境界のリンカーネーション 1話 決意/諦観
境界のリンカーネーション
1話 決意/諦観
朝日が昇る少し前にセイは目が覚めた。
そのまま軽く身支度を整えると体を動かす。柔軟体操で関節の動きを確かめると今度は剣、愛用のショートソードを抜いて軽く振り回す。そのまま逆手に持つと自分なりの慣れた動きで剣を振り回す。その動きは素人然としており誰もがセイが戦いに慣れていないのだと察するだろう。しかしこの動きは最低ランク、薬草採取をずっと続けてきたセイにとっては最も動きやすい持ち方であった。
しばらく振り回しては柄の感触を確かめていたがやがて納得したのか腰に掛けた鞘に後ろ手で剣をしまうと冒険者組合へと歩き出した。
道中あちこちから朝の食事の準備をする臭いが漂い、一昨日の昼以来空の胃を刺激したが今日こそは口に出来るさと自身を慰めながら歩き続ける。
まだ早い時間とあって冒険者組合には他の冒険者は集まってはいなかった。それは建物も同じでこの時間帯は職員も出て来てはいない。しかし緊急の依頼も稀ではあるが起きるために常に誰かが詰めているのも事実だ。そしてセイの目当ての依頼は恒常の依頼であるため手続きには然程時間が掛からない。更に依頼書の記入をセイが自分で書くことで職員の手間をできるだけ省くのに協力していた。そのためセイに対して良くない感情を抱く職員も黙って受け取るのが常であったのだが――
「あの、すいませんもう一度言って下さい」
「ですからその任務は現在受けられません」
「何かの間違いでしょう。薬草採取の任務なんですよ? 何時だって需要はある任務です。その依頼が取り下げられる筈が……」
「取り下げられてはいません。依頼は今も存在します。しかし貴方だけは別です。これは貴方に対してのみ設けられた特別措置です」
「そんなバカな……有り得ない!」
「有り得ないのは貴方ですよ。もう5年も最低ランクのみをこなしているらしいじゃないですか。上のランクを受ける気が無いのなら廃業して別の仕事を探してみては?」
「ぐっ!」
その言葉に声を荒げそうになったが寸での所で自制する。唇を強く噛み締めて耐える。
そんなセイを冷ややかな目で見詰めると受付は話は終わったとばかりに窓に手を掛けた。
「ま、待って下さい! 報酬を下げてもいい! だから俺にこの依頼を受けさせて下さい!」
「……貴方にはプライドが無いんですか? 報酬の釣り上げ交渉は何度も経験しましたがこんな情けない交渉は初めてです。有り得ませんよ。それと仮にそこで土下座されてもこの決定は変わりありませんから。そんなに仕事が欲しいなら別の依頼を受ければいいじゃないですか。薬草採取以外は特別制限は有りませんよ? もう交代の時間ですのでこれで失礼します」
「待って、待ってくれ!」
閉じられた窓に縋る様に声を掛けるがそれが開かれることは遂に無かった。
青い顔で冒険者組合を後にしたセイはとぼとぼと歩いていた。
道にはまばらに人が現れ始めており、きっと直ぐに人で一杯になるのだろう。そんな朝の静かな時間、セイの心はかつてない程の怒りが激しく渦巻いていた。
「〜〜! ――」
「――。……」
ふと離れた所から聞こえた長閑な声。思わず振り向いた視線の先には親子が実に幸せそうに手を繋いで歩いていた。
それを認識した瞬間、セイは今まで経験したことのない激しい衝動に駆り立てられた。理不尽に晒された自身の境遇とは対極に位置するその表情、その仕草。この世全ての理不尽に見舞われたのが自分なら、この世の幸せを一身に浴びているのがあの親子だとさえ思えた。
明らかに危険なモノが宿った視線を向けるその先でふと親子が立ち寄る。
そこはパン屋だった。
一目で分かる出来立てのそれを受け取ると代わりに金を取り出す。店主なのか、店番をしていた男もにこやかに代金を受け取るとそのまま2,3言葉を交わして親子は離れた。
