第1話:見えるはずのない感情
人の感情が“数値”で見える高校生・神代恒一。
他人の本音が嫌でも分かってしまうその力により、どこか人を信用できずにいた彼は、ある日クラスメイトの異変に気づく。
——ただ一人、感情が“見えない”少女。
白鐘凛。
彼女との出会いをきっかけに、恒一は「感情が暴走して生まれる存在――歪み」との戦いに巻き込まれていく。
感情を読み取る少年と、感情を抑え込む少女。
交わるはずのなかった二人が出会った時、見えるはずの“数値”が、狂い始める。
人の感情が、見える。
——なんて言うと、大抵は「便利そう」とか「羨ましい」とか、そういう反応が返ってくる。
でも実際は、その逆だ。
例えば今、俺の目の前にいる担任教師。
黒板の前で進路の話をしているその頭上には、はっきりと数字が浮かんでいる。
苛立ち:72
諦め:64
期待:3
(……ひどいもんだな)
俺——神代恒一は、誰にも気づかれないように小さく息を吐いた。
この“数値”は、嘘をつかない。
表情がどれだけ取り繕われていても、本音は容赦なく暴かれる。
だから俺は、人をあまり信用しない。
——できない、の方が正しいか。
教室を見渡せば、クラスメイトたちの頭上にもそれぞれ数字が浮かんでいる。
退屈:85
眠気:91
好意:12(隣の席の女子に向けて)
そんな中で——
(……あれ?)
ひとつだけ、“異常”があった。
教室の一番後ろ、窓際の席。
白鐘凛。
黒髪を肩で揃えた無表情の少女。
その頭上には——
何も、ない。
(……見えない?)
一瞬、目を疑った。
そんなはずはない。
これまで“例外”なんて一度もなかった。
赤ん坊でも、老人でも、どんな人間でも——必ず何かしらの感情は数値として浮かぶ。
なのに、あいつだけは。
まるで、そこに“感情が存在しない”みたいに。
(いや、違う……)
見えないんじゃない。
——“抑え込まれてる”。
そう思った瞬間だった。
キィィン、と耳鳴りがした。
同時に、教室の空気が一変する。
「——伏せろッ!!」
誰かの叫び声。
次の瞬間、窓ガラスが内側から爆ぜた。
黒い塊。
人の形をしているようで、していない。
歪んだ顔、裂けた口。
そしてその頭上に浮かぶ、異常な数値。
殺意:999
「な、んだよ……これ……」
足がすくむ。
見たことがない。
こんな数値、ありえない。
クラス中が悲鳴に包まれる中、そいつはゆっくりと顔を上げた。
標的を探すように、ぎこちなく首を動かし——
ぴたり、と止まる。
視線の先。
そこにいたのは。
「……白鐘?」
無表情のまま立ち上がる、彼女。
そして——
その瞬間だけ。
一瞬だけ、見えた。
怒り:12
(見えた……!?)
次の瞬間、彼女の姿が消えた。
鈍い音。
黒い塊の腕が、根元から切断されて宙を舞う。
遅れて、血の代わりに黒い何かが飛び散った。
「——一般人は下がってて」
振り返りもせず、白鐘凛は言う。
その声は冷たくて、でもどこか——わずかに震えていた。
もう一度、彼女の“頭上”を見る。
やっぱり何もない。
——さっきのは、見間違いだったのか?
そう思った、その時。
一瞬だけ。
本当に一瞬だけ。
???:100
(……なんだよ、それ)
名前のない感情。
でも、それが——この場の誰よりも“危険”だと直感した。
⸻
黒い塊は、腕を切り落とされても止まらなかった。
断面から溢れるのは血ではなく、粘ついた影のような何か。
「チッ……核、ズレてる」
白鐘が小さく舌打ちする。
その瞬間、化け物の視線がこちらに向いた。
「ッ、こっち来てる!?」
殺意:999 → 1000
(上がるのかよ……!)
動けない。
逃げなきゃいけないのに、体が固まる。
「動くな」
すぐ横で声がした。
気づけば、白鐘が隣にいた。
「そいつの視線から外れるな。今はそれが一番安全」
「は? いや、どういう——」
「いいから」
その直後、化け物が跳ぶ。
「——右」
反射的に体をひねる。
ギリギリで攻撃が外れる。
「次、左後ろ」
言われるがままに動く。
信じられないほど、寸前で回避できる。
(なんだこれ……!)
「……なるほど」
白鐘が呟く。
「見えてるのね、あなた」
心臓が跳ねた。
「隠さなくていい。その目、もうバレてる」
図星だった。
「だったら使いなさい。そいつの“ズレ”見えるでしょ」
改めて化け物を見る。
そして気づく。
胸の少し右。
そこだけ、異様に濃い。
「……あそこだ。中心」
「ビンゴ」
次の瞬間、白鐘が消える。
そして——
「終わり」
一閃。
核を断ち切られた化け物は、そのまま崩れ落ちた。
⸻
放課後。
何事もなかったように修復された教室で、俺は白鐘と向かい合っていた。
「あなたはもう無関係じゃない」
彼女は淡々と言う。
「さっきのは“歪み”。強い感情が形になったもの」
「……元は人間?」
「そう」
迷いのない返答。
「あなたの能力、戦える」
「いや俺——」
「前に出なくていい」
言い切る。
「私の“目”になって」
その言葉に、息が詰まる。
役割は明確だった。
俺は見る。
彼女が倒す。
「……やるよ」
気づけば、そう答えていた。
「了解」
ほんのわずかに距離が縮まる。
⸻
帰り道。
街灯の下で、最後にもう一度彼女を見る。
いつも通り、何もない——はずだった。
一瞬だけ。
好意:102
(……は?)
ありえない数値。
そして——
???:1000
(なんだよ、それ)
理解できない。
でも、確実に——
この物語は、ここから始まる。




