#2
「……知ってる? HALO。ヘイロウ、って、天使の輪のことなんだってさ」
「私達には天使の輪どころか、幸せの一つも振りまくことだってないけど」
「天使だってのに、あたし達は落ちていくほう。何の冗談なんだか、わかんないよね」
「ところでさ。これって、夢じゃないよね? ね、」
「不安なら、自分の頬でもつねってみたら?」
「…………痛いし!」
―――
降下では“羽付き”が最初に飛ぶのがルールだという。
アリスもまた、分隊の先頭としてハッチの傍にいた。
気流が乱れ、不規則に強い風が巻き起こっている。眼下には青い海原が広がっていた。
そこからもう少し視線を移せば、目標地点となる島がぽつんと浮かんでいる。
足元の現実離れした光景をじっと見つめながら、アリスは隣の喚き声を聞いていた。
「いいいいやああああーだあーーあーーあーあー!」
「うるせぇ! てめえ“羽付き”だろ! そっちが降りなきゃこっちだって降りられねえんだ、いい加減、蹴っ飛ばすぞ!」
「いやだやだやだやだーーーいやぁぁあだああああーー!」
「クッソ……おい、そっちのあんた! 準備は出来てんのか!?」
「はい」
青筋を立ててメンバーの“羽付き”を叱咤していた別分隊の少女(レイチェルと同じく角が生えていて、肩に狙撃銃を担いでいた)が、姿に似合わぬ荒い口調でアリスを呼ぶ。
叱咤されている当の“羽付き”は、ハッチの縁で腰を抜かし、首をぶんぶんと振りながら泣きわめいていた。小銃のスリングが身体に食い込むほどに暴れまわっている。
「順番はこっちの隊が先だが、何しろしんがりがこのザマだ。悪ィがうちの“ビビリ”の代わりにそっちから先に飛べねえか?」
「はい」
「随分とキモ座ってんな、あんたは」
「? あ、モニカ隊長、順番の件、いいでしょうか」
「いいよ。既に本来の降下開始時間も迫ってるし。それよりアリス、怖くないの?」
アリスの肩に優しく手をかけて、モニカが言う。
「初めてなので、うまく出来るかわかりませんが」
小銃が落ちないようベルトで調整しながら、アリスは言う。
「や、そういうことじゃなくてね……まあ、いいか。レイチェルとサラは?」
「行くんなら、とっとと行ってよ」
サラは無言で頷く。
「OK。私達から飛ぼう。アリス、タイミングは任せるよ」
「はい。じゃ、3.2.1で」
つとめて平静に応えるアリスに、三人は少しだけ身じろぎする。
(モニカ。こいつ、本当に初めてなの?)
レイチェルがモニカに耳打ちする。
サラはこくこくと首を振る。彼女は動揺していた。
(わからないね。よほど度胸があるのか、それとも、本人が言ってた「記憶が無い」ってのに影響してるのか)
こればかりはモニカも思うところがあったらしく、やや言い淀みながらもそう応じた。
(うげ。なんか、キモ)
三人を背中にして、アリスはハッチの縁に立つ。
“ビビリ”はまだ泣き叫んでいる。それを横目に、モニカがアリスの肩を叩く。
「ちょっと待った、アリス」
「はい」
「飛んだら、ひとまず私と行動すること。リードする」
「ありがとうございます」
軽機関銃を背負いながら、モニカが笑いかける。
「いいってこと。初めて、なんでしょ?」
お互いに拳をぶつける。
「……飛びます。3……2……1……」
「「フォーリン・エンジェル!」」
そしてアリスはカウントダウンを終え、躊躇もなく飛んだ。
―――
上空1万メートル。
アリスの身体はくるくると宙を舞う。
くるくる。くるくると。目まぐるしく変わるアリスの視界。
アリスの降下を皮切りに、輸送機から次々と天使が吐き出されていく。
モニカ、レイチェル、サラ。
続いて不格好な体制で飛び出したのはあの“ビビリ”だ。覚悟を決めたか、本当に蹴り飛ばされたか。いずれにせよ、輸送機のローターに巻き込まれるようなことだけは避けられたらしい。
アリスの身体は反射的に動いていた。少しでも身体を動かすと、それだけで大きく体勢が変わる。羽をたたみ、空気抵抗を利用し、速度を加減しながら降下する。
“羽付き”は他の種に比べ、空中でのコントロールが容易だ。咄嗟の姿勢制御も難しくない。これが最初に飛べと指定されたことの意味だった。
アリスは冷静だった。雲は少なく、目標地点である島は上空からでもくっきりと見える。
モニカの姿はすぐに分かった。向こうからアリスの方に近づいてきたからだ。
彼女もまた手馴れた体勢で、ゆっくりと寄ってくる。
(大丈夫? 異常はない?)
