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42話 再び……

 「そ、そんなにビックリすることないじゃない! ちゃんと玄関から入ってきたんだから! 」


 「…… あ…… 」


 頭の中は真っ白だった。 そんなことを言ってるんじゃないと怒鳴ろうとした時、風呂場から俺を呼ぶ菜のはの声が聞こえた。


 「お兄ちゃん? どうかしたー? 」


 「いや、階段から落ちただけだ! 洗濯機止まったら呼んでくれー 」


 苦し紛れの言い訳をしてわざと音を立てながら階段を上る。 そのままそっとドアを閉めて、俺はベッドにダイブした。  見なかったことにしよう、見なかったことに。


 「そんな扱いすることないじゃない! 」


 楓は俺の部屋のドアをすり抜けて、ベッドに仰向けに寝転んだ俺に馬乗りになってきた。 ぐえぇ…… なんでドアはすり抜けるのに俺はすり抜けないんだよ!


 「お願い燈馬! 助けてよ! 」


 「アホかお前はー! 」


 ほぼ同時に叫んだ俺達は、お互いの顔を見て黙り込んだ。 助ける?


 「お前、今度こそ本当に…… 」


 「違うわよ! 死んじゃったらここにいないわよ! 」


 とりあえず幽霊ではないことにホッとする。 


 「…… まさか、リハビリ頑張りすぎてコケた拍子に実体からスッポ抜けちゃったなんてほざくんじゃないだろうな? 」


 「う…… 」


 図星かよ。 っていうか何やってんだお前は!


 「ち、違うのよ! 疲れたから早めにベッドに戻ろうとして、ベッドの縁に膝を着いた時におしっこしたくなっちゃって…… そのまま振り向いた時に…… その…… 」


 「ベッドの角に頭ぶつけたと 」


 「机の角よ 」


 言い直すほど大した違いはないじゃねーか。


 「お前な、どれだけお前を実体に戻すのに苦労し…… 」


 ちょっと説教をしてやろうとした瞬間にドアが開いた。 やばっ! 菜のはだ!


 「お兄ちゃん、洗濯機止まったよ…… って、どうしたの? 」


 バスタオル一枚で洗濯機が止まった事を知らせに来てくれた菜のはは、俺の形相がよほど酷かったのか俺のスマホを耳に当てたまま固まっていた。


 「お、おう…… 」


 楓に馬乗りになられて動けない俺は、寝ころんだ姿勢のまま一言だけ答えた。


 「具合悪いの? 顔真っ青だよ? 」


 ハッと気付いた菜のはは、バスタオル姿のまま駆け寄ってきて俺の枕元を覗き込む。 そっと俺のおでこに手を当てて、次に自分のおでこを俺のおでこを合わせる。


 「だ、大丈夫。 今行くから 」


 「寝てていいよ! 洗濯は私が干しておくから! 藍さん、お兄ちゃんが…… 」


 ― なに燈馬、具合わるいの? ―


 電話口から聞こえた藍の声も少し焦っているようだった。 同時に聞こえた風呂を出る音に、俺は菜のはの頭を撫でてからスマホを取り上げる。


 「大丈夫だって! ちょっと寝ればすぐ良くなるから心配すんな 」


 ― ホント? ヤバそうだったら連絡ちょうだいよ? ―


 大丈夫と念を押して藍と通話を切る。 菜のはにも洗濯物を頼むと優しくお願いして、俺はそのまま寝るフリをした。


 「はぁ…… 」


 とりあえず菜のはに楓は見えていない。 終始気付いていない様子だったことに俺は大きなため息を吐いた。


 「そんな大きいため息、幸せ逃げちゃうわよ? 」


 「誰が俺の幸せを逃がしてんだよ。 菜のはにバレたらどんな風になるか言っただろ 」


 菜のはに聞こえないように静かに怒りをぶつける。 俺の腹には生暖かい楓のお尻の感触…… 重さだけじゃなくて生身の感触まであるのかよ…… 素直に怒れん……


 「ごめん…… 」


 俯いてボソッと謝る楓に、もう少し文句を言ってやった。


 「助けを求めるのなら二ノ宮会長なんじゃないのか? 俺はおまけだろ 」


 「おまけじゃないよ! …… ほ、ほら、アンタじゃないとアタシが見えないし! 」


 あ? なんでモジモジしてんだこいつ。 ちょっ! 腹の上でモジモジするなって!


