14話 解放されて
次に目を開けた時には、俺は真っ白な天井を見上げていた。 鼻を突くような消毒液の匂い、ふかふかのベッド、周りを囲うベージュのカーテン。 ここは病院か?
「気が付いたかい? 」
俺が寝ているベッドの横では、二ノ宮会長が涼しい顔をして本を手に微笑んでいた。
「あれ? 俺…… 」
「安心していいよ、ここは僕の父が経営するクリニックだから 」
やっぱり病院か。 なんで俺がベッドに寝てるんだ? 訳が分からずとりあえず状態を起こし、顔に手を当てると左頬に激痛が走った。
「いってぇ…… なんだこれ 」
頬には大きな湿布が貼られている。 それを見て会長はクスクスと笑っていた。
「楓君の右フックが見事だったよ。 あれだけ綺麗に入れば脳震盪を起こしても仕方がないね 」
右フック? 脳震盪…… あれはキスの味じゃなかったのか!?
「ということは楓は!? 」
会長は満面の笑みを浮かべて俺に頷く。
「無事に目覚めたよ。 ご苦労様、白馬の王子君 」
白馬の王子ではないけど、会長の言葉にホッと胸を撫で下ろす。 良かった…… アイツ、無事に体に戻れたんだ。
「彼女は今精密検査の最中だよ。 もう少しでMRIから戻ってくるよ 」
「検査? だって体はなんともないって…… 」
「なにしろ二年間も眠っていたんだから検査は必要だよ。 リハビリの事もあるし、少し入院することになるだろう 」
そっか、ずっと寝たきりだったから筋力も衰えてるよな。 目覚めたからハイ終わりとはいかないんだ……
「楓君のお母さんは君に感謝していたよ。 後で顔を出してあげるといい 」
「いえ、俺は無理矢理キスして殴られただけですから。 ウチの娘に何をする! なんてことになりますよ 」
面白いねと会長は声を上げて笑った。 いや、俺にしてみればこれ以上関わりたくないのが本音だ。
「きっと会長のキスが効いたんですよ。 でも楓を助けるためとはいえ、ホントにキスするとは思いませんでした。 その…… 良かったんですか? 会長的には 」
「いい筈がないわ! と言いたいところだけど 」
サッとカーテンを開けたのは吹石副会長だった。 コンビニで買ってきたのか、腕に下げたレジ袋の中からお茶のペットボトルを差し出してくれる。
「理由が理由なだけに怒れないじゃない。 蒼仁のすることだから、やむを得ず人工呼吸したと思って諦めてるわ 」
「え!? じゃあ会長の心に決めた人って…… 」
「おや、言ってなかったかい? もう付き合いを始めて6年になる 」
聞いてません。 いや、なんとなくそうじゃないかとは薄々感じてはいましたけどね。 副会長も案外さっぱりしてるんだな…… 長年連れ添った夫婦みたいだ。
「それにしても、キスで意識が戻ったなんて素敵な話ね。 眠れる森の美女みたい 」
クスクスと笑う副会長は少し頬を赤らめて、勘弁してくれと笑う会長の背中を肘で小突く。 昼には楓の検査が一段落すると聞いて、俺は菜のはとの約束を思い出した。 スマホの時計を確認するともう11時半だ。
「それじゃ俺はこれで 」
「おや? 楓君の顔は見ていかないのかい? 」
「菜…… 妹に昼には戻ると言ってあるんです。 遅くなると心配するので 」
菜のはの名前を聞いて副会長の目が光った…… ように見えた。
「いや、あげませんよ? 」
「つれないなぁ燈馬君。 蒼仁の恋人なのだから私の恋人でしょ? なら菜のはちゃんは私の妹じゃない 」
違いますよ。 彼氏を前にして何を言ってるんですか!
「楓には頑張って生きろよって伝えて下さい 」
笑顔を作って会長にそう言うと、会長は肩をすぼめてため息をつく。
「そんなに疎遠にすることもないだろうに。 楓君が寂しがると思うよ? 」
「え? だって俺は会長に接触する為に利用されただけで、楓にとっては俺はもう用済みじゃないですか。 おまけにノックアウトするくらい嫌われただろうし…… 離れるにはちょうどいいです 」
会長と副会長は顔を見合わせてため息をついていた。 『みどり』と会長は一言掛け、副会長は軽く頷く。
「送っていくわ 」
副会長に柔らかく微笑まれ、なんとなく気まずい雰囲気をその場に残して俺は病室を後にした。
「これ、自分の車ですか? 」
送ってくれると聞いて、てっきり運転手付きの高級車かと思ってたのだけど、まさか副会長自らがハンドルを握るとは思わなかった。 操るのはパールホワイトのちょっとお高そうなスポーツカー。 高校生がこんなの運転していいんだろうか?
「お爺様に買ってもらったのよ。 もちろん運転免許は取得済みだから心配しないで 」
吹石家って凄いのね…… まぁあの二ノ宮会長の彼女なんだから只者ではないんだろうな。 運転上手いし……
「楓ちゃんにお礼くらい言わせてあげてくれない? 」
「え? 」
信号待ちで、副会長はカーオーディオのボリュームを小さくしながら呟いた。
「私にはあの子がどんな性格なのかまだわからないけれど、聞いた限りで言えばきっとあなたを訪ねて来ると思うわ 」
「別に俺はお礼なんていらないですよ。 っていうか、もううんざりです 」
「どうして? 」
「夜中には叩き起こされるし、一日中付きまとわれるし、告る為に皆を巻き込んで迷惑かけて…… 自分勝手ですよ 」
「女ってそういうものよ。 ううん、女だけじゃない…… 男だってそう。 本気で好きな人と一緒になりたいと思ったら周りが見えなくなるんじゃないかしら? 」
信号が青になり、車はゆっくりと交差点を曲がる。 変速する度に変わるエンジン音とシフトレバーのコツコツと動く音。 次のT字の交差点を右に曲がればすぐに俺の自宅だ。
「あまり嫌わないであげて。 きっと寂しがるわ 」
寂しい? そんなことないだろと反論しようと思った時には、もう自宅前だった。 心配してたのか、菜のはが玄関前に出てキョロキョロしていた。
「お兄ちゃん! 」
車を降りると、ビックリした顔で菜のはが走り寄ってくる。
「どうしたのその顔! 」
「ん…… ああ、ちょっと転んでさ。 病院に行ってた 」
「お昼過ぎても戻って来ないし、連絡しても返事ないし! 」
ポケットからスマホを出してみると、いつの間にか電源が落ちていた。 こういう時に限ってバッテリーってなくなるんだよな。
「ゴメンゴメン。 大したことないから心配ないよ 」
頬を膨らませる菜のはに謝っていると、副会長も車から降りてきて菜のはに抱き付いてきた。
「菜のはちゃん! 会いに来たよー! 」
「みどり先輩! みどり先輩の車ですかこれ! カッコいい! 」
菜のはも副会長も会って早々はしゃいでいる。 副会長の目的は俺を送る事じゃなくて菜のはだったんじゃないだろうか。
「ちょっと行っちゃう? ドライブ行っちゃう? 」
おい! ウチの可愛い妹をナンパしてるんじゃない! まぁいいけど。
「お兄ちゃん、行ってきていい? 」
溢れんばかりの喜びを見せる菜のはにダメと言えるはずもなく、副会長に菜のはをお願いして送り出す。 そうだ、菜のはがいないうちに藍には連絡しておくか。 スマホを取り出して、幽霊騒動が一件落着した事をメールで送る。 すぐに返信が来て、弓道の練習が終わり次第家に顔を出すとのことだった。
「いや、特に話すこともないんだけどな 」
なんか朝からどっぷり疲れた…… 俺は家に入るなり、リビングのソファに寝転がって目を閉じる。 これでもう楓に悩まされることはない…… そんな安堵感からかすぐに睡魔が襲ってきて、夕方に藍に起こされるまでぐっすり寝てしまっていたのだった。




