が理解できた。
相手を思いやる、つまり相手の欲しいものを察し、それを用意する。だから仕事の基本であり、綺麗事ではないのだと。
「どんな立場であれ、その本質を理解できない人間は絶対に上手くいかない。自分と同じ価値観を持つ相手とだけなら成り立つかもしれないけど……仕事ってね、基本的に自分以外の誰かとするものでしょ? さっきの質問も、『相手の需要を把握しようとする意思があるか』を確認する為にしているの」
「つまり相手の……睦月さんの求めているものを理解して、それを私が持っていることを証明できれば……」
その呟きの後、由希奈は思考の渦中へと沈みこんでいった。
(思い出せ……睦月さんはあの時、何て言っていた?)
思い出すのは睦月との……由希奈にとって、人生初めてともいえるデートの日の会話だった。
『俺の会社……MT車の運転免許、必須なんだよ』
それは当然だ。『運び屋』という裏の顔だけでなく、個人経営の運送業という表向きの側面もあるのだ。たとえ偽造であっても、免許は必ず必要になってくる。
『俺が求めるレベルの偽造だと、普通に免許取るよりも高くつく上に……どっちにしろ、道交法の知識と運転技術は必須だからな』
(そうだ。必要なのは免許そのものじゃなくて…………)
ストン、と由希奈の中に、答えが落ちてきたような感覚が生まれた。
「道交法の知識と…………運転技術」
どちらにせよ、運転免許は取得するのだ。知識の方はこれから身に着けられる。
『ちなみに、それで最低限だぞ? 他にも英語をはじめとした外国語だの運送業や車両管理の知識だの関連資格や免許だの……新人研修がない分独学で身に付けてくれないと、碌に仕事を任せられないからな』
言語も車両関連の知識も、今後自分で勉強できる。睦月もまた、それを急いでどうこうして欲しいとまでは言っていない。
しかし……何が必要なのかは実際に働いてみないと分からない以上、『入社』というスタート地点に立てなければ、話にもならなかった。
その為に、今の由希奈に必要な……『運び屋』が要望している人材の条件はただ一つ。
「今、すぐに必要なのは運転技術。それも……『運び屋』として通用する力量で」
後は、その技術と取得した証明となる実績をどうやって手に入れればいいのか。由希奈はまた、深く考え込むのだった。
(本当は止めたいけど……無理なんだろうな、もう)
妹が、裏社会の住人になろうとしている。
出会った男が悪かった、と言ってしまえばそれまでだが……それでも、事故を起こした男を取り逃がさずに済んだのは、紛れもなく『運び屋』達のおかげだ。
犯罪行為を否定したくとも、それで助けられた人達も存在する。自分達も含まれる以上、その事実から目を背けることはできない。
(こんな実績、見せられちゃったらね……)
考え込む妹を置いて、菜水は由希奈が手に入れてきた紙幣の山に目を向ける。
相手が麻薬組織、つまり裏社会の住人とはいえ、犯罪行為で得た『汚れた金』であることは変わらない。だが、過程はどうあれ、自分の力で大金を稼いできたのもまた事実だった。
(唯一の救いは……『運び屋』がまだ、仕事で必要なことを認識しているってところよね)
『……私以外の乗客と添乗員、全員を降ろしていただけるなら』
たとえ裏社会の住人だとしても、自己の利益だけを見ているわけではないのはもう分かっている。でなければ、運転代行等の真っ当な商売にまで関わる理由はないはずだ。ましてや、裏社会に関わりのない人間を守る為に行動する義理はない。
ビジネスで信頼を重ねることの必要性、誠実さは社会人が果たすべき義務だと分かった上で、犯罪行為に手を染めている。それに、菜水が感じた限りでは『必要悪』に近い経営方針をしていた。
むしろ、下手に『ハラスメント』が横行するような職場に勤める将来を避けられただけでも御の字だと思うしかないのだろう。裏で違法な仕事をしていると言われてしまえばそれまでだが、誰彼構わず傷付けてないだけまだましだ。
そう結論に至ると同時に、蓄積した疲労が噴き出してきた菜水の身体は空腹を訴えだした。
「ほら、先にご飯にしましょう」
「あ、うん……分かった」