モニカはハンドサインでアリスに伝える。
問題ありません、とだけアリスは応えた。モニカは笑って親指を立てる。
付かず離れずの位置で、二人はぐんぐん落ちていく。
突如、空気の轟音に混じって、島からけたたましいサイレンの音が聞こえた。
(対空。警戒して)
ハンドサイン。
数秒後、島の上空に、いくつもの華が咲いた。
―――
アリス達の横を、一人の少女がきりもみしながら落下していった。
“羽付き”。一瞬のすれ違いでアリスはその姿を捉えた。
降下直前に喚いていた“ビビリ”だ。
対空砲火に動揺したのだろう、羽をばたつかせていて、ろくに姿勢制御が出来ていない。
すぐに“ビビリ”は誰よりも先に対空砲火の中に突入した。
ぼん。ぼん。ぼぼん。ぼん。
花火のような音が反響する。
ぼん。
“ビビリ”の身体が爆ぜた。
黒とオレンジの華の中に、赤のインクがぱっと弾けて、すぐにかき消された。
アリスはモニカを見る。
(砲火の穴を突く。ついてこれる?)
“ビビリ”の死にも臆することなく、モニカは冷静に判断する。
アリスは頷いた。
二人は速度を上げる。羽は付いていないが、前に出たモニカの機動は正確だった。
まるで自分に向いている対空砲の向きを予測するかのような動き。
アリスも、モニカのルートをトレースするようについていく。
ぼん。ぼん。ぼぼぼん。ぼぼん。
コンマ数秒前まで、アリス達のいたところが炸裂する。一瞬のミスで跡形もなく消し飛ぶ、極限の状況下だった。二人に気を回す余裕はない。
だが対空砲火の嵐に入って数十秒、その攻撃は次第に薄くなってきている。
想定された攻撃高度は抜けた。この嵐を超えれば、まもなく開傘高度だ。
アリスは身構えた。モニカもまた背中のパラシュートに手をかける。
一瞬、モニカの体勢が少しだけ揺らいだ。
ごうん。
一際大きな音が響く。目の前で、モニカが爆ぜた。
アリスの羽とゴーグルに血しぶきがかかる。と同時に、衝撃波が彼女の体勢を大きく崩す。
対空砲の攻撃高度は通過した。低射程の対空機銃の有効射程は一定の高度までしかない。だが島に潜む敵はその穴を補うべく、いつくかの装備を運用していた。山間に設置された大口径連装砲から上空にむけて放たれた榴散弾。それもそのうちの一つだ。上空で弾けた散弾は任意のタイミングで炸裂し、広範囲の目標を叩き落とすことができる。
アリスは体勢を戻す。予定された高度到達まではあと数秒。
少しでも速度を落とすタイミングが早ければ、カモ撃ちのカモになる。
アリスの視界の隅に、次々と落とされていく少女達が見える。あのカーゴにいた少女達の誰かか、それとも別の輸送機の分隊か。いずれにせよ、やはり彼女に気を回す余裕などなかった。
―――
アリスの傍を、次々と銃弾が通過していく。対空機銃だ。
とっさに身体をよじり、曳光弾から軌道を予測する。避ける。避ける。
地上は目前。開傘予定高度はとうに過ぎた。
どうする。どうすべきか。アリスの思考がスパークする。
アリスの弾道予測にも一瞬の乱れが生じた。
放たれた機銃弾の一発が、アリスの羽をかすめ飛ぶ。
白い羽根が舞う。体勢が大きく崩れる。もう間に合わない。
どこか、降りる場所を。少しでも安全な場所を。
アリスは呼吸を止め、判断を下す。
そして彼女の視界は、真っ白になった。