 「とにかく降りろ! 重い 」


 「重くない! って、幽体のアタシの重さも分かるの? 」


 「なんで感じるのか分からないけどな。 ついでに言えばお前の尻の感触もある 」


 楓の顔が一瞬で真っ赤になった。 が、恥ずかしけりゃ避ければいいのに、一向に降りる気配がない。


 「だってアンタ、降りたら逃げちゃうじゃない…… 」


 「俺の家でどこに逃げるんだよ? 逃げないから降りれよ、苦しいから 」


 「…… うん 」


 やっと楓が腹の上から降りてくれた。 とりあえず部屋の電気を消して、スタンドライトをナイトランプモードにする。


 「助けろってどうやって助けるって言うんだよ? 」


 「その…… 前みたいにしたら戻れる、と思うから 」


 またキスして殴られて気絶しろって? 冗談じゃない。


 「無理だ。 こんな時間に菜のはを一人家に残して行く訳にいかないし、そもそもお前の家だって鍵開いてないだろ。 それに、お前のお母さんには俺は警戒されてるんだろ? 」


 「やっぱアンタは妹主体なんだね 」


 「当たり前だ。 俺は菜のはを守るって決めたんだから 」


 楓はベッドの上で俯き、両足を抱えて顔を伏せる。


 「パンツ、気を付けろよ。 油断すると見えるぞ 」


 ピクッと反応した楓は、その姿勢のままスッと足をクロスさせた。


 「白よ! 見たければ見ればいいじゃない変態 」


 「わざわざ見ねぇよ 」


 菜のはが様子を見に来た時、電気を消して起きているのも不自然なので俺はベッドに横になる。 シングルサイズのベッドでは二人が居座るには狭く、クロスさせた楓の足の指先が脇腹に当たった。


 「…… ドアをすり抜けられるお前が、なんで俺には触れるんだ? 」


 「…… わかんないよ、そんなの 」


 「…… なんで俺にはお前が見えるんだよ? 」


 「…… 知らないわよ、バカ 」


 それっきり俺達は喋らなかった。 一時間くらい経った頃に菜のはが一度俺の俺の様子を見に来たが、眠ったフリをしているとタオルケットを掛けて静かに出ていった。


 「優しい子ね。 ホントアンタが羨ましい…… 」


 「自慢の妹だ。 やらんぞ 」


 楓は『わかってるわよ』と答えて、それっきりまた静寂が部屋を包む。 


 楓が実体に戻る前の、毎日のように俺の部屋に来ていた頃を思い出していた。 こいつはこの暗がりの中で何を考えていたんだろう。 決まってこいつは机の椅子に座っていたけど、何を思ってそうしていたんだろう。 わからん…… ああもう! 考えるのはやめた!


 「ホラ、行くぞ 」


 菜のはの部屋のドアが閉まった音を聞いてから1時間。 物音がしなくなって少し経つから、菜のははもう寝たと判断して体を起こした。


 「え? 」


 「え? じゃないだろ。 行って鍵開いてませんでしたなんてオチは嫌だからな 」


 楓とは目線を合わさずにドアノブに手を掛ける。 向かいの菜のはの部屋にそっと入って寝顔を確認し、蹴飛ばした毛布を掛け直して、俺は階段を下りた。




 「可愛い寝顔だったね 」


 大通りでなんとか捕まえたタクシーの中でニコッと笑った楓に、俺は無言でドヤ顔をしてみせる。 深夜の道路は空いていて、15分もしない内に楓の家に到着できた。 運転手さんに少し不審な顔をされながらも、俺は楓の後を追って我が家のように玄関前に立ち、タクシーをやり過ごしてから小さな庭を通って裏に回る。 


 「その鉢の下に合鍵、隠してあるから 」


 離婚した楓のお父さんが使っていた鍵らしい。 よく接待で飲みに出ていて、お母さんに怒られて閉め出された時の予備キーなんだと寂しげに言った。 ともかくその予備キーで楓の家に入り、足音に気を付けて部屋に入る。


 「痛々しい格好だな 」


 脱け殻のような実体はベッドに突っ伏すように倒れていて、こめかみの下が少し腫れていた。


 「う、うるさい! 変な所触ったら殴るからね 」


 ゲス顔で胸を触ろうとしてやると、悲鳴を上げて思いっきり頭を叩かれた。 冗談も程々に、実体の楓を仰向けに寝かせて布団を掛けてやる。


 「ほら、早く重なれよ。お母さんに見つかったら俺は犯罪者だ 」


 住居侵入に強制わいせつ…… 確実に刑務所行きだな。 そんなことを考えながら、楓を両腕で挟むように上から見下ろす。


 「もう躊躇なくキスしようとするのね、アンタ 」


 「バカ言え。 爆発するくらいに心臓がバクバクしてるよ 」


 意識すれば躊躇して出来なくなる…… 顔を赤らめて目を閉じた楓に、俺は勢いで唇を重ねた。 ピクッと実体の楓の唇が動いたので離れようとすると、背中に手を回されて動けなくなってしまった。


 「お、おい楓!? 」


 「暴れないでよ、お母さんに気付かれちゃう 」


 背中に回された腕は思いのほか強く、引き寄せられて楓に覆い被さってしまった。 楓は俺の胸に顔を埋めてくる。


 「…… 良かったな、戻れて 」


 「うん…… ありがと…… 」


 彼女ではない紫苑に罪悪感を覚えながら、暗い部屋の中で俺は暫く楓に抱かれていた。

 



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