ノートを片付ける由希奈と共に、菜水は食事の準備を始めた。
「……あ。後で書類にサイン、忘れないでね」
「え……あれ本当だったの?」
「だから丁度良かったのよ。適当な書類探したりして用意する手間が省けて」
食事中ずっとジト目を向けてくる由希奈に、菜水はしれっと返すだけだった。
「……そっか。社会の裏側に来ることにしたんだ」
「はい」
その翌日。教習所で技能実習を終えた由希奈は彩未と合流し、手近な公園に立ち寄っていた。そして、自動販売機のペットボトル片手に自身の決意を伝えたのだが、話はこれで終わりではない。
「後は運転技術だけなんですけれど……練習した上でその能力があることを、どうやって証明すればいいのかが分からなくて……」
「まあ……私達、まだ仮免許だしね」
無事に免許が取れても、向こう一年は初心運転者標識が付き纏ってくる。それを上回る程の証明がなければ睦月の方も納得しないし、できないだろう。
「彩未さん……何か、いい方法を知りませんか?」
「う~ん。姫香ちゃんに聞いてみてもいいけど……多分、当てにならないかな?」
飛び込み試験で合格できる人間も居るだろうが、大体が免許の失効者か、私有地等で事前に練習を重ねていた者がほとんどだ。詳細こそ本人に聞いてみなければ分からないが、生まれ育った施設で仕込まれていた可能性は十分にある。
つまり、すでに下地が出来上がっていたと考えるべきだろう。
「他に、相談できそうな人は…………あ、もしかしたら、」
そう言うと、彩未はスマホを取り出して電話を掛け出した。
『……あれ? 彩未君、どうしたんだい?』
「あ、京子さんですか? ちょっと相談したいことがあって……今、お時間大丈夫ですか?」
電話の相手は、睦月とも旧知の仲である京子だった。立場こそ警察官だが、『必要悪』を許容できるだけの器の大きさも持ち合わせている。それに、『走り屋』時代から彼のことを知っているらしいので、もしかしたら何か良い考えがあるかもしれない。
人目がないことを確認した上でスピーカーに切り替えてくれた彩未と一緒に、由希奈もまた京子の話に耳を傾ける。
『別に大丈夫だよ。今日は休日で、今は休憩中だし』
その休憩については深く追求しないまま、彩未に代わって由希奈が、現在抱えている悩みについて話し始めた。
「それで、運転技術があることを『運び屋』に証明したいのですが……何か、良い方法はありませんか?」
『良い方法、と言われても……そもそも君達、免許は持ってるのかい?』
「一応、この件は由希奈ちゃんの話なんですけれど……私たち二人共、仮免許を取ったばかりです」
『免許を取る方が先だと思うんだけどな……』
スマホ越しに、どこか呆れた口調が流れてきた。それでも、由希奈達に何か助言を残そうと考えてくれているのか、少し呻く声が聞こえてくる。
『地道に練習を重ねて、ストリートレースでも組んで勝つしかないかな? その辺りは私が口添えしてもいいけど……どっちにしても、結構時間が掛かると思うよ』
「そう、ですか……」
だが、京子の意見は間違っていない。たとえ小さな積み重ねでも、いやだからこそ、信頼を得るには地道な努力が必要となってくる。それを短期間で解決するとなれば、それこそ危険を冒す程の賭けに出なければならないだろう。
『いや…………もしかすると、』
何かを思いついたのか、一呼吸置いてから京子の声が届いた。
『これは私の独り言だから、聞き流してくれて全然構わないんだが……』
「?」
そう前置きし、京子は由希奈達に対して代替案を伝えてくる。
あえて『独り言』と付け加えた以上、何かしらの危険は伴うのだろう。そう考えるべきだと覚悟した上で、言葉の続きを待った。
『警察官の立場から言うべきではないだろうが……もしかしたら、免許の有無を問わずに運転技術があることを証明できる方法が、一つあるかもしれない』
資金は十分にある。それで解決できる範囲なら迷わず受けよう。
そう考える由希奈に、京子は『走り屋』の慣習について話し始めた。
「『走り屋』達の中で行われている度胸試しがあるんだ。それさえクリアすれば、運転技術は十分あると証明できるんじゃないかな? それこそ……免許の有無を問わずに」