抑えきれない怒りと嫉妬で自分でも理解できない内に前に歩き出そうとして、気付いた。
自分が剣を抜いていることに。
いつもの様に逆手に持つショートソードを呆然と見つめる中、自身の不可解な行動に狐に摘ままれた面持ちで理由を考え、そして理解した。
自身が何をしようとしていたのかを、自分が何を考えていたのかを。
受け入れがたい自身の行動に愕然としながら、セイはその場を逃げるように後にした。
何時にない全力疾走で向かったのはセイの塒だった。
手元にないのがあれ程不安だったと言うのに、今は触れるのが恐ろしくて鞘ごと投げ捨てるようにして放置している。
地べたに座り込むようにして項垂れていると今までのことがまるで走馬灯のようにぐるぐると頭の中を駆け巡った。
「…………理不尽だ…………」
ぼそりと呟かれた言葉は、正しくセイの想いを現していた。
「……理不尽だ!」
もう一度、今度はわめきたてる様にして吐き捨てる。
「俺は、俺は! 好きでこんな所に来た訳じゃない! 好きで冒険者なんかやってるんじゃない! 最初は良かったさ! 確かに喜びもしたよっ! これで特別になれるって思ったさ! でも俺には何も無かった! 力も知識も経験も! 何も……それでも死にたくないからあんなクソみたいな依頼で食いつないで来たんだろうが! 生きるために耐えてきたんだ! なのに! なのに……それすらも俺には許されないってのか……」
その惨めさに震えた。
5年前、セイは学生だった。
こことは異なる世界で学生と言う守られた身分でいられた頃、しかしそのことから目を背け、無知であるが故の反発を繰り返していた。
社会と言う庇護下に置かれた状況ならそれは何時か自分が成長するのに必要だったと振り返ることが出来ただろう。だがそんなモノなど一切存在しないここでは正しく無意味なモノだった。
無論セイとて何もしなかった訳ではない。彼なりに足掻きながら、しかし何も出来なかったのだ。
元の世界よりもずっと厳しい現実に直面してセイは初めて自身がちっぽけな存在であることを自覚できた。
同時にどれ程愚かであったのかも。
しかし幾ら後悔を募らそうとも元に戻れる筈もない。そして生きるためには当然食っていかなくてはならない。
手探りのまま何かをしなくてはと思うのに路銀を稼ぐ能力が無い。体力も知力も才能も、何一つとして有りはしなかったのだ。
最終的にセイは冒険者への道を決意した。運よくベテランのチームから声を掛けられて最も基本的な知識を幾らか教えて貰った頃、帰路に着く道中にそれは起こった。
セイが把握できたのは“全滅する”と言う覆せない事実だけだった。唐突に起きた戦闘は不意打ちされると言う最悪の先端を開くと碌に迎撃の準備も出来ないまま一方的に蹂躙されると言う凄惨なままに終わった。
それでもセイはまだ運が良かった。
何故なら偶々パーティーから距離があったから。
目の前で生きたまま食い殺される味方を均きり視界に収めたセイが取った行動は“逃亡”だった。無我夢中で走り抜ける中幸いにも追手は来ず、セイは何とか他の冒険者に保護されると事情を説明し救援を求めた。
しかし当然ながら既に手遅れであり、その後の検分からセイが襲われる味方を見捨てて一目散に逃亡していたことが明るみとなるとそれまで同情的だった他の冒険者たちから一斉に非難を浴びせられる立場となってしまった。
そして訪れたのは孤独。
まだ冒険者に成りたてのセイの面倒を見ようとする者は誰もいなくなっていた。
その視線から、そして逃げてしまった罪悪感からセイはまたも逃げ出し、流れ着いたのがこの街だったと言う訳だ。
