#1
上空、約一万メートル。
群れをなして飛行する高高度輸送機「ウィリー・ミリー」。
その形状と飛行時に発する独特の音から“空飛ぶくじら”とも呼称される、ここはその腹の中。
目覚めた彼女が目にしたのは、黄色がかったガラスごしに覗く女の顔。
どこか狭いところにいるな、と彼女は思った。
しゅう、と音を立てて目の前が開ける。身体が一気に軽くなり、同時に強い眩暈がした。
「よかった、起きたんだね」
女は彼女を見るや、安心した顔で息をつく。
セミロングの緑髪の女。顔立ちは整っていて、どこか凛とした雰囲気がある。
「あ、まだ急に動かないほうがいい。まずは目から慣らすんだ。上を見て、下を見て、左右を見る。いい調子だ」
ぼやける彼女の視界の隅に、いくつもの影がちらつく。
「何本に見える? 瞬きの数で教えて……3回、OK」
彼女は右腕を上げ、掌を開いて、そして閉じる。小さく白い、己の手。
「大きく息を吸って、ゆっくり吐くんだ。いいかい。よし、じゃあ……名前を教えてほしい。貴方の名前は?」
「アリス」
「アリス。いい名前だ。私はモニカ。よろしく」
「よろしくお願いします」
「それじゃ、さっそくだけど、忘れないうちに渡しておくね」
「はい?」
「貴方の、武器」
―――
「私、記憶がないんです」
目覚めたアリスがいたのは、輸送機のカーゴだった。
壁には、並べられた棺桶のようにカプセルがいくつもあり、そのどれもが開いている。アリスの出てきたそれを含めれば、合計12つ。そしてカーゴにはモニカの他にその人数文の女がいた。誰もが、少女と呼べるほどの年齢だった。
そして誰もが彩りのない軍用ジャケットに身を包み、大小様々な銃を手にしていた。
「勝てる。勝てる。きっと私は勝って帰る」
「一緒に頑張ろうね。ぜったい離れないでね」
「ビビッてんじゃねえぞ。根性キめろ、ああ?」
「きひ、きひ、きひひ」
武器や装備を入念にする者。期待に満ちた顔で周囲を叱咤する者。膝をかかえて何事か呟く者。虚空を見つめて笑う者。周りを見ながら動きを合わせる者。
長い狙撃銃を肩で支え、あぐらをかいた不遜な姿勢でアリスを睨む者。
「あーあーあー」
「?」
「重要な“A”だってのに、こんな“星無し”の寝坊助なんて、とんだnoobじゃん。こりゃ初っ端からツイてないって感じするわ。する」
狙撃銃を揺らして明らかに不満げな視線を向けるのは、長い黒髪をおおざっぱにツインテールにした小柄な少女。額から生えているのは15センチほどの、石膏のような一本角。
「大丈夫だよレイチェル。任せて。なんたって私が隊長だからさ。サラもいるし、ね?」
サラと呼ばれた赤髪の少女が無言で頷く。目つきは細く、その薄い顔立ちに表情はない。手にしているのはオートマチックの散弾銃。その左腕には継ぎ目があり、一目で義手とわかる。
「アリスも、私に任せてくれていいからね」
「はい」
「……まあ、どうせ死ぬのはあたし以外からだろうしね」
レイチェルは鼻を鳴らし、肩をすくめる。
アリスは、モニカを隊長とした4人分隊の一員だった。
このウィリー・ミリー3番機の腹に収まっているのは、その分隊が3つ。
カーゴには窓があり、外を覗くことができた。
紺色の空。アリスはそこに映った自分の姿を見た。
短く揃えた金髪。白い肌。無骨なボディアーマー。
その背中には、一対の白い羽が生えている。
窓に映ったアリスの目はまるで、知らない他人を見るような目をしていた。
―――
ポーン。
気の抜けた音がカーゴ内に響く。
「おはよう、天使の諸君」
低いトーンの、女の声。
「お目覚めはどうかな。準備運動もきっちりしたか? 持ち物確認はOK? ティッシュとハンカチ、それと弾薬は持ったか? おっと、肝心の武器も忘れちゃあいけない」
レイチェルとサラ、それに何人かが、あからさまに舌打ちをした。
「今さら詳細の説明はせん。ブリーフィングとチュートリアルは済んでいるだろうからな。この編隊はあと10分ほどで作戦空域に入る。つまり、お待ちかねの時間だ。“羽付き”以外の者は落下傘の装着を行え。3番機降下隊の合流ポイントはD-10に指定。各分隊の隊長はそれぞれ打ち合わせをし、メンバーにも共有をするように。それと、我々の編隊は第一陣だ。後に続く奴らにお手本ってものを示す必要がある。要は度胸だ。わかるな?」
ぺらぺらと喋る女の声にはまるで引率の先生のような軽薄さがあり、それがいっそうカーゴ内の12人の苛立ちや不安を煽り立てた。
「あの声は誰?」
「私達“解放軍”の上官だよ。何と言ったか、名前は忘れてしまったけど」
アリスの問いに、モニカが応える。
