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19 変化

「いただきます!」

 若菜は両手を顔の前で合わせて、軽く顎をひいた。

「召し上がってください。初めて卵の黄身を潰さずに目玉焼きを作ることができました」  

 若菜の皿の目玉焼きを見て、空は得意げに言った。

「一回しか出来なきゃ、まぐれだ」そう言って、サキが他の目玉焼きを指さす。

 テーブルの上の皿には、黄身が潰れて堅くなった無惨な姿の目玉焼きが三つのっていた。


「だいたい何で、おまえがここで朝メシを食っているんだ?」

 ソファーでコーヒーを飲んでいた霧島がうるさそうな顔をすると、若菜がぼやいた。

「毎日独りでコンビニのパンをかじっていたら、心がすさみますよ」

「僕のせいで朝が早くてすみません」空は若菜に頭を下げて、霧島のほうを向いた。「もう護衛はいらないのではないですか? 守っていただいた三日間、何も起きませんでした」


 月曜からずっと霧島はサキの家へ泊まって、若菜が空の送迎をしていた。

「おまえらの親は当分、日本に帰って来られないだろう。週末までは様子を見よう」

 霧島が眉間にしわを寄せて答える。

 現地が混乱していて麻生とは未だ連絡が取れていない。

 不安の波が心に押し寄せるのを察知して、サキはテロの話題には触れずに話をもどした。


「やっぱり、八年前の放火の犯人たちが翼を誘拐したんじゃないの?」

「まだ彼らは刑務所の中だよ。ひとりだけ仮釈放中の男がいるけど、その男にはアリバイがあった。犯人たちの家族にも怪しい者はいないけれど、アリバイがないひともいるから調べているところだよ」

「若菜さん、お話のところすみませんが、そろそろ行かないと遅刻してしまいます」

 空が話に水を差した。

「いけねえ、あたしもだ」

 サキも、慌てて鞄を取りに自分の部屋へ行く。


 四人一緒に家を出て、空は若菜の車に乗った。

 送っていってやるという霧島の好意を、やんわりとサキは断った。あんないかつい男の車で送ってもらったら、何と噂されるかわかったものじゃない。いままで目立たぬようにしてきた苦労が水の泡だ。


 サキが腕時計を見て足を速めようとすると、柱の陰に立っている隼人を見つけた。

「そんなところで何をしてる?」サキが話しかけた。

「心配で来ちゃった」隼人は焦った素振りを見せて言い訳をした。「でも、刑事さんがぴったり空君に張り付いているから大丈夫だね。安心したよ。一日中張り付いているなんて、刑事さんも大変だ」

「教室にはさすがに入れないから送り迎えだけだよ。最近の小学校は侵入者を厳しくチェックしているし、学校にいる間は大丈夫だろ」

 サキは隼人と並んで歩き出した。


「早く、翼君が見つかるといいね」

 隼人が溜め息をついた。どことなく元気がない。

「麻生さん、サイコパスって知っているかい?」

「サイコパス?」サキは聞き返した。

「良心を持たない人のこと。アメリカでは二十五人に一人がサイコパスだと言われてる」

「良心がないって、ピンとこねえな」

「そう。だからサイコパスを前にすると普通の人は圧倒的に不利なんだ。だって、良心を持たない人がいるなんて思わないじゃない」

「もっとわかるように説明しろよ」

 サキは顔をしかめた。


 隼人はちょっと考え込むように宙を見てから言った。

「僕にひどいことをしたやつらに良心がないとしたら、どう思う?」隼人の声のトーンが下った。「僕はあいつらにも良心があるってどこかで思ってしまうんだ。本当は悪いやつじゃないって。でも本物のサイコパスには良心が全くなくて、そういう僕の感情すらも利用する。僕はいっそのことサイコパスだったら良かったのにと思うよ」

「何があった? また、誰かに何かされたのか?」

「何もないよ。たまたまサイコパスの本を読んで良心がない人には正義の味方でもかなわないんじゃないかって、ちょっと思っただけだよ」隼人は明るく答えた。「だってサイコパスだったら、僕は支配する側に簡単になれるでしょ」


「良心がないのはわかったけど、そいつらは何がしたいんだ?」

「世界征服。やつらは支配するのが大好きで、支配するためのゲームを仕掛けるんだ」

「ゲーム?」

「人を支配したり世界征服を企てたりするのは彼らのゲームなんだ。サイコパスはすぐ退屈しちゃうんだよ。普通のひとが楽しいと思うことではダメなんだ。だから、ゲームをするんだよ。他人が自分の思い通りに動くのが快感なのさ」

「そんなゲームにのらなければいいじゃん。どうしてそんなやつらの相手をするんだ?」

 サキが不思議そうに隼人を見つめると、隼人は首を振った。

「多くのサイコパスは魅力的でオーラを感じさせるんだ。カリスマ性って言うのかな? 誰もが憧れるような人物だよ。やつらは巧みに嘘をついて、人を混乱させて楽しむんだ。誰もやつらを疑わないし、自分がゲームの駒になっていることにすら気づかないのさ」

「やっかいなやつらだな」

 サキが肩を竦めてふっと笑うと、隼人もいつものあどけない笑顔を見せた。


「良いひとは早く死ぬって言うじゃない。それって本当だよね。誰かの身代わりになったりしてさ。遭難しても食べ物や毛布を譲ったりしてね。良心がなくてどんな悪いことをしても心が痛まないなら、最強だと思わない? 僕は正義の味方は世界征服を狙う悪の帝王に、現実では勝てないと思うよ。だから、僕はサイコパスが少し羨ましい」

「そんな風に長生きしても幸せじゃないだろ。隼人といると、あたしは楽しいよ。痛みのわかる人間のほうが幸せだ。サイコパスなんて、幸せを感じられないからゲームをしかけんだろ」

「そうだね」隼人は静かに答えた。「今なら、僕もそう思えるよ」隼人は視線を爪先からサキにゆっくり移すと、悲しい顔で笑った。


「十メートル先に学校の門が見えてきて、授業の開始を知らせるチャイムがなった。

「やべえ、遅刻だ。走るぞ」

 言い終わらないうちにサキは走りだした。


 麻生のことや空のこと、不安の材料はつきない。しかしサキはなぜかいつもの息苦しさを感じなくなっていた。隼人に言ったことは本当だ。隼人といると楽しかった。ときどき、ガキのようにはしゃぎたくなった。知らず知らずのうちに、自分を偽ることが嫌になっていた。


 そんなサキの後ろ姿を、隼人は複雑な顔でじっと見つめていた。


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