そこから先も前回の焼き増しだ。自覚しているからこそ冒険者だけは避けたいと思っていたが、無力であることにも変わりはない。結果を得る力がないのなら行き着く結論もまた変わらない訳だ。結局無駄に反発を買う結果と成りながらも誰とも交わるつもりが無かったセイは現状を受け入れ、その目的を唯生きることのみに集約して過ごしてきた。
だがそれでも、決して受け入れらないこともある。
セイはこの5年間ずっと冒険者としての稼ぎだけで生活してきた。ギリギリで苦しい生活ではあったが、そんな中でも一つだけ胸を張って言えることがある。
それは道徳心だ。
両親から厳しく言いつけられた言葉を当時は煩わしく感じていた。それでも確かに根付いていたのだろう、反抗期を迎えても悪事にだけは手を染めず、また自分より弱い者を標的にして鬱憤を晴らすようなことだけはしなかった。
昔はそれさえも両親に従っているような気がして反発を覚えた物だったが、今はこれが最後に残った誇りであり、絆だった。
親から受け継ぎ、今尚残っているこの矜持だけがセイをセイ足らしめる支えであったのだ。
(それももう、無理だ)
確かにセイは聖人君子などではない。そんなことは葛藤するまでもなく自覚していることだ。でも今日自身の身に起きたことは、やろうとしていたことはもはや悪魔とも言うべき所業と言わざるを得ない内容だ。今日は何とか思い止まれた。しかしこれからもっと苦しくなるであろうことを考えれば非常に危うく、もう期待は出来ない。相手を手に掛けた後に正気に戻っても遅いのだ。
そうしてネガティブな思考のまま導き出した結論に納得すると不思議なことにセイはある種の清々しさを感じていた。
それまでの苦しみも怒りも自分自身への絶望も何もかもが綺麗に無くなったかのように心が軽くなったのだ。
セイの人生において未だ無かった穏やかな心情のまま、セイは明日に備えて準備を整え始めた。
明けた翌日、ここに来て以来初めての整容を終えると軽くチェックを入れる。それなりに満足出来る内容に1人肯くと唯一残った愛用のショートソードのみを手に立ち上がった。
何時もの路地、自身が塒にしていた場所に振り返るとゆっくりと見回す。これで見納めと思うと不思議とそんなに悪い場所ではなかったと言う気にさえなった。そんな自分の考えに苦笑すると今度こそ振り返らずにその場を後にする。
向かう先は何時もの場所、冒険者組合だった。
昨日と同じ時間に辿り着いた組合には昨日と同じ受付嬢が窓越しに出迎えてくれた。
眉が跳ね上がる程度の反応を示すと後はマニュアル通りの対応で依頼を聞いてくる。セイは掲示板に張られた依頼を眺めると、一つだけ覚えのある標的の名を見つけて折角だからと言うまるで根拠のない理由で紙を剥ぎ取ると受付嬢に差し出した。
やはり眉を動かす反応を返すと黙って処理した後に依頼書を返してきた。まるで愛想のないその反応に苦笑を浮かべるとセイは声を掛けた。
「あの」
「……まだ何か?」
突き放すような物言いにまたも苦笑が浮かんでくる。察するまでもなく仕事は終わったと言うことなのだろう。だがセイもこのまま引き下がりたくはなかった。理由を聞かれれば“何となく”としか言えなかっただろうが、考えてみれば、そんな理由でセイの方からアクションを取るのはこれが初めてのことだ。そこまで考えてからもしかしたら自分は寂しいだけなのかも知れないと思い直す。
そしてそれは真実だったのだろう。胸にすとんと落ちたその考えに納得し、それならばここでの最初で最後の我儘に付き合って貰おうと口を開いた。
「昨日は申し訳ありませんでした。きっと今まで組合の方には迷惑を掛けてきたのだと思います。全員にはお詫びできませんが、折角ここで顔を合わせたのですから謝罪させてください。
見苦しい所を見せて申し訳ありませんでした。
それと、今までありがとうございました」
「え、あの、一体何を?」
「それだけ言いたかったんです。それじゃ、これで」