「おおっと……それから、トイレに行く必要はないからな。なんてったって、君たちの身体にはそんな無駄な機能なぞ無いからだ。ハハハ、ハハハハ」
女の笑い声が高らかに響く。カーゴの中の少女達は誰一人として笑わない。
「アー……というわけで、3分前になったらまた放送を入れる。それまでに準備を済ませ、後はしばし快適な空の旅を楽しむように。以上」
ポーン。
「……ここって、高いところなんでしょ? 高いところって寒くないのかな」
「気圧とかも」
「あいつも言ってるじゃない。私達の身体にゃ、そんなもん必要ないってことでしょ」
カーゴ内がざわつきはじめる。
「この前に続いて、またあのクソ女の声を聞くことになるとは。あの女が担当だとロクなことがない。やっぱり今回はツイてないわ」
レイチェルが心底うんざりした声を漏らす。
「この前?」
アリスが首を傾げて問う。
レイチェルはジャケットの首元を緩め、首筋を見せる。右側に、刺青の星マークが2つ。
「この前だって勝てたはずなんだ。それなのに最後の最後で本隊が全滅してさ。おかげで3つ目を逃した。そういや隊長、あんたはいくつ?」
「3つだよ」
「は。道理で落ち着いてると思った」
サラは無言で首筋を見せる。1つ。
アリスは再び窓を姿見にして、今度は自分の首筋を見た。
星はない。すべらかな肌だけがある。
彼女の会話が何を意味するのか、アリスにはわからなかった。
それよりも、アリスにはもっと素朴な疑問があった。
「ところで」
「?」
「これから私達は、どうすれば良いんでしょうか」
アリスは先ほどと逆側に首を傾げて、言った。
「は? ……ちょっとさ、あんた、何言ってんの」
眉をひそめたのはレイチェルだ。
「もしかしてアリス、記憶もそうだけど、本当に、この状況が何だか分かってない?」
モニカもまた心配そうに問う。
「はい。すみません」
「けっ。こいつ、マジもんのnoobかよ。マニュアルも読まないで来ちゃったってわけ?」
「すみません」
レイチェルの侮蔑に、アリスは頭を下げる。
「なかなか目覚めなかったのもあるし、記憶障害とかなのかも。わかった、細かいところは省くけど、ひとまず今回の作戦についてもう一度説明しておく。いい?」
「はい、お願いします」
モニカはそう言うと、ジャケットの胸元を大きく開き、裏から地図と手帳を取り出した。
手馴れているのだろう、モニカの説明はわかりやすく丁寧だった。
アリスはその説明を聞きながら、横目でモニカのはだけた胸元を見る。
そこには握り拳大の、水晶のようなものが埋まっていた。
モニカだけではない。
羽の生えた者。義手を付けた者。角の生えた者。胸元に水晶の埋まった者。
カーゴ内にいる誰もが、人間同様の見た目でありながら、歪な違和感を有している。
歪ながらもどこか統一的な、その違和感。
つまり。
「どうしよ、飛ぶのなんて初めてなんだけど」
「あんたはいいよな。“羽付き”。私なんて、この重いの背負ってかないといけないのに」
「大丈夫かなあ。前にもこんなことやってたの?」
「きひ、きひひ、きひひひひ」
つまり彼女達は――天使なのであった。
―――
ポーン。ポーン。ポーン。
再び、気の抜けた音がカーゴに響く。今度は三回。
「あーあーあー、アテンショーンプリーズ、天使の諸君。編隊はあと3分ほどで作戦空域に到達する。各自、お喋りは止めて装備の最終確認をしろ。“羽なし”は特に落下傘を確認すること。忘れるような馬鹿は死ぬだけだぞー」
何人かの少女が、背中のパックを心配そうに確認する。
「あー、それから現地は晴れだ。お前たちにゃ見えんだろうが、下は雲一つない。絶好の降下日和。よかったな、よかっただろう?」
女の声。最後まで名を名乗ることはなかった。
「残り2分。20秒後にハッチを開く。各員、ゴーグルを装着の上、近くのハンドレールに捕まるように。気圧も気温も気にしなくていい。ふっ飛ばされないことだけを気をつけろ。……じゃあ、御開帳と行こうか、ハハ、ハハハ!」
ポーン。ポーン。ポーン。
軋みをあげて、カーゴの奥が開く。
上から下へ、ゆっくりと。薄暗いカーゴに、眩いばかりの陽の光が差し込んでくる。
光は次第に広がっていき、12人の少女達を照らしていく。
「――天使の諸君。待たせたな。今日も今日とて、戦争だ」
アリスはただ、光が広がるその様を、じっと見ていた。
「残り1分。時刻8:00をもって、これより作戦を開始する。――内容はシンプルだ。当輸送機から高高度降下低高度開傘、すなわちHALO降下を行い、空から目標地点であるラオ島に降下。その後は敵を殲滅し、中心の作戦司令部を占拠、島を奪回すること。あらゆる手段を使って任務を遂行しろ。それだけがお前たちの役目だ」
「作戦名は――『フォーリン・エンジェル』」