プロローグ
放課後の図書室を利用する生徒は少ない。その少ない生徒の大半も借りた本の返却だけしていくので、テスト期間中でもなければ、テーブルを利用する生徒は皆無と言ってもいい。
図書委員は、毎月、図書室の利用者増加に向けての施策を頑張っているようだが、退屈そうにスマホをいじる図書委員の姿を見るに、まだ結果は伴っていない様子である。
そんな図書室で瀬戸春樹は一人、図書室の入り口から見て対角線上にあるテーブルの椅子に座り、本を読んでいた。
春樹は、図書室で人を待っていた。約束の時間よりも早くついてしまったので、待ち人が来るまでの暇つぶしに、自宅から持ってきていた文庫本を開いていた。
五ページほど読み進めて、プロローグを読み終えたころ何気なく本から視線を外すと、目の前に人がいることに気が付いた。
「うわ」
人の気配に気づかないほど集中していたわけではないのに、目の前に突然、人が現れたことに驚いて、春樹は変な声を出した。
小柄な体を隠すようなオーバーサイズのカーディガンを羽織った女子生徒は、春樹の声にびくんと肩を震わせ、身を縮めた。ただでさえ小柄な彼女が、より一層小さくなって、申し訳ない気持ちになってなった。
「驚かせてごめんね橘さん。えっと……とりあえず座る?」
待ち合わせをしていた彼女の名は、橘むくという。
春樹が席をすすめるとむくはこくんと小さく頷くと、春樹の斜め前の椅子に座った。
正面の椅子をすすめたつもりだったんだけどな。
春樹はそう思いながら、手にしていた文庫本を閉じ、表紙を下にしてテーブルに置いた。彼女の方からは背表紙も見えないようにする。
ブックカバーをしてくればよかったと、ほんの数秒の手間を惜しんだことを後悔した。
むくに目を遣ると、自分のリュックから一冊のノートとペンケースを取り出しているところだった。それぞれをテーブルに置いて、ペンケースからペンを一本取りだすとノートに何かを書き始める。
何かをノートに書く彼女の表情は、目にかかるほど伸ばした彼女の前髪によって遮られて窺い知れない。
ノートに何かを書き終えたむくは、それを春樹の前に差し出した。
《待たせてしまって、ごめんなさい》
むくの気弱さを反映させたかのように小さくて、簡単に消えてしまいそうな弱々しい文字だった。
「大丈夫。おれも図書室に来たばかりだから」
春樹がそう言うと、むくはテーブルに置かれた文庫本を一瞬見て、ノートに文字を書き始める。そして、書いた文字を春樹に見せた。
《本当ですか?》
むくは前髪の隙間から春樹の表情を窺うように覗き見た。濡れたように光る瞳に春樹の姿が映る。
春樹は咄嗟に目を逸らした。
心臓が早鐘を打つ。
むくに悟られまいと春樹は文庫本を手前に寄せて
「本当だよ。これは習慣っていうか、つい癖で出しちゃっただけだから気にしないで」
と応えた。そのままの流れで文庫本をリュックにしまう。
むくはそれで納得したのかもう一度、自分のノートに文字を書き始める。
図書室にノートの上を走るペンの音が静かに鳴っていた。
どこからか管楽器の音色が聞こえてきた。吹奏楽部が階段の踊り場で練習でもしているのだろうか。図書室でむくと出会った日も同じく吹奏楽部がどこかで練習をしていたことを春樹はふと思い出した。