言いたいことだけ言い終わるとセイは組合を後にした。
後ろの方で声が聞こえたが聞こえないとばかりに前に進む。
日が昇り始めた空の晴れ間を見て今日はいい日だと暢気に思った。
組合を後にしたセイは真直ぐに教会へと足を運ぶ。初めて訪れた教会は独特の空気に満ちており、どちらかと言えば苦手だと感じたことで一瞬気後れしてしまう。
しかし次の瞬間対応した神官が堂々とお布施を要求してきたことでそんな思いはあっさりと霧散した。立派なのは箱ばかりで運営に携わっているのは唯の生臭い人間と分かり一気に脱力したからだ。防具を売り払って得た手持ちの全ての銅貨を手渡すと悪びれもせずに数え出す神官に呆れるよりも感心してから教会像へと歩み寄った。こんな教会だからか、はたまた時間が合わないからか、礼拝に訪れているのは自分1人だけであるらしい。そんなものがあるのか知らないが作法を知らないことを咎められる心配はないなと胸を撫で下ろすと跪いて祈りを捧げ始める。
想い浮かぶのは両親だ。2人に何もしてやれないことを詫びながら、せめてその心身の健康とこれからの幸運を祈った。
信心など微塵もないのにも関わらず思いの外真面目に祈りを捧げていたのかそれが済んだ頃にはすっかり日が昇り切っていたことを天井のステンドガラスが教えてくれた。
用も済んだとばかりに立ち上がるとふと小さな泉が目に付いたことで、かつての記憶が頭を過る。それはチームに向かい入れられた頃、仲間の1人が話していたこの世界の逸話だった。それを捩って教会には旅人を祝福する泉があるのだと彼は言っていた。
これがそうだろうと考えたセイは、自身には必要ないにも関わらず何だか勿体ないような気がして泉に手を付けた所で、やはり作法とかあるのかと疑問に思う。聞いてみようかとも思ったが神官は視界に入る範囲にはおらず、ならば好きにやろうと聞きかじった知識を頼りに手で掬い上げると口に含んだ。意外と美味しいと思いそのまま何度か喉を潤し、すっかり満足して教会を後にした。
森の入り口。そう言っていいのかは分からないが、少なくともここから先は明らかに木が生い茂っている。今まで耳にした情報を基に辿り着いたこの場所だが、セイ自身に特に確信のようなものはない。究極の所ここに標的がいなくても構わないセイは何の警戒もなく、それこそ散歩にでも向かうような気軽さで足を踏み入れた。
普段通りに歩いているために周囲の生物に自身の存在はダダ漏れだろう。しかしそれでいいとセイは考えていた。
何故ならセイにとってこの依頼自体には特に意味がないからだ。大した理由もなく依頼書を手に取り、目的らしい目的があって標的を探している訳でもない。言ってみるなら宝くじを買うような気持ちが一番近いかも知れない。そこにあるのは“当たるといいな”と言うようなものだ。その宝くじを手にしたのも昔ほんの少し縁があった程度の物。
もっともセイの実力を考えればこの宝くじに外れはない。この森に住まうモンスターなら他のどれに遭遇しても死ぬだろう。そうと知りつつも今のセイに取って生死は取るに足らない問題となっていた。
しばらく森を散策していると何かの痕跡に気が付いた。
足を止めて顔を近付けるとどうやら足跡であるらしかった。
そのサイズから自身が探す標的とは違うと切り上げたが、考えてみれば他に情報もないことを思い出し、少しの間その後を追おうと歩き始める。
そのまま追跡しているとセイの鼻が嗅ぎ慣れない臭いを捉えた。多少の緊張をしつつも進み続けていると原型が分からない程に損壊した遺体を発見した。
強烈な腐臭を放つ遺体の状況から見て待ち伏せに会いそのまま一網打尽にされたのだろうと察したセイは今度は襲撃者に興味が湧いてきた。同時に明らかにサイズの違う足跡が目に付いたために、迷うことなくそれを追うと決めた。
そのまま追っている内に周囲の空気が変わったことに気付いた。戦闘経験がほぼ無いセイでも気付くと言うことは明らかに強者だと察し、一瞬“撤退”の二文字が浮かび、直ぐに消えた。
「それこそ今更だろう」
未だに逃げることを思う自分を鼻で笑うが、しかしここに来た目的を考えればほとほと自身の行動は矛盾の塊ではないかと改めた。
「完全に逃げ切るために来たのに強者から逃げようとはしない、か」
それでふと思った。
あの時逃げずに戦っていれば何か変わったのだろうか、と。
だがそんなのは無意味であると直ぐに思い直す。あの時はベテランのチームが不意打ちで全滅したのだ。彼らでさえそうなったのに自分が戦闘に参加した所で死体が一つ増えただけだっただろうと。
(――それでも)
それでも何かが変わったのかも知れない。
その考えをどうしても拭い去ることはできなかった。
無意味な『もし』を夢想している間も無意識に歩いていたらしい。第三者の声にふと顔を上げた時にはかなり大きな獣が目の前で構えていた。
追跡していたのに、それも自ら接近していたのにも関わらずまるで意図せず遭遇してしまったかのような状況に陥ってしまっていた。
(そう言えば追跡中だったっけ)
完全に場違いな感想を抱くセイに相手も戸惑っている様だった。
その様子に苦笑を浮かべて剣を抜き去る。ここで背を向ければ背後から襲われるだけのこと、つまり撤退はもうできない。
「まぁ、最初からそんな気はないけどな」
剣を抜き放ったことで相手もこちらを敵と認識したのだろう。先までの戸惑いはもう感じられず、前傾、所謂クラウチングスタイルに近い構えでセイを見据えている。
そのまま3度地面を踏み締めるように足で掻くと猛烈な勢いで飛び掛かってきた。
「っ!」
咄嗟に横に跳ぶことで躱したセイを置き去りにしてついでに木々を薙ぎ倒しながら森の中へと消えて行く。立ち上がって体勢を整えつつ消えていったその先を見詰めているとのそりとその巨体を露わにした。
相手もセイの姿を見つけると再び前傾姿勢を取る。やはり3回踏み鳴らしてから飛び出した。しかし今度は先の様にはいかず、ある程度セーブしたようだ。その証拠に木々を薙ぎ倒すまではいかずに止まるとこちらへと向き直っている。
3度突進を繰り出す相手にセイの方も反撃を試みた。
飛び退く距離を詰めることで剣での射程を外さないようにしたのだ。切っ先が相手に触れる手応えが伝わってくる。見据える相手の体には小さいが確かな軌跡が残されており、薄らと血が流れていた。そのことに光明を見出したセイは剣を正眼に構え直す。
その後も4度、5度と繰り返す内に相手の体はすっかり血に染まっていた。
しかし状況は歴然としており、このまま続けて行けばセイが敗北することに疑いはなかった。
(やっぱりあんな掠り傷なんかじゃダメだ。その内ヘバって掴まる。血を流してるってもあの巨体じゃ微々たるもんだろ。何とか重い一撃、より深いダメージを与えなきゃ勝ち目はないな)
ちらりと刀身を確認する。確かに使い易いサイズだがこれだけ短く軽い剣では切り掛かった所で無意味だろう。
(突きしかない)
そう判断する。
(問題はタイミングだ)
幸いにも相手の攻撃手段は単純な突進のみ。それを躱して無防備な横っ腹に剣を深く突き刺すだけだ。しかし言葉にするのは簡単だが実行となるとそれ程生易しいことではない。
じりじりと間合いを詰める様ににじり寄る。相手も構わず踏み均した。3度目のそれを見るのと同時に横に跳ぶ。その勢いを殺さずそのまま反復横跳びの要領で跳ぶと目の前に広がるその横腹目がけて剣を突き立てた。
「グオォォォォォ!」
得も言えない奇妙な感触に少し遅れて響き渡る苦悶の声。暴れる様に体を捩じった所為でセイの体も激しく揺さぶられる。必死でしがみ付くセイに業を煮やしたのか魔物が急に走り出した。全速力で突っ込んだその先は鬱蒼と生い茂る無数の木。その中の一つがセイと激突した。
「アグッ!」
咄嗟に手を放して直でぶつかることは何とか避けられたものの、勢いまでは殺せなかったために地面に強かに打ち付けられてしまった。碌な受け身も取れなかった所為で全身が激しい痛みに襲われる。何とか立ち上がるも眩暈の所為で目線が定まらない。どうやら軽い脳震盪を起こした様だと分析する。
そんなことを考えていた時だ。
強い衝撃が突如としてセイを襲う。遠のく意識の中、セイは今自身が立っているのかすら判別がつかなかった。しかしその次に受けた痛みがセイの意識を引き戻した。
「ぐ、あああああっ!」
自身の体ほどもある頭。その口元から覗いていた牙が今や自身の体を貫いている。焼ける様な痛みに漏れる声を止める術がなかった。
「ぐっ、えっ」
その状態で魔物が頭を激しく横に振りつける。その度に牙が肉を抉り筆舌に尽くし難い痛みがセイの体を突き抜けた。その痛みに声を発することさえ出来ないでいるとセイと魔物の視線が交わる。伝わる感情は喜悦。苦しむ自身の姿に暗い喜びを覚えている様にセイには見えた。
そのお蔭で一度は萎んだ反抗心が再び鎌首を擡げてくる。どうにか一矢報いようとその手段を探しているとちょうど突き刺さったままの剣が目に付いた。それに手を伸ばすが届かない。身を捩るとその分牙が食い込み痛みが増した。そのことで手が止まるがそれよりも一矢報いたいと言う思いが勝った。
「ぐっ、ぉおおおおお!」
必死で伸ばした甲斐あって手の先が剣の柄に触れる。気力を振り絞ってそれを引き抜くと相手が苦悶の声を上げた。それに口角を上げると次いで剣を逆手に持ち変える。
丁度相手の頭上へと振りかぶる形となったことで、モンスターもようやく危機を認識したのか明らかに怯えが浮かんでいた。
本能なのだろう、その危機を遠ざけようと頭を捩る。その度に激痛が走るがそんなことはセイにとって何の問題にはならなかった。
「あああああああっ!」
何故ならば、セイは自身の生き死によりも目先の目的を達成することを優先したからだ。
どれ程馬鹿げたことであろうと、この状況はセイにとって初めて自身の力で掴んだチャンスだったから。そしてこれが最後のチャンスでもあったから。
内容など関係なく、そのことこそが何よりも重要だったから。
ズブリ
剣を通して伝わる肉に刃を突き立てる感触。自身が考えるよりも遥かに不愉快なこの感覚に一瞬眩暈がした。しかし交錯したモンスターの視線に一気に覚醒する。見据えるその瞳に怯えは有れどまだ生きることを諦めたようには見えなかった。それはつまり、まだセイは勝ってはいないと言うことだ。
「ぐぉおおおおおお!」
セイが刃を更に押し込むとそれに合わせて断末魔に近い悲鳴をモンスターが上げる。同時にモンスターが後ろへ後ろへと下がって行く。しかしセイが剣にしがみ付いている限り自身の危機が去ることはない。それを忘れる程に迫りくる死は恐ろしいのだろう。その姿ははっきり言って無様だったが、しかしだからこそ正常と言えた。
自身の生死を度外視して勝ちを求めるセイと、恥も外聞も捨てて生にしがみ付くモンスターの戦い。最初に力尽きたのはモンスターの方であった。
一際硬い物を貫いた後に伝わる鈍い感触。それっきり動きを止めたモンスターはゆっくりと地面に崩れ落ちる。その牙が刺さったままのセイも引き摺られる様にして横たわった。
「……勝った……」
湧き上がる衝動に反して体は動かない。不思議と痛みも引いていた。そのことを自覚するよりも速く襲ってきた眠気に意識が沈む間近に浮かんだのは満足感だった。
「……悪く、な……い……」
この世界に来て以来初めて抱いた充足感を抱いて、セイは目を閉じた